第二話 「忘れたか? 今日は給料日だろうに。君にとっては初めての」
夜になれば暗くなる。
街においてもそれは同じだ。夜の来ない街などと言われ、明かりが昼の如く灯る場所があったとしても、そんな場所以外は自然に従って明かりを消す。そうしてどうなるかと言えば、手元が定まらなくなるのである。
「ああ、くそっ。鍵、これで合ってるのかな?」
ソイール・ラインフルの愚痴が夜の闇に響く。
場所は冒険者ギルド『コネリーハウス』から歩いて数分の距離にあるアパートだ。
やや古い印象はあるものの、壁や屋根に脆さは見られず、アパートの大きさと部屋数を見れば、一部屋一部屋は狭めではあるが、人一人が暮らすには十分と言えるくらいの、そんなアパート。
そこがコネリーハウスのギルド員に用意された寮であり、自宅を持たない多くのギルド員がここで暮らしていると聞く。
そんな寮に、ソイールは初めてやってきていた。
ディブラと、ギルド員としての雇用契約を結び、各種契約事項を、夕飯を奢られながら説明を受けていたため、寮へやってくる頃には、夜がすっかり深くなっていた。
「よーしよしよし。開けよ、開けよ? そうだ、その調子だ。その調子で……ああ、やっぱり開かない!」
どうせ宿も取れない懐具合だろと、この寮の部屋をディブラから与えられたソイールであったが、彼から貰った鍵がなかなか寮の扉と合わない。
鍵は入るのだが、どうにも上手く回らないのである。
「どうしたもんかな……いっそ、明日まで野宿でも―――
「あの……それ、回すのは左なんじゃないかな?」
ふと、声を掛けられる。こんな真夜中に、誰が話し掛けて来るのかと声の方を向けば、隣の部屋から顔だけ出した女性の姿がそこにあった。
「左……あ、ほんとだ。あー、良かった。これで今日は屋根のあるところで眠れる。ありがとう、お隣さん!」
とりあえず、助言をくれたその女性に礼をする。いきなり話し掛けられて、誰だお前などとは思わない。
少なくとも親切をしてくれる相手だ。悪い相手ではあるまい。世の中には、唐突に金を寄越せと棍棒を振り被って来る輩や、金じゃなくて指でも良いと刃物を振り回してくる輩がいるのだ。それに比べれば、この女性の何が不審だと言うのだろう。
(良く見れば、可愛らしい顔してるしね。出してるのは顔だけだけど)
亜麻色のボブヘアーが似合う、綺麗と言うよりは可愛らしい寄りの顔立ち。やはり、悪い人間ではあるまい……と外見だけで判断した。
「思うに、もしかして同僚……になるのかな?」
コネリーハウスの寮と言うだけあって、ギルド員が住宅にしているアパートだ。そこから顔を出している事を思うに、きっとこの女性はソイールの同僚になるのだろうと思う。今日からの話であるが。
「そこ、ずっと空き室だったんだけど、あなたが新しく来たって言うのならそうかも。私、ミハ・イリオ。あなたは?」
「僕はソイール・ラインフル。今日からだけど、正式にコネリーハウスの仲介人をする事になった」
そう言って笑う。夜中に騒いで怪しまれたかもしれないが、向こうも、とりあえずは愛想笑いを浮かべてくれる。
その程度の事が、ソイールとミハの、最初の出会いであった。
【お喋りが過ぎる】……交渉事には向かない。
【自意識が過剰】……相手を不快にさせる。やはり交渉事には向かない。
【服装が威圧的】……なんで他人を威嚇する必要がある?
「率直に言いましょう。この亜人の村に融和を呼び掛けに行く仕事。あなたには向いてない」
「ちょっと、少し話しただけでしょう? 何でそういう事を言うわけ? 判断だって出来ないでしょうに。けど、私なら出来るって!」
コネリーハウスの仕事紹介用の個室にて、若い女の冒険者と話しながら、ソイールは今日、何度目かの溜め息を心の中で吐いた。
経歴や技能は中堅と言える物を持っている相手らしいが、如何せん、性格に難がある。
それにしたって、仕事さえ選ばなければ引く手あまたなのだろうが、今回はこれまでして来なかった種類に挑みたいと、明らかに向いていない仕事を要求してくるのである。
「よーし、じゃあとことん話し合いましょう? まずあなたの胸のペンダントについて話します。多分、高いものでしょうね?」
「そーよ? これ、魔法の効果があって、擦り傷くらいならさっさと治してくれるの。素敵でしょう?」
「擦り傷くらいなら、そんなペンダントが無くても治ります。っていうか、そのペンダントですが、そんな効果は無いはずだ」
「は? 何でそんな事があなたに分かるわけ? 魔法使いか何かなのかしら。違うでしょう?」
勿論、ソイールは魔法使いではない。
現在の職業を名乗るのであれば、冒険者ギルドの仲介人と言えるだろう。勤め始めてから、まだ三週間程でしかないが、それでも、正式な雇われの身だ。
「勿論、魔法についてはさっぱりですが、そのペンダントを売っているところは見た事がある。西の方の路地裏で、一つ銅貨三枚の値段で売ってましたよ。地面に布一枚敷いて、その上にずらっと並べられて」
「……え? マジ?」
「嘘です。けど、ちょっとそうかもと思いましたよね? 僕の話なんて、鼻で笑ってあしらえるまでは、こういう仕事は受けない方が良い」
幾つか、出そうと思っていた依頼書を机の下に仕舞う。いや、出そうとは思っていたが、それはそれとして紹介するつもりは無かったので、別に気にする事でも無いか。
「うぐぐ……じゃ、じゃあ何をしろって言うのよ、私に!」
「普通のお仕事じゃいけません? ほら、この邪魔な森を焼き尽くすとかそういう仕事、実に向いてそうですよ。焼きながら高笑いとかすごく似合ってる」
「高笑いが似合うから何だっての!?」
と、こんな冒険者との日々が続いているから、溜め息の数だけは多くなる。勿論すべて心の中でだが。
(給料は貰えるんだから、実際に吐き出すつもりなんて無いけどね。仕事だって手を抜いていない。そういうもんさ。日常って言うのは)
冒険者の相手だって慣れて来た。相手の適正を短時間で探るだけ探り、それに見合った仕事を紹介する。その点については、臨時で雇われていた頃と殆ど変わり無い。むしろ、これで良いのかとすら思えてもくる。
(いや、変わった事もあるか)
ふと、顔を上げる。先ほどの女冒険者は部屋を出ていた。
考え事をしている間にも、しっかり仕事は果たしていたので、ついさっき、邪魔になっている石を燃やすという仕事を引き受けさせる事に成功した。
「いや、待てよ。冷静に考えて、石を燃やす仕事って何だ?」
「あはは。もうすっかり上手くやれてるねぇ」
と、臨時雇いの時とは違う事が起こる。板一枚で区切られた隣の個室から、同僚が顔を出して来たのだ。
その同僚の名前はミハ・イリオ。先日、アパートで鍵の開け方を教えてくれた女性でもある。
ソイールと同じく仲介人としてコネリーハウスで雇われており、偶然であるが、仕事部屋についても隣同士であった。
「いやぁ、慣れってのは凄いね。こうやって、昼休みが近くなって暇になれば、お互い仕切り板の上から顔を出してお喋りっていうのも、すっかり馴染みの風景になった」
ミハはソイールとは同年代であるという事と、先日の話もあってか、暇になればこの様に話をする仲になっていた。
昼休み前に話し掛けて来ると言うのは、昼食も一緒にどうだと言う意味も含まれているはず。まあ、それくらいの仲ではあるはずだ。
「このままお客が来ないならこのままお昼だけど、どうする? ソイール君はまた近くの屋台で?」
「んー……あー……初めての給料日まで、まだ暫くあるから……」
もっとも、昼食を一緒にする仲であったとしても、それを実行できるほど、ソイールには財力が無かった。
昼食時になると、街のあちこちで、何時の間にか屋台が現れる。
その大半が、金銭面か時間的に難になる人間向けのものであり、早い安いを兼ね揃えた食事処であった。
「美味いかどうかは屋台毎に決まるけどね」
串に刺さった芋を口に運びながら、ソイールは呟く。
コネリーハウスの近くにあった屋台を(主に安いという理由で)選んだソイール。
焼いた手頃な大きさの食べ物を串に刺して出して来る店であり、その食べ物に寄っても値段が違う。今食べている芋はもっとも安いそれだ。
「初給料までの生活費、もうちょっと多ければ、こんな風に苦労する事も無いんですけどねぇ」
「もしかして、それは私に言っているのか? なら、余計な愚痴だな。飢えて死んでいなければそれで良いじゃないかと返してやる」
椅子など無い、立って食うだけの屋台で、隣に立つ男の口振りは、何時だって冷酷だ。
一応、自分をコネリーハウスに雇ってくれた人情みたいなものがあるのではと、小指の先程は信じていたいのであるが、淡々と串に刺さった肉片を口に運ぶ姿を見れば、彼には心と言うものが存在しないのではと思えて来る。
そんな男の名前を、ディブラ・ノックスと言う。
「そういうディブラさんは、飢えてるわけでも、お金に困ってるわけでも無いのに、こんな店での昼食なんですねー。てっきり、いっつも誰かが演奏している様な店で、ナイフとフォークを器用に使って食事をしてるもんだとばかり思ってました」
なんで昼時にまで並んで飯を食べなければならないのだという嫌味を混じらせて言葉を返してみるものの、相手の表情は一切変わらない。食事の速度だってそのままだ。
「昼休みの時間は限られている。その時間をどう使うかどうかで、有能かどうかが決まる。仕事なんてそんなものだろう」
「飯なんて早く終わらせて、仕事の続きをって事ですか? 食事を楽しめない人生は詰まらないだけだと思いますけど」
「そういう楽しみは、夕飯の方に取っていてな。別に人生を楽しんでいないわけでも無い。君より余裕の作り方に長けているだけの話だよ」
もうすべての肉片を口に運んだディブラは、屋台の主に小銭を渡すと、そのままコネリーハウスへと戻って行った。
「忙しい人生である事には変わりなさそうだけど……あ、おじさん。さっきの人が食べてた肉。何の肉? ちょっと美味しそうだなって……あ、やっぱ高いからいいや」
