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第一話 「だから、その忙しかった仕事がこれだ」


 逃げ足はあまり良く無い。

 例えば路地裏。複数人の男達に追われている状況で、全員を振り払えるかと聞かれたら、そうも出来ないと答えるし、実際、今がそんな状況だった。

「はっ……はっ……はっ……」

 自身の息遣いだけが耳に入って来る。その息にだけ集中する事で、なんとか疲れを忘れて走り続けた。

「てめぇ! 待ちやがれ! 落とし前を付けてやるってんだよ!」

 嘘を吐いた。自分の息遣いだけで無く、しっかりと追って来ているチンピラ達の罵詈雑言も聞こえている。

 もっと言えば、疲れを忘れる事も出来ていない。足は今にも折れそうで、心臓はバクバクと悲鳴を上げていた。

 そろそろ、本当に倒れそうな気にもなって来る。

(なんで……なんでこんな目に遭っている?)

 ソイール・ラインフルは自分で自分に問いかける。

 思い返すは何もかもの一番最初。故郷を飛び出す事に決めた夜。

 故郷では少し変わった人間で、尚且つ、他人とは違った才能を持っていると思われていた……はずだ。

 ソイール自身、自分は他とは違う何かがあると感じていた。

(ああ、そうだ。それが間違いだった。僕に才能があるだって? そんなの、現実には何の意味も無い)

 けど、その頃の自分は気が付かなかったし、だから冒険者になろうなどと考えた。

 都会では今、世の中に溢れている神秘や未開と言ったものを開拓していく、冒険者という職業が流行っていると聞き、何かこう、選ばれた人間がなるものだと、無知にも思い込んで故郷を旅立ったのだ。

 その後は色々あった、故郷を出て、街にやってきて、自分の才能とやらが大した事の無いものだと知り……ああ、もっとも後悔したのは、冒険者などと言う職業が、一握りを除いて、大して儲からない、苦労だけする仕事であった事だろう。

(くそっ……くそっ! 確かに食うに困ったさ。故郷を出る時に親から貰った餞別だって使い果たした。明日を迎えるための宿代だって困ってるし、屋根さえあれば良いかなんて思う日々だった! けど……こんな事になるなんてっ)

 どうにもソイールは、チンピラ達の怒りを買ってしまったらしい。

 今の状況を端的に説明するのであれば、そんなチンピラ達から死に物狂いで逃げつつ、人の居なさそうなところに追い詰められ、遂には捕まりそうになっていると言った具合か。

 状況にもう一つ付け足そう。今、自分は躓いて転んだ。

「あっ……ぐっ、うう……」

 転んだ時の衝撃はそれほどでも無かった。頬をしこたま打ったが、その痛みだって、これから襲ってくる連中の暴力に比べれば、きっと大した事はあるまい。

「に、逃げ……あっ」

 痛みなんか無視して逃げよう。そう考えているのに、身体は動かず、そうしてニヤニヤと笑うチンピラ共は近づいて来ていた。

「おいおい。ここまでかい? 天下の冒険者なんて言っても、こんなもんか! いや、冒険者だからだよなぁ? ソイール?」

 嘲笑いが耳に響く。チンピラ連中はソイールの立場を知っていた。

 どこにでも居る、夢を見て都会へやってきて、夢が破れて、そうして社会の下から数えた方が早い階層の人間になった、そんなソイールの立場を。

 チンピラに知られる様な、チンピラに近い立場の人間。それがソイールという青年の、今の立場だったのだ。

「ふざ……ふざけるなよっ。そりゃあ僕は大した事は無い。けどな、お前らみたいに無力な人間を襲って悦に浸る様な趣味はしてないんだよ!」

 どうせ暴力に晒されるなら、啖呵だって切って見せる。そのつもりの言葉であったが、相手が抱いたのは怒りでは無く、やはり嘲りの感情だったらしい。

「他人様のポケットから財布を盗む人間ってのは、悪い趣味じゃねえのかい? ソイール。ああ、それとも趣味じゃなく生きるためだったか? そいつは立派だ! 生きるためなら何だってしても良いよな? 俺らみたいによ!」

「そ、それは……」

 チンピラ達は、ソイールの言葉に心を動かされはしなかった。

 相手が我慢強いのではない。ソイール程度の人間に何を言われたところで、一切傷つく事は無い。そういう人間だとソイールは見られていたのだ。

 それが今、何よりも悔しい。

(僕は……僕はその程度の人間か?)

