第三話 「冒険者ギルド、コネリーハウスへようこそ」
「そういえばディブラさんには趣味とか無いんですか?」
目の前の肉料理から一旦手を止めつつ、机を挟んだ前に座っているディブラ・ノックスに対して、ソイール・ラインフルは尋ねた。
ソイールにとっての二度目の給料日。一度目は忙しく、その後に同僚と試験合格祝いもあったため、ディブラとは二度目の給料日にどこかへ行く事で祝いをしようと言う話になっていた。
もっとも、初給料を終え、不安であった三等仲介人の試験にも合格した後であるから、何の祝いなのかと聞かれても困る。
雰囲気だって喜ばしいというよりかは、仕事帰りにどこか寄って行く程度のものであった。趣味の話になったのも、ふと思いついた話題がそれだったに過ぎない。
「趣味……こうやって、街中を歩いて、目当ての店を見つけるというのは趣味になるか?」
少し考える仕草をした後、ディブラはそうソイールに尋ねて来た。
「いや、聞かないでくださいよ。本人が趣味だと思うものが趣味なんでしょうに」
「……なら、趣味じゃあないな」
同じく食事の手を止めていたディブラであったが、再びナイフとフォークを動かし始める。何時も通りの仏頂面であるため、美味しいのか不味いのか分からないのはどうかと思う。
「なんだかなぁ。典型的な仕事人間だと思ってましたけど、実際そうだと、ちょっと引きますよね」
「今は仕事の方に熱意を向けているだけだ。最近は少し……上手く行かない事もあるが」
「あ、ディブラさんにもそういう事あるんです? 仕事って言うのなら、それこそ何だって上手くやりそうな雰囲気があるんですけど」
上手くやりそうと言うか、すべての困難を無理矢理に捻じ曲げて正道にして行きそうな、そんなパワーがある男と言った風のディブラ。その様な男でも、人間らしい悩みはあるらしい。
「知っているだろう。彼女の事だ。君が試験に合格するや、より一層、私に対しては不機嫌でな」
「ギルドリーダーのアルマリアさん。試験の後はことさら面と向かって会う事もありませんでしたけど、ディブラさんの方はそうでもありませんか」
一応、状況を考えるのであれば、ソイールの試験合格が、相応に評価されているのだろうと思う。
だからこそ、ソイールに三等仲介人になれなければクビにすると言ったアルマリアは、会わせる顔が無いと言った状態なのかもしれない。
そこまで真剣に思われておらず、単に忘れるべき記憶として扱われているだけかもしれないが。
何にせよ、ソイールに対するアルマリアの思いは、すべてディブラへの恨み節に変わっていると見るべきか。
「ギルドでは、ただ二人の一等仲介人だ。お互い、ギルドの運営に直接関わっている立場でな。顔を合わせない訳にも行かない。むしろ、定期的にそれぞれの方針を話す必要がある」
「その度に、嫌味を言われているって事ですか……けど、相手が幾らギルドリーダーと言ったところで、ディブラさんの方が経験も能力もあるって思いますけどね、僕」
「だから名目上のリーダーに逆らえと? そんな事をしてみろ。組織なんてものはすぐに崩れる。それは私の望むところではない」
律儀と言うか堅苦しいと言うか、敵意を向けられている相手であろうとも、それが上司なら忠誠を誓う性質らしい。
「別にディブラさんの胃が痛くなる程度なら良いんですけどね。ただ、倒れたりギルドをクビになったりは御免かな。一応、まだ僕はディブラ・ノックス派閥らしいんで」
「ぬかせ。君が私の派閥だと? そう言うのなら、その程度の役には立って見せろ」
「へー、三等仲介人に成り立ての輩は、まだ役にも立てませんか」
「無論そうだ。悔しいと思うなら、もっと上を目指せ。もしかして、試験に合格したらもう満足などとは言わないだろうな?」
「それは……」
ディブラに言われて、どうだろうと自分に問いかける。
とりあえず、食うに困らない立場になった。食事だって、給料日には贅沢をできる身なのだ。では、その次は? ソイールにはこれ以上のものを目指す動機はあるだろうか。
「即答できないのなら、やはり、まだそこまでだ。幸運な事に、時間なら幾らでも出来たわけだから、頭の片隅ででも考え続けろ。それを止めてしまえば、本当にそこまでの男になる」
「……」
祝いの席だったはずだが、どうにも悩ましい事が増えた気がする。目の前にまだ量が残る肉を、どう消費したものかと言う悩みもまた増えてしまう。
「ああ、それとだが」
「まだあるんですか? 言う事があるのなら一つにまとめてくださいよ」
「明日は窓口の仕事は休んで、私の仕事を手伝え。どうだ、一つにまとめたぞ」
「え? あ、いや、そっちはもうちょっと詳しく説明してくれません?」
ディブラが持って来るこの様な話は、絶対に、何か厄介な仕事になる。そう断言出来てしまうくらいには、ソイールは随分とディブラに馴染んでいた。
冒険者ギルド、コネリーハウスにおいては、雇用する仲介人の大半を占める二等仲介人と三等仲介人とで、仕事の種類が少し違ってくる。
三等仲介人はこれまでソイールがやってきた事と同じく、冒険者に仕事を紹介する仕事が主なものであるが、二等仲介人には時々、別口の仕事を任される時があるのだ。
「紹介するべき仕事が、何時だって舞い込んで来るわけじゃあない。むしろギルド側が集める必要があるわけだ」
「二等仲介人になると、仕事を依頼する側に接触しなきゃならないって、つまりそういう事でしょう?」
始業時間もやや過ぎた朝。ソイールはディブラと共に、何時もの仕事部屋では無く、街の往来を歩いていた。
「こちらが偉そうに選べる立場ではない繊細な仕事だ。最低限、面接のある二等仲介人の試験に通ってから出来る仕事と言う事でもある」
「なるほど。ミハ当たりは何時か任されるって事ですか」
自分と同じ日に、二等仲介人の試験を受けた同僚、ミハ・イリオの顔を思い浮かべる。
やっと合格できたとはしゃぐ彼女の姿は素敵なものであったが、それはそれで、彼女なりに大変な日々が始まるのだろうと予感させてきた。
「いきなり、冒険者ギルドに仕事を依頼したがっている人間を探してこい、などと言われる事は無いがね。うちは大手だ。故に持ち込みの依頼が多い。だからこそ……わざわざこちら側から足を運ぶタイプの仕事は重要度が増す」
つまり、こうやってどこへやら向かっている状況は、大変な仕事の前段階なのだろう。
そういう事実には多少、緊張するソイールであったが、ふと、思う事もある。
「僕、この前、三等仲介人になったばかりなんですけど?」
「だろうな」
「一緒にお祝いした癖に。何ですかそのだろうなは」
知らないはずも無いだろうから、それでもソイールを連れ回したい理由があるのだろうと思う。
問題はその理由が何であるかだが。
「経験しておいて損は無い。仲介人を続ける以上は、今の立場で満足していなければ、何時かはこういう仕事もする。それを見せてやるという親切心だ」
「満足していなければ、ですか……」
ディブラと共に歩きつつ、自分は今、何かを目指せているだろうかと考える。仲介人になれた事は嬉しい。これから、自分の価値を証明して行こうとも思う。
けれど、もっと先へ、もっと上へ。そんな気持ちが今の自分にはあるのか。もっと言えば、これからディブラに見せられるであろう仕事を、したいと思えるかどうか。
「……もしかして、また背中でも押されてます? 僕?」
「さてな。そういう風にも感じ取れないとなれば、もうどうしようも無いと言えるが……着いたぞ」
ディブラに先導されてやってきたのは、それなりに大きな建物だった。コネリーハウス程では無いが、一軒家と表現するにはあまりにも大きく、何らかの組織が利用している物である事が分かる。
木造ではあれど、頑丈そうな印象のあるその建物は、機能的な印象が外からでも伝わってきていた。
ちゃんと看板もある。冒険者ギルド『ルートイット』。ソイールの目がおかしいか、文章の読み取りに難があるので無ければ、同業者の店が目の前にあると言う事だ。
「……ギルドで紹介する仕事を探しに歩いてたんですよね?」
「探すともなればここだろう?」
「いや、そりゃあギルドが紹介する仕事なら幾らでもあるでしょうが……」
だからと言って、歓迎されて渡してくれるわけもあるまい。だいたい、同業者と言えば聞こえは良いが、商売敵と言った方が正しい相手だろうに。
「と思うんだけど、この人は躊躇なんてほんとしないよね」
「どうした。置いて行くぞ」
「それは勘弁です。ちょっと、周囲の目を集め始めてる頃合いですし」
ソイールもディブラも、冒険者然としてない。そんな人間二人が冒険者ギルドへとやってきたのだ。目立ちもするだろう。
さっさと動くが吉と考え、ディブラを追ってルートイットへと入る。そうして思う事はと言えば、冒険者ギルドとは、場所が変われど内装は似たものなのだなという物。
(大きなホールに受付窓口。幾つか用意された個室では、冒険者毎に仕事の紹介が行われている。規模を考えるに、ここもそこそこの大手なんだろう)
最大手がコネリーハウスとしたら、その次か次の次か。そう言える規模のギルドではあった。もっとも、そう言ってのけるのはソイールの奢りかもしれないが。
「失礼。事前にアポを取っていたディブラ・ノックスだ。ランタン・クーニーズ氏との面会を願いたい」
「おっと」
ソイールがルートイット内をきょろきょろ見て回る間にも、ディブラは事を進め続けている。
総合受付として立っているギルド員にさっそく話し掛けているし、さらにはこれから会う相手も決まっている様子。
「ディブラ様ですね? 今、確認させていただきますので、あちらの待合室でお待ちください」
窓口近くの、応接室の様な作りをした待合室へと案内されるソイール達。
やはりディブラが先に部屋へと入って行くのだが、彼は商売敵の本拠地にいるとは思えない程の大胆さでもって、部屋の中にあった黒革のソファーへ堂々と座る。
「……もの凄まじくくつろぎ始めるのは、どういう意味があるんです?」
「これから疲れる仕事があるんだ。一息でも吐かなければやってはいられないだろう? 君もさっさと座れ。どうせ、ここからどこかに案内されると言う事もない。商談ならここで始める。ランタンはそういう奴だ」
言われて、ソイールはディブラの隣に座る。それくらいできる大きさのソファーであり、そこそこに座った時の感触も良い。
(こういう場所に高いものを使えるって事は、やっぱりここは大手のギルドって事だ)
いちいちにそれを確認するソイール。これから、いったい何の商談を始めるのか。それが分からぬ以上、覚悟だけはして置かなければ。
「おやおや、まったくもっての時間通りの到着とその様子。相変わらずだな、ディブラ」
覚悟しておいたおかげで、その声には驚かずには済んだ。
男の声であるが、やや高く、かと言って若くないため、どこか嘲りが混じった様な印象を受ける、人と会話するなら損なタイプだなと思わせる声。
視線を向けて見れば、そんな声に見合った男が待合室の出入口に立っていた。
もっとも、男の方はソイールを見ていない。彼の目線の先にはきっとディブラがいる。
「時間の厳守に相変わらずも何も無いだろう? 真っ当な人間なら、誰だってそうする。そっちだってそうだ。違うか、ランタン」
ディブラの言が確かならば、現れた男が、ディブラが用のあったランタンという人物なのだろう。
「まったくもってその通り。君に何時まで待たせるつもりだ、などと嫌味を言わせないためにも、私だって早く来たのだよ」
仰々しそうに、ランタンは身振りを交えながら言葉を発する。どこか演技染みた様子の彼であったが、どうにも立場的にはディブラと同等であるらしい。
「ところで、君の隣の彼はどなたかな? 話を始める前に、挨拶をするべきだと私は思うわけだが?」
と、ここに来てランタンは、漸くソイールの方を向く。
(つまり、ディブラさんとの挨拶よりかは優先順位が低いのが今の僕ってことだ)
そんな事は重々承知しているため、ショックは受けない。溜め息も吐かず、ただその場に立ち上がり、相手の期待した通りの言葉を発する。
「ソイール。ソイール・ラインフル。コネリーハウスの仲介人で、今回はディブラ一等仲介人の付添いとしてここにいます。どうぞよろしく」
何の事は無い。社交辞令と言うのは、どんな感情も動かさずに会話が出来る便利な物を言う。手を差し出せば、当然の様に相手が握って来て、笑い合い、そうして相手の正体も知る事が出来る。
「ふむ? 一等仲介人には付添人が付くものなのだろうか? だったら、私もそういう人間を連れて来るべきだった。私はランタン・クーニーズ。このルートイットで一等仲介人をしている。一応、ギルドリーダーでもある」
ランタンの言葉に、愛想笑いを崩さなかったのは幸運だった。
なるほど。今日、ディブラは、商売敵のトップに会うため、このルートイットへやって来たのだと知る。目の前の相手がその人物である事も同時に。