今日の昼食は芋だけで我慢しておこう。そんな気分の時もある。ここ最近はずっとそんな気分であったが。
「けど、ディブラさんと仲が良いってすごいことだよ? 見込みあるって思われてるんじゃない?」
今日の仕事が終わり、アパートへ着替えに向かう道すがら、部屋が隣同士なので、必然的にミハと共に帰る事になったソイール。
彼女はソイールにとっては先輩であるため、いろいろとコネリーハウスについての話を聞かせて貰っている。
「うん。分かるよ。あの人が凄いって事は分かる。分かるけど、いまいちどう凄いのかが分かんなくてさ。雇われておいてなんだけど」
「ええっと、一等仲介人とかそういう話は知ってる……よね?」
「よーし、薄々勘付いていたけど、僕には君らにとっての常識がまず足りていないみたいだ」
「そ、それで良く、ああいう面倒くさいお客さんばかり相手にできるね?」
どうやら自分のところには厄介な客ばかりが来ているという衝撃的事実もそこにあるみたいだが、とりあえずは仲介人に関する知識の方を求める事にする。
「その一等とか二等とか言うのは……どういう?」
「仲介人っていうのは、言ってみれば専門の知識や技能が必要だよね? それこそ冒険者と一緒」
「そうだろうか……僕なんか、こう、ぶっつけ本番でやらされた記憶しか無いんだけど……」
「ひーつーよーなーの! 兎に角、そういう能力があるって、対外的に示さなきゃ、信用して冒険者の人たちも仕事を受けてくれないでしょう?」
資格みたいなものらしい。それなりの収入と社会的立場のある仕事であるから、その資格にしたところで笑えない価値はあるのだろうと思う。
「仲介人は、一等から三等まで資格があって、一番下が三等仲介人。必要最低限の知識を持ってるって認められた人が呼ばれるんだけど……つまり、筆記試験に合格しなきゃなの」
「ふぅん……そういえば僕はそんなものを受けた憶えが無いんだけど、何等仲介人になるんだろうか?」
「多分、正式には仲介人として認められてないんじゃないかな?」
「ははーは。そんな、そんな馬鹿な。いやだって、さっきまで仕事してたでしょ? え? あれは夢幻だった? 多分、近い内にあるはずの給料日も?」
冗談半分に尋ねてみるものの、ミハは不安そうな表情でこちらを見返してくる。
「あ、ほんとにこれ、僕の立場危ういな」
「待って待って。多分、ディブラさんに雇われたって言う事は、そこは大丈夫なのかもしれない」
「というと?」
考え事をする様に、暫く俯くミハ。そうしてまとまったと言った様子で、もう一度ソイールに視線を向けて来た。
「まず、三等の上が二等仲介人。これになれれば、仲介人として一人前って事が認められるの」
「三等だとまだ半人前って事か。あれ? じゃあ、三等と二等で完結している話じゃないか」
幾つか資格を区分けするのは、それぞれに意味合いが違うからだ。三等は必要最低限。二等は十分な知識。そういう風に分けられるなら、それ以上である一等は何だ。
「一等って言うのは、功績や、既にある程度の地位に居る人に送られる資格なの。勿論、最低限、二等仲介人としての立場が無いと駄目だけど」
「なるほど。それくらいの地位にディブラさんは居るって事か」
「そう。冒険者ギルドとしては大手のコネリーハウスでも、一等仲介人は二人しかいないし、その一人がディブラさん。そうして、一等仲介人は自分の代理人を持つ事も出来るし、自分の冒険者ギルドだって持つ事が出来る」
「はー、そりゃあ立派な事で」
漸く、ディブラという人間が分かって来た気がする。未だ仲介人ですら無い自分と、仲介人としてはトップ層の人間。そりゃあまあ、日々気に食わない印象を与えて来るはずである。
「ソイール君……ちゃんと分かってる? ソイール君が仕事を出来てるのって、だからディブラさんの代理人としての扱いなんだと思うんだけど?」
「僕が、あの人の? それってその……凄い? 凄くない?」
「ううーん。どうだろう。正式な仲介人だから凄くはない。けど、あのディブラさんの代理って言葉でなら、凄い立場……かも」
自分が不安定な立場である事は理解できた。ついつい、地面に転がった石ころに転びそうにもなる。
「いやだなぁ……何かこう、あの人に支えられてるみたいじゃないか。何時、足を掬われるか分かったもんじゃあない」
掬われない様な立場を持てとやらがディブラの忠告だったから、ますますに不安だった。
「だいじょーぶ。三等仲介人の試験って、ちょっと暗記できればそれで合格できるから。簡単だよ?」
「暗記かぁ……どうだったかな? 得意だったっけ?」
「何でそんなのも憶えてないの?」
やはり不安そうな顔を浮かべられる。
そんな顔を見ると、こちらまで不安になってくるが、試験にしたって先の話だ。ソイールはそう思い、自分の中に生まれた不安を忘れておく事にした。
そんな不安を思い出したのは、次の日の朝。コネリーハウスに出勤した時の事である。
「やあ、ブラインド。今日も良い朝だね。朝の何が良くて何が悪いかなんて知らないけど、兎に角良い朝だ」
出勤し、出入口近くに立つ警備員、ブラインド・ロクスの大きな腹に話し掛け、自分の仕事部屋に向かおうとするのがソイールの常だ。
だが、今日はブラインドが顔を顰めていた。
「おい、ちょっと待て、ソイール。出来れば静かに入った方が良い」
「え? 何で?」
何時も通りの時間であるはずで、何か忍ばなければならない事も無いはずだと思うのだが、ブラインドは小声で忠告してくる。
「新人のお前さんは知らないだろうが、うちじゃあ時たま、朝礼ってやつがあるんだよ。ギルドリーダーって分かるか? うちの一番上の人間なんだが、朝に従業員全員に色々と事務的な事を伝えるって言うか……昨日、掲示板見てないのか?」
そう言って、ブラインドは出入口近くに立て掛けられている、黒板の様なものを指差した。そこにはチョークで様々な内容が書かれており、一番に目に付くのは、今日、始業より一時間早く朝礼の予定があるという文字。
「ちょっ、そんな制度知らないよ!? そんなのがあるなら昨日あたりに教えてってば」
ブラインドに合わせて、ソイールの方も小声になる。
よく見れば、コネリーハウスに入ってすぐのホールには、従業員達が集まっており、彼らの視線は、ホールの先にいる一人の人間に向いている様に見えた。
「てっきり知ってるもんだと思ってな。なんてったって、お前さんはあのディブラさんに雇われてる人間だし、そういうのは全部知ってるもんだと……あ、ヤバい」
話の途中で、ブラインドは咄嗟にソイールから離れ、元の、玄関口を警備している風を装う。
結果、ソイールは一人、残された形になるが、そんなソイールに対して声を掛ける人間がいた。
「ちょっと、そこのあなた。うちの制服を着ているみたいだけど、見ない顔ですわね? こちらに来なさい!」
高く、そして強気そうな女の声がソイールに向けられる。
かなりの声量だ。確かに、それくらいで無ければ聞こえないだろう。丁度、ホールの奥。従業員の視線が向けられている方に、その声の主は立っているからだ。ソイールからは距離がある。
つまるところ、ギルドリーダーその人から呼び出された形だ。
「あ、いや……えっと、はい。すぐに」
結果的に遅刻した形になるため、言い訳せずに呼び出される。勿論、全従業員の視線がソイールにも注がれていた。
「あなた……名前は?」
ホールの奥、ギルドリーダーの近くまでやってくると、そんな質問を受けた。
質問を投げかけて来た彼女の姿は、見るにソイールと同じくらいか少し上程度。
だが、若く未熟という印象は受けない。
(むしろ気が強くて、怖そう……かな)
貴族染みた金色の長い髪と鋭い目つきが、威嚇のそれに見える。
女性としては圧倒的に綺麗と呼べる外見であるし、スタイルも良いが、やはりそれらもすべて、他人に圧力を加えるための要素としてしか見えなかった。
兎にも角にも、このギルドリーダーに呼び出され、名乗れなどと言われるのは、それだけでプレッシャーがあった。
「そ、その……はい! ソイール・ラインフルです!」
「ソイール。やっぱり聞かない名前ですわね? それで、あなたはうちで何をしているのかしら?」
「その、仲介人としての仕事を……」
「ふぅん。それで、最低限二等仲介人としての資格を持っていらっしゃいますの?」
「いや……あの……資格はまだで」
「では、未だ三等仲介人と」
「あー……えっと、それもまだって言う意味ですね。はい」
「なんですって?」
逆鱗に触れた気がする。ソイールで無くても、それが分かった事だろう。ギルドリーダーの眉が歪み、さっきまで鋭かった視線が、本当に突き刺さらんばかりになった。
「わたくしの、栄光あるこのコネリーハウスに、未だ試験すら通らない仲介人が働いていると。そうおっしゃいますの?」
「まあ、はい。そんな感じになりますか……ね? あ、いや、ほんとすみません。不快にさせたなら謝ります!」
ここはひたすら下手に出るべきだ。それくらいはソイールにも分かった。
相手は上役。どうしようも無く、ソイールの人生を左右できる存在なのだから。
「……即刻、このコネリーハウスを去りなさい」
「は?」
「分かりませんの? あなたはここに必要ないと言いました。理由など、説明する必要がありますかしら?」
「そ、そんな無茶苦茶な!?」
やはり人生が左右された。せっかく定職を得たと言うのに、初の給料を貰う前にそれを失うと言うのだから。
「無茶も何も、我がコネリーハウスに、試験さえ通っていない仲介人を置くなどもっての他でしてよ? それともあなた、もしやコネリーハウスの看板を汚すために来たと仰るつもり?」
「言い訳、せめて言い訳をさせてください」
「これから喋る事が、単なる言い訳であると理解できているのでしたら結構。この大人数を前にして、言いたい事があれば仰ってみてはどうですの? 堂々と、然るべき理由があるのならば」
「それはその……」
何を言うべきか。そこでソイールは詰まってしまう。何を言い訳すれば良い?