 そんな人間に自分は堕ちてしまったのか。だとしたら……そんな人間にいったい何の価値がある。

「まったくだ。生きるためなら何をしたって良い。そんな言葉を吐くのは、三流の人間だろう」

 と、チンピラ達の方からでは無く、反対側の道の向こうから声が聞こえて来た。

 凛として、静かな印象を受けるのに、それでいて良く通る低い男の声。

 ソイールがそちらを見れば、そこに声から想像できる外見通りの男が立っていた。

「えっ……と?」

 その男の第一印象は、チンピラとは正反対の人間であるというものだった。

 眼鏡を掛けた、中年と言える年齢だろうが、鋭さを感じさせる長身痩躯の男。着込んだ服は綺麗なもので、数日以上の期間、洗濯されていないという事は無いだろう。

 腰には一本、細長い剣が鞘へと収まり、姿勢は正しく曲がりを知らないと言うくらいに直線だった。

 歩き、道を進むその姿は、世の中に憚る事など一つも無いと言った風で、やはり、姿勢悪く歩くチンピラ達とは違っていた。

 男は必然、ソイールへと近づく様に歩き、そして通り過ぎる。

 単に通り掛かっただけである。そんな風に、今度はチンピラ達の脇を通り過ぎようとして、当たり前みたいにチンピラ達に絡まれた。

「おい。おっさん。今、もしかして俺達に喧嘩を売ったのか?」

「お前達に? お前達が、私に喧嘩を売って貰える立場かね? 身を弁えろ」

 ソイールの言葉は響かなくとも、突如現れた男の言葉は癇に障ったらしい。

 チンピラの一人が、手に持った角材の様なもので、男を殴り付けようとした。

 しかしそれは、ただそれだけで終わる。男は殴られていない。代わりに、角材を持っていたチンピラの方が地面に転がり、そうして悲鳴を上げた。

「うごおおおお!?」

 ソイールにも、何が起こったか分からない。転がったチンピラの方もそうであろう。殴りかかった瞬間に、自らの足を男の足で掬われ、ごく自然に転んだ。

 そうだとは思うのだが、その動きは素早く、そうして流れる様で、事が終わるまで気付けなかったのだ。

「今の狼藉は見逃してやる……と言っても、学べる人間じゃあないな、お前達は。だから言うが、全員叩きのめしてやるから掛かって来い」

 その言葉が合図となって、残りのチンピラ達が男へ襲い掛かった。

 最初に倒れたチンピラ一人を除いて、残りは四人。

 そう、残りと表現するのが正しい。立っているチンピラの数は、それこそ秒単位で少なくなったのだから。

「てめぇ! 舐め腐るのうごへぇ!」

 言葉の途中で、鞘が付いたままの剣に殴られ、一人が倒れる。

「なっ……おぐっ」

 倒れた一人に仲間が驚いている内に、そいつは腹を殴られて悶絶し始めたので、また一人減。

 残り二人がこのままでは危険と、二人して別々の方向から襲い掛かるも―――

「お前達、ぞろぞろと集まっている割には、連携がなってないのはどうしてだ?」

「がっ……ぐぅっ……」

 男を挟み込み、二人一緒に殴ろうとしていたはずのチンピラは、その拳が空振り、さらには勢い余って、二人してぶつかった後、二人揃って地面へと倒れた。

 そんな脇で、何事も無かった様に男が立つ。チンピラ連中に対して、最小限の動きで躱し、最小限の攻撃で倒す。それを事も無げにやってのけたその男は、次にソイールを目を向けて来る。

「こいつら存在に、何か意味があるとすれば、こういう人間と同類になるのは最悪だと言う事くらいだ。分かるか?」

 そんな同類がお前だと、ソイールは言われている。それくらいの事は分かる。頭は悪い方では無い……とは思うのだ。

 だから、その言葉には反論する。

「財布なんか取っちゃあいない」

「ん?」

「スリなんて仕事を始めたつもりも無いし、だからチンピラと同類扱いされるのは嫌だ。嘘だと思うなら、あんたの近くに倒れてる二人のポケットを探ってみろ。そっちのチンピラはズボンの右側。もう一人は上着の内ポケットに入れてる。他の二人についても教えようか。少なくとも一人は、最初から財布自体持ってない」

