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 ルイーゼ・シュクーリンは人生最大の衝撃を受けていた。


「……今、何と?」

「婚約破棄、させて欲しい」


 それはたった今、何よりも愛おしい婚約者、自らの人生すら捧げようと決めていた婚約者に、一方的に婚約の破棄を宣言されたからである。


「あの……よく分からないのですけれど、今日ってエイプリルフールだったかしら?」

「エイプリルフール……?何を言っているのか分からないけれど、とにかく婚約破棄させて欲しいんだ。今日中にでも」

「きょ、今日中!?それはあまりにも突然すぎるのではないかしら!?」

「……無理を言っているのは分かってる。でも、分かって欲しい」

「わ、分かりませんわ。分かりませんわよ!だ、だって分かってるの?メル、婚約破棄をするってことは、私が、私の愛するメルを、ま、間近で眺めることも、触れることもできなくなるって、そういうことですのよ?」

「……え、わ、分かってる。それは」

「分かってて言っているんですの!?なおさら性質が悪いですわ!あぁでも、こんなときでもメルは可愛らしいのね。わたくし、本当に生きていてよかった……」

「と、とにかく、婚約破棄はさせてもらう!ルイーゼが何と言おうとも!僕が君と人生を共にすることは、ない」

「そ、そんな……」


 ルイーゼは愛しい婚約者が立ち去っていくのを、ただ茫然と眺めていることしかできなかった。

 ルイーゼ・シュクーリンは、シュクーリン公爵家の一人娘である。それに対して、ルイーゼの婚約者、メル・エルネストは幼い頃に両親を亡くし孤児院で育ち、今は王国騎士団の騎士見習いをしている。

 本来であれば、きっと二人の人生が交わることはなかったのだろう。だが、二人は出会い、婚約すら交わした仲であった。……それも、先ほどまでの話だが。


 ルイーゼとメルの出会いは、ルイーゼの出生に起因する。


 ルイーゼは所謂、前世の記憶というものを持って生まれた。


 前世でのルイーゼは、日本によく似た世界の一般家庭で育った。

 少し思い込みが強いところはあるが、天真爛漫で、好奇心旺盛。

 文武両道とまでは言えなくとも、勉学も運動も、人並み以上には出来た。彼女の歩む人生はきっと明るいだろうと、誰もがそう思っていた。

 が、高校への入学を控えたその冬に、病を発症する。

 失魂症。その病に罹ったものは、感情を失い、ただぼんやりとそこに存在するだけの肉塊となってしまう。

 自ら食事をすることもできなければ、排せつも、寝返りを打つことさえできない。

 魂が抜け落ちてしまったかのようにも見えるその症状から、失魂症と、そう名付けられた。

 発症する原因は不明。治療法も無く、罹ってしまえば最後、ただ死を待つのみ。

 分かっていることと言えば、失魂症患者の多くが、思春期に発症し、発症して数年で死に至ることのみだった。


 これからまだ、将来のあるはずだった一人娘が不治の病に罹ってしまったことに、両親は嘆き悲しんだが、それでも諦めることはなかった。

 両親はそれまで共働きであったが、発症が分かったその日に休職届を出すと、娘を自宅療養へと移し、24時間付き添った。

 両親の馴れ初め、娘が生まれた時どんなに嬉しかったか、寝返りを打てるようになった時、はいはいができるようになったとき。

 思いつく限りの全てを語り聞かせた。

 絵本に小説、漫画、ゲーム、アニメ、映画、音楽…両親二人で娘を挟み、それを三人一緒に楽しんだ。両親は一縷の望みにかけ、希望に縋った。しかし、懸命な看病の甲斐なく、娘は発症から2年で命の焔を消した。