遅刻したのは、ここを良く知らなかったから。自分に仲介人としての資格が無いのは、そもそも仲介人についてを良く知らなかったから。
何を説明するにしても、自分が経験不足の人間である事を確認されるだけだ。
それが分かってしまうから、ソイールは口ごもる。それでも、何かを話さねばと口を無理に開こうとするソイール。
そんなソイールがそのまま固まってしまったのは、ソイールの前に、一人の男が出て来たからだ。
「失礼、ギルドリーダー。あなたのお怒りはもっともだ。この男は、未だに三等仲介人でも無く、だと言うのに、ここ最近ではコネリーハウスで働き続けている。しかし、それには理由がある。彼が働くに値する十分な理由が」
ソイールの前に現れた男。それは勿論、ディブラ・ノックスだった。
明らかに圧を感じるタイプのギルドリーダーだと言うのに、ディブラは涼しい顔を浮かべていた。もっとも、何時だって彼はそんな顔を浮かべているのであるが。
「ディブラ……そう、つまりこれは、またあなたの差し金と、そういう事ですのね?」
ギルドリーダーの方はと言えば、ディブラに対して敵意を持っている様子だった。
獲物を見る様な目を向けられていたソイールとは、かなり態度が違う。
「差し金と言うのは、敵に対して行うものです。私はあなたの敵では無い。同じギルドに勤めている者同士ですよ。あなたと私は」
「はっ、どうだか知れたものではありませんわね? それで? そこの男は、いったいどの様な価値があると?」
ビクリと肩を震わせるソイールであるが、ディブラの方は無視してきた。視界にすら入っていないのではと感じる。
「簡単な話です。彼は優秀な仲介人としての適正がある。だからこそ、私の権限で彼を雇いました」
「あらあらあら。まあまあまあ。つまり、この仲介人未満の男は、あなたから見れば、とても優秀な人間だと、そう言うつもりですの? わたくしの目は節穴だと」
「あなたの目が節穴であれば、とっくにこのギルドは駄目になっているはずだ。だが、そうはなっていない。だからこそ、私とてあなたを尊敬している」
「良く言いますわね! 本当、良くそんな言葉が吐ける! っ……まあ、良いですわ」
何時だって冷静沈着な姿勢を崩さないディブラに対して、感情を露わにし、激昂しかけるギルドリーダー。
さすがに、そこで止まるくらいには冷静であるらしいギルドリーダーだが、怒りを消さない程度には冷静では無さそうだった。
「あなたがそう仰るのであれば、そこの男に証明させてみせなさいな。丁度、一週間後、三等仲介人の試験がありましたわね?」
やはりと言うべきか、最終的にはソイールの話に戻って来る。それにしたってドキリとしたが。
「あの、その三等仲介人の試験っていうのは……」
「ソイール。少し黙ってろ。後で説明する。分かりました、ギルドリーダー。彼に一週間後の三等仲介人試験を受けさせる。無事合格できれば、彼をクビにするのは止めていただきたい」
「ふんっ。随分とした入れ込みようね。良いでしょう。それくらいの慈悲がわたくしにはありますもの」
そう言うと、ギルドリーダー振り返り、ホールを離れて行く。
彼女、従業員全員を集めての朝礼中では無かったのだろうか。
「急にお腹でも痛くなったのかな?」
「随分と余裕だが、仕事を始める前に私の仕事部屋に来て貰うぞ。まったく、新しい問題をさっそく作ったか」
「いやあ、申し訳ない」
少しばかりピリピリしているディブラに対して、ソイールの方は、先ほどまでの緊張感は無くなってしまった。
こうなれば、なる様にしかならない。そんな風に考える。
冒険者崩れとして生きて来た時間が、どこかソイールの性根を図太くしていたのかもしれなかった。
「動揺していないのは、この期に及んでは幸いだ。さっそく今日から勉強に励め」
ディブラの仕事部屋へとやってきたソイールは、いきなりそんな言葉を告げられる。が、やはり図太い性根で驚かないでおく。ディブラと言う男の在り方についても、最近は慣れてきている頃合いだ。
「まあ、そうもなりますよね。分かりました。で、三等仲介人試験っていうのは、合格するのに一週間くらいの勉強で大丈夫な試験なんでしょうか」
「我々が働くこの城のお姫様が、とびっきりの怒りを持ちながらも、その提案に賛成する程度には」
「ああ、つまり難しいって事で」
自分にとっては危機的状況だなと思う。きっと、一週間後には、元の浮浪者染みた立場に戻っているのだろうなと想像するくらいには、危機的だった。
「とは言え、多くの人間が、三等仲介人程度にはなれているのも事実だ。準備期間が短くとも、合格できる可能性は十分にある」
「おっと、それを聞いて安心しました。ディブラさんも安心してください? これでも僕、試験とかそういうのは得意なんです」
「ほう? 具体的にはどういう部分で?」
「カンニングとか。目敏いですから」
「ちなみに、一応は国家試験の部類に入る。カンニングの監視だって、勿論、相当に行われていると見て良いだろうな」
「思うに、かなり無茶ぶりされたみたいですね、今回」
一週間でどれほどの勉強に励めるか。それが重要だ。カンニングなんてもってのほかだろう。いったい誰がカンニングなど提案すると言うのか。
「理解してくれた様で助かる。とは言え、やれる事と言えば真剣に勉強する事だ。ほら、これを貸してやる」
ディブラはそう言うと、その場から立ち上がり、部屋の隅の本棚から、一冊の本を取り出し、ソイールに差し出して来た。
「これは……仲介人心得?」
「三等仲介人の試験は、だいたいそこから出題される。こういう場合はどういう行動を取るのか。どういう国内法が仲介人をする場合に適用されるのか。どれもこれも基礎的で、やはりその本にも書かれているな」
「へぇ……じゃあ、この本を憶えれば完璧って事ですね?」
「そうなる。出来るならな」
見た感じ、本はそれなりの厚さであるが、それでも、一週間で何度か読むくらいは……。
「うわっ、字、ちっちゃ! 無理無理無理! 絶対に無理ですよこんなの!」
「無理でもやれ。あれでも、本来、君に与えられていたであろう罰としてはまだマシな方だし、そうなる様にタイミングを読んだ」
つまり、従業員全員が集まるホールで、直接罰を与えさせる事で、無茶な事は言われない様に配慮されたらしい。
そんなディブラの行動には感謝だが、それにしたって無理難題だと思う。
「一週間かぁ……仕事は休むとして、その間にひたすらこの本を読みこむべきなんだろうなぁ……」
「何を言っている」
「え? いや、そりゃあ僕だって、勉強くらいはしっかりと」
「休んでいれば、それこそギルドリーダーから目を付けられる。仕事の方も平行でやれ」
「……はぁ!?」
ソイールはすっかり忘れていた。
ギルドリーダーもそうだったが、目の前の男、ディブラ・ノックスもまた、ソイールに無茶を言ってくる人間であったのだ。
「だからあれ、本当にそうだったのよ」
「はぁ、そうですか」
試験の勉強をしながら仕事もしろという無茶振りから一日経った。残りはあと六日しかないこの状況において、ソイールはどちらにも性根が入っていなかった。
「ちょっと、聞いてるの!?」
と、女の声が聞こえて来る。場所はコネリーハウスの仕事部屋。話す相手は、以前に仕事を紹介した女冒険者。名前をヤーシャ・ビーンズと言う。
「あー、はい。聞いてます。石燃やす仕事を終わった帰り、魔法のペンダントだと思って、ずっと大事に持っていたそれが、安売りされてるところを見て、やっぱり本当に偽物だったと知ったんですよね。ちなみにその時、仕事帰りに買った揚げ物を落として、スカートに跡がついたから、それも不機嫌な要因」
「は、話してない事まで知ってるじゃない」
「スカートの染み以外なら話してましたよ。染みについては、前の時は付いてませんでしたし」
だからだいたい想像がついた。もっとも、分かるから何だと言う話である。試験に役に立つ知識ではあるまい。
「けど、話はその次の話なの。ちゃんと聞きなさい」
「んー……仕事の話をしても良いです? 紹介できる仕事ならありますんで」
「聞きなさいってば!」
聞けと言われても、さっきから愚痴や文句ばかりだ。
曰く、ソイールが紹介した石焼きの仕事の、やる意味が分からなかったとか、偽物のペンダントについて商人に文句を言ったら、売り手が違うから文句を言われても困ると言われたりとか、そういう話をしていた。
「だーかーらー、路地裏でこのペンダントを売ってるところを見たんでしょう? その売ってる奴を教えなさいって言ってるの」
「うーん。このギルドではその様なサービスを行ってないですねー。っていうか、その話は嘘だってネタばらししてませんでしたっけ?」
「うっ……そ、そうだったかしら……」
忘れていたわけではあるまい。単純に、このヤーシャと言う女冒険者は、虫の居所が悪く、当たる相手が欲しいだけなのだろう。
「苛立つのは分かりますけど、こっちが紹介した仕事は無事に成功したんでしょう? 報酬だってきっちり貰ったんだから、酒場なんかで騒いだりする余裕だってあるはずだ」
