花嫁強奪
「カナっ! やっぱり俺はお前じゃなきゃ駄目だ! 俺と一緒に来てくれ!」
乱入者は必死にそう叫んだ。
僕と僕の婚約者のカナが誓いのキスをするタイミングで式場の扉を乱暴に開け放って。
「タクト……!」
僕の困惑とは対照的にカナはその男を見て嬉しそうに、安堵したように吐息を溢した。
どうしてカナがそんな顔をするか理解できなかったけれど、ここ一週間のカナの浮かない表情を思い出すと何となく状況がわかる。
花嫁強奪。
ドラマでしか見ないような非現実的なシチュエーションをコイツは現実にしようとしているのだ。
カナにタクトと呼ばれた男は息を切らしながら小走りで僕らの元にやって来る。
他人の結婚式に乱入してきておいて悪びれる様子もなく、それどころか、この式場は自分の物だと言わんばかりに我が物顔だ。
許せない。
僕らの大切な日を何だと思っているんだ、コイツは。
初めは困惑していた僕だったが、徐々に怒りがこみ上げる。
「カナ、待たせてごめん」
タクトはカナの前にやって来ると笑顔で言う。
「こんな結婚式止めて、僕と結婚式しよう」
「タクト……」
そして、カナはそっとタクトへ寄り添う。
「は?」
つい僕の口から疑問符が漏れてしまった。
え? 何で?
どうして、その男に近寄るの?
「カナ、これは一体どういうこと?」
僕はあえてタクトを無視してカナに聞いた。
「……」
「カナ? 教えてくれ!?」
俯くカナ。
彼女を庇うようにタクトがカナの前に立ち、僕を睨んだ。
は? 意味不明なんだけど。
どうしてそんな顔ができるわけ?
「突然すみません。俺はカナの学生時代の恋人です」
「ああ、そう。で、僕らの結婚式を台無しにした責任はどう取ってくれるの?」
「それは本当に申し訳ありません。でも、カナはあなたと結婚することに戸惑っていました」
どういうこと? 初耳なんだけど。
「ちょうど半年前です。俺とカナはたまたま再会しました。そして、色々話している内にあなたとの関係に悩んでいると知りました」
僕がカナを見ても、カナは目を合わせてくれなかった。
「正直、結婚はしたくないとカナは何度もそう言っていました。そんな話をしている内に俺たちは学生の頃のような関係に戻ったんです」
学生の頃の関係に戻った?
それってつまり、恋人ってこと?
「はい、そうですよ」
「……カナ、浮気してたってこと?」
「……」
「黙ってないで答えてよっ!」
つい怒鳴ってしまった。
ビクリとカナが肩を震わせる。そして、ようやく口を開く。
「ご、ごめんなさい。こんなつもりはなかったの」
こんなつもりってどんなつもり?
「タカヒロとの関係はもっと前に終わらせるつもりだった。でも、なかなか言い出せなくて……ごめんね」
「何でだよっ! 僕たちは愛し合ってたんじゃないの!?」
「いいえ、それは違いますよ、タカヒロさん」
タクト、お前は黙ってろ。
僕の威嚇を無視してタクトは言う。
「カナの家は親の借金で苦しんでいることは知ってますよね」
いや、知らないんですけど。
「まっさか!」
タクトは僕を馬鹿にするように笑った。
「結婚するのにそんなことも教えてもらってないんですか?」
「おいっ!」
「タカヒロ、やめてっ!」
タクトの胸ぐらを掴み、僕はタクトを睨み付けた。
間にカナが割って入る。
「確かに私の実家には膨大な借金があるの……。それで返済のためにあなたの財産を頼ろうとした」
カナが泣きながら言う。
それはまるで懺悔だった。
「あなたと結婚して、その財産を実家の借金返済に当てようとしたの。でも、そんな理由での結婚なんていざ向き合うと絶対に嫌だった」
「だから、俺がカナを救いに来たんですよ」
「ごめんなさい、タカヒロ。あなたとの結婚はなかったことにしてくれない?」
「カナは俺が幸せにしますから」
……、
……、
……、
「ふざけるなよっ……」
僕はタクトの胸ぐらを掴んでいた手に力を込め、タクトを突き飛ばした。
状況を精査するにどうやら僕に勝ち目はないらしい。
こんなに大々的に結婚式を開いておいて、なんて様だ。
「カナ、僕に恨みでもあったの?」
「タカヒロには恨みなんてない。今までお付き合いした人のなかでも良くしてくれた方だよ」
「そう。じゃあ、どうしてこんな仕打ちをするんだよ……」
「……ごめん」
「どうしてわざわざ結婚式に花嫁を奪われなくちゃいらないんだ!? 僕と結婚する気がないなら、もっと早くにそう言ってくれよ! 別れようって言ってくれよ! 君がそうしてくれれば、僕はこんな思いしなくて済んだじゃないか!!!」
「そうだよね……私の決心が着かなくてごめんなさい」
「こんなの僕がただの馬鹿じゃないか! 一人で浮かれてるだけの間抜けじゃないか!」
僕は感情の堰が切れてしまった。
「カナたちは良いよな!? 僕を絶望の底に突き落としておいて、自分達は幸せに暮らしていくんだからっ!」
「だから、本当にそんなつもりはなかったのよ……!」
「何だよ、そんなつもりはなかったって!? ならどうしてこうなってるんだよ!?」
「……」
「僕はこの悲しみを一生背負うんだぞっ!? 君たちはそんなことを考えないで、自分達のことだけを優先している。ふざけないでくれ!」
「カナ、行こう」
タクトがカナの手を取った。
それにカナも縦に首を動かして同意する。
「触れるなっ! 僕の花嫁だぞ!」
「さっきお話した通りです。カナにあなたと結婚する意志はありません」
「ふざけるな、もう結婚届けだって出している! 受理だってされている! 僕らは正真正銘の夫婦だ! だから行くな、カナ!」
そして、僕はカナの左手へ手を伸ばした。
けれど、
「ごめんなさい」
ぱああんっと。
僕はカナにビンタされた。
カナの瞳は僕を拒絶していた。
「…………………………………………………………………」
なんで?
どうして?
ぼくが
わるいのか?
ぼくが
いけないのか?
「帰ろう、カナ!」
「うん」
「バイバイ、さよならタカヒロくん」
花嫁姿の恋人が他の男に手を引かれて逃げていく。
追わなきゃ。
追いかけなきゃ。
カナは僕のお嫁さんなんだから。
あれ、
でも、動けないよ。
頭も
体も
言うことを聞いてくれない。
気が遠くなるよ。
ショック死でもするんだろうか。
脳ミソがシャットダウンされる。
そんな気がした。