 捲し立てる様にソイールは男に言葉を投げ掛ける。男の姿が、あまりにも真っ当で、日の光を浴び続けている様な人間だったから、せめてこれくらいはと言いたかったのだ。

「……確かに。財布は持ったままだな」

 ソイールの言葉通りの場所を男は探り、そこで財布の存在を確認したらしい。

「そいつらの言い掛かりだ。僕は目敏いんだってさ。だから、スリくらいもする。勝手にそう思って、そうして自分達より下に見て来た」

「身なりを考えれば、そう思われても仕方ないと思うがな」

 男は多少、こちらに興味を持った様子だった。

 それくらいで満足するべきだろうか? 男の様な人種に興味を持たれるくらいで満足しておく身ではあるし……いや。

「確かに、僕は負け犬さ。田舎じゃちやほやされてた気もすこーしくらいするけど、実際は馬鹿にされてたんだ。都会でそれを思い知った。これでも冒険者でね。元じゃあない。今もそのつもりだけど、仕事を何度も失敗したあげく、役立たずだって言われた後に、仕事を回して貰えなくなった。けど、そっちだって同じ人間だろう?」

 これは挑発になってしまうだろうか。男は少なくとも、喧嘩の腕は立つ様子だ。男の怒りを買って、そうして暴力を受ければ、ソイールなんて簡単に倒れてしまう事だろう。

 別に、それでも構いやしないが。

「今、何と言った?」

「おっと、本当に怒らせたかな? けど、それでも、あんたは僕の同類さ」

「だからそれはどういう意味だ?」

「あんただって冒険者だろうって言ったんだ。けど、そこはむしろ僕が上かな。だってあんたは冒険者って呼ぶ前に、元が頭に付く」

「……」

 挑発が効き過ぎたのだろうか。男は黙り込んで、ただじっとソイールの方を見つめ始めていた。

「どうしてだ?」

「どうしてって、僕の立場の事? どうしてだろう。いや、何が悪いかって、やっぱり最初の選択が……」

「違う。そっちの人生なんぞ知った事か。どうして私が、元冒険者だと分かった」

 男は、別に怒っていなかった。というか、男の顔からは感情と言うものが見えて来ない。ただ純粋に、こちらに尋ねて来ている。そんな風にも見えたから、ソイールはつい、種明かしをしてしまう。

「あんたの格好。その眼鏡。光の加減から、片方しか度が入ってないって事が分かる。身なりだって良いけど、全体的に度が入ってる側だけ、ほんの少し、皺なんかが少ない。多分、より気を使った動きになってるからだ。つまりあんたの目は片方だけ、どうしてだか悪い」

「そうして?」

 続けろ。急に圧力が高まった気がする。その時点で、ソイールはむしろ恐怖と戸惑いを感じ始めていた。

「え、えっと……その剣。街中で不法所持する様な人間にも見えないから、帯剣許可を得てるはずだ。この街でそんな人間は王族か貴族か。身なりはしっかりしているけど、そういう風には見えないから、残るは冒険者って事になる。腕っぷしも良いし」

「確かに、冒険者なんぞは、どこぞで魔物を倒せだの盗賊をどうにかしろだの、そういう仕事ばかりだから荒事に向いているし、それを期待されて、一部は街中での武器の所持も許可されてもいる」

「だよね。ただ、その一部っていうのが重要だ。冒険者だからって誰でも武装させてたら、街の治安に問題が出る。あくまで、ちゃんと実績を残して、しかも暴れまわったりしない様な性格の人間に限られてるってわけ。つまりあんたはそういう人種だって事」

 姿を見せ、声を発し、さらには幾らか戦う姿も見せられた。ソイールにとって、そこまでの情報を与えられれば、相手がどういう人間かはすぐ分かる。

 ソイールは『目敏い』からだ。そういう才能を持っていると昔は思っていた。今は……それがお金を稼ぐ役には立たないという実感だけしか無いものの。

「で、冒険者である事は分かったが、どうしてそこから元を付けた」

「いやあ、ここまで分かれば後は簡単。ちゃんと実績を持っている冒険者であるあんただけど……そういう冒険者って、身体が健康じゃなければやってられない。そうじゃなければ、殆どは引退してる。あんたのその目。片方だけ悪いっていうのはだいたい……」

