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一日の授業を終え、佳蓮からの誘いをそれとなく躱し、寮へと戻る道すがら、ルークが重い口を開く。
「あの、お嬢様……先程は申し訳ありませんでした。あんな、酷い言葉を……」
「いいのよ!心配してくれていたんでしょう?お母様もお父様もルークも、みんな心配性なんだから。それよりもね、ルーク、大変な事に気付いたのよ!」
「大変な事?」
豹変してしまったようなルークに戸惑いはあったものの、ルイーゼは底抜けに明るいのである。
先程のルークの発言によって出来た傷など忘れ、目前に迫った危機について、前のめりになって話す。
「そう、瘴気よ!最初に瘴気が噴き出ていることが発見されたのって、二年に上がった頃のことなの!」
「……?はい」
「わたくし、何かできることがないか今から探そうと思って。まだ一学期の中盤頃でしょう?今から探せば、何かいい方法が見つかるかも」
「あの、お嬢様。それは無理があるのでは?」
「どうしてよ」
「だってそもそも、この世界をお救いになって下さるのはアイネ嬢とその他の攻略キャラと呼ばれる方々なのでしょう?」
「いえ、それはそうなのだけれど……でも、自分で出来る事があるのならしておきたいじゃない?」
「出来る事、ねえ……そんなもの、あるのでしょうか」
二人の間に、沈黙が流れる。しかし、ルイーゼはここで折れる女ではない。
「ルークの言うことは最もだと思うのだけれど……やる前から諦めたくはないじゃない?ね?だからルークにも、協力して欲しいの。駄目?」
ダメ押しにルイーゼが父直伝のおねだりポーズをして見せると、ルークはため息を一つ吐いた後、視線を地面へと彷徨わせ、呟いた。
「……協力なんて求められずとも、私はお嬢様の従者なんですから、どこへでも連れて行ってください」
「ふふ、そうよね!ルークならそう言ってくれると思ってたわ!そうね……まずはゲームでの設定を思い出すことから始めるべきね」
ルイーゼは備え付けの机の引き出しから紙を取り出し、思い出したことを書き連ねていく。
『瘴気は原因不明のもの←と考えられていたが……?よく思い出せない』
『突如噴出した』
『瘴気は植物や動物に悪影響を及ぼす』
『瘴気が世界を覆いつくすと、どこからか魔物が現れる』
『魔物は人を襲い、食らう』
『瘴気を払う方法はヒロイン――アイネが教会から伝えられた唄をうたう』
『唄には旋律が必要』
『旋律とは?→攻略キャラ達だけが使うことの出来る魔法で奏でる音』
『攻略キャラ達がヒロインと心を通わせることで旋律は習得出来る』
「こんなものかしら……」
「あの、お嬢様……やっぱりこれは、お嬢様と私ではどうにもできないのでは?ヒロインが教会から伝えられた唄とか、攻略キャラだけが使うことの出来る魔法の音とか……」
「しーっ!静かに!今考えてるから!」
ルイーゼは必死にない頭をフル回転させ、どうにかできないか考えていた。が、やはり。
「無理かも……」
「ですよね」
「でも!まだ可能性はあるわ!唄だけでもなんとか出来ないかしら!」
「お嬢様……さすがにそれは」
「何よ?無理だっていうの?まあそりゃあ、わたくしは今現在、アイネ様からの好感度は低いどころかマイナスまでいっていますけれど……でも、無理って決まった訳じゃないわ!!」
「はあ……まあ、やるだけやってみたらいいんじゃないでしょうか」
「もう!なんでそんなに投げやりなのよ!ともかく!今からアイネ様に直談判しに行くわよ!といっても……アイネ様は今どこにいるのかしら」
今は放課後である。1年の1学期ということは、ゲーム上では、放課後になるとマップを選択し、攻略キャラごとに分けられた場所で個別ストーリーを進めていくはずである。
二年に入ると、マップ選択ではなく、個別ルート、または真相ルートへと入るはずだ、とルイーゼは思い当たる。