「そ、それなんだけど……ちょっと……理由があるのよ。ここに来たって事は、また別の仕事を紹介して欲しくはあるんだけど」
話が仕事の方に戻って来たため、さすがにソイールも気を引き締める。中途半端な仕事をして、追い詰められるのは自分の方だ。
【服装】……前回来た時と同じもの。
【女性冒険者の特徴】……報酬が入ると、まず身嗜みのどこかを新たにしがち。
【話題】……主に金銭面での損に関するもの。
「仕事の報酬がスラれでもしましたか?」
「ち、違うわよ。そんな間抜けじゃない。ただちょっと、帰りに? 寄った酒場で? 羽目を外しちゃったって言うか?」
「あー、あるあるですね。テンション上がっちゃって、ついつい奢りだーとか言っちゃって、次の日あたり後悔する」
偽物のペンダントの件もあって、はしゃぎたかったのだろうと思われる。もっとも、それで生活費まで使っていれば世話は無いが。
「ヤーシャさんでしたっけ。そりゃあ、仕事が欲しいと言われれば、紹介するのが我々です。けど、そういう状況だと、どうしても足元を見ざるを得ませんので、出来ればこう……生活態度を改めることをお勧めしますよ」
「冒険者ギルドに、そこまで面倒見て貰うつもりなんざ無いのよ。ほらほら、足元見ても良いから、何か仕事を紹介してよ」
こういう相手にはどんな仕事を勧めるべきか。とりあえずはそれを考える。
彼女が言う通り、生活態度まで改善させる義務など冒険者ギルドには無いはずだ。ただ、まあ、今後もハチャメチャな生き方を続けていれば、冒険者生命だって短くなるし、コネリーハウスは顧客の一人を失う事にもなるから、それは避けたいという思いもある。
(あと六日後には首になるかもしれない場所だけどさ)
それまでは働くだけ働いて置こうかと、何枚が紹介用の仕事用紙を吟味する。出来ない仕事を任せたところで、ソイールの失点になるだけだ。
「ん、これ何かどうです? 街から少し離れた沼に変な植物が生えたらしくて、それを燃やして欲しいって仕事で」
「また燃やす仕事! 前もそのまた前も燃やす仕事だった!」
「いやあ、信頼してます」
出来る仕事だと思うし、報酬だって、出来る人間が限られているからこそ、それなりのものを選ばせて貰った。
代り映えしなくとも、生活費に困っているのなら丁度良いだろう。
「ったく、どんな仕事なのよって、はぁ!? 現地まで二、三日掛かるじゃないの、これぇ!」
「依頼人曰く、そこに向かうまでの必要最低限の装備については、経費として報酬に含んでも良いそうですが、あくまで最低限でとの事です」
「あのね、分かってるの? 余裕のある経済状況じゃないのよ、私。装備を整えるにしたところで、結構切り詰めて、しっかりと値段と計画を考えながら……それが狙いね?」
「今後は、普段もしっかりしておけば、今日みたいに困る事は無くなると思いますよ。それでも仕事が欲しいとなれば、勿論、うちは歓迎しますけどね」
「ぐぐぐ……」
手をひらひらと振って、歯軋りするヤーシャを追い払う。いや、しっかり仕事の紹介用紙は持って行ったため、一つ案件が片付いたと考えるべきか。
「って、それで満足できる状況じゃあないよなぁ……」
「そう? 相変わらず、面倒臭そうなお客相手にも、上手く話を進められていたけど?」
机に肘を突き、頭を抱えていたところで上から、正確には仕事部屋の、仕切り板の上から話し掛けられる。
そこから覗き込む顔は、見間違いで無ければミハであった。
「やあミハ、そういえば今日も、そろそろ昼休みだ。あのお客も、だいたい来る時間が一緒なんだよなぁ」
少しでも話が長引けば、昼休みに仕事が食い込んでしまうタイプの客だった。
今回は上手く行ったものの、気分は良くならない。その他の悩みが大きいからだ。
「どう? お昼に行く?」
「うん、行く。と言いたいところだけど、今日も一緒には無理かな。やっぱり給料日までまだ先だ」
「だったら、今日はソイール君が何時も行ってる露店に付き合うよ。ちょっと、話したい事があるんだ」
「そう? あんまり、お洒落な場所じゃないけど」
実際、腹に溜まれば良いという程度のものであったが、それにしたって、ミハは付き合いたいと言って来た。
同年代の女性から、その様な事を言われれば、自分に春でもやってきたのかとソイールが思うのは、致し方ない事であったろう。
「え? そっちも試験を受けるつもりだって?」
実際は、春でも何でも無く、ミハの方がソイールに相談があるらしかった。
「うん、そう。私の方は二等仲介人の試験。そっちが受ける予定の三等仲介人の試験と同じ日にあって……」
やや、気分が落ちている様子のミハ。露店ではバターポテトを頼んでいるのだが、そちらについては全然減っていなかった。
「なるほど、同じプレッシャーを受ける者同士ってところか。あ、いや、君が受ける試験の方がそりゃあ難しいよね。なんてったってそっちは二等でこっちは三等」
「ま、まあ、試験に関してはそうなんだけど、そっちの方については、私、それほど心配していないの」
ソイールの事かと期待するも、話題の方向からして、ミハ自身の事だろう。
「試験に自信が?」
「仲介人に適用される代表的な法は十七あるけれど、その中の一つ。仕事を紹介する相手を前にして、必ず守らなければならない物があるけど、それは何か。分かる?」
「ん? ええっと……あー……うんうん。知ってる。今思い出してる。それでその、思い出すまでの制限時間は昼休み中で大丈夫?」
「正解は、事前の取り決め以上の報酬を上乗せしてはならず、下回せてもならない。仲介料を既に受け取っている以上、金銭に関する事の権限を仲介人は持っていないからである。ただし、依頼内容そのものについては、依頼主及び紹介相手の了解があれば変更が可能とする」
ミハのその声は、一度も止まらず、流暢な物であった。それを聞いたソイールは、正直驚いていた。
「う、うん。それ。それだ。っていうか、それ、何か……心得で読んだ。あれ? もしかして、一字一句正しい?」
「そ。三等試験だと穴埋めに近い問題だけど、二等試験だと、これくらいは暗記しとかなきゃ駄目だよ? あくまでこれも基本の法で、関連する決まりまで手を広げて記述しなきゃならない問題もあって、本当に沢山の事を憶えなきゃいけないんだ」
「あー、今から頭が痛くなってきた」
手に魚のフライを持っていなければ、実際にそうしていただろう。今は額を油でベトベトにしたくないため、止めておくが。
「そう。憶えるのは頭の痛い事だけど……それは、ソイール君が頑張らないといけない事だよね」
「それって、ミハの方は頑張らないって事? 試験については余裕があるって感じで?」
「私はもう、必要な範囲の知識は頭に詰め込んでるから。何を聞かれても、答えられるかな」
「へぇ、それってすごいじゃないか。あ、じゃあじゃあ、次の試験に何が出るかの傾向とかも……」
「そういうのは分からないし、分かってたとしても、ちゃんと勉強しなきゃ駄目。資格っていうのは、それを手に入れるのが目的なんじゃなくて、そのハードルをちゃんと越える事が大切なんだよ?」
ミハの言葉はまったくの正論なのであるが、しっかりと勉強できる時間があればこそ通用するものだと思う。
ソイールの方は正攻法で立ち向かえる程に優しい状況では無かった。
ただ、ミハの話はそれで終わりでは無いらしい。
「だから……短い間だけど、一緒に勉強しない? 仕事が終わってからの話だけど」
「んん? それは……どういう?」
「嫌、かな?」
「全然!? 全然大丈夫。うん。むしろ大歓迎。丁度、さ、丁度良く、僕の方もそうしたいなぁって気分で、その……」
まさか女性に仕事の後も一緒にいたいなどと言われるなど、人生で無かったので舞い上がるソイール。
ただ、彼の目敏さはこの後に及んでも発揮されてしまった。
【目】……こちらを見ている様で、少しだけ泳いでいる。
【手元】……落ち着かない様で、所在無さげに手を動かしている。
【表情】……後ろめたさは感じられない。これであくどい事を考えていれば手に負えないが。
ミハはそこまで悪人ではないし、嘘も下手なタイプだ。短い付き合いだけど、それくらいなら分かって来た。
だから、恐らく、彼女なりの考えが読めてしまう。
「僕の勉強を見る代わりに、何か頼みたい事があるんだ。違う?」
「あっ……うん。やっぱり、そういう機微が分かるみたいなの、ソイール君ってあるよね」
その才能だけで、都会を夢見てやって来るくらいにはあるだろう。そんな才能だって、肝心な時には役に立たない物でしか無いが。
「で? 僕に出来る事なんてたかが知れてるけど、君の言う通り、勉強を教えてくれるっていうのなら、何だって聞いてあげられる気分だよ」
結局は、こちらへの純粋な好意では無かったわけであるが、いちいちそれで気落ちする程、ソイールだって初心ではない。
だいたい、どんな理由にしたところで、ミハみたいな娘と一緒に勉強と言うだけでも舞い上がるには十分だろう。
(……あれ、意外と初心なのか? 僕?)
