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「どうして……どうしてですの?ねえ、何とか言って頂戴、ルーク……」
「お嬢様、僭越ながら申し上げさせて頂きますと、メル様はお嬢様のそのネチネチした態度に、ほとほと嫌気が差してしまわれたのではないでしょうか」
「何よ!?あっ、でもそうかも……そんな気がしてきたかもしれない……」
多様な花々に彩られた温室で、項垂れる少女と、その傍に並び立つ青年が二人。
青年は、空になったルイーゼのカップに紅茶を注ぐ。
この青年、ルーク・ボルツマンは、ルイーゼの幼い頃からの従者である。
「本編はあと数日もすれば始まってしまうのよ、もしわたくし、正規ヒロインが現れて、メルを搔っ攫っていってしまったりしたら、わたくし、わたくし……!」
「はいはいお嬢様、分かりましたから。いい歳してみっともなく泣き喚くのはお止めください」
「ありがとう、ルーク……あなたのその刺々しい言葉で少し頭が冷えてきたわ……」
「それはようございました。それで、どうするんです?」
「どうするってそりゃあ、婚約破棄なんて絶対にしないわよ。わたくし、メルを手放すつもりなんてこれっぽっちもありませんもの。その為にはまず、原因の究明をしなければならないのだけれど……」
「何か気がかりでも?」
「……本当はね、メルが騎士団に入りたい、だなんて言い出した時からずっと怖かったのよ、わたくし。全ルート全エンディング、短編までしっかり見たけれど、メルが騎士団に入るだなんて話、一度も見たことが無かったから…ああでも、これで良かったのかもしれないわね」
「何故でしょう」
「だって、あの可愛らしいメルが学園へ入学するようなことになったら、どうなってしまうと思う?」
「皆目見当もつきませんね」
「争奪戦よ!メルを巡って、女の熱い戦いが巻き起こされるのだわ!辛い、わたくし辛いわ……せめて、メルの婚約者という肩書さえあれば、余裕綽々とそれを上から眺めていられたのに……」
「なかなかに性根が腐っているご様子で」
「恋する乙女は性格が悪くって当然なのよ!はあ、でもね、メルの可愛さは、わたくしだけが知っていればいいと思うけれど、でも、でもね?みんなにもわたくしのメルがこんなに可愛いんだって知って欲しい気持ちもあって…ああもう、どうすればいいのよ……!」
熱に浮かされたように持論を垂れるルイーゼであるが、そもそも、ゲーム本編でのメルの扱いは酷いものであり、学園へ入学したからと言ってメルがそのような争奪戦の最中に巻き込まれることはない。
だが、ルイーゼは完全に推しに狂っているのである。自分の推しが世界で一番に可愛く、愛される存在である。そしてそれは一般教養ですらあるとすら思っているのだった。
「お嬢様……お嬢様はもう、とうに婚約破棄された身なのですから、そんなことをいちいち考えるだけ無駄ってものですよ」
「酷い!なんだか今日のルーク、いつにも増して辛辣よ!」
「そうでしょうか、私はいつも通りのつもりですが」
いつもの癖が出た、と内心ルークはため息を吐く。ルークは、自らの主人が話す夢物語のような話を、昔から聞かされてきた。
曰く、この世界をもとにして作られた乙女ゲームなるものがある。この先、自らの周囲で何が起こるかを把握している。
このお話は二人だけの秘密よ、と、幼いルイーゼに耳打ちされたことをルークが懐かしく思っていると、突然ルイーゼが大きな音を立てて繊細な模様で形作られたガーデンチェアから立ち上がった。
「大変なことに気付いたわ!」
「大変なこと、とは?」
「わたくし、婚約破棄宣言のショックで全く学園の準備に取り掛かれていなかったのですわ!」
「……お嬢様……」
「え、何?やめて頂戴、その顔。どうしてそんな心底見下したような顔でこちらを見るの!?身長が高いからなおさら怖……あ、ちょっと!引っ張らないで!準備しますから!準備しますからー!!」
引きずられる様にして、二人は温室を去っていく。先ほど注がれた紅茶が、一人淋しく湯気をくゆらせていた。
ルークによって自室へと引き戻されたルイーゼは、スパルタ的指導を受けながら荷造りをしていく。
「ねえ、そういえば、学園にはルークがついてきてくれるのよね?」
「はい。当主様がそのように取り計らうようにとのことでしたので」
「そう……それなら安心ね!」
「……安心、ねえ」
「ん?今何か言った?」
「いえ、なんでも。それよりもお嬢様、そろそろ夕食の時間ですよ。今日はお嬢様の好きなシチューが出るそうです」