「ここで出会えて光栄です。本来なら、もっと畏まった場所で初対面を済ましておくべきかとも思いますが……」
「そこまで言うと慇懃無礼だ。見たところまだ若いし、私からは、これから私程度に会う機会は幾らでもあるとしか言えないな。いや、なかなかに無い経験か? どう思う、ディブラ?」
ランタンは手を離し、再び座ったままのディブラを見る。ソイールに使う時間は終わったと言う事だろう。
ソイールの方も、ランタンが向かい側のソファーに座るタイミングと合わせて、自らもソファーに座り直す。
後はただ、ディブラとランタンの会話を見守るだけであった。
「幾らでもあって欲しいと思う側だな、私は。若い人間には幾らでも多くの経験を積んで欲しい。そう思うものだ」
「ほう? 確かにその通り。ならばやはり、私も付添人を連れてくるべきだった」
「かもな。だが、そう結論を出すには、まだ話が始まってもいない。経験は積むべきだが、時間は浪費するべきではない。さっそく本題だ。そっちは幾ら仕事が溜まっている?」
大手の冒険者ギルドに仕事が幾ら溜まっているかと来たものだ。そんなものがあるはずも無い。何せ同じ大手ギルドであるコネリーハウスが、今、仕事を探している側なのだから。
そうソイールは考えたのだが……。
「無論、手に余るくらいには。正直なところ、何時も助かっているよ。受けた仕事を捨てるなどと言うのは、何時だってギルドの傷になるだろう?」
「幾らか選ばせて貰う……とは言わんよ。そっちの渡したいものを全部寄越してくれ。上手く捌いてやる」
「ふふん。相変わらずの自信だ。だからこそ頼らせて貰っている。暫く待っていてくれ。実はもう、渡す仕事については分別してある」
ランタンはそう言うと、待合室を去って行く。
そんな背中を見つめてから、ソイールはディブラに尋ねた。
「どういう事ですか? そりゃあ、冒険者への依頼を探しに来たのは事実ですけど、ああもあっさり仕事を渡して来るだなんて」
「ま、冒険者ギルドで働くならば、こういう事もあると知っておくべきだし、こうあってはならぬと心得て置くべき事でもある。だから君を連れて来た」
「他のギルドから仕事を貰う事が……ですか?」
「そうだ。そもそも、何でギルドが他のギルドに仕事を渡す?」
言われて考えれば、すぐに答えは出て来る。自身のギルドで消化し切れないから、他のギルドに渡すのだ。
「ギルドにやってくる冒険者の顔ぶれって、そうは変わらない。そういう人達が受けてくれなかったり、失敗したりした仕事は、一つのギルドの中では宙ぶらりんになる……そういう事ですね?」
「その通り。だから最終的には、他のギルドへ譲渡する事にもなる。うちみたいな、紹介する仕事が不足しているギルドは譲渡される側だがな」
「うちとしては助かる話……なんですかね? けど、仕事を依頼した側は、ある程度、依頼したギルドへの信頼があってのものなんでしょうし、譲渡されたギルド側だって……」
「だいたいが困難な仕事か訳ありの物だ。まあ、それでも捌き切るのが一流のギルドだとも、うちのギルドリーダーなら言うだろうが……」
つまるところ、このルートイットは仕事を余らせている以上、一流とは言えないだろうし、そんな状況に対して、ディブラは良い印象を持っていないという事でもある。
「本来、ギルドが受けた仕事は、そのギルドが冒険者へと紹介し、消化して行くものだ。それが出来ないと言うのなら、自らの組織の限界をはき違えているし、そもそも冒険者と依頼人を結ぶ役目への裏切りだろうさ」
やはり、ディブラは若干不満らしかった。それでも愚痴程度で済ましているのが彼らしいが。
「となると、ディブラさんに誘われたこの仕事ですけど、うちのギルドリーダーの方針で決まった仕事って事ですか」
「そうなる。気付くのが遅いな?」
「碌な説明もされずに連れて来られましたので。で、そんな仕事を僕に見せて、何が狙いなんです?」
「狙いなどと言うものは無い。君がこれを見て、感じて、どう思うか。連れて来た意味があるとしたらそこだ」
「まーた妙な課題を……」
目敏い事が取り得とは言え、こういう世知辛い商談だけを見せられたところで、何か独創的な事を考え出せるものではあるまい。
「ま、こっちの方については、答えや結果を出すのにすぐと言うわけにも行くまい。じっくり考えておけとだけ言って置こうか」
ディブラはそう言うが、彼が問題としている以上、根深く、本気で考えなければならない物と判断するべきなのだろう。
(けど、だからってすぐに解決する様な話題じゃない。それくらいは僕にだって分かるんだ)
ギルドの仕事は、そのギルド内で何とかするべきである。そんな事は分かっているし、それが単なる理想でしか無いのも分かっている。
コネリーハウスだって、冒険者に紹介した仕事が、すべて成功という文字と共に帰って来る事は無いのだ。
そういう時、他のギルドであったり、そこを主に利用している冒険者に頼る事もあるだろう。
「方向性の問題……なんですかね。仕方は無いとは言え、甘えるのも良くない」
「そうして、その状況を利用しようなどと考えているのは、もっと良くない」
「え? それはどういう―――
ディブラに答えを聞こうとしたところで、言葉が詰まる。別に言い難かったわけでは無いが、他の人間に聞かせる話では無いと思ったのだ。
丁度、タイミングの悪い事に、ランタンが紙束を抱えて戻って来ていた。
「いやぁ、すまない。最近はうちも難しい時期でね。渡す仕事もかなり多い」
多少、重く感じる程度にはありそうな紙束。ランタンはそれを示しながら話を続ける。
「おっと、不快そうな顔はしないでくれよ、ディブラ。分かっているだろうが、今はあらゆる冒険者ギルドが大変な時期だ。仕事を集める時は選り好み出来ないし、紹介すれば優秀な冒険者達が何とかしてくれる状況でも無い」
「知っている。冒険者の需要が増えるに従って、ギルドも乱立してきているが、適切に管理されていないから、そろそろ大小潰れて行く時期になるだろうさ」
ディブラの言葉は初耳である。
業界自体に需要だの供給だのがあるのは知っているが、身近な世界の話としては理解していなかった。
しかし、言われてみれば危機感を抱く状況ではあるのだ。
このルートイットだって、コネリーハウスから歩いて辿り着ける範囲にある。大手と言えるギルドが二つ、近い距離にあるという事自体が異常であろう。
(そりゃあ、それでも商売になるくらいには冒険者は来てるけどさ……ギルド同士で仕事の受け渡ししてるくらいには、限界が見え始めてる……)
こうやって商談をしている裏側で、お互い潰し合っている可能性もある。この街の冒険者ギルド事情は、そんな状態なのかもしれない。
「分かってくれているのならそれで良い。特に、こんな風に頼っているところ何だが、君らのところのギルドリーダーには、注意しておいた方が良いだろうね」
意外な事に、ここでアルマリアの話題が出て来た。目の前の男はルートイットのギルドリーダーなのだから、ソイールなどよりは近い存在なのだろうが……。
「注意して、聞いてくれるのならそうしてみるがね。ま、外の人間に言う話ではない」
「だろうさ。だろうよ。私とて、いちいち同業者に忠告をするなぞ馬鹿らしい行為だと思っている」
そんな言葉を投げつけ合うのが、この二人の別れの挨拶らしい。二人してソファーから立ち上がり、そうしてこの場を離れようとし始める。
ソイールも慌てて立ち上がるのであるが、ふと、ランタンの仕草が気になった。
【視線】……別れを告げながらも、こちらへの視線を外していない。
【姿勢の傾き】……まっすぐ向かうのはディブラでは無くソイールの方。
【口元】……開きかけて、また閉じる。
「……何か、まだあったりするんですかね?」
「うん?」
ここでソイールに話し掛けられるとは思わなかったのだろう。ランタンは先ほどまでより目蓋を上げた。恐らく、驚いたのだと思われる。
「僕なんかにそんな事無いと思うんですけど……言いたい事があったり?」
ランタンの様子を見れば、そう思ってしまう。ディブラでは無く、ソイールの方に何か言いたい事があるのだと。
「話があるなら好きにしたらどうだ。時間だって……そちらが手早く済ませてくれたから余裕がある」
ディブラの方は、そう言って、足も素早く部屋から去って行く。
残された形になるソイールとランタンであるが、ソイールの方はディブラの意図を察する。
ここでランタンがソイールに話し掛けなかったのは、ディブラがいるからであり、彼が去れば、ランタンは言いたい事言い始めるはずだ。
(それってつまり、どんな事を言われたって、僕だけで対処しろって事?)
そう思わせてくるのは信頼からか、それとも、何時だって彼はソイールに試練ばかりを与えてくるからか。
「別に、ここで言うべき事でも無いのだがね」
ディブラが去ったとは言え、まだ言い難い事であるらしい。もっとも、話さないと言う様子でも無い。ランタンという男は、別に言わなくても良い事を言うタイプである事を、さっき会ったばかりではあるが、ソイールは理解しつつある。
「君だって気を付けた方が良い」
「……何をです?」
「純粋な親切心から言うが、ディブラ・ノックスは、何の打算も無く、他人を自分の仕事に付き合わせたりはしない人間だ」
「それは知ってますけど、なら、僕は―――
「彼に評価されているからと、そう思うわけだね? だが、彼の右腕だの左腕などになれていると己惚れてはいないだろう?」
ランタンの言葉がソイールに刺さる。
ソイールにとって、ディブラは試練を与えてくる人間だし、評価してくれる人間でもある。だが、それはソイールが、与えられるばかりの立場であると言う事だ。
対等とは言えない。ディブラにとっての益になっているとも言えない。
「私が知る限りにおいて、ディブラ・ノックスと言う男は、無駄な事をしない。意味の無い事もだ。君が彼の役に立てていないと感じているのなら……君を傍に置く、別の理由があるのかもしれないと……そう君に言っておきたかった」
「それも……親切心?」
「そう取ってくれても構わない。若人が危うい道を進もうとしているのなら、それを止めたくなるのが年長者と言うものだ。君も気を付けたまえよ。ディブラと言う男は出来る男ではあるが……残酷な部分も持っている」
「それって、単なる名誉を棄損させる発言の可能性もありますよね?」
目の前の男は、結局はソイールにとっても赤の他人でしかない。そういう考えは、常に頭の隅に置きながら話している。
「気になるのなら、彼が冒険者として生きていた頃の事跡を辿ってみる事をお勧めするよ。彼が……どういう人間なのかを、幾らか知る事が出来るだろう」
ランタンはそれだけ言うと、彼もまた部屋を去って行く。話はここまで。彼の言葉を借りるのなら、純粋な親切心で与えられるものなんてこの程度と言ったところか。
(それが本当に親切から来ているのかなんて分からないけどさ)
だが、それでも、何かを調べたいと思い始めてしまった以上、ソイールは乗せられてしまったと考えるべきだった。
「冒険者ディブラ・ノックスと言えばそりゃあ……一昔前はトップクラスの冒険者として名を馳せたって聞くな」
そんな事をソイールに対して話すのは、現役冒険者のダックスという男だった。
顔見知りと言うか、ソイールが仲介人を始めてから、幾らか話をする機会が多い男である。
例えば今みたいに、コネリーハウスで仕事を紹介する様な時でも、こういう風に話を聞けるくらいの間柄であった。
「へぇ。僕もまあ、仲介人を始める前は冒険者だったけど、初耳だなぁ」
「そっちは碌に仕事を受けずに引退しただろ。だったら冒険者内での噂だったり、世間話なんかする機会も無かっただろうさ」
「それはそれで、本気で真っ当な冒険者だと思われて無かったんだなって、ショックなんだけど?」
何時も通りの、冒険者と仲介人が対面する個室であるが、それでも会話の雰囲気は軽い。
本来はあまり褒められたものでは無いだろうが、見知った相手に対して、対応を変えるというのも仲介人としての腕の見せ所だろう。
もっとも、今はソイールが聞きたい事を聞いているだけだが。
「今は仲介人として、むしろ真っ当な職に就けてるんだから良いじゃねえか。大半の冒険者なんざ、碌な人間として見られてないってのが世の常で……ああ、けど、ディブラ・ノックスはそういう類の半端者とは違ってたって話だ」
「今だって、半端者とは正反対の立ち位置にいると思うけど」
「一端の冒険者として見られるってのは、その程度の話じゃあないっていうのは分かるだろ?」
それくらいなら、確かにソイールにも分かる。
碌な職業では無いと思われている冒険者の中において、それでも、尊敬の目で見られると言うのは、普通の職業の比では無い程に活躍していたり、実績を積み上げていると言う事なのだ。