相手に狙いがあると分かっていても、魅力を感じてしまうくらいには、実際そうかもしれない。
ミハの要求にも寄るだろうが……。
「実はね、私の方も、試験勉強になるかなって思って、ソイール君を誘ったの」
「あれ? けど、さっきはだいたい試験の知識は頭に入ってるって言っていたじゃないか」
「筆記の方はね。ただ、二等試験からは面接があるの……」
「面接ってその……面接?」
偉い人が椅子に座って、じろじろとこちらを見て来るあれだろうか。ミハが相手ともなると犯罪的にも見える。
「変なのじゃないよ? 口頭で、仲介人としてどれだけ咄嗟の判断が出来るかを見る試験で、こういう時、君ならどうするって、画一的じゃあない事を聞かれて試されるの。そっちもきちんと受け答えしないと、試験に落ちちゃうっていうか」
「ミハ、仲介人としてはまずまずの受け答えが出来てるじゃない。丁寧さで言うなら、もしかしたら一、二を争うかも」
客から苦情だって来ていないはずだ。ソイールの方はと言えば、上手くやれてるかどうかはまだ分からない。少なくともミハの受け答えは見習うべきレベルだと思えるのだが。
「お客相手だとそうなんだけどね。どうしても、試験って言う形になると……」
「なるほど、そういう事もあるか。緊張しちゃうってやつだ」
「そう。だから、ソイール君に勉強を教える中で、そのどんな相手でも馴れ馴れしい感じになれる部分を学べたらなって」
「うん。確かに僕はそういうタイプかもしれないけど、面と向かって馴れ馴れしいだなんて言われた事は初めてかもしれない」
存外、ミハもズバズバ言う人間なのかも。ギルドリーダー程では無いが。
「私ね、二等試験を受けるの、これが三度目なんだ。なんとか、今度は受かりたい。ソイール君とギルドリーダーの一件で、何等の仲介人かっていうところで、今後、厳しくなりそうだし……」
「そこについては申し訳ないよ。あの場で、もうちょっとやり様があったと思ってる」
そう考えると、今のソイールの立場は自業自得であるのかもしれない。だからこそ、ディブラもこれ以上の手を貸してくれないのかも。
「勉強を教えてくれるっていう話。何度も言うけど、僕にとっても嬉しい。後で食事でも奢らせて欲しいくらいだ」
「あはは。そう言ってくれると、こっちも助かる……かな。けど、まだ食事を奢れる程、手持ちは無いんでしょう?」
「うん、そうなんだ。あともうちょっとで給料日だったと思うけど……あ」
頭の中の予定表を確認する中で、嫌な事を思い出してしまう。いや、思い出すと言うより、合致してしまったと言うべきか。
「どうしたの?」
「給料日。試験の日の丁度前日だ」
「そ、それは……あんまり喜べない……ね」
せめて、試験の後なら楽しみに出来たのに。そういう風に思ってしまった。
「へえ、アルマリア・コネリーって名前なんだ、ギルドリーダーって。随分と若い人だけど、もしかして親から立場を継いだとか?」
仕事が終わり、ミハの部屋へと案内されたソイール。案内と言っても、ギルドの寮である事は変わらず、ソイールの部屋の隣にある。
部屋が隣同士と言う事で知り合ったのだから当たり前であるが、中に入るのはソイールにとって初めての事であった。
そんな場所で、多少は緊張しているのであるが、それでもテンションの方が高いからか、話は弾んでいた。
「そう、先代のガルード・コネリーさんって人が、コネリーハウスを設立したんだけど、私が入る少し前に亡くなったそうなの」
「それでそのまま受け継いだと。若いながら大変だと思えば良いのか。経験が無さそうで不安だと思えば良いのか」
「けど、現ギルドリーダーだけあって、あの人も一等仲介人の資格を持ってるんだよ?」
「あー、ディブラさんとギルドリーダーの二人で、コネリーハウス所属の一等仲介人全員って事か」
ディブラは兎も角、あの若い女性がそういう立場にあるという事は、才能か努力か、どちらかによる優れた能力を持っていると見るべきなのかもしれない。
「いくらお父さんからギルドを受け継いだとは言え、仲介人試験は国がする試験だから、コネやお金じゃ通用しないと思うなぁ」
ほんの少しだけ、何かに憧れる様な感情が込められたミハの言葉。同じ女性同士、年齢だって近いだろうから、思うところがあるのかもしれない。
「そりゃあ、凄い人なんだろうさ。ギルドリーダーなんて、僕にとってみれば雲の上の存在ってなもんで。だからこそ、詰め寄られた時は焦ったよ」
「朝礼で遅刻する新人仲介人って、そりゃあ目立つもの。目を付けられても仕方ないと言うか……」
「耳の痛い話だね、ほんと」
若干、呆れられているのは承知している。手痛い失敗だ。今度からは絶対に遅刻しないと心に決めたとしても、既に取り返しのつかない状況になってしまっている。
「けど、ソイール君だけの責任じゃないかもだけどね」
勉強に集中するべき時間であるが、気になる事をミハは口にした。
あの状況で、ソイール以外にも何か責任があると言うのはどういう事だろうか。
「……もしかして、ディブラさんが関わってたり?」
「うん……あの二人、基本的に仲が悪いと言うか、いろいろ対立しがちで」
ギルド内で二人のみの一等仲介人。そういう立場のせいか、お互いに思うところがあるのだろうとミハは語る。
「ディブラさんかぁ……あの人、ギルドリーダー相手に突っかかるタイプには見えないけどさ」
「実際、そうなんだろうと思うの。だから何時も、二人が睨み合うのはギルドリーダーのアルマリアさんが原因の場合が多いかな。立場的にはアルマリアさんが上だけど、ディブラさん、コネリーハウスではアルマリアさんより長いから」
若く優秀で高飛車なリーダーと、古参かつ優秀で、資格と言う意味では同格な従業員。言われれば、自然と対立しそうな二人ではあった。
「あの人の性格じゃあ、穏便に事を済ませるよりかは、ギルドリーダーの言動に火を点けそうではあるか」
「ディブラさん側は、自分を雇ってくれた先代ギルドリーダーのお子さんがアルマリアさんだから、少し強気に出れない部分があるらしいけど、それが火に油って話、聞いた事あるな、私」
何にせよ、そんな二人に間に、ソイールは丁度挟まれた形になるらしかった。
ソイールはディブラの子飼い。コネリーハウスという組織の中において、ギルドリーダーと対立しがちな派閥に所属している。そんな風にソイールは見られている様だ。
「微妙な気分かも」
「そういう対立っていうのは確かにねー」
お互い、あまり良い気分にはならない話をしている。それを確認しあったソイールとミハは、話題を変える事にした。
というよりは、何時だって本題は試験についてであろう。
「とりあえず、ソイール君の方は、ディブラさんから仲介人心得は借りてるんだよね? なら、それを暗記する事から始めなきゃだけど、それだけだと時間が足りないと思う」
「憶えられるかどうかも疑問な量だよ、これは」
とりあえずは持って来たその分厚い本をソイールはペラペラとめくる。使い古され、メモ書きも散見されるその本は、確かにディブラが使っているものである事だけは分かった。
「仲介人心得については、記憶するよりも一通りを読む事で、求められている方向性を掴む方が先だと思う。あと、もし借りられるなら、他の入門書みたいなのも借りたらどうかな。暗記よりも方向性って言う話なら、多くの本を読むべきだと思うの」
「な、なるほど。やる事にしても、方法なんて幾らでもあるってわけか。けど、ディブラさんが読めって言って来た本はこれだけだし、他のなんて借りられるかなぁ」
「物は試しだし、明日やってみようよ。今日は心得の読み方に集中してね」
「了解。もう一週間も無いけど、大変な日々になりそうだ……って、僕はそれでも全然構わないっていうか、大歓迎だけど、ミハの方はどうなの? 面接の練習っていうのはするべきなんじゃあ」
お互い、持ちつ持たれつで勉強をしようと言う話であったはずだ。ただ何かをして貰うだけでは、ソイールにとっても申し訳が立たない。第一座りが悪い。
「うーん。頼めるのなら、今日は私の仕草とか話し方? みたいなのを気にしてくれたら良いかなって。明日からは勉強の合間に面接の練習もして、気になるところを指摘してくれると嬉しいんだけど……」
「おーけー。大丈夫。そういう事なら任せて」
女性の部屋に案内されて勉強を見て貰う。こんな状況で、相手を気にするなと言う方が無茶だ。
ただでさえ目敏いソイールは、ミハに勉強を教えて貰う間、彼女の頼み通り、彼女の仕草や話し方にも集中していたのだった。
やや寝不足気味の朝。
ソイールはコネリーハウスへ早めに出勤すると、自分の仕事部屋ではなく、ディブラの方の個室へとやってきていた。
無論、彼に会うためだったのだが、その入口近くで、思いも寄らぬ人物に出会う事になる。
「あら、あなたは」
そのあなたはという言葉に、朝から嫌なものを見たみたいな意味と羽虫が部屋の中に入ってきているみたいな感情を込めているのは、我らがギルドリーダーたるアルマリア・コネリーであった。
「あー、ええっと……おはようございます。良い天気ですね?」
「今日は曇りだと思いましたけれど?」
「ええ、まったく。丁度良い天気って事です」
多分、ソイール自身の気持ちを表現してくれているのだと思う。今、この瞬間の。
「そ。で、そんな天気の良い日に、あなたはまた悪巧みでもしにここへ?」
「悪巧みと言うと、具体的にはどんな? いえほんと、そんな目的とかは無く、単に、今度受ける三等仲介人試験の参考書なんて借りられればと考えて、ディブラさんのオフィスにやってきただけなんですが……」
「あらそう。じゃあ、やっぱりわたくしにとっては悪巧みね?」
勉強の相談がそんなに悪い事だろうか。
首を傾げるソイールであったが、アルマリアの方は、若干、敵意の様なものを混じらせた目をしていた。
「そんなに、このギルドに泥を塗り続けたいと言う事ですの? あなたみたいな人間が、わたくしのギルドで働き続けるというのは、確かにわたくしにとってのダメージですけれど、そこまで必死にしがみ付こうとする事かしら? 何なら、幾らか退職手当に色を付けてさしあげますから、今すぐに諦めて―――
「別に、お金のためにここに居るわけじゃあないんで。あ、けど、給料は欲しいですけどね」
黙って居られない事を言われた気がしたので、ソイールは口を挟んだ。
正直なところ、別にしなくても良いことをしたという実感と後悔が浮かんで来ていたが、言ってしまった事は仕方ないかと、最後まで言う事にする。
「あなたへの嫌がらせのためでも無い。勿論、このギルドに泥を塗るために、ディブラさんに利用されてるわけでも無いです」
「でしたら……何が目的で?」
「一人前の人間として見て欲しいって、それだけです。仕事をするって、そういう事でしょう?」
「……」
ごくごく、当たり前の理屈であるとソイールは思う。自分で働いて、自分で食べて行く。そのために自分の才能を使うのは、そんなにおかしい事だろうか。
もっとも、今は三等仲介人ですら無い身であるが。
「でしたら、それを見せてみなさい。半人前が身を置ける程、わたくしのギルドは甘くありませんわよ?」
「ええ、勿論。そのつもりです。試験の結果発表日を楽しみにしていてくださいね」
それだけ伝えると、別れの挨拶もせずに、アルマリアは去って行った。一難は去ってくれたと考えるべきか。
「……行ったか」
と、すぐ近く。ディブラのオフィスの扉から、当の本人が顔だけ出して、ソイールに尋ねて来た。
「僕が絡まれてる状況を知って、それでもただ、様子を伺ってたんですか?」
「面倒事に巻き込まれるのは誰だって嫌だろう? 私は彼女を嫌いではないが、苦手は苦手だ」
彼女が得意な人間なんているのだろうか。
それを思うと、ディブラの様子も理解できるが、それはそれとして愚痴は言いたくなる。
「で? 僕が朝からいやーな気分になった責任って、誰が取ってくれるって言うんです? だいたい、彼女、あなたのオフィスから出て来ましたけど、いったい何の用だったんで?」
「長話の予定なら、廊下じゃなくて部屋に入ってこい。丁度渡したいものもある」
それだけ言うと、ディブラは自分のオフィスへとまた入って行った。
(いちいち挨拶を省きがちなのがこのギルドのマナーなのかな?)