「シチュー!?やったぁ!早く向かわなければならないわね!さ、行くわよ!ルーク」
どんな時だってメルに一直線なルイーゼは、自らの侍従の抱える燻ぶった思いに気付かない。それが吉と出るか、凶と出るか。今はまだ、誰にも分からない。
夕食後、ルイーゼは自室で一人、悶々と考えていた。
「わたくし、嫌われてしまったのかしら……」
ルイーゼは思い込みが激しいのである。
「嫌われたんだわ、きっとそうに違いないわ!でもわたくし、何かしたかしら…嫌われないよう、細心の注意を払ってきたはずだわ。それなのに、どうして…ああ、もう分からないわ……!む、胸が苦しい……早く日記にこの思いを綴らなければ……」
ルイーゼには幼い頃からの習慣があった。それがこの日記である。
題して、『推し活日記』。
つまり、メルへの思いを書き連ねた、執着入り混じる愛の日記である。
《〇月〇日 晴れ
私はいつの間にかメルに嫌われていたらしい。いくら考えても、私が何をしでかしてしまったのか見当がつかない。だけど、嫌われていても、それでも。傍に居たい。私はメルの傍を離れたくない。死が二人を分かとうとしたって、手を繋いで絶対に離したくない。ああ、私の愛おしいメル。必ず私が幸せにする。幸せにして見せるからね。今日もメルが健やかであることに感謝します。おやすみなさい、メル。》
一息に書き終えると、厳重に日記に施錠をして寝台に横になる。
「今日もまた、メルの夢が見られますように」
そんな言葉を、口にしながら。
◆
「ルイーゼ、本当にいくのかい?」
「行きますわよ、お父様。なんて顔をしてらっしゃるの!」
「だって……だって……やはり僕もついていこうかな……!」
「お父様!」
「まあ、まあ。お父様はルイーゼが出て行ってしまうことが寂しいのよ。学園に入ったら寮生活が始まるのでしょう?そうしたら、長期の休みにしか帰って来られないわけだし…ああ、そう考えたら私も心配になってきたわ!ねえあなた、一緒についていきましょうよ」
「お母さままで……ふふ、でも嬉しいですわ」
ルイーゼは、両親の元へ駆け寄り、ぎゅっと抱き着く。
「ルイーゼ……」
「あのね、お父様、お母様?わたくし、本当は不安で仕方がなかったの。だってわたくし、お父様とお母様のことが大好きだし、三年の間も離れ離れになるなんて到底考えられないって、本当に怖かったのよ。だけどね、私の傍にはルークが居てくれるわ。だから安心して見送って欲しいの」
「そう、だな……」
「分かったわ、ルイーゼ」
そうして瞳に薄らと涙を浮かべ、ルイーゼは両親と抱擁を交わす。永遠の別れでも告げているかのようだが、一人娘が全寮制の学校へ入学するだけである。
「さあ、行きましょう。お嬢様。お嬢様のことは、しっかりと責任をもって監視…監督いたしますので。それでは、失礼いたします。」
「ルーク君……任せたよ」
ルークは一礼すると、ルイーゼに目配せをし、馬車の扉を開ける。それを見てルイーゼは、両親に手を振りながら馬車へと乗り込んだ。
「ルイーゼ!いってらっしゃい!怪我や病気には気を付けるのよ!あと誘拐とか事件とか……」
「分かっているわ!お母様!十分気を付けますから!お母様とお父様も、お達者で!」
そうしてひとしきりの応酬を重ね、馬車が動き始めると、ルイーゼはほっと息を吐く。
「全くもう、心配性なんだから……」
「でも、満更でもないでしょう」
「それは……そうよ。大好きな人達から心配されて、喜ばない者がおりまして?それよりも、わたくし考えましたの。メルと会えないこの間に、わたくしに何ができるのかって。そう、文通よ。文通なら、もし、もし返信が来なくても……一方的に送り付けられるし……うっ、め、迷惑だって思われるかしら……でもわたくし、無理なの!溢れる想いを胸の内に留めておけないのよ!」
「そうでございますか」
「そうよ!……あのね、ルーク。わたくし、あなたのことも大好きよ。本当に、ついてきてくれてありがとう。あと、いつも……」
「分かりました!十二分に分かりましたから!ほら、前を向いてください。椅子から転げ落ちますよ」
「は、はい……」
ルイーゼの溢れんばかりの愛は行き場を失い、次々と矛先を変える。報われることのない想いのことなど露知らず。
まるで幼子へ注意するように叱責されたルイーゼは姿勢をしゃんと直す。
空は快晴。気持ちのいい風に吹かれながら、馬は軽快な足取りで馬車を引く。
御者は気持ちのいい風に吹かれ、ふと後ろを振り返る。ルイーゼたちを追うように暗澹とした雲が追っていた。馬車は二人を乗せ、学園へと向う。