「どこぞで竜と戦ったり、どっかの国の戦争で英雄染みた活躍をしたりとか……そういう話らしいぞ?」
「全然具体的では無い情報ありがとう。けどまあ、それでも大した立場だった事だけは確かか……けど、今は引退していると」
「後遺症の残る怪我をして、冒険者としては一線を退かざるを得なかったらしいが……」
「あの人、目が悪くなってるそうで。身体の方も、普通の生活には支障無いんだけど、冒険者みたいな荒事込みの仕事はもう難しいそうなんだ」
冒険者の来歴を語る上では、有りがちな終わり方だと思う。その後、冒険者ギルドの仲介人になったという話は、少しばかり珍しいかもしれないが、意外と言う程でも無いだろう。
「なんつうか、俺もこのまま冒険者続けてても良いだろうかって思っちまう話だよなぁ。あのディブラ・ノックスですら怪我で引退って思うとよぉ……けど、それでも、その後の事を考えてただけ、あの人は上等なのか?」
「その後って、仲介人になった事?」
「普通、冒険者引退してすぐになれる仕事でも無いだろう? 何でもここの前ギルドリーダーにデカい借りを作って、無理矢理雇わせたとか、そういう噂聞くぞ?」
「……あの人が?」
そういう裏取引染みた行動とは無縁の男だとソイールは思っていた分、意外な話であった。
しかし、言われてみれば、それくらいの話がなければ、冒険者を辞めたすぐ後に仲介人になると言うのはなかなか無い事かもしれない。
(僕が言えた話じゃないけどさ。けど、そりゃあそうだ。ディブラさんだって人間なんだから、打算で物を考えたりするか)
今さら、その事に失望もしない。ただ、だからこそ疑問は浮かんでくる。
そんな打算が出来る男が、それでもどうして、素人かつ、冒険者としては底辺だったソイールを雇うなどしたのか。
「情けとか慈悲心とか、そういうのも無さそうな人だしなぁ」
「お前はどうなんだ?」
「え? 僕?」
「こう、優しさを元にして、俺に良い仕事を紹介しようとか思ったり?」
「悪いけど、何でも頼める程に、そっちは経験積んで無いでしょ? 丁度良さげな仕事三つくらい用意したから、そこから選んで」
「ちっ、お前だって似た様なもんじゃねえか……いや、丁度良い仕事を紹介してくれるのは事実だけどよ」
言いつつ、ソイールが渡した依頼書を見比べるダックス。ある意味ソイールの常連客である彼の、現状の能力や適性を考えてソイールが選び抜いた依頼だけあって、本当にどれを選んでも適当なものになっているはずだ。
あとは最終的に、彼の感性によって選ばれる事になるだろう。その最後の部分は冒険者側に任せるのがソイールのやり方。売りと表現しても良いかもしれない。
冒険者ギルドも仲介人も、今、この街においては淘汰の時代らしく、何かしらの優位を保たなければ、職を失う危険だってある。
「あ、そうだ。話は変わるけど、冒険者ギルドが持ってる仕事を、他のギルドに渡すとかそういう事って、どう思う?」
思考が冒険者ギルドや自身の職業についてへ寄って来たためか、ルートイットにコネリーハウスが仕事を譲渡された件を思い出す。
ディブラの来歴云々についての興味も、その時からであるから、意外とソイールに影響を与えている。
「んー。そういう話はあるって聞くし、良い印象はやっぱ無いわな。例えばお前が渡して来たこの紙の中にそれが混ざってたとして、誰かの尻拭いって事になるんだろ? しかもそれを説明されずと来たもんだ」
「混ぜて無いから安心して。けど、そうか。冒険者側からしてみれば、そういう印象あるのか……」
「今って、ある程度の腕があれば、冒険者としちゃあむしろ仕事を選べる時期だろ? そういう仕事ばっかりだと、逆に足が遠のくって」
冒険者ギルドの信用という話の場合、それがどこに付くかと言われれば、紹介される仕事の質と言う事になるだろう。
ギルド同士、仕事の受け渡しをしているとあれば、その質を落としていると見られても言い訳は出来まい。
「んー……やっぱり、あんまりするべきじゃあないんだ」
「そっち側の問題ってんなら、あれこれ俺が言う筋合いは無いけどよ、違う部分でも危ないんじゃねえか?」
依頼書を選ぶ目線を上げて、こちらを見つめて来るダックス。
「どゆこと?」
「だってよ、結局は仕事を受け入れる余裕のあるギルドに仕事が集まって、それ以外のギルドから仕事が無くなって行くって事だろ? 恨み買いそうじゃねえか」
「組織力のある側がより力を持って、そうじゃない側がより落ちぶれるって、そういう事か」
「難しい事は分かんねえけどなー」
そんな難しい事が分かる冒険者になれば、もっと上の仕事を任せるのにとソイールはダックスを見つめながらも、彼が発した言葉については記憶しておく。
(うちは仕事を譲渡される側だから安心……なんて言える状況じゃあないか)
少しだけ、自分も何か行動してみるべきかもしれない。それがどういう類の物かはまだ思い浮かばなかったが、ソイールはそんな事を考え始めていた。
以前よりかは余裕の出来た昼休憩の時間。
今日はどこで昼食を取ろうかなどと考えられるくらいには偉くなったかもしれないソイールであるが、本日は珍しく外の屋台で買った揚げ野菜を紙に包んで貰い、コネリーハウス内の休憩室で食事を取る事にした。
「出来る事出来る事。僕に出来る事って、具体的には何だ?」
手に紙越しに伝わる揚げ物の熱を感じながら、椅子に座って休憩室の天井を見つめるソイール。
最近はせめて清掃員を雇ってくれと文句が言われてるくらいには汚れたその部屋の天井は、数えるには事欠かない染みが幾つも存在している。
「……」
そんな染みを数えつつ、自分に何が出来るのだろうとソイールは考える。
ディブラはソイールに何を期待しているのか。ソイール自身は、自分が入ったばかりのこの業界に対して、どんな事が出来るのか。
(そもそも、出来る事があったとして、僕は何をしたいんだ? こうやって、仲介人として平穏無事に働いて行く事以上に何を望むって?)
少し前まで、夜に寝る場所だって事欠く有様の自分にとって、上を目指すという行為は、これと言った強い動機には感じられなかった。
「けど、じゃあ別に良いかって放り出す気分でも無いっていうか……」
「じゃあどういう気分なの?」
「あれ、ミハ?」
見上げる天井にミハの顔が割り込んで来る。椅子に座ったままのソイールを、ミハが上から覗き込んで来たのである。
「お昼ご飯。こっちで食べてるって聞いて、私も買って来ちゃった」
そう言って、ミハは顔の次に紙に包まれた魚肉のソーセージを見せつけて来る。
「しまった、今日はそっちにすれば良かったか」
姿勢を正し、天井を見る目線からミハの方へと向かう形に。
ミハの方もそんなソイールから一歩引いてくれる。
「一口くらいなら上げるよ?」
「有難いけど、ミハならもうちょっと良いものを買えたんじゃない? 最近、二等仲介人になって、給金が上がったと思ってたんだけど」
「ちょーっとだけね。まだ実績が無いから、立場は三等仲介人だった時とそう変わらないみたい」
試験に合格してそれほど日数も経っていないから、そういうものかもしれない。ただ、これからミハが持ち前の優秀さを見せて行けば、もっと上の立場を目指せるだろう。
「そうだ。ミハ、聞きたい事があったんだ」
「ん? 何かな? さっきまで、悩み事があるみたいだったけど、それの関係?」
「悩みって言うか、人生相談みたいになるんだけど、ミハはさ、何で二等仲介人になろうとしたんだっけ。こう……三等仲介人だって、コネリーハウスくらいの規模の仲介人なら、食べるには困らないくらいのお金は貰えるのにさ」
実際、初の給与からずっと、ソイールは生活に困っていないし、貯蓄する余裕だってある。
生活だけの考える場合は、三等仲介人のままでも十分なのだ。
「どうなんだろう……上を目指しているって、そういう意識は無かった……かな?」
「意識しないのに、厳しい試験の勉強を必死にしたって事? それはそれで凄いな」
「あ、ううん。違うの。コネリーハウスに入るのにも勉強していたし、その前だって、一人前に生きられる様に、知識だけは誰よりもって頑張って来たから……じゃあその後もずっと努力は続けて行くって、そういう風に考えてるだけっていうか」
「生活習慣からして、努力する様に出来てるっていうのも凄い話じゃないか。僕は……多分、そういうのじゃあ無いんだよねぇ」
明確な目標と意義があって、漸く行動を始められるタイプだと自分で自分を評価しているソイール。
「じゃあ、今悩んでるのは、何か違う意味があるの?」
「そう。それを知りたい。僕は僕自身が最近、良く分からなくなって来てるのかもしれない」
「そ、そうなんだ」
変わった人間だと確実に思ったであろうミハの表情を見つめつつ、ソイールは自分でも哲学的な事を言ってしまったと恥ずかしくなる。
(そんな難しく考える必要なんて無いんだ。うん。何かしたいと思っているのなら……)
ソイールはそれだけ考えて立ち上がる。
「わっ」
「っと、驚かせてごめん。いや、こう、思い悩むくらいなら行動を―――
ミハを驚かせた代わりに、格好の付く事でも一つ言おうとしたタイミングで、声が途切れる。いや、掻き消されたと表現するべきか。
「今回もまた、いったいどういう事ですの!?」
声だ。もしかしたらコネリーハウス中に響くかもしれないと思わせる程の甲高い声が、休憩室のすぐ外側から聞こえて来る。
「い、今の声……アルマリアさん……だよね?」
恐る恐るミハがソイールに尋ねて来る。
ソイールはそんな彼女に頷きで返した。聞き逃すはずも無い。こういう怒りの感情を含んだ声を、ソイールは直接的に向けられた事があるのだから。
それに、ギルドリーダーのアルマリア・コネリーの声は、一度聞けば絶対に忘れられない声であった。
「廊下で誰かと喧嘩でもしてるんだ……あの人らしいと言うか何と言うか」
「その声だけれど、ディブラさんの声に聞こえない?」
耳を澄ませれば、ミハの言う通り、アルマリアの声に紛れる様に、男の声が聞こえて来た。こちらについても間違えるはずの無い、ディブラ・ノックスの声である事がソイールにも分かる。
「暫く、ここに二人で籠ってようか?」
「さっき、思い悩むくらいなら行動をって言ってなかった?」
「途中で言葉を止めたのに良く憶えているね、ミハ」
暗に、どうせ巻き込まれるくらいなら自分から行けばどうだと言われている気分になる。ミハの事だから、そこまでは思っていないだろうが……。
「分かった。分かったよ。まずは自分から、厄介事に首を突っ込むころから初めてみるって」
「うん。頑張って!」
止めてもくれないミハの声援を背中に、休憩室から顔を出す。
やはりと言うか、当たり前と言うか、廊下にはディブラとアルマリアの姿があった。
「ええっと……失礼します。お二人共……あまり往来のある廊下で怒鳴り合うのはどうかと思いますがー……」
世間一般的な、ごくごく普通の意見を挨拶代わりに伝えるソイール。だが、言葉を向けた相手は、さっきまで喧嘩でもしていたのだろうに、二人してソイールを睨み付けて来た。
「ふん。漸く三等仲介人になった程度のギルド員が、わたくしに忠告するつもりですの?」
「別に私の方は怒鳴ってはいなかったと思うが?」
ディブラの方まで邪見に扱われると言うのは、何だか心が傷ついて来るものの、絶対に自分の方が正しい事を言っているはずなので、口答えくらいさせて貰う。
ついでに、顔だけを出すのでは無く、全身も休憩室から出して、二人に近づいて行く。
「あのですねー! そういう問題では無く、立場のある二人が、そういう姿を見せてくると言うのがですね!」
「そういえばあなたの方は怒鳴っていないと言いましたの? わたくしだけが感情的だったと?」
「ですから、言葉尻を捕えて敵意を勝手に膨らませる事をまず止めていただきたい」
「無視どころか喧嘩を続行するつもりですか!?」
この二人、天敵同士と表現すれば良いのか、水と油どころか、火と油の如く、二人揃って爆発するタイプらしい。
こんな二人が定期的に会ってコネリーハウスの今後を相談し合っていると思うと、組織の今後が心配になって来てしまう。
「いったい大の大人が目を突き合わせて……いや、大人ではまだ無い方もいるかもですけど……」
「わたくしが子どもだとでも?」
「ね、年齢的にはまだまだお若いと、そういう表現のつもりです。はい」
「あなたよりかは年齢が上のつもりですけれど」
「それはまあ……だったら、やっぱり大人二人で言い争いなんてみっともない真似をしていたって事じゃないですか」
「うっ……」
さすがに、怒鳴る程の話でも無かったのだろう。少しくらいは冷静になって、一旦は言葉を止めてくれるアルマリア。
ディブラの方を横目で見れば、彼の方は言われずとも、自分の醜態くらいは理解しているらしく、額を指で抑えていた。これは確か彼なりの反省の仕草だ。