思いつつ、ソイールもディブラのオフィスへと入って行く。入り、扉を閉めたタイミングで、本が一冊投げて寄越された。
「っと、え? 何ですこれ……仲介人を目指す上でのハウ……トゥー?」
「欲しいのはこれだろう。試験の日まで貸してやるから、足りない時間を少しでも補え」
「は、話が早いというかなんというか……」
もしかしなくても、今日くらいに参考書目当てのソイールが来る事は予想できていたのかもしれない。
「今日、取りに来ない様なら、望みは薄いなと思っていたところだ。まだ可能性はあるぞ、喜ぶと良い」
「人を試す様な事をしてたって事ですか? 昨日、仲介人心得を渡して来た時から!?」
少し怒りたい気分である。時間が無い事を分かっているのなら、それを少しは大事にしてくれても良いだろうに。
「結局、自分から察して動けない人間に、今後もあのギルドリーダーの下で働くのは難しいと、そういう話だ」
「知ってます? 僕、何でもギルドリーダーの下じゃなくて、あなたの派閥だと思われてるらしいですよ、周囲から」
「そうして私は、現ギルドリーダー、アルマリア・コネリーの部下をしているつもりだ」
だからソイールも、ギルドリーダーという頂点の下にいる人間の一人だと言いたいらしい。
「ディブラさんがそう考えているのに、なんであの人はあなたを目の敵にしてるんです? おかげで僕までとばっちりだ」
「君が目を付けられたのは単に朝礼に遅刻してきたからだろう」
「あーはいはい。そうですね。で、ディブラさんの方は、何時、遅刻して目を付けられたんです?」
状況を知るにつれ、こと、アルマリアに限って言えば、所詮、ソイールなどついででしか無いのだと気が付く。ギルドリーダーの当たりが強い原因は、ディブラの方にこそあるのだ。
「彼女がまだ、ひよっこ以前の子どもだった頃は、懐かれていた記憶もあるのだがな」
「子どもなんて、何時かは性格がぜんぜん違う大人になりますよ」
「かもな。そんな大人な彼女に、私は嫌な人間に映ったのだろう。それだけの話だ」
こういう風に構えているから、アルマリアの方だってつんけんしてしまうのではなかろうかとソイールは思った。
もっとも、思うだけに留めるくらいには、安易に踏み入れるべきではない関係があるというのも知っていた。
「それで? 僕が無事、試験に合格したら、ディブラさんは嫌われると思いますが……どうします?」
「合格してから考えよう。別に、君がそれだけの事を出来る人間だと、証明してくれたわけでも無いだろう?」
「それを言います?」
随分と舐められた発言だと考える。
確かに、ソイールは未だこれぞと言う能力を示せていないかもしれないが、そんなソイールに可能性を見出したのが目の前の男では無かったが。
「行動で示せば、後は何だって付いて来る。その本を貸してやったことを、無駄だと思わせない様にしてくれ。それじゃあ私はここらで」
言いながら、ディブラはオフィスから出ようとする。
「部屋の中で仕事じゃないんですか?」
「三等仲介人は来る客の世話だけしていれば良いかもしれないが、それ以上ともなると別口が多くてな。あまりここにも落ち着いていられない。ああ、すまない? 確か、三等にもなっていない仲介人だった? なら、知らない事だろう」
そんな言葉を残して、ディブラは部屋を去って行く。
残されたソイールの方は、それが自分へのわざとらしい煽りだと理解しながらも、心が湧き立つ心地があった。
「やってやろうじゃないか」
限られた期間の中で、もっとも大事なのは時間の配分だ。
時間をひたすら有効に使う事。それをした後に、漸く結果は付いて来る。
ソイールがまず始めた事は、変えられない就業時間を根本に置き、一日に試験勉強の時間をどれだけ置けるかを考える事。
食事を楽しめないのは中々に嫌な事であったが、まっさきに削れる時間だったので、最低限にしておく。
朝起きて、朝食を取りながら視界に参考書を入れる。昼食は早く食べ、早く終わらせ、午後の仕事が始まるまでは仲介人心得に目を通しておく。
仕事そのものも、だらだらと続かせない事も重要だった。面倒な客を長引かせ、最後の仕事が夜まで続けばそれだけ本を読む時間が削られる。
睡眠時間については、その次に気を使う。こちらについては削れば良いと言うものでは無いからだ。
眠気を残していれば、それだけ試験勉強にも仲介人としての仕事にも身が入らない。最低限のラインは、最低限眠気が残らない時間を睡眠に使うと言う事。
それを理解して、だいたい一日に五時間程度が自分にベストであると判断する。
(いやまあ、もうちょっと取りたくはあるけど、期間が短い分、十分に耐えられる)
ぐっすりとした休みは、試験が終わってからにしようと心に決めたソイールは、三日程をそんな風に過ごし、さらに今もまた、昼食が終わった後のギルド員用の休憩室で、仲介人心得を読み解いていた。
「一度目を通せば忘れないなんて人間も居るらしいね。まったく、便利な能力だ」
「けど、ソイール君はそんなのが無いんだから、頑張らないとだよ。あ、けど、実際、頑張ってるって思うけどなぁ」
休憩室と言っても、あまり清潔に掃除されている風では無いその場所で、わざわざミハの方もソイールの試験勉強を手伝ってくれていた。
彼女自身の試験の手伝いだってしているソイールであるが、それにしたって面倒見が良すぎる気がした。
「どうだろう……僕って、そんなに見込みありそうに見えるかな?」
「そこは断言なんて出来ないかな。まだ、ソイール君がどれくらい出来るかも判断できないし」
彼女の言う通り、そんな評価すら難しいのがソイールの立場だった。誰かに評価されたければ、もっと長く、このコネリーハウスで働かなければならないとも思う。
だからそのために、試験だって合格しなければならない。
「僕なんて、今はそんな程度か。だって言うのなら、ミハの方は何で僕の面倒をここまで見てくれているんだい? 夜の方の勉強会だって、かなり助かっているっていうか、申し訳ないくらいなのに」
「前にも言った通り、私にとっても勉強になるから……じゃ、理由にならない?」
「その理由、幾らか考えてみたんだけど、結構曖昧な答えだよね?」
ソイールの性格を真似ようとしているのか、ソイールにただ面接の練習を手伝って欲しいだけなのか。それとも、ソイールの何かが緊張をほぐしてくれると考えているからか。
「ううーん……ソイール君から、何かに挑む態度? みたいなのは、すごく参考になるとは思っているんだ」
「神経が図太い方なんじゃあないかって、僕自身も思っているよ」
「それを見習いたいから……ソイール君の何が、あなたの姿勢を作り出しているか知りたい。だからこうやって、出来るだけ時間を一緒にしてる。うん……多分、そうなんだと思う」
あなたをもっと知りたいから。恐らく、要約すればそんな理由になるのかもしれない。
一歩間違えればラブロマンスにも思える言葉であったが、やはり間違えない様にしておこうとソイールは考える。
夢を見るなら、裏切られないくらいには現実を見なければ。
「褒められたって思っておこう。よーし。それじゃあちょっとした恩返しだ。さあてミハ君? 君が仲介人を志しているのはどうしてかな?」
「あ、さっそく面接の練習が始まった。ううーん。そうですね、やはり、世の中に必要不可欠な仕事だと思うからです。冒険者の方々は皆、仕事を求めていますし、そんな状況で放っておけば、仕事を求める方々は暴徒にも成り得ます。けれど、仲介人という存在は、それを押し留め、むしろ未来をより良き物にする仕事じゃないかなと思って……けれど、一つ訂正。志しているのではなく、今も私は、仲介人の仕事を続けています」
「良くスラスラとそういう言葉が出て来るのよね。それも暗記?」
自分が面接官なら、満点でも付けようかと考えるミハの言葉。立派過ぎて、少々、嘘くさくもあるが、面接と言うのならそれくらいするべきなのかもしれない。
「暗記と言うより、やっぱり方向性の理解かな? どういう受け答えが望まれてるかって、合格した人たちを見ていればなんとなく分かるし」
「おっと、ミハ君。ざっくばらんなその発言は、面接においては命取りだよ?」
「ええ!? ま、まだ続いていたの!? ええっと、その、はい。今のはあくまで一般論の話で、えっと……」
驚くミハをソイールは見つめる。何時もよりも鋭く。恩返しと言うのなら、それくらいはするべきだろう。
だからソイールは、ミハの言動に注意を払う。
【息を整え始める彼女】……その仕草がこちらから良く見えた。
【こちらに目を合わせ直すまでの時間】……呼吸においては三度程。
【面接開始時と今とのギャップ】……驚く程に違う。
「トラブルに弱いし、弱いって分かる仕草が多いね。失敗は誰にでもあるのに、その失敗に対するダメージが他の人間より大きい様にも見える」
「んんっ……あー……やっぱり、そうなんだね……」
少々、気落ちした風のミハ。ソイールの指摘は間違っていないと言う事だろう。ならばこれから、幾らか指摘する部分についても、的外れのものではあるまい。
「なまじ、最初の印象が良いだけに、その後の失敗が大きく見えてしまう。その実、それほど大変な事でも無いのに。少し、手を抜く事も必要かもね」
「手を抜くって、それこそ、試験に通れないと思うんだけど……」
「百点満点で試験に通る人間なんて、殆どいないと思うよ。大半が九十点とか八十点とか? そういう評価をされて、無事に合格してる。ミハはさ、十点減点される事を怖がって、三十点くらいの減点をされてしまっている風にも思える」
面接の練習はこれが最初ではない。何度か行って来た中での、的外れではない評価のはずだ。
だからこそ、ミハは侮辱されたと言う顔では無く、深刻な表情を浮かべていた。
