02.王太子殿下ってそんな名前だっけ?
執事から聞かされた言葉は、私の思考を停止させるのには十分過ぎるものだった。
私の傍にいるミーアは、ただ静かに目を閉じている。
まるで私の心を見透かすかのように。
「……」
何も言えない。
言えるわけがない。
だって、王太子殿下の名前が、フレデリクだなんて……そんなの……初めて聞いたもの。
というよりも、いつの間に私の婚約が決まったのかしら!? アラヤダ! 記憶に一切無いんですけれど!
「……お嬢様」
ミーアが私の耳元にそっと囁きかける。
黙り込む私を心配してくれたのだろう。
「大丈夫でしょうか?」
「……う、うん」
正直なところ、全然大丈夫じゃない。
身に覚えが無い事で、何故かこんなにも空気が重く感じてしまうのだから、まともに考えることが出来ない。
「……ミーア」
「はい、お嬢様」
「お腹空いた」
「……承知しました。すぐに用意させましょう」
私の一言を聞くなり、即座に行動に移すミーア。
相変わらず仕事が早い。
「……アリスティアお嬢様。このような事態になってしまい、申し訳ございません。このヴィクトル、一生の不覚で御座います」
「あ、あのね、ヴィクトル。別に貴方が悪いわけではないし、気にしないで欲しいのだけれど」
「いいえ、それでは示しがつきませぬ。この責任は必ず取らせていただきたく存じます。この命に代えましても……!」
「ちょっ! ちょっと待った! 早まらないで!!」
私の目の前では、深々と頭を下げたまま謝罪の言葉を口にする、執事のヴィクトルの姿があった。
彼は、私が生まれた時からずっと一緒に居てくれる。いわば家族のような存在だ。
幼い頃から私を育てて来てくれた、かけがえない人でもある。
だからこそ、彼が居なくなることは絶対に避けたい。
「ヴィクトル、まずは頭を上げなさい。これは命令よ」
「……は」
「それに、私はそんなことを望んでいないわ。もし仮に、私のせいでそんな事になったのなら、それは私の責任でもあるわ。だから、あまり自分を責めないで」
「お嬢様……しかし」
「しかしもカカシもありません。詳細が分からない以上、ここで議論しても仕方ありません。それよりも、今後の事を考えなければ。ヴィクトル?」
「はっ」
「貴方の力が必要なの。協力してちょうだい」
「……畏まりました。この命、アリスティアお嬢様の御心のままに」
「ありがとう。頼りにしているわ」
そう言って、優しく微笑みかけてあげると、彼の表情は幾分和らいだように見えた。
自分の知らぬところで勝手に決められてしまったとはいえ、どうしてこうなった! としか言いようがない。
「では、早速ですが、アリスティアお嬢様。まずは、こちらの書状をお読みくださいませ」
「あいあい」
ヴィクトルから手渡された手紙を受け取ると、そこには見慣れた文字が書かれていた。
「これは、お父様の字ね。ふむ……どれどれ」
内容はこうだ。
『拝啓
愛しきアリスへ、元気に過ごしていただろうか? こちらは今、とても大変な状況に陥っている。
この手紙を読んでいるという事は、既にヴィクトルから聞かされているだろうが、我が娘、アリスと、王太子殿下であるフレデリク様との婚姻が白紙に戻された。
理由は単純明快。
王都より東側にて国を守る侯爵家の令嬢、モルガーヌ嬢との婚姻が突如決まったからだ。
そして腹立たしい事に、我が娘を『辺境の魔女』呼ばわりして、貶めようとしている。
全く以て嘆かわしく、許すまじ行為だ。
だが、安心して欲しい。
私や妻も怒りを覚えているが、冷静さを失ってはいない。
我が父にしてアリスのお祖父様、オーギュスト・ウェンライト辺境伯と相談した結果、ある決断を下した。
その結論とは―――』
「……」
「アリスティアお嬢様、如何されましたか?」
「いや、なんかもう色々と言いたい事が多すぎて、どこから突っ込めば良いのか悩んでいる所なんだけれど、これって何かの冗談なのかしら?」
「いえ、残念ながら事実でございます」
「うわぁ~マジですかー」
「マジでございます」
まさかの現実に思わず天を仰ぐ。
お父様ったら、また突拍子もない事を考えて……。
私のお父様は少しだけ変人である。
……少しじゃ済まないかも。
うーん、そうだね。少しどころか、かなりおかしい部類だと思う。
領主をお祖父様から引き継いだ後も、領民から魔物の討伐願書が届いては、率先して退治に出向いたり、領内で起きた問題を解決したりと、とにかく働き者なんだよね。
でも、お母様曰く、お祖父様も若い頃は、同じ様に働いていたらしい。
つまり、血筋なんだろう。
そんなお祖父様は、私が生まれる前に国王陛下から直属の騎士団である『聖騎士団長』として、数々の武勲を上げたとかなんとか。
『聖騎士団長』というのは、国王陛下の側近として仕える精鋭中の精鋭であり、『騎士殺し』の異名を持つほどの剣の達人だったと聞いている。
お父様も若い頃は、お祖父様に鍛えられたらしく、今でもたまに剣を交えているみたい。
そんなお父様も、お祖父様も、今ではすっかり丸くなって、お酒と美味しい料理があれば幸せそうな顔をしているんだから、人生何があるか分かったもんじゃない。
「アリスティアお嬢様、どうぞお気を確かに」
「あ、ああ、うん。大丈夫よ」
いけない、つい考え込んでしまった。
今は、私の話よね。
「それで、ヴィクトル。一応聞くけれど、私とフレデリク王子の婚姻は、本当に決まっていた話だったりするの?」
「はっ、間違いございません。一方的に婚約が破棄され、モルガーヌ嬢との婚姻が発表されるまでは、アリスティアお嬢様と正式な婚姻を結ぶ予定となっておりました」
「……そっか」
改めて聞かされると、ショックが大きい。
皇太子殿下という立場以外、顔も名前も知らない男性から一方的に婚約破棄を言い渡されるなんて。
しかも、理由が『他に好きな女性が出来た為』『辺境の魔女』扱いされたせいで、私との婚約を破棄するというのだから、呆れて物も言えない。
ぐるる~。
口では言わないが、お腹の音で不満を訴える。
よし、考えても仕方ないし、一先ず朝食を食べてから考えることにしよう!
今日も元気に美味しくご飯!
「ヴィクトル」
「はい、アリスティアお嬢様」
「お腹空いた」
「ミーアの用意も済んだ事でしょう。食堂に向かいましょう」
いつものように声を掛けると、すぐに返事がくる。
今日のごっはんは、なーにっかなー?