「ふんっ。まあ良いですわ。先ほども伝えた通り、わたくし、今後の方針を変えるつもりはありませんから」
「ギルドリーダー、しかし」
「ストップ。また口喧嘩などと思われたくありませんの。話があるのでしたら、また次の機会にしましょう? その頃には、答えが出ているでしょうから」
そう言い残すと、アルマリアは返事も待たずにこの場を去って行く。
呼び止めたところで無駄だと感じたのか、ディブラの方もその背中を何も言わずに見送っていた。
「……で、何だったんです?」
アルマリアが視界から消えて暫くして、まだディブラは黙ったままであったので、ソイールの方から尋ねる事にする。
「前に君を連れて行ったろう。他のギルドから仕事を貰ってくるあれだが、いい加減、止める様にと忠告した……結果はあれだが」
「ああ、ギルドリーダーの方針として、他ギルドから紹介用の仕事を貰ってた件の。知り合いの冒険者に聞いてみましたけど、やっぱりあまり良い印象を持たれないそうですね」
だからこそ、ディブラはギルド間の仕事の譲渡を良くないものだと考えているのだろう。
真面目であり、顧客には誠実である人間なのだから、そうもなると思う。
「それだけじゃあない」
「他にも……反対する理由が?」
「彼女は今後、このまま冒険者ギルドの乱立が続けば、業界そのものがより荒れると予想を立てていてな」
そういう事に危機感を抱いたりするのもギルドリーダーの仕事だろう。だからこそ、ディブラがギルドリーダーのそこに文句があるのだとは思えない。
文句があるとすれば、明確に間違った道を進んでいると予想出来る場合だ。
「単純に、周囲から良く思われない以外の懸念があるんですか?」
「そっちについては、私も単なる危機感でしか無いし……だからこそ強くは言えん」
「けど、それでも今、止めなければ一大事になるって、そう考えてる?」
「君、最近は色々と口を挟んで来る事が多くなって来たな?」
褒められたので上機嫌になって置こうと思う。まだ背中すら見えない男に、それでも口を挟めたと言うのはソイールにとっては良い事であった。
「……実はだな」
「あ、言わなくても良いですよ」
「何?」
「ヒントは貰えたと思うんで、自分で理由、探してみたいと思うんです。どうせ聞いても、僕みたいな立場なら、これと言った事は出来ないでしょうから……せめて、気が付く事までは自分でやりたい」
そうする事で、恐らくは自分なりに成長できるのだと思う。成長した後、何をしたいのかについては、まだ分かっていないものの。
「ほう。本当に言う様になったじゃないか」
「出来る事からコツコツと、ですよ。試験勉強も終わったし、空いた時間で別の事をしてみるのも悪くない」
以前までの試験勉強と仕事の両立を続けた日々。その思わぬ副産物として、一日の長さは変わらないと言うのに、仕事以外に費やせる暇を感じ始めていた。
「そういう時間があるのなら、まず、休憩室から顔を出している君のツレに何か言ってやったらどうだ?」
「あっ」
「その……お話は終わった、かな?」
そこには、先ほどのソイールと同じく、所在無さげな表情を浮かべているミハの顔があった。
業界の同行を知るために必要な事は、それを作り上げている存在を調べる事だろう。
(冒険者ギルド業界を作り上げてるのは、そりゃあまず冒険者で、ギルドは仕事を紹介する側。そうしてまあ、仕事を依頼する側も居るわけだ)
ソイールはそう考え、これまでもっとも接点が無かった、依頼人への接触を行う事にしたのだ。
「というわけで、ミハにも手伝って貰って助かる」
「ううーん。まあ……良いんだけどね?」
ソイールは、最近二等仲介人になったミハと共に、街の中において商店が並ぶ一角へとやってきていた。
時間はコネリーハウスの終業時間が来てすぐ。夕焼けもまだその赤さを増していない時間帯だった。
「あ、けど、良く無い……かも。私が幾ら二等仲介人になったって言っても、ギルドに許可無く依頼人に会いに行くだなんて」
最近、漸く試験に合格して、二等仲介人になったばかりのミハ。コネリーハウスにおいて二等仲介人は時々、仕事を冒険者に紹介するだけでは無く、依頼人から直接仕事を請け負う事もあると聞く。
依頼人と冒険者の間を繋ぐのが仲介人の仕事であり、ある程度の信用を得た二等仲介人だからこそ、そういう仕事もあるのだとは知っているが、それにしたってギルドからそういう仕事をしろという命令が来てから行うものである。
ミハはそれを無視して、勝手に活動して良いのかと心配しているのだろう。
「そこは大丈夫だと思うよ。実際に仕事を請け負いに来たわけじゃあ無く、時間外を使って挨拶回りに来たって体にすれば良い。それだけなら、二等仲介人になったばかりなのに、営業熱心だと思われるだけで済むはずだ」
「な、なるほど?」
もっと言うなら、その程度の事に、コネリーハウスくらいの規模の組織なら注意していられないはずだ。
これで本当に、勝手に仕事を請け負って、それを無断で冒険者に紹介していれば事であるが、そうするつもりが無く、世間話程度で終わらせれば、誰が文句を言えるだろうか。
(そうして、僕としてはその世間話程度で、情報収集を終わらせるつもりだしね)
深く探らなければ辿り付けぬ真実など、今のソイールには荷が重すぎる。ほんの少しの行動で得られる物から、自分なりの価値あるものを見つけるべきだろう。
「確か、ここで立ち並ぶ商店の代表者であるマット・ワイズさんって人が、何時もギルドに依頼を何時も持って来てくれるらしい」
冒険者ギルドに仕事を依頼すると言っても、その手順を滞りなく行うなら、それなりの慣れが必要だ。
素人がそれぞれに依頼を出すのではなく、その地域の代表者が、ギルドへ依頼を持って来るか、ギルドの方から伺い、依頼を頼みたがっている人間が居るかどうか聞いて周るのが殆どだった。
「その人に、何時もお世話になっていますって頭を下げれば良いんだよね?」
「とりあえず、お菓子の箱詰めも買って来たから、それも渡してね。あ、こう、怪しげで人にバレたらいけない物の暗喩じゃあないからそのつもりで」
「う、うーん。給金をさっそくこういう事に使い始めてるんだね、ソイール君」
感心されたのか呆れられたのかは分からないものの、こういう物を用意しておく事で、今後の展開をスムーズに出来るのだとしたら、安い買い物だと考える。
「お金を無駄にしないためにも、さっそく向かおう。そろそろマット氏の商店だって店仕舞いを始める時間帯だ」
マット・ワイズ氏は雑貨屋を経営しており、この地区に並ぶ各種の店の取り纏めも行っていると聞く。
昼は訪れても商売の邪魔になるため、尋ねるならこの時間が吉のはずだった。
「場所まで知ってるって、誰から聞いたの?」
「誰って、他の二等仲介人の人達なんて、幾らでもいるじゃないか、内のギルドは」
「そうだけど……聞いて答えてくれた?」
「いきなりはそりゃあ驚かれたけど、それなりに話をして、盛り上がったタイミングで尋ねたら、だいだい教えてくれたよ?」
歩きながらそこまで話したタイミングで、おかしな人間でも見る様な目線を向けられる。
そんなに変わった事を言っただろうか。
「そうだよね……変わった冒険者の人とも話が合ってる風だったし、対人関係への勢いはあるよね、ソイール君……」
「なんのことかさっぱりだよ、ミハ」
そういう事にしておいた方が、今後も彼女と上手く付き合えると思うから、そうしておく。
そうして目指すはマット・ワイズ氏の雑貨屋。
とても都合の良い事に、その店へと辿り着いた頃、マット氏当人が店仕舞いの準備をしていた。
小柄な中年の男であり、人の良さが滲み出るふくよかな顔をしているが、それが本当に彼の内心を現した顔なのかは、誰も知る事は出来ないだろう。
「ん? 何だね?」
店仕舞いをしているところを、眺めて来る男女がいるとなれば、挨拶する前からだって気になるものだ。
そのまま黙っているとそれこそ非礼だと思い、ソイールとミハは二人して頭を下げた。
「コネリーハウスのソイール・ラインフルと言う者です。こちらは同じく二等仲介人のミハ・イリオ」
「よろしくお願いします、マット・ワイズさん。この度は私、ミハ・イリオが二等仲介人になった挨拶のために尋ねさせていただきましたが……ご迷惑でしたでしょうか?」
さすがのミハと言った様子で、一切の戸惑いは見せず、そもそもこうやって訪れる事は事前の取り決め通り。しっかりと、失礼の無い様に準備をしてきたという態度をすぐさま作り上げる。
こういう事が出来ない限り、二等仲介人など出来やしないのだろう。
「ああ、いやいや、頭まで下げてくれなくても結構ですよ。コネリーハウスさんには何時も良くして貰っていますしねぇ」
やはり人の良さそうな声を発しながら、向こうも頭を下げて来る。
商売の話でも無い限り、互いに険悪なムードになる理由も無い。
「こちらこそ、何時もお世話になっていますから……これ、つまらないものですけど、どうか受け取りください」
ミハはそう言いながら、ソイールが渡して置いたお菓子を渡す。
その後、それを受け取る受け取らないと言った、ある意味では予定通りのやり取りがあった。
一方で、マットが漸くお菓子を手に持ったところから、漸くソイール達にとっての本番が始まる。
「それじゃあ、有難く受け取っておくよ。今後も何か、依頼出来る仕事があれば、コネリーハウスさんに頼らせて貰おうかな」
はっはっはと愛想笑いを浮かべるマット。本来であれば、そろそろ時間になったのでお別れでもと言い始めるタイミングだろう。
きっと、相手もそう考えているし、そういうタイミングこそ、隙が生じる。
【視線の先】……動いてはいるが、あくまでソイールとミハのどちらかを見ている。
【渡した土産】……あれほど受け渡しのやり取りをしたのに、今は興味を持っていない。
【笑み】……固い。柔らかい印象を受けるが年季に寄るもので、感情から来てはいない。
「つかぬ事を伺うんですが、他に、仕事を頼んでいるギルドはありますか?」
ソイールの言葉に、マットの笑みはぎょっとした様な表情へと変わる。それは単純に、ここでそんな事を聞かれるとは思っていなかったからか、それとも、もっと違う意味があるのか。
「いきなり……何を?」
「本当にいきなりですよね、申し訳ありません。ただその……挨拶に伺っただけの身に、随分とその、様子を伺っている風でしたので、もしかして当ギルドに何かしらの不義や不備があったのかと。もしそうでしたら、率直に言っていただければありがたいのですが」
明らかにこちらを値踏みしている。口さがない言い方をするのなら、マットの表情はそういう類のものであった。
ただ、さすがにそれを言葉にするのは躊躇されるらしく、マットは暫く言い淀んだ後、漸く話を始めてくれた。
「ん……んん。本当に、率直な意見を言うのならば、あれだな、君達だけに仕事を回すという契約をした事は無いと返せるが……」
「ごもっともです。勿論、当ギルドがその事に文句を言える立場じゃあない。幾つもの冒険者ギルドが存在して、どこに依頼を持っていくかなんて言うのは、それこそ顧客の自由と言う話です」
「ああ。そうだな。その通り」
とりあえずは、世の中の仕組みは分かっているタイプの人間だと評価し始めてくれたらしい。マットはソイールに対する警戒心を、ある程度は解いてくれる。
もっとも、知恵のある相手に対して、別のタイプの警戒をし始めているかもしれないが。
「当たり前の事です。そう、そんなのは当たり前の権利で……だから聞いたんですよ。こちらの様子を伺う理由はそれじゃあ無いんじゃないかって」
「ソイール君、ちょっと……」
それ以上踏み込むと、非礼の範疇に入って来るぞとミハが警告してくる。彼女の判断ももっともであるが、ソイールとは少し違う。
確かにあまり深い事を話すと非礼であるが、もう少しだけは踏み込める。
ソイールはマットの様子と話し方。あとは人を見る目と勘かそこらの感覚により、そう判断していた。
「まあ、忠告にもなるだろうし、そっちが怒ったり気分を害したりしないのであれば言うが……良いかね?」
「率直な意見は歓迎すると言いました。言ったよね?」
「それに類する事は言ったかも?」
振り向き尋ねるソイールに対して、ミハは苦笑いに近い顔で、曖昧な言葉を返して来る。
ここまで来れば、自分一人で何とかしてくれとの意思が感じられた。
「というのもだ……他のギルドに仕事を紹介するにしても、最近はコネリーハウスが依頼を他ギルドから譲り受けていると言う話だろう?」
「ええまあ、そういう噂が流れている事はしっていますよ」
確定した返答は行わない。何か言質を取られて責任など取れる立場では無かった。
「結局、そっちに仕事が行くのだとしたら、他に回してたところで変わらないと、こちらはそう思ってしまう。だから……義理だとか人情だとか、そういう事で仕事を頼むギルドを優先する時もあってなぁ」