「余裕を持って受け答えしろって、他にも助言された事はあるの……最初は、勉強や対策を頑張れば良いんだって受け取ってたんだけど……」
「それはつまり、もう基礎は十分に出来ているんだから、もう少し応用して受け答えが出来ないのか……みたいな意見だったと」
「そう。だけど……指摘されたらすぐに出来るって物でも無いから……困ってる、かも」
困っていると言うよりは、今にも泣きそうな顔と表現するべきかもしれない。
これまで何度か試験に落ちたと聞いているから、既に自覚した上で、それでも試験に通らないと言う現実を認識しているのだろう。
「普段、仕事中は、それこそ上手く受け答えが出来ていると思うけどね。少なくとも、僕なんかより澱みなく出来てる」
「仕事と面接でのやり取りを結びつけるっていうのが、どうにも出来ないっていうか……ほら、仕事中は、何かこう、ある意味、仕事だからこその無心みたいなところあるでしょ?」
「うーん」
最善を選ぶ事以外は考えない。そういう心境はあるかもしれない。失敗する事もあるだろうが、失敗した後、失敗したと落ち込む時間だって仕事中は無いのだ。
挽回しようとか、汚名を返上しようとか、そういう事すら考えず、ただ、次の最善を選ぼうとし続ける。そんな感覚。
そんな感覚を、面接の時には忘れてしまう。ミハの状況とはそういうものなのかもしれない。
「やっぱり、勉強についてが出来過ぎているから、余計な事まで心配している様に思える」
「試験で出来過ぎてるって事は無いんじゃない?」
「筆記ならそうだけど、面接だからね。高得点を狙うよりも、最後に良い印象を残せた方が勝ちなんだ。いっそ、最初に失敗してみるのだって良いかもしれない」
「そ、そんな事、出来ないって!」
そういう大胆さが無い。そこが、ミハが試験を落ち続ける原因なのかもしれない。
(基礎的な知識は十分なんだから、あと一押し、背中を押せれば良いんだけど……)
今はそれが思い浮かばない。そもそも、他人を気にしている場合では無いからかもしれない。
「いろいろ悩んだところで、最終的には練習や勉強を続けて、自信を続けていくしか無いのかなぁ」
そんなミハの呟きについて、曖昧にソイールは頷いて置いた。前に進むのだって楽ではない。つくづくそう思い知らされる休憩時間になってしまった。
もっとも、それもそろそろ終わる時間だ。
限られた時間なんてものはすぐに終わる。焦れば焦る程に、体感時間は早く過ぎて行く。
次の日に試験を控えた日だって、本当にすぐだ。さらに一日過ぎれば試験の当日。
だって言うのに、ソイールは今日も仕事をしていた。
しかも、厄介な相手を目の前にしての仕事。
「帰って来たわよ! 帰ってきたわよ私! 沼に生えた藻がね、生きてたの!」
「そりゃあ、植物は生きてますよ。知りませんでした?」
ソイールにとっての仕事とは、つまるところ、厄介な冒険者と会話を続けるというものだと最近理解し始めた。
狭苦しい個室だと言うのに、さっさと会話を終えようとしない冒険者を相手に、愛想笑いを浮かべながらその話を聞き、常にこの話をどうやって打ち切ろうかと考える。そういう仕事だって、給料を貰っているのだからしなければならない。
ソイールの予想より一日程早く仕事を終えて来た女冒険者、ヤーシャ・ビーンズを相手にしながらそう自分に言い聞かせる。
この時間だって、試験勉強に当てられればどれほど良いかと思うわけであるが、仕事そのものを雑にして、ディブラに失望されるというのも腹が立つ。
だからこそ、何度目かになるヤーシャの愚痴を聞き続けているのだ。
「普通の植物はね!? 人型になって襲い掛かって来ないのよ! 分かる? そういう事があったって言ってんのよ私!」
「で?」
「でって」
「燃やしたんでしょう?」
「そうだけど……」
「おめでとうございます。報酬については事前の取り決め通り、ギルドの方からお渡しさせていただきます」
言うだけ言うが、ギルドから金銭を預かる程にソイールはギルドから信頼されていないため、別の窓口で受け取ってもらう事になる。
何にせよ、報酬受け取りの話になったら、この部屋から去ってくれる事になるので、さっさと話を進めたい。そう思うのであるが……。
「そうだけどそうじゃないのよ! 単に植物を燃やすだけの仕事だと思ってたのに、それ以上だったって事! どういうことなの!?」
「どうと言われましても、変な植物とは事前に説明しましたよね?」
「世間一般的に、二足歩行する植物は単なる変な植物じゃあ無いっつってんの!」
「そういうものを指して、普通だなぁとは僕も思いたく無いですねー」
冒険者の感性というのは常人離れしていると言われるが、元冒険者として、そんなぶっ飛んだ感性をしているのはごく一部だけだと言いたいところだ。
「はぁ……はぁ……だからね、報酬のアップを要求するわ、私」
「あ、その件でしたら依頼主の方までどうぞ。僕の管轄ではちょーっと無いと言うか。知ってます? 法律で禁止されてるんですよ」
「なんでよー! 苦労した仕事を、予定より早く、きっちりと終わらせたって言うのに、ボーナスも何も無いわけ!?」
だからそういう話は依頼主に直接言って欲しいと伝えているのであるが、中々にヤーシャは納得してくれない。
「苦労しましたね。大変でしたね。すごい、頑張りましたね! ええっと、あと三つくらい並べれば満足してくれますか?」
「ぜんっぜん満足できないんですけど? あー、もうほんと不運。私って何て不幸。このペンダントだって偽物の安物だし。良い事なんてこれから先、ずっと無いんだわー」
「そのペンダント……まだ持ってたんですか」
「高いお金出して買ったもんよ? そこらに捨てる事も出来ないから、一応は持ち歩いてんの」
「それは物持ちの良いことで」
未練がましいとも言えるだろうが、言ってしまえば喧嘩になる事をわざわざ言葉にはしない。
「物持ちが良くったって、お金を持てなきゃ意味無いでしょー! 何とかしてったら何とかしてよー!」
「あーはいはい。分かりました。分かりましたよ」
ソイールは不承不承と言った様子で、机の下に手を入れ、紙とペンを取り出した。
「依頼人への紹介状をこっちが書きましょう。冒険者と依頼人が直接報酬交渉をするのは大丈夫だったはずですし、想定よりも大変な仕事で、想定よりもしっかりしてくれたって事で、幾らかその報酬に便宜を見てくれって感じで良いです?」
「まあ、嬉しい! そうそう、最初からそうしてくれれば良かったのよ」
最初からそれで納得してくれるのであれば、わざわざこれまで話を続けていなかった。
(これくらいなら、僕の権限でも出来るし、だからこそ、紹介状を書くって事で、納得して貰わなきゃならなかったけど……上手く行った)
誠意を見せるにしても、見せ時があると言う事だ。ヤーシャみたいな勝気なタイプは、最初にへりくだれば調子に乗られてしまう。
だからこそ、最後にへりくだるわけだ。精一杯の譲歩を、ヤーシャ自身が引き出したと思わせるために。
「それで? 実際、人間の形した藻ってそんなに燃やすのが大変だったんですか?」
「水からわざわざ出て歩く藻よ? 燃えにくいわけ無いじゃない」
まあ、実際はそんなものだろう。世の中、大した事なんて起こらない。変わった事が起こったとしても、全力を出せば何とかなるものだ。
(明日の試験にしてもそうだと良いけどね……)
そんな事を願いつつ、ソイールは紹介状と共にヤーシャを追い返す。時間的には、彼女が最後の客になるだろう。終業時間をやや過ぎており、片付けさえ終わればギルドを出たって構わない。
(今日は……ミハの方は用事があるんだっけ)
何時もなら隣の個室から顔だけ覗かせて来てくるのであるが、珍しく休暇を取っている。恐らくは試験に対する最後の追い込みをしているのだろう。
帰りに部屋を立ち寄るかどうか迷う。邪魔するのは悪いが、これまで共に試験対策をしてきたのだから、挨拶くらいはしておくべきか。
「そもそも、僕だって今日くらいは休暇を取りたかったよ」
「まだまだ、そんな立場になれていないだろう?」
片付けも終わったし、そろそろ帰ろうかと立ち上がったタイミングで、良く知った声で話し掛けられる。
と言っても、ディブラ・ノックスがわざわざソイールの仕事場にやってくるのは稀であった。
「確か勤務日数が一定を越えた段階で、休暇の許可が貰えるんでしたっけ?」
「仕事を続けていれば、どうしても仕事に出られない日というのもやってくる。それを怠慢では無く、制度として認められるのが、健全な組織と言うものだ」
「僕だって、今日はどうしても仕事以外の事をしたい日ではありましたけども」
「まだまだだ」
それはやはり、ソイールがそういう立場では無いという意味か、三等仲介人の試験なんて、焦る程のものでは無いという意味か。
(多分、どっちもだな)
いちいち、言葉のあちこちに複数の意味を込めて来る男の言う事だ。どんな意味があるかなど、考えたところで疲れるだけだろう。
「で、そんなまだまだな人間が、これから試験勉強のために帰宅するのを、邪魔しにでも来たんですか?」
「わざわざそんな面倒な事をする人間に見えるか? 私が?」
言いつつ、部屋の中へと入って来るディブラ。と言うより、ソイールに近づいて来たと表現するべきか。
「しません? 面倒な事? 結構、してる印象ありました」
「ふん? 確かに、人間としての価値なんぞ、無駄で面倒な事をした回数に寄って決まるか」
「けど、無駄で面倒な事にされてる人間にとっては、結構ショックな話でもあります」
「なら、喜べ。別に無駄な事をしに来たわけじゃあない。というより、忘れるな。君にとって大切な事だ。随分とな」