ちなみに真相ルートとは、誰とも恋仲にならず、二年次へ上がった時に入るルートである。
真相ルートではその名の通り、個別ルートでは知ることの出来なかった物語の真相などを詳細に知ることが出来る。
とはいえ、ルイーゼはメルにメロメロなのである。メルに関する事柄は全て覚えていても、物語の真相などに関しては朧げにしか覚えていなかった。
「とにかく、しらみつぶしにアイネ様、及びに攻略キャラさん達がいるところを当たるわよ!」
「攻略キャラ、さん……?」
「そこ!気にしない!」
ルイーゼは他所様の推しにも敬意を払うタイプのオタクなのだ。
◆
「まずは図書室……失礼しまーす……」
ルイーゼとルークが図書室に入ると、そこにアイネは居なかった。
代わりに、一人窓際の席に座り、静かに本を読む少年が居た。
場所が場所なら、妖精や精霊と見誤ってしまう程、線が細く、美しい。
ブルージルコンがはめ込まれたかのように透き通る瞳は、憂いを帯びたように伏せられ、夕日に照らされたプラチナブロンドの髪は、薄く開いた窓から洩れる風で靡いている。
まるで少年の座るその一角だけが、まるで絵画のワンシーンのようだった。
そしてルイーゼはといえば、メル以外の攻略キャラとの初めてのまともな対面に、内心、心臓が破裂してしまいそうなほどに緊張していた。まずは話しかけなければ始まらないと、意を決し、少年に声を掛ける。
「あの……突然申し訳ありません、わたくし、人を探していて……アイネ様というのですけれど、知っていらして?」
ルイーゼは良くも悪くも素直なのである。
最推しではないとはいえ、ゲームで見たあのキャラがここに存在するのだという事実だけで、叫び出してしまいそうな程興奮していた。
しかし、ルイーゼも精神的にはとうに大人なのである。叫び出しそうな程の興奮をぐっと堪えて、笑顔を作る。……作った気に、なっている。
そして完成したのは、一歩間違えれば不審者と呼ばれてもおかしくはないニヤケ面であった。しかし、そんな不審者面のルイーゼに対し一切の反応もすることなく、少年は穏やかに微笑みを浮かべる。
「いえ、僕は知らないです」
「そうですのね。失礼いたしましたわ。えっと……その、ここで出会ったのも何かのご縁ですし、お互い自己紹介なんてど、どうかしら……?わたくし、ルイーゼ・シュクーリンと申しますわ!」
逆ナンパかよ!と自分で自分に突っ込みをいれるルイーゼだったが、後悔してももう遅い。
少しでも瘴気についての情報を得るために、攻略キャラと今のうちから浅くでも関わりを持っていた方がいいのではないか、との考えであったのだが、いくらなんでも無理がある。
ああ、やってしまった、と項垂れかけるルイーゼの耳に、カナリヤの囀りのような声が届く。
「僕はラウラ・クレンゲルです。よろしく」
「天使……?」
「えっ?ぼ、僕のことですか?天使じゃないですよ!」
ラウラ・クレンゲルは、『きみかな』における攻略キャラであり、唯一の後輩枠である。
ラウラはまだこの学園の生徒ではない。ラウラは理事長の孫であり、特別に図書室だけの出入りを許可されているのだ。
というのも、この学園の図書室は学園としてはかなりの蔵書数を誇っており、読書好きにはたまらないスポットなのだとか。実際、この学園の図書室が目当てで入学する者も居るほどだった。
そういうわけで、ゲーム内では、学園入学前に図書室に入り浸るラウラと交流し、来年度から入学してきたラウラと再会、そして愛を育むというのがラウラルートの主である。
「さすがね……きみかな……」
「きみかな?」
「いえっ!なんでもありませんわ!アイネ様を探さなければいけませんので、今日はここで失礼させて頂きますわね」
「はい、よかったらまた遊びに来てくださいね」
「勿論!」
控えめに手を振るラウラに、ルイーゼは手を振り返して図書室を出る。
「さて……次はどこへ行こうかしら。あの方がいるのは……」