最終的にコネリーハウスが取り仕切ると言うのなら、その間に誰が入ろうと構わないと言うのがマットの言い分らしかった。
間に余計な手間が入る以上、コネリーハウスにとっては良い話では無いが、かと言って、文句を言うのも何か違うとソイールは考える。
(結局、外から見れば、コネリーハウスが仕事を独占している……と、そういう風潮になりつつある。だからこう考えるのも仕方ないだろうと思うし、義理と人情なんていう市場の原理とは違う部分で選んでるこの人は、まだ良心的なはずだ……)
目の前のマットと言う男は、やはり外見通り、人の良いタイプの男であるとソイールは評価した。
だからこそ、彼がコネリーハウスに思うところがあるという現実は注意したい。
「こんなところで良いかい? 仕事を依頼する側である以上、出来ればどこのギルドとも仲良くはしたいんだよ。それを分かって欲しいんだが……」
「はい、十分ですよ。こちらこそすみませんでした。こちらの事は気にしていただいている事には感謝です」
実際、ソイールが求めている情報に対して、マットから聞く話は興味深い物だったと言える。先ほどの話を聞いて、どこまで思考を進めるか。それこそ、ソイール自身の課題だろう。
「ミハさんとソイール君と言ったね? こうやって行動的なのは、随分熱心で感心だと思うが……老婆心ながら言わせて貰うと、こういう話は、若い内に入り込むと危ない部分がある。気を付けておく事だ」
「え? それはどういう?」
別れの挨拶にしては、どうにもきな臭い言葉をマットは向けて来て、ミハの方は疑問符を浮かべていた。
そんなに危険な話をしていたのだろうかと驚いてもいる。
一方のソイールは、このマットの言葉もまた、彼なりに情報を与えてくれたのだと取った。(なんだろうね。どうにも……コネリーハウスは危険な状況にあるって、この人はそう考えているらしい)
それはマットが余計な事を考えているからか、それとも、この商店で長らく経営を続けていた男が気付ける、何かを指し示しているのか。
何にせよ、ソイールは考えなければならない事が増えた気がしていた。
商店から宿舎への帰り道、ソイールとミハの二人の話が弾んでいるのは、やはり先ほどマットから渡された情報についてである。
「そんなに危ない話だったかなぁ。私には分かんないけど……」
店仕舞い近く、売れ残った野菜の串焼きを手に持ち、少し振りながら、ミハが呟いてくる。
独り言にも聞こえたが、恐らくは会話を促しているのだろうとソイールは取った。
「危ないのは話の方じゃなく、そういう話が危険になる状況って事じゃあないかな。例えば……」
「例えば?」
「さっきまでの話は、コネリーハウスが最近、他のギルドより優位に立ち始めてるというものだった」
「それはあまり良い事じゃあないみたいな感じでもあったね」
ぼんやりと感想を口にするミハに対して、ソイールは頷いた。彼女の方は上の空であったため、見えてはいないだろうけれど。
「コネリーハウスにとっては、一見良い事なんだろうけど、周囲からしてみるとそうでも無い。依頼する側は、依頼する冒険者ギルドを選べなくなって来ているし、冒険者側だって、自分の受ける仕事が、信用の置けるものじゃ無くなってしまうかもしれない。それに……」
ふと、そこまで話をして、何が危険な話題だったのかに気が付いてしまう。
ディブラが話そうとし、ソイールがそれを止め、自分で調べると言ったその答えに、ここに来て気が付いてしまった。
「えっと……それに、何?」
ソイールは立ち止まる。ふと気が付いたのは答えだけでは無く、目の前の光景にしてもそうであった。
ミハの問い掛けには言葉を返さない。いや、返す余裕が無い。
どういう偶然かと思う。今日は用があったから、終業後にコネリーハウスを早めに出た。 その後はすぐに帰らず、マットの店まで足を運んだ。その後、ミハと話をしながら歩いていたため、歩く速度は何時もと違っていた。
そのどれかが無ければ、この光景を見る事は出来なかったし、今、考える間も無く、ソイールが走り出す事は無かっただろう。
「そ、ソイール君!? あ、あれっ」
背後から、恐らくはソイールに話し掛けようとしたのだろうミハの声が聞こえて来た。
だが、それも置き去りに、ソイールはやはり走り出している。
向かう先は、進んでいた道の先では無く、丁度、その道から脇に逸れた、人気のない小道。
(何なんだよ!? 何でいるんだ、そんなところで。そんな状況で!?)
混乱しながらも走る。余裕も時間も既に無かった。
何せ、小道の向こう。本当に偶然、そこに目を向けなければ分からなかった場所で、コネリーハウスのギルドリーダー、アルマリア・コネリーが、複数人の男に囲まれ、さらには腕を掴まれていたからだ。
「ちょっとちょっとちょっとぉ!」
お前達には気が付いているぞ。それをしっかり気付かせるために、ソイールは大声を発しながら走り寄って行く。
明らかにアルマリアは暴漢に襲われている。そういう状況でもっともするべきは、それが人目を引く行為である事を知らせる事だ。
「っ……あなたは!?」
向かう先の集団の中で、もっとも早く反応したのはアルマリアだった。
彼女の表情を見れば、どう考えても恐怖しており、ソイールの様な人間であろうとも、助けとなって欲しいと考えている事が分かる。
(そういう目を向けられて、恩を返すって程に面倒を見て貰っていたわけじゃあないけれど……)
見捨てて通り過ぎる程、何もかもに諦めていた時期は過ぎていた。
だからと言ってソイールには戦う力が無い。同年代より平均身長は低く、そうして線の細い体だけで出来る事と言えば、アルマリアを囲う男の一人に、全速力で掴み掛る事。
「全力で逃げろ!」
もう一つくらいは出来そうだったので、そう叫んだ。
だが、とても残念な事なのであるが、アルマリアの方を見れば、足が竦んで動けない様子。
そうこうする内に、ソイールが突っ込んだ事で幾らかの自由を得られたはずのアルマリアは、また男達に掴まれてしまった。
そうしてソイールの方はと言えば……。
「てめぇ……何のつもりだ!」
「がっ……」
掴み掛った男に、その場で引きずり倒され、さらに顎を蹴られてしまう。
「ソイール! あ、あなた達……その様な事はお止めなさい!」
「お? お嬢さんの知り合いかい? そうか。なら、丁度良い」
「ぐぅっ……」
倒れたままの状態で、男達の一人に腹を踏みつけられる。男達の攻撃は鋭く、立つ事は難しいだろう。第一、立てたところで勝てるものでも無かった。
「な……何は……こっちの台詞……だ」
だが、目と口は不思議と動かせたので、自分を踏む男を睨むソイール。
「お前達……うちのギルドリーダーに……何を……」
「はっ、どうせその内、知る事になる。それまでは痛みに苦しんどけ」
「がぁっ!」
さらに踏みつける力が強くなり、ソイールは悲鳴を上げた。
痛みが好きな人間はいないし、ソイールは痛みに弱い人間であったから仕方ない。
だが、悲鳴を上げる中でも、ソイールは頭のどこかで考え続けていた。
【相手の認識】……アルマリアがギルドリーダーである事は理解しているらしい。
【こちらへの暴力】……暫くは生かすつもり程度には手加減している。
【男達の―――
気を失っていたらしい。
体の痛みが襲ってくる中、ソイールはそんな事を考えながら目蓋を開いた。
「……おはよう、ギルドリーダー」
目の前にはアルマリアがいた。だが、別に、気を失ったこちらを覗き込んではいない。
彼女の姿を見れば、椅子に縛り上げていると表現するのが一番だし、それ以外の表現方法が存在しない。
そんな彼女と、目を覚ました瞬間に目が合ったのは、ソイールもまた、同じ格好であるからだった。
体の痛みは、暴力に寄るものだけでは無く、雑に椅子に座らされ、そこで縄でしっかりと縛られているせいもあるだろう。
少し周囲を見渡せば、木の床と壁と粗末な扉が目に入り、さらには随分と狭い部屋に、二人して置かれている事を知る。
「随分と、気楽な起床ですのね」
「床から起きれればなお気分が良かったんですけどね……」
話をして、口の中が幾らか切れて痛みがある以外は、何とか喋れる状態であると理解出来た。
自分は致命的な状態では無い。アルマリアの方はどうだろうか。
こうやって、向こうも嫌味を言ってくれるくらいには余裕があり、起き上がりの怪我人に嫌味を放って来るくらいには追い詰められているはずだが。
「お互い、捕まったみたいですね。誘拐かな? きっとそうだ」
「目当てはわたくし、あなたはついで……ですけれど」
「そりゃあそうです。あの状況で、僕が狙われてるなんて考えるほど馬鹿じゃあないし、あなたなら狙われる理由が幾らでもある。つまり、あなたの自業自得とも言える……かな?」
最近に誘拐されたと言うなら、きっとそうだ。ソイールはその事に気が付いてしまった。気が付いたその日に、この様に巻き込まれると言うのはとても嫌な偶然であったが。
「あなた……ここに来て、嫌味を言うくらいに、わたくしの事を嫌っていましたのね」
さすがに何時もの勢いが無いアルマリア。こんな状況でも、気性を激しく出来るというのなら大したものだが、そうでも無いらしい。
「嫌味じゃあない。忠告だ。あなたはこうなった理由を、ちゃんと分かっている? それを聞きたかった」
「この状況って……恐らく、わたくしを人質に、身代金でも要求するつもりなのでしょう? 誘拐犯の考えなど―――
「違う。そうじゃあない。ディブラさんに散々忠告され続けていたんだろう? だったらそろそろ気付くはずだ。あなたはずっと、危険の最中にあった。これは単にその危険が一つ、漸く形になったに過ぎないって、なんで分からないんだ」
体を襲う痛みか、縛られて監禁されているらしいこの状況に寄るものか、ついソイールはアルマリアを責める様な口調になってしまった。
だが、理解は必要だった。この追い詰められた状況で、何時までも無知でいると言うのはそれだけで罪になる。
「あなた、やはりディブラの派閥で―――
「そんな事気にしてる場合じゃあないだろう? 冷静になりなよ。良いかい? あなたはここ最近、恨みを買い続けてる。他の冒険者ギルドから依頼を譲り受けるって言うのはそういう事で、依頼をする側も、依頼を受ける側も、良い顔していない」
冒険者ギルドは仲介をする存在だ。どちらにだって良い顔をしなければならないし、どちらからも必要とされなければならない。
だと言うのに、そのどちらもから悪く思われるのは致命的だし、もっと危険な事だって待ち受けている。
「わたくし達の業界が今、混乱の中に入ろうとしているのをあなたはご存知かしら? だと言うのなら、多少、荒っぽい事をしたとしても、受ける仕事も、紹介する仕事も、その数を増やさなければならないはずですわ」
「それは理屈だ。けど、もっと単純な理屈がある」
ソイールはじっとアルマリアを見つめた。恐らく、彼女だってもう気付いているはずだ。だから目を逸らそうとしている。身体を縛られた状態で、それほど逸らせる顔も無いだろうに。
「仕事を譲る側の冒険者ギルドは、つまり、直接的にコネリーハウスに追い詰められてるって事だ。業界が混乱しているって言うのなら、そういうギルドは、もっとも危機感を抱いているし、何をしたっておかしくは無い」
例えばそう、ライバルであり、さらには勝利者側になろうとしているコネリーハウスのギルドリーダーを攫うくらいなら、したっておかしくは無い。
目の前の女性が、その事に気が付かず、それでも他のギルドを追い詰め続けていると言うのなら。
「同業者に潰されるから、その前にこの様な事をしたギルドがあると?」
「もっと気を使うべきだった。敵を増やすって言うのなら、味方だって増やすべきだったのに、同じギルド内ですら、一等仲介人がいがみ合っていた。これがどんな危険な状態だったか、あなたも理解できるだろう?」
捲し立てる様に伝える。
ただ、これ以上は何かを言う必要は無いだろう。相手は、ソイールなどより聡い人間だと思う。
切っ掛けさえあれば、ソイール以上に状況を理解してくれるだろう。その切っ掛けが最悪の物であったと言うのは、後悔したってしきれないだろうけれど。
「……わたくしは、けど」
「僕の名前をしっかり憶えていてくれたのは嬉しかった。そういう事が出来るあなただから、もっと期待してしまう。ディブラさんだってそうなのかもしれない」
襲われた時、名前を呼んでくれた事を思い出す。その時の暴力と合わせて、忘れられない思い出にはなるだろう。この先、思い出になる前に命を落とさなければであるが。
「……」
あまり良く無い想像をした。お互い、そう思ったから、二人して黙り込んだ。
今は話すよりかは考えるべき状況でもあった。どうやってこの状況を脱する? もう少しマシになれる?