ディブラはそう言いながら、制服の内ポケットに手をやると、一通の封筒を渡して来る。
ある程度の厚みのある、そんな封筒だ。
「えっと……」
「忘れたか? 今日は給料日だろうに。君にとっては初めての」
「あ……そ、そうだった。試験の前日が給料日だって、なーんで忘れてたんだろう」
前にもこんな風に、ディブラから封筒を見せつけられた気がするが、今回については躊躇なく受け取る。当然の権利。そう考えられるものではあった。
けれど、その厚さと重さには、どうしても高揚感が生まれる。
「結構……入ってますよね?」
「大手ギルドの仲介人としての給料だぞ? 安いわけも無い。喜んで使え。もっとも、それが最後の給料にならなければの話だ」
もし最後ともなれば、惜しんで使えとでも言うつもりか。
この高揚感を何度でも味わえると言うのなら、幾らでも努力をしてやろうとソイールは思える。
「その表情。ここに来たのは、どうにも無駄な行動じゃなかったらしいな。直接渡したのも良い手だったか?」
「ま、感慨は深いですよ。兎にも角にも、あなたの手から渡される初めての給料って言うのは」
「そういうのなら、どんな方法で恩を返せば良いか分かっているな?」
「恩返しなんてつもりは無いですけど、次の給料も、あなたの手から貰ってやりますから、期待しといてください」
「どうなろうと、期待なんて出来やしないな。部下に給料を渡すのに、何でいちいち感動しなきゃならん」
この男はそういう返しをする男だ。けれど、それでも、自らの手でソイールにとって大切な物を渡してくる。そういう男でもあった。
「さーて、僕の方は喜んでいますから、自室に帰るまでは、この給料を何に使うかを考える楽しみを満喫しましょうかね」
「西大通りにあるマギーステップという店がオススメだぞ。良い肉料理を出す」
「おっと、さっそく無駄金を使わせるつもりですか? そうは行きませんよ?」
「ふんっ。人間の価値なんてものは、どれだけ美味い飯を食えるかで決まるもんだ」
昼食を手早く済ませるタイプの人間が良く言うなとディブラに返したくなるも、その前に、ソイールはある事を思い付いた。
事と言うよりは、考えと言うべきかもしれないが……。
「あ……ええっと……うわっ」
「どうかしたか?」
「いえ、その……初めての給料の使い道、さっそく一つ思い浮かびました! すみませんディブラさん! ちょっと僕、急ぎの用があります!」
「出来た、だろ。したい事があるならさっさと行け。今の君には、兎に角時間が無いだろう」
言われなくとも急がせて貰う。恐らく、彼女はまだ、遠くまで行っていないはずなのだが……。
試験日当日。ついにやってきたその日ばかりは、ソイールはコネリーハウスで無く試験会場のある公舎へと向かう。
勿論、国が管理している大きめの建物なのであるが、どこか古びた印象も受ける。
本来は兵隊の詰め所だったそうであるが、街が拡大する中でその用途では使われなくなったらしく、何時の間にか、試験会場などの一時的に人を集めるイベントのために使われる様になった。
(古臭さは時に物々しさに繋がるって事もあるか)
やや黒い染みなども見られる赤レンガ造りのその建物を見て、ソイールはさすがに緊張みたいなものが心に浮かんでくる。
(そんな事を隣にいるミハに話したら、今さら漸く緊張し始めたのかって驚かれるかな?)
まだまだ日が昇り始めたばかりの早朝に、ソイールはミハと二人して試験会場へとやってきていた。
試験開始までは時間があるものの、早く来て悪い事も無いだろうとの判断だったが、隣のミハの様子を見れば、少し失敗だったかなと思う。
「前よりも、もっと努力してきた。じ、自信もあるし、ちゃんと必要な部分は暗記出来てる。大丈夫、大丈夫」
ミハのその言葉は、周囲には聞こえないぼそぼそとした物であったが、それでもソイールに聞こえる程度は、周囲を気に出来ていない。
つまるところ、まったく余裕の無さそうなのが今のミハであった。
こんな姿を見せられれば、ソイールの方の緊張なんて簡単に吹き飛んでしまうし、何とかしてやらないとと思う様にもなるだろう。
「まずはどっちも筆記からだろ? そこまで緊張する事は無いって」
「ううん。その順番が問題なの。だってだって、後に大変な物が残るって事だよ? ずっとずっと、後に面接があるんだーって焦り続けなきゃならないんだよ?」
そんな義務も無いだろうに。どうしてここまで悩む事があるのかとソイールは思うものの、お互い、きっと心の作りが違うのだろうと結論を出す。
結局、お互いの内心を完全に理解し合うのは不可能なのだ。解決策なんて、最終的には自分で探し出すしかない。
「あー……だからまあ、出来る事って言ったら、やっぱり背中を少し押してあげるくらいか」
「え? 背中を擦る?」
「まあ、そうした方が良さそうな顔色ではあるよね、ミハ」
普段からは想像も付かない、緊張と不安で真っ青な顔色。普段通りに出来れば、筆記も面接も十分に合格できる実力を持ちながら、今もまだ三等仲介人である理由がきっと、ここにあるのだろう。
「うう……今回は、筆記の方も上手く行かなさそうな気がしてきた」
「多分、そうなるだろうね。今の状態だと……」
何と励ますべきか。考えてみるソイールであるが、良い言葉は思い浮かばない。
だからこそ、行動で示す段階なのだと考える。
「はい、そんな君にこれ」
ソイールはポケットからペンダントを取り出して、ミハに示す。
「え? これは?」
「不思議な魔法が掛ったペンダントらしいよ。見れば心を少しだけ落ち着けてくれる。そんな色、してるでしょ?」
だからそんなペンダントを、そのままミハに渡した。まだまだ緊張残っている彼女は、それを素直に受け取ってくれる。
「その……御守りみたい……な?」
「元々は腕のある冒険者が持ってたペンダントでね。確かな効果があるはず。僕の初めての給料で買ったのがそれだから、御守り以上の効果を期待して欲しいけど」
「そ、そんなっ。いきなりそんなのを貰うなんて悪いよっ」
「これまで勉強を手伝って貰ったじゃないか。これはそのお礼。試験にはさ、心置きなく挑みたいから、ここで恩を返させて欲しいんだ」
言いながら、ペンダントを返そうとしてくるミハの手を押し返す。このペンダントはミハのために用意したものなのだから、そのまま受け取ってくれる方が嬉しい。
「う……うん。そう言うなら……けど、本当。なんだが安心してくる……様な? 魔法のペンダントって言うくらいなら高かったんでしょう?」
「初給料で買うものとしては、高かったかな。でもほら、それで難しい試験に合格できるんだと思えば、安い買い物かもしれない」
「た、確かに?」
逆にプレッシャーになるかもと、内心冷や汗を掻いていたが、ミハは納得してくれたらしい。
(それなら良かった。そりゃあ初任給で買ったものだし、あのペンダントの正体を考えれば高いと思ってしまうけど……それでも、子どもの駄賃にちょっと色付けた程度の額で買える程度のものに圧なんて感じて欲しくないもの)
つまり、ソイールがミハにプレゼントしたペンダントはそういう類のものだ。
ただ、子ども向けでは無く一応は大人向け。安いものを高いものとして売るための、詐欺師の商品。もっと正確に言うなら、女冒険者ヤーシャが騙されて購入したペンダントを、ソイールが買い取ったのだ。
「面接とかで緊張したらさ、そのペンダントを見ると心が落ち着くと思うよ。それだけの効果は絶対にある」
「ん……そう言ってくれるのなら」
ミハは頷き、ペンダントをポケットに仕舞ってくれた。
落ち着くと言う効果についてであるが、これは別に嘘では無い。少しの気休めがあれば試験に合格できるくらいに、ミハは能力のある女性だ。
なら、してあげるのはそれだけで良いし、それを信じ込ませるだけで良い。
(ま、これが僕の出来る限界でもあるんだけどさ。ちょっと背中を押してあげるくらいの……っていうか、今は僕自身の心配をした方が良いかも……)
「それじゃあ私からは、はい、これ」
「え?」
今度はミハの方から、包み紙に入った何かを渡される。
丁度、手に収まるくらいの大きさと重さであったから、特に考えもせず、反射的に受け取ってしまった。
「昨日、わざわざ休暇を取ったの、これを作るためでもあるんだ。私からの、試験勉強を手伝ってくれた事のお礼」
包み紙の少し開くと、クッキーが数枚、そこに入っていた。市販のもの程整ってはいない、それでもちゃんとした手作りのクッキー。
「渡すタイミング、もうちょっと早くても良くない?」
「ご、ごめん……さっきまで、その余裕も無かったの」
つまり、今は余裕が生まれ始めていると言う事。ペンダントを渡した価値があったし、クッキーを貰う事にも喜べる。
「うん。美味しい。やる気も出て来た」
「あ、さっそく食べてる!」
もしかして試験が終わってから食べるものだったろうか。けれど、さっそく一枚口に入れてしまったのだから、もうこれは仕方ない。手頃なサイズなのが悪いのである。
「どうせ合格するんだから、先に食べるのも後に食べるのも一緒だよ」
「ははは、凄い自信だねぇ」
「これは自信じゃなくてそういう気持ちが大事ってだけの話さ。勉強する時は謙虚にするべきだけど、本番なら、そう考えて挑んだ方が良い」
どうせ、準備の段階がすべて終わった以上、今の時点でほぼ結果は出ている様なものだ。あとは気持ちを整理するだけ。そうして前を向き、挑むだけ。
「……そうだね。それじゃあ行こっか。試験結果が出たら、二人でお祝いしよう。丁度ソイール君のお給料も出た事だし」
「美味しい肉料理屋を知ってる。何かを祝うならそこにしよう」
二人で笑い、そうしてそれぞれにとっての戦いへと挑む。
その結果がどの様なものであったかは、語る程のものでも無かった。