 意識が微睡み、暗闇に溶けていく中、娘は声を聞いた。


「あなたはこれから、魂の片割れと出逢うでしょう」

「今までの苦しみも、全てはその為」

「あなたの幸福を祈りましょう」

「どうか、幸せで」


 娘は悔しかった。どこの誰だか知らないが、勝手なことばかり言う声に怒りがふつふつとわいた。

 文句の一つでも言ってやろうと声を出そうとするが、口を開いても、まるで金魚のようにはくはくと開いては閉じてを繰り返すばかりで、意味を為さない。


 自らの無力さに歯がゆさを覚えながら、水中を泳ぐように暗闇を藻掻いていると、光が見えた。

 娘は光に手を伸ばす。



 そして眩い光の中瞼を開くと、そこは見知らぬ世界だった。


「ルイーゼ……あなたの名前は、ルイーゼよ」


 温和そうな女性が、こちらを見つめて微笑んだ。

 娘は悟った。自らがもう、元の生活に戻れないことを。


 そしてルイーゼと名付けられた娘は、すくすくと成長した。前世と同じく、思い込みが強く、天真爛漫で、好奇心旺盛で。前よりも少しお転婆が過ぎるような気もしたが。


「ねえねえ母様、父様。またおはなしをして?」

 ルイーゼは決まって寝物語の読み聞かせを両親に頼んだ。それは前世でのことを懐かしむように、忘れないように。

「もう読んであげられる絵本もなくなってしまったから、今日はこの国の伝承についてのお話よ」

「ルイーゼにはちょっと難しいかなあ」

「ルイーゼ、ちゃんとわかるもん!」

「はは、ごめんごめん、そうだな。じゃあ、読もうか」


 そうしてルイーゼの両親はルイーゼを間に挟むようにして、寝台に横になり、この国に古くから伝わる伝承を読み始める。


「数千年前、ある巫女が神託を下しました。『この世界はじき滅びるだろう』。そんな恐ろしい神託を聞いた信者たちは、この事実を隠匿し、滅びに向かうと言われた世界を救済に導く方法を、必死に探しました。しかし、いくら探せど、何も見つかりはしませんでした。しばらくして巫女は、新たな神託を告げました。『運命さえも捻じ曲げられる強い意志と、清廉な魂を持つ者によってなら、世界は救われん』『私は見てみたいのだ。人間が、自らの力で運命を切り開くその瞬間を』『私は人間に唄を与えよう』『さあ人間、どうか私に奇跡を見せておくれ』」


「君と奏でるアッファンナート……」

「え?ルイーゼ、今なんて…」


 ルイーゼの頭に、とんでもない衝撃が奔る。まさか自分が、乙女ゲームの世界に転生していた、だなんて。


 『君と奏でるアッファンナート』は、乙女ゲーム……所謂、女性向けの恋愛ゲームである。

 あらすじは、こうだ。


【世界は廃退へと向かっていた。いつからか、どこからか噴き出た瘴気によって植物は枯れ、人は身を侵された。瘴気が世界を覆いつくすようになった頃、どこからともなく魔物が現れた。魔物は人を襲い、食らった。人々は世界の終焉をただ待つことしか出来なかった。そんな時、希望が現れる。それがヒロイン、アイネだった。彼女の唄は、瘴気を払うことが出来た。ヒロインは教会育ちで、敬虔な信徒であったシスターから、世界を救う唄を教えられていたのだ。】


 何故ルイーゼが乙女ゲームの世界だなどと気付くことが出来たのか。それは、前世での両親が、乙女ゲーマーであったからである。

 彼らは、寝物語と称して、乙女ゲームを見せ、更に解説も加えて聞かせた。

 全ルート、全エンディング、何ならクリア特典の短編までもを、である。

 隙が無い。

 両親は、なんというか、かなり偏執的であった。とにかくこだわりが強く、好きなものは誰に何と言われようが、絶対に手放さない。ルイーゼへの必死の看病は、その性質故にでもあった。


 そして肝心のルイーゼのゲーム内での役割だが、お邪魔キャラ…()()言えば所謂悪役令嬢であった。ヒロインが攻略対象のキャラと近付く度に、ごめんあそばせ!とばかりに邪魔に入り、二人の甘い空気をぶち壊す。が、重要なシーンで特に活躍することもなく、結局誰とも結ばれることなく最後は病に伏せ亡くなるという、なんとも不憫なキャラであった。


 ともかく、そうしてルイーゼは、自らが乙女ゲームの世界に異世界転生していたことを知ったのであった。


 だが、話はそれで終わらない。ルイーゼには、前世で、『君と奏でるアッファンナート』(略してきみかな)においての、最推しと呼べる存在が居た。それが、メル・エルネスト、彼である。


 前記の通り、メルは幼い頃に両親を亡くしており、幼少期を孤児院で過ごした。

 だが彼は、その特殊な外見から人々に疎まれ忌避されており、畏れられすらしていた。

 メルはどこにいても孤独で、友達と呼べるものは孤児院の裏庭に住み着く一匹の子猫だけであった。

 それからもメルは孤独な日々を過ごし、様々な、主に彼にとっては良くない出来事に揉まれながら、人格を形成していくのだ。感情表現が苦手で、繊細で。人の痛みに敏感なくせに、自分の痛みには鈍感。

 ルイーゼ曰く、そんなメルが、ヒロインと愛を育む日々の中で見せる表情や本音を吐露する瞬間が、可愛くて堪らないのだそうだ。


 ちなみにメルはきみかなにおいて、隠しキャラと呼ばれる存在である。そんなメルに、ただのお邪魔キャラであるルイーゼが出逢うのは、困難を極めると思われていた。

 が、ルイーゼは前世での両親の性質を完全に継承しており、好きなものは絶対に手放さない、推しが辛いの、ダメゼッタイ。の過激派オタクであった。

 かくして、ルイーゼのメルに対する執拗で粘着質な愛の猛攻撃が始まることとなったのである。






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