(変化は……多分、遠からず起こるはずだ)
このままずっと、永遠を過ごすなどと言う事は無い。ソイールがこうやって目を覚まし、アルマリアが同じ姿勢でいる事への苦痛からか顔を歪め始めているこのタイミング。
何かが起こるとしたらそろそろだろう。実際、この小さな部屋の扉が開かれた。
「漸くお目覚めか? 坊主」
恐らくは男……体格の良い男が部屋の中へと入って来た。声だって低く掠れたものであるからやはり男だろう。断言できないのは、その男が覆面であったからだ。
布らしきものを顔に巻きつけ、目元だけを出している。
「んー、どうやらまだ夢を見てるみたいだ。最近のファッションは、そんな風に顔をブサイクに隠す様なものじゃー――
入って来た男が、話すソイールに近づき、そのまま頬を殴り付けて来た。必然、言葉を止めざるを得ないし、アルマリアの方は小さく悲鳴を上げている。
「……舌を噛んだせいで、口から血が出た」
「おっと、喋れなくなるのはこっちも勘弁して欲しいな。今度から腹を殴る事にするよ」
暴力の中に生きる男。目の前の覆面をそう判断するソイール。どう考えても犯罪者であるが、この場においての立場はソイールの方が下だ。行動も言葉も慎重に選ぶ必要がありそうだった。
「おい、血を出しながらでも喋れ。とりあえず、お前は何者だ?」
「そっちの彼女から既に幾らか聞いているだぐっ……腹だって殴られれば痛いんだけど?」
「そうか? だがまだ話が出来るだろう? だから話せ。お前は、どこの、誰で、何を、どうして、このお姫様を、助けようと、した?」
腹を殴った拳を、そのままぐりぐりと押して来る男。その度に口元から何かが出そうになるソイールだったが、出るのは舌から出る血くらいなものだ。
「コネリーハウスの……従業員だっ……名前は、ソイール……ラインフルっ……助けようとするのは……従業員としては、当たり前……だろっ」
本当に話をさせる気があるのか。それとも、痛みに顔を歪めるソイールを見る事が目的なのか。
ただ、話したって別に構いやしない事だったので、素直に話をする。痛みには弱い。我慢出来る程に鍛えてはいない。
「はっ、下っ端がご苦労な事だな。だが、そいつは悪手だったな。単なるチンピラ相手だとでも思って助けに入ったか?」
「単なるチンピラだって、あれだけの数が居れば、僕にとっては事さあぐっ!」
次は足の脛を強く蹴られる。その度に悲鳴を上げるのは癪であったが、耐える事も出来ないのだから仕方ない。
問題は、その度にアルマリアの方も苦痛を感じていそうな表情を浮かべる事か。
(ああ、つまり僕は、アルマリアさんを追い詰めるための道具ってわけだ)
男が積極的に暴力を振るってくるのも、ソイールは幾ら傷つけても構わない存在だからだろう。痛みに叫ばせるだけの口は無事にして置くだろうが、他はどうか分からない。
「いったい、何のつもりだよ……どうせ知る事になるだの言われてたけど、状況がさっぱりだ」
「分かんねえか? ええ? お前の上司はな、沢山の尾を踏んだんだよ。だから今、その報いを受けてる最中ってわけだ」
「でしたら、殴り付けるのはわたくしにすれば良いでしょう!?」
ソイールと覆面男の楽しい話の最中であったが、我慢出来ずにアルマリアが叫ぶ。だが、男は彼女の言葉を遮らない。彼女に暴力を振るわない。ただ、ソイールの足を踏みつけた。
「ぐぅっ……」
「悪いが、あんたは傷つけないし、何もしない。万が一にでも命を落とされたら困るからな? ただし苦しめなきゃならないから……関係者は散々な目に遭わせて貰うぜ? あんたが良い娘ちゃんで良かったよ。ただ目の前で殴り付けられる奴を見せるだけで、あんたは苦しんでくれるからなぁ!」
「……っ」
また腹を殴られる。覚悟して歯を食いしばっていたが、それでも漏れ出る息が憎らしい。
苦痛への反応を示す度に、相手の目的を達成させてしまっているのだから。
「こいつは兎も角、お姫様。あんたは最終的に、無事のまま解放してやるよ。ただし、精神的にはどうかな?」
覆面で口元だって隠していると言うのに、男が下卑た笑いを浮かべているのが分かってしまう。
(……上手いやり方かもしれない)
相手の狙いは、アルマリアの心をへし折る事だ。もし、彼女がギルドの運営関係で恨みを買ってここに居るのだとすれば、彼女の身体を痛めつけたってその恨みは大して晴れない。
(むしろ、ギルドリーダーとして再起できない程に心を折れば……そのままお飾りのギルドリーダーとして復帰してくれた方が望ましい)
大手とは言え、コネリーハウスは彼女の手腕に寄って運営されているところがある。
そんな彼女が禄に仕事が出来なくなれば、それだけでコネリーハウスはダメージを受けてしまうだろう。
下手に彼女を傷つけて、退職させて、もっと優秀な誰かが後釜に入るよりかは望ましいと考える人間はいるはず。
(本当……それにしたっての問題は、何時だって、僕なんかは付け足し程度の扱いだって事だ)
男はアルマリアを何時だって意識していて、アルマリアの方は彼への反抗が、ソイールへの暴力に繋がると知って、怒りの表情を浮かべる。
ソイールの立ち位置は碌なものでは無かった。
(ああ、そうだ。こんな禄でも無い立場は……ちょっと前までもそうだった。ずっとマシになったから忘れていたけれど……こういう状況だって、行動しなきゃどうしようも無い事は忘れてない)
暴力には萎縮しない。萎縮したところで、立場は良くならない。それをとある男に教えられた。
もっと、自らマシになろうとしなければ、上の立場には登れない。
「ハハハ……」
「あ? 狂うにはまだ早いだろ?」
笑い出すソイールに対して、怪訝な表情を浮かべる覆面男。確かに、普通なら笑うところでは無いだろうが、愉快な事を言うのなら笑うべきだ。
「いやだって、まだ目論見通りに事が進んでいると信じてるみたいだからさ」
「強がりなら、もっと上手い事言いな」
「話をぎっ……聞けって」
話の度に、人に暴力を振るう癖でもあるのだろうか。まだ本題でも無いと言うのに、また膝を蹴られた。
「ったく……手遅れになっても知らないぞって忠告してやってるんだろう? お前ら、どうにも自分の失敗に気付いていない」
さて次の暴力は何だと覆面男を見つめるも、今度は手を上げて来なかった。とりあえずは話を聞くつもりになったらしい。
「次に話す内容に寄っては、さっきまでした事をもう一度、ブッ続けて繰り返す。分かったらさっさと言え」
「君らがうちのギルドリーダーを攫おうとしている場面で、僕は逃げろって叫んだ。あんたがその場に居なかったっていうなら、尚更想像力を働かせた方が良い。もしかしてそれ、そこのギルドリーダーにだけ向けて叫んだと思っているのか?」
「あ?」
気付いていないのか、本当に想像力が欠けているのか。さらなる暴力は御免なので、言葉を続けさせて貰う。
「君らに攫われる前に、僕にはツレが居たって言っているんだ。君らはその事に、さっきまで気付いていなかったろうし、逃げたその娘は、今頃、何がどういう状況なのかをしっかりと観察して、無事に逃げ果せたって事になるんだろう。で、君らはどうする? 問題はそこだ」
追い詰められているのはソイール達だけでは無い。誘拐した側だって、既に最初の一手から間違いを犯している。その事を覆面男に伝えた。
果たして、彼は動揺しただろうか。覆面というのは目以外から感情を察する事は出来ない。が、目敏く、その瞳が少しだけ、ソイールから目線を外したのを確認しておく。
「ちっ、ちょっと待ってろ。どうせ逃げられやしないがな」
暴力を振るうのも忘れて、部屋を出て行く覆面男。どうせ彼は実行犯の一人でしか無く、黒幕だったりボス格だったりが別にいるはずだ。その人物に、状況を報告しに向かったのだと思われる。
「……あなた、大丈夫ですの?」
男が出て行ってから暫くして、アルマリアがそんな事を尋ねて来た。
「その大丈夫って言うのは、身体の事? 頭の中身の事?」
「あとは……この後にどうなるかと」
概ね、すべてにおいて心配されたらしい。それは仕方ない。自分でもハッタリに近い事を言ったなと笑いたくなって来ていた。
「嘘八百を並び立てたと思ってます?」
「違いますの? 確かに同行者がいたとしても、わたくしが襲われているのを見て、咄嗟に攫われた後の事を考えて行動したとは思えません」
「半分はまさに嘘。もう半分は期待を込めた事実かも」
アルマリアを助けようと無鉄砲をしたから、何もかも準備をする時間が無かったのはその通りだ。
だが、確かに同行者であるミハが何かの助けになればと、逃げてくれと叫んだのは事実であるし、聡い彼女の事だから、今頃、ソイール達を助けるために最適な行動をしてくれると信じている。
そうして、誘拐犯達の行動が、早々にコネリーハウス側にバレてしまったのも事実だった。
「事態は僕らだけに不利が続く状況では無いって事です。だから僕らも諦めずに、何が出来るか考えましょう。今みたいに、目障りな人間を、一時的にどこかへやれるくらいの事は、僕らにでもできます」
「あなた……思った以上に大物ですのね」
「そうですかね? 自分でもまだまだ小人物な気がしますが」
体格的にも、頭の中身でも。将来についてはまだまだ分からないけれど。ただ、そんな小人物であろうとも、不安だけしかない女一人は、笑わせる事が出来たらしい。
「人間の価値なんてものは、分からない物ですわね。こういう時になって、新たな一面を見せつけられる」
「朝礼に遅刻してくるだけの人間じゃあないでしょう? あとは……あなたが恨みに思うディブラさんだってそうだ」
「……そこで彼の名前が出てきますの?」
少しだけ笑ってくれたアルマリアであるが、ディブラの名前を口に出すと、この期に及んで不機嫌になってきた。
「あなたが何でそこまでディブラさんと対立してるか、それが分からないです」
「あなたの方こそ、どうしてあの様な男を慕っていますの? 高い給金を支払われてるわけでもなし」
一応は、三等仲介人の給料を高いものだとソイールは考えているのだが、彼女みたいな人間にとっては端金らしい。
「んー……とりあえず、あの人のおかげで、僕はコネリーハウスで働ける様になったわけで、その事には恩になるし……最初から説明した方が早いか」
上手く伝えるのが難しいので、率直に伝える事にした。こういう状況で、何かを隠す様な内容も存在しないのだし。
「あれは……どっかの路地裏でチンピラに追われてた時の事です……」
そのままソイールは、とりあえずコネリーハウスへとやってきて、三等仲介人になったところまで話を進める。囚われの身としてはそれくらい出来る時間はあったし、それくらいしか出来ない時間でもあった。
「驚きましたわ……」
「何かびっくりする人生してましたっけ?」
余人がすべて自分の様な生き方をしているとすれば驚きだが、波乱と言う意味ならもっと凄まじい生き方をしている人間は幾らでもいるはずだ。
「いえ、どうにも……逐一、ディブラの言動が、昔のわたくしにしていた事とそっくりでしたから」
「……ちょっと、そっちは確かに驚きですね」
いったいそれはどういう意味か。ディブラはいったい何を考えているのか。
一度たりともその考えを読めた事の無い相手だけに、謎は深まるばかりだ。
「そういうアルマリアさんは、どうしてそこまでディブラさんを目の敵にしているんです?」
「わたくしとて、幼少の頃から知っている人間を嫌い続けたくはありませんわ」
「へえ、そんな昔からお二人は知人だったと」
年齢の差を考えれば、兄妹よりもさらに年齢が離れている二人だと思われる。親代わりだった……と表現するには、アルマリアの方が子ども以上に反抗的だが。
「元々はお父様の友人だったそうですわ。けれど冒険者を怪我で引退してからは、お父様に頼る生活を続けていたそうですの。恩くらい感じたって良さそうなものですのに、わたくしに会えばいちいちに、説教染みた言葉ばかり」
「それって恐らく……」
ソイールに向けられた言葉と似た様な物だとすれば、もっと成長しろ、もっと上を目指せるだろうという類の言葉であったのではないか。
単なる想像であるし、伝えてみれば相手は怒り出すだけなので言葉にはしない。
「なんですの? まったく、挑発に対して真剣に取り合って、成果を出したとしても、あの男、褒め言葉の一つも無いのですから、わたくしの方は敵意を持つしか無いでしょう?」
「うん。そこはあの人が悪いかな。あの人、仕事以外は口下手なタイプだったか」
あえてそうしているのだと思っていたが、アルマリアの態度に困っているディブラの姿も見ているから、恐らく、どこか嫌味にも聞こえるディブラの言葉は、彼の素だ。
「けど……そう、今にして思えば、その忠告だけは鋭いものだったのかも……しれませんわね」
確かに、この状況をディブラは予感していた。だからこそ、アルマリアとの対立は承知で、方針を変えさせようとしていたのだと思われる。
(あの人にとって、アルマリアさんはそれだけの事をする価値があるんだって事だ。昔からの知り合いだからか、組織のリーダーだからか。何にせよ、僕の方はどうだ? あの人にとって、僕はどれくらいの価値がある?)
この様な事態になっても、ふと考えてしまう。ディブラに買われているのだとソイール自身は考える様になったが、彼がソイールに対して何を感じているのか。それはまだ分からないまま。
「おい、お喋りの最中悪いが、失礼させて貰うぜ?」
本当に悪いし失礼な奴がやってくる。覆面男。彼はやはり顔を隠しているが、それでも、その目と口調から、怒りを感じている事が伝わって来ていた。
「ボスが言っていたよ。お前程度が呼べる助けなんて無いってな? つまりだ……お前は俺にハッタリをかましたってことだよ!」
「あぐっ!?」
胸を正面から蹴られた。
椅子ごと床に転げるものの、縛られたままだから椅子に座ったままで床に倒れる。
全身を受身も取れずに打ち付け、あの程度のハッタリを、まさか信じて焦って怒っているのかと嫌味を言う余裕すら無かった。
またしても気を失いそうにもなるが、残念な事にそれも出来ない。
ぐらぐらとする視界の中でも、覆面男の声が聞こえて来た。
「ディブラとかいう男の話をしていたな? 俺も知ってるよ。あの男はな、冷徹な男さ。確かその子飼いだったんだか? だがな、もっと良い表現があるぜ? 捨て駒だ。こういう時、便利に切り捨てられる様な奴を、あの男は必要としているのさ。だから、ある程度面倒を見る。その時までな」
ソイールがディブラに切り捨てられたのだと覆面男は伝えて来る。それは肉体に加えての心への拷問だろう。
それだってまた、アルマリアを苛むための材料でしかあるまい。
ただ、それでもアルマリアへ直接的な暴力は向かっていない。それを期待して、ディブラはソイールの面倒を見ていたのか? いざと言う時、組織に献身させるために、恩を与え続けていたのか?
ぐらぐらとした頭の中で、ソイールは考え続ける。男の言葉の意味を。自分の立場を。いったい自分は何を望んでいるのかを。自分はいったい、何者なのかを。
「おっと、大事な事を忘れてたな。話す内容に寄っては、さっきまでした事をもう一度、ブッ続けて繰り返すって約束だったろ? 今、それを果たしてやる」
そう言って、まず覆面男はソイールの顔に拳を振るって来た。
「……」
くらくらする。ずっと頭がくらくらとしていた。
体中が痛んでもいる。心の方はどうだろうか? あいつ、繰り返すと言っておきながら、その倍は殴り付けてきやがったなと思うくらいには、まだ考え事を続けていられるが。
「まだ……大丈夫らしい。声だって出せますよ。だからあなたも、まだ折れるべきじゃあない」
「あなた……あなたはどうして!」
ボコボコになった顔を見られているせいか、アルマリアの泣きそうな声が聞こえて来た。
もしかしたら本当に泣いているのかもしれない。腫れて来た目蓋のせいで、良く見られないのが何とも惜しい。
「これくらいの……これくらいの立場なら慣れてます。世の中における底辺だ。けど、そういうのは前までもそうだったし……心配されるだけ、まだ大分マシだ」
けれど、もっと違う立ち位置と言うのも、自分は目指せたはずだし、立てる可能性のある人間であったと知った。
つい最近、漸く知って、それだけで満足し始めてもいた。
(ああ、けど、こんなところで終わるのは御免だ)
ディブラがどうであろうとも、アルマリアにどの様な顔を向けられようとも、そう思えるだけの気概がソイールには生まれ始めていた。
きっと、前までのソイールは、こんなところで諦めていただろう。自分など、こういうところ倒れるのはお似合いだと、そんな風に自分の命すら見切りを付けていた。
(今は違う。じゃあ、どこから違った? 僕はどうして……)
思い出す。なにくそと、ソイールが思ったのは、チンピラ連中に追われている最中だった。
財布を盗んだと難癖を付けられ、逃げ回るも追い付かれ、そうして……自らの価値を諦めかけたその時に、助けられた。
「なんだ。そうか、僕が目指していたのは……今、目指しているのはそれだ」
呟く。アルマリアからは度重なる暴力で、譫妄でも見始めたのかと思わただろうが、実際、それに近い気分である。
こんなところで、漸く自分がこれから何を目指したいのか気が付くなんて。
(あの時、僕は何も出来ず諦めていた。けど、あの人は簡単に状況をあしらった。それだけの違いがあって、けれども……だからこそ、あの人に舐められたくないと思ったのが僕の始まりだ)
ディブラの背中を追っている? そう言われたって構うものか。ディブラの方がどう思おうとも知った事では無い。
「あんな男になりたいんだよ、僕は」
「ソイール?」
「あんな男は……こんなところで僕を見捨てない。そういう男の事だ」
「何を……」
心配するアルマリアの目は、きっと変わらずソイールを見ているだろう。けれどこの言葉は妄想ではない。
だって、視界は悪いが耳はしっかりと聞こえているのだ。足音だ。覆面男の足音では無い。もっと違う、それでも特徴的な、むやみやたらに規則正しいその足音。
その足音は部屋の扉近くで止まり、そうして扉が開かれる。
「悪い。遅くなった」
その男、ディブラ・ノックスは、感動なんて知った事かとばかりにそこに立って言葉を投げ掛けて来た。
ディブラがミハからの報告を受け、ソイール達を探すため、攫われた場所から聞き込みを開始。場所を特定するや、その周囲の見張りであったチンピラを排除して、助けに来るまでのその時間。
それが丁度、ソイール達が監禁されていた時間でもあった。
警察でも軍人でも無いディブラと言う男が、助けに来るまでの時間がその程度であったと言うのは、相変わらず彼の有能さを思い知らされる。
「っていうかあなた、出来ない事あるんですか?」
「さてな。やろうと思って、諦めた事は少ない気がする」
捕まっていたソイール達を救出し、とりあえずアルマリアは自宅に警備を数人付けて帰した後、次にディブラはソイールを寮まで送ると言って来ていた。
今は丁度、彼と共に寮へと帰る途中である。
捕まっていた時間は幾らだろうか。攫われたのは夕暮れ時であったが、今は真夜中。
その程度の時間しか経っていないのか、それとも、丸一日捕まっていたのか。外の様子を伺えない部屋に居たため、いまいち分からない。
「何日も経っていない事は分かりますから、すぐに助けられたって事なんでしょうね、僕は。で、助けられた以上、僕を送るより先に自警団なり何なりに、事件の事を知らせるのが優先だと思いますけど。っていうか、いちいち送って貰わなくても一人で帰れますって」
「肩を貸して貰わないとまともに歩けない体でか?」
「ま、まあ、一日くらい経てば、歩くくらいなら出来る様になる……はずです」
正直なところ、ソイールの身体はボロボロだった。肩を支えて貰わなければ、立っているのも難しい。
だが、情けないと思われるのは嫌だった。肩を貸して貰っている男には特に。
「明日は医者に診て貰え。その顔じゃあ、暫く仕事をするのも難しいだろうしな」
「……それは、まあそうですか」
ここで口答えしたところで、勝手な人間だと思われるだけだろう。何度か殴られた顔は腫れ上がっており、人に見せられるものでは無かった。
「ついでに、ミハ君にも状況を伝えておけ。とりあえず、誰も命を失っていないとな。無事かどうかは……上手く伝えろ」
「この顔でですか?」
「その顔でだ」
隣の部屋なのだし、今、こうやって助かっているのはミハのおかげでもあるから、確かに早々に伝える必要はあるだろう。その点に関しては、ディブラは甘やかしてくれないらしい。
「足が重くなった気がします」
「実際、重くなったな。無理しろとは言わないが、もうちょっと何とかしろ」
さて、そう言われても怪我人は怪我人だった。身体は重いし、心だって立ち直らせるのに時間が掛る。
「僕は……何もできなかったんですよ。助けようとした人間を助けられず、こうやってボロボロになって、今は一人で立つ事も出来ない」
「そうでもないだろ」
「事実ですよ? 攫われた場所で、僕はただ、アルマリアさんを脅すだけの道具としてそこにあった」
「君が彼女を助けようとして、さらにミハ君にその姿を見せたから、私は攫われた事を知る事が出来、手遅れになる前に、手掛かりが消える前に、君らを助ける事が出来た。それも事実だ。違うか?」
「そうなんですかね……」
ディブラに言われても、気分は落ちたままだ。この男の様になりたい。そういう願いが自分にあると知ったソイールであったが、今はまだまだ遠い相手であったのだ。
「重いな。重い以上は、帰るのに時間が掛る。少し、話でもするか?」
「今も話をしていますけど」
「まあ聞け、どこぞの若造の話だ。そいつはな、無鉄砲だったし、分不相応な夢を見ていた」
もしかしてそれはソイールの話か。そう思ったものの、ディブラの話は想像とは違った物となっていく。
若造は夢を見て、その夢を進めるだけの才能も、偶然ながら持っていた。
若造は手っ取り早く自分の才能を活かすために、冒険者として生きて行く事を決め、実際に活躍し始めたらしい。そこからしてソイールとは違う。
才能を存分に使い、名前も知れ、相応の財産だって得る様になったその男であるが、ある日、知り合いから忠告を受けた。
知り合いは男より少し年齢が上だったが、早々に冒険者を引退していた。そんな知人から注意されたのだ。
「このままだと、何時か失敗した時に、大変な事に気付かされるぞと、そう言われた」
「えっと、その……言われたって事はつまり、その話は……」
「まあ最後まで聞け」
ソイールと共に歩くディブラは、言葉を止めない。
忠告された男は、その忠告を聞き捨てた。何を馬鹿な事をと無視したのだ。男の活躍は大したものであったし、そもそもその忠告の意味が分からなかった。
意味が分かったのは、一度、たった一度、依頼を失敗し、大怪我を負った時の事だった。
「怪我は酷い物だった。リハビリの必要はあるだろうし、傷が癒えたとしても、後遺症は残るだろうと言われた」
「その……実際に、視力は戻らなかったんですよね?」
「傷を負ったのはそこだけじゃあない。実を言えば、半身の動きが、未だにギクシャクしている。だからこそ冒険者を引退したんだが……本当は、それでも冒険者を続ける事くらいは出来たんだ」
チンピラ数人くらいなら相手に出来る程度には、身体を動かせる。今のディブラを見ればそれは十分に分かった。誘拐されたソイールを助ける事が出来たのも、かれのその才覚と経験から来るものだと知る。
後遺症が残ったとしても、冒険者としての才能はまだ残っているのだろう。だが、それでもディブラは、今、冒険者を続けていない。
「一度挫折して……そこから立ち上がる事が私には出来なかった。理由は簡単だ。私には才能しか無かった。それを支えられるだけの意地も目的意識も無かった。だから……一度折れて、そこから立ち上がる気が生まれなかったんだな」
「ディブラさんにもそういう時期が?」
「あった。あったさ。世の中から輝きが失われ、自分が見ていた世界は何だったのかと嘆いていた。自分の目が悪くなっていただけだと言うのにな」
もしかしてそれは冗談か何かだろうか。恐らくではあるが、ディブラという男は冗談が上手くない。彼が語る当時にしたってそうだったろう。
「そんな時期の私に、また知人がやってきた。忠告してきた例の知人だ。そうして男は在り来たりな事を言って来たんだ。もう一度、人生をやり直してみろとな。そんな在り来たりな言葉だったが……私は救われた」
その知人の名前を、ガルード・コネリーと言うらしい。ディブラより早く冒険者を引退し、引退後は、小さな冒険者ギルドを開いた男の名前だ。
今みたいに冒険者も冒険者ギルドもそう多く無い時代に、その面倒見の良さで多くの冒険者に慕われていた男。
そうして、ディブラもまた、彼を慕う一人になったそうだ。既にその時、冒険者を引退して、ガルードの勧めで仲介人として働く事になったディブラはがむしゃらに働いたと言う。
「最初は冒険者だった頃を忘れる様に働いたよ。失敗も多くしたし、今さらだから言うが、お世辞にも才能は無かった」
「ディブラさんがですか?」
「今、私が何でも出来る様に見ているらしいが、とんだ間違いだ。同じ失敗を、二度としない様に心掛けていただけに過ぎん。それにしたって、どこまで守れていたか」
そう話すディブラは、どことなく楽しそうに見えた。多分、そこから彼の青春が始まったのだと思う。
彼はそういう、どこぞの酒場で年配の人間が、若い頃の青春を話す様な表情を浮かべていた。
「そんなものだ、私は。それに比べれば、君は幾らでも上等だろう?」
「僕が? 最近まで、それこそ底辺な人間だった僕が上等ですって?」
「誰かに忠告される前から、君は折れても立ち上がれる人間だった。私に助けられて、それだけの事で、もう一度立ち上がろうとしていた。一度、どん底に落ちたとしても、そこから自分だけの意思で立ち上がろうとしてた」
「そんな事……だってあの時は、ディブラさんが」
「私が助けて、それを切っ掛けにして、自分で立ち上がったんだよ、君はな。その行動に比べれば、目敏い程度の才能は、私が冒険者の頃に持っていた才能程度の価値でしかない。分かるか?」
名の知れた冒険者ディブラ・ノックスを、その立場に押し上げた才能。それをその程度と表現する仲介人ディブラ・ノックス。
彼がその言葉を吐き出せる様になるまで、どんな思いと歴史があった事だろう。ソイールには想像する事しか出来なかった。
「……僕は、また立ち上がれますかね?」
「今、この瞬間にも、何かを始めようとしている顔をしている。君はな」
「この顔がですか?」
「その顔がだ」
やはり腫れたままの顔を擦って、ソイールは考える。立ち上がり、立ち上がった後、何が出来るだろうかと。
「あの、ディブラさん。この顔の怪我が治るまで、とりあえず休暇をくれませんか?」
「腫れが引くまでは数日掛るだろうな。何をするつもりだ?」
「いやあ、その……やってみせたい事があるんですよ」
ソイールはそうディブラに伝えた。何時までも肩を貸して貰う事は出来ない。励まされ、立ち上がる切っ掛けを貰ったのだから、後はソイールなりに、出来る事を始めようと思うのだ。
(多分、この人にそこを評価されたから、今は仲介人という仕事が出来ているんだ、僕はさ)
何度挫折しようと立ち上がってやる。それが多分、ソイールの、今ある価値だと思うのだ。
落ち着かない場所と言うのは、どうしてだってあるものだ。
例えば、自分の働く冒険者ギルドでは無く、他の冒険者ギルドに来ればそんな気分になるだろう。少なくともソイールはそうだった。
冒険者ギルド『ルートイット』。
以前、ディブラに連れられてやってきた冒険者ギルドであったが、今回は一人、待合室で待たされていた。
(前はすぐにやってきたけど、今回はどれくらいで来てくれるかな?)
誘拐事件から数日。明日辺りは仕事に復帰できるだろうという時期に、ソイールは一人、ルートイットまでやってきていたのだ。
そうして、今回もまた人を待っている。
「……君の名前を受け付けから聞いた時、どうしたものかと迷ったのを許して欲しい」
そうして、今回もまた、その男はすぐにやってきた。
冒険者ギルド『ルートイット』のギルドリーダー、ランタン・クーニーズその人だ。
ソイールの様な人間が突然にやってきて、すぐに会える人間では無いのであるが、それでも今、こうやって顔を見せ合う事が出来ている。
「いえ、こちらとしても、あなたに重要な話があるとだけ伝えて、スムーズに会えるとは思っていませんでしたから」
「ふぅん。立場やその差と言うのは承知して、それでも私と会いたかったらしいね。その事に喜ぶべきかどうか、それが問題だが―――
「うちのギルドリーダーを誘拐して、その心にダメージを負わせようとしたみたいですけど、失敗しましたよね。その件をどう思います?」
「……」
別に相手のペースに合わせる必要は無いとソイールは考える。こうやって会えた以上、早々に本題に入る方がソイールの好みだった。
こういう他人に聞かせ難い話であれば尚更、ペースは自分で握るべきだろう。
そうして、ソイールはランタンの様子を伺った。
【目の動き】……さすがに簡単には動揺を見せては来ない。
【ズボンの形】……ポケットの部分が微妙に整っていない。以前はそうでは無かった。
【足元】……デスクワークをする人間にしては靴が汚れている。
「何の話を?」
「んー、はぐらかすのは想定の通りでしたので、幾つか言える物を用意しているんですが、どれを言われたいです?」
ソファーに深く座る。長話をする準備は出来ている。すぐに追い出そうなどと出来ると思うな。そんな意思表示のつもりだった。
「随分と、最近は忙しかったみたいですね。身嗜みに使う時間も無いと見ました。ああ、けど、人って忙しい程、ミスだったり手抜かりだったりがあるもんです。その一つでも……聞いてみます?」
「何の話かさっぱりな状況が続いている様だが、ふむ? 話を聞こうか?」
ランタンの方も、長話をするつもりになったのか、ソイールの対面側のソファーへと座って来た。すぐに追い出されなくて光栄だ。相手がソイール程度の人間に、何か引っ掛かりを覚えているという事の証明であろう。
「あなた、まずはもうちょっとマシな人間を雇って事件を起こすべきでしたね。一応、他の連中は端金で雇えて切り捨ても出来る人間だったんでしょうが……実行犯の中心人物、あの覆面男はいけない。あなたとの繋ぎであったのに、失言が多すぎる」
攫われ、監禁された状態でも、ソイールはひたすら覆面男の言動を観察していた。
それくらいしか出来ない状況だったからそうしていたのだ。そうして、無事に帰って来た今となれば、それが丁度良く武器になった。
「あの覆面男、僕とディブラさんの関係について、僕が別に伝えていないって言うのにべらべらと喋りましてね。まるで誰かに聞いたかの様だ。ああ、それと、僕とディブラさんの関係について、良く無いものだと忠告してきたの、最近じゃああなたくらいのもんだ」
「……」
失言でも期待しているのだろうか? ランタンは黙ったままだ。だからソイールは遠慮無く続ける。
「覆面男は僕が禄でも無い立場の人間だとも言ってましたね。僕みたいなのを助ける様な奴はいないと。ところで、何で僕がその程度の人間だと、実行犯は知ってたんだろう。いちいち僕みたいなのを探る時間も無いでしょうに」
じっと、ランタンの方を見る。動揺は、まだ見られない。この程度の事は想定済みと言ったところか。
「で? そこまで語った上で、何かあるのかい? その……やはりさっぱりなのだが」
まあ、そう返してくるだろうと思う。確固たる証拠も無い。ただ覆面を被った男が漏らした失言でしかなく、ランタンを追い詰めるものではないのだ。
(けどね。あなたとの繋がりはすぐに知れたから、後はどうやって追い詰めるかに時間を使えたって、そうは思わないかな?)
思わないのだろう。端から、この男はソイールを舐めて掛かっている。いや、何事だって、手段を選ばなければ成し遂げられると信じている。
だから予想外の事態に焦っているのだ。もっとも、ソイールに対する焦りでは無いだろう。
それを今、覆してやる。
「ホートニー・ケイヴ」
「……」
黙り込むランタン。何を思っているのかは知らないが、ソイールにとっては攻め時だ。
「テイニック・リドリード。マイニーク・ロンドウェル。テンギ・バンサ。まだ言った方が良いですか? 確かあなたが雇った連中の名前なんですけど、憶えてます? 特に一番最初のホートニーの名前くらいは憶えて置いた方が良い。何せ、覆面を被って僕を殴り付けた男の名前だ」
「っ……」
顔を歪ませるも、やはり黙り込んだままのランタン。笑みが消えた彼に代わり、ソイールの方が笑う。
「気が付いたんですけど、ランタンさん。あなた、動揺すると言葉が減るタイプだ」
「知らないな、まったく。そんな連中は知らない」
「そうですか? 攫われた時の動きの癖なんか、幸運な事に憶えていたんで、あなたに近い連中の中からじっくり探させて貰ったんですけど。けどねぇ、自分のギルドを良く利用していたけれど、今はおちぶれた冒険者から選ぶって言うのはいけない。すぐに見つかった。これでも、目敏い方なんですよ、僕」
本当に、自分でも驚く程に、ソイールは実行犯の動きの癖を憶えていた。危機的状況だからこそかは知らないが、ルートイットのギルドリーダーが裏で動いていると分かっていたので、その周辺を探るうちに、ピンと来る人間がすぐに見つけられたのである。
それにしたって、名前を上げて相手が動揺するかは賭けであったが、その賭けには勝った。
「君の目が……何かを捉えている事は分かった。分かった上で聞くが……だから何だと言う話なのだよ。君が? それで、私をどうすると? 君程度が何か出来る立場かね?」
「それだ、ランタンさん。僕はそれをあなたに告げに来た」
確かに、ここに来ても、決定的な証拠をソイールは提示出来ていない。
それはそうだ。そんなもの、この数日ではまだ用意出来なかったのだから。
ならばソイールがこれまでしてきたのはハッタリを伝えるだけか。そうとも言えない。
「僕程度に、たかが数日で、これだけの情報を揃えられてしまった。あなたは僕を侮る前に、そう考えるべきなんだ。けど、そうしていない。つまりあなたは……その程度の人だ」
「ぬっ……」
また沈黙する。激高はしない。出来ないのがこの男の特徴なのだろう。だからソイールが告げるのだ。いや、突き付けると表現するべきか。
「僕程度に何が出来るかですって? 数日だけで、あなたを動揺させる事が出来る。なら、僕程度の立場だろうとも、そのすべてを賭ければ、あなたを潰せる。あなただってその程度の人間だ。違いますか?」
「ぎっ……」
歯を食いしばりながらも聞こえて来るランタンの声については、ソイールは何も感じなかった。
相手が覚えているかもしれない、怒りも悔しさも恐怖も。そのどれも、ソイールは価値を感じない。どうせ相手はその程度の人間だった。
ソイールにですらどうとでも出来る。だから……適切な形にするべきなのだろう。
「で、話はこれで終わりです」
「な、なんと?」
「別に、しっかりした証拠も今は無いし、僕の方だって、すべてを賭ける必要性を感じない。僕は怪我しましたけど、うちのギルドリーダーの方は無事のままだし……ここらへんで手打ちにしましょうって、そういう事です」
「それは……つまり……」
自分は救われるのか。そんな風にランタンが希望を見出している。けれど、そんな救いをソイールは与えるつもりも無い。
これでも根に持つタイプなのだ。何度も殴られたり蹴られたりは、やはり痛かった。
「ええ、ランタンさん。あなたは、僕に大きな借りを作る事になりますね。必ず何時か、それを返して貰いますから」
それを伝えてから、ソイールはソファーから立った。
とりあえずここまでが、ソイールが出来る精一杯だ。
ルートイットを出たすぐ後に、待っていたとばかりに並んで歩いて来る男の姿があった。
ディブラ・ノックスその人が、待ち構えていた様に、ソイールと並び歩き始めたのだ。
「怪我の調子は、もう大分良いらしい」
「まだ痣とかは残ってますけど、明日からの仕事に支障はありませんよって……ここに居るって事は、あなたも同じ目的でルートイットに来てたって事ですか」
頭を掻きながら、ディブラの方を見る。タイミング的に、彼もルートイットのギルドリーダーが今回の誘拐騒動の黒幕だと掴んだのだろう。
そうしてきっと、ソイールより上手く事を運ぶ事だって出来るだろうと予想した……が。
「君に先回られたがね。その顔だと、釘はしっかり刺して来たらしいな」
「えっと……誘拐の目的が、うちのギルドリーダーの心にダメージを与える事でしたから……同じ事をしてやろうと……そのつもりだったんですが、いけませんでしたか?」
「いいや、上等だ。あんな事件を起こす前に、コネリーハウス側でやり過ぎた部分があるからな。手打ちにすると言うのなら、そんなところだろう。私も、そうするつもりだった」
「そうですか……いや、そうでしたか」
ディブラは、もうルートイットには何もしないでいるつもりらしい。出来る事は、先にソイールがしたのだと、そう伝えてくる。
十分にやれたとの、彼なりの評価だ。
「……僕も、少しくらいはあなたの役に立てたらしい」
「役に立てた? 馬鹿を言え」
「えっ」
「そういう言葉は、誰かの右腕だの誰かの手足だのを目指している輩の台詞だろう」
どの様な話をしようとも、ディブラの歩く足は止まらない。ソイールもそんな彼の背中を追って……いや、その肩に並んで歩き出す。
向かう先はコネリーハウスだ。迷う道でも無いし、誰かに連れられる道でも無い。
「何時かは肩を並べて働け。私が言えるのはそれだけだ」
「はい!」
ソイールは返事をして歩き続ける。止まらない様に、隣の人間と、何時かは、胸を張って助け合う様な人間になれる様に。
ギルドに冒険者が一人やってくる。
まだ冒険者に成り立ての彼は、ギルド内を進んで行く。
出入口近くに立つ警備員の脇を通り過ぎ、ギルド員だろうが、言い合いをしている男と女性の姿を見ながら、どこへ向かうべきだろうかと不安げに周囲を見渡した。
すると親切そうな女性がやってきて、彼を、依頼を紹介する部屋へと案内してくれた。
部屋には一人の青年がいる。小柄な青年であったが、部屋へとやってきた冒険者を見て、笑顔を浮かべてから口を開いた。
「冒険者ギルド、コネリーハウスへようこそ。僕は仲介人のソイール・ラインフルと申します。さて、どんな仕事をご希望ですか?」