「ああ、そうだ。昔ここを剣で切られてな。見た目は治ったものの、視力は戻らなかった。だから冒険者としては引退したよ」

 けれど、やはり相応に功績は残したのだろう。だから今でも、街中で剣を腰にぶら下げられる身分と言うわけだ。そういう信用をこの男は得ている。

「で、それだけか?」

「んー……それだけだけど? あ、もっと根拠が無いのかって話だったら、あと十三個くらいは並べられるかな。おっと、今の動きで十四に増えた」

 少しは偉ぶりたかったから、三つくらい水増しした。バレてもどうせ、嘲笑われるだけ。それくらいなら慣れていた。

「ディブラ・ノックス」

「何? 何かの呪文?」

「私の名前だ。それで、今日の夜を過ごせるアテはあるのか?」

「どうだろう。今日はいけるけど、明日からは自身無いかな。そこに転がってるチンピラに追われる様な身だし」

「そうか。なら明日からだ。明日になって、急に空から生活費が落ちて来なければ、ここに来い。仕事を紹介してやる」

「なんて?」

 聞き返すソイールであるが、ディブラと名乗った男は何も答えてくれず、街のどこかの住所が書かれたメモ用紙をソイールへ一枚投げるや、すぐ背中を向けて歩き出した。

 それは歩いているだけだと言うのに、妙に早い。

「ちょ、ちょっといったい何の……明日? ここに? 仕事? ちょ、あんた! ディブラ・ノックスって言った!?」

「名前はしっかり憶えておけ! そいつに紹介されたと言わなきゃ、門前払いされるだけだからな」

 それだけは答えてくれたディブラであったが、それ以上は無く、ソイールは一人、路地裏の道に取り残される事になった。

「いや、一人じゃないね。さっさと逃げるか」

 転がるチンピラ。目の前に残されたそれらを見て、ソイールは頬を掻いた。




 冒険者ギルド『コネリーハウス』。その名前を知らぬソイールでは無い。

 街へとやってきた冒険者は、必ずどこかのギルドから仕事の紹介を受け、仕事を達成し、報酬を受け取る。

 ギルドは言ってみれば冒険者と冒険者に与えられる仕事の査定役であり、原則的には、仕事の依頼者と冒険者の仲介役として、両者に益を与える事を目的としている。

 最近は街の近くに、魔物と貴重な資源を有するダンジョンの様なものも発見されたらしく、冒険者の数と需要は増える一方で、ギルドの数についても増加傾向にあると聞く。

 そんな冒険者ギルドの中において、その組織力、コネ、在籍する職員数と言った点から大手と呼ばれる組織も幾つか存在していた。

 『コネリーハウス』はそんな大手冒険者ギルドの一つ。そのギルドこそが、昨日、ディブラに紹介された住所に存在するものであった。

「おお……も、もしかして、冒険者として評価されたってこと? 昨日の一件で?」

 ソイールはこれでも冒険者だ。コネリーハウスの様な大手では無いが、他のギルドで仕事を受け、仕事を行い、そうして失敗し、ギルドに仕事を紹介するべきではない人種というレッテルを貼られた男でもある。

 しかし、その流れは今、遂に変わったのだと実感する。

(あのディブラって人。凄腕の元冒険者ってところで、だから僕に何かを見出して、また冒険者として歩ませようとしたってところか。うん。そう、ここでなら僕は……)

 また冒険者として歩みを進められる。そう期待して、実際に足を一歩踏み出した。

 とても大きな建物だ。玄関口も同じくらいに大きくて、『コネリーハウス』と書かれた、やはり大きな看板が目立つそんな建物に入り、そうしてとても大きな男の腹に前進を止められる。

「おいおい小僧。ここはお前さんみたいな小汚い坊主が来られる場所じゃあないぞ?」

「小僧って、そう言われる年齢でも無いっていうか。いや、確かに背丈は小さい方だけど、それよりそっちの方が大きいんじゃないの?」

 相手の腹が映る視界を上にし、そこで漸く顔が合う。

 本当に背丈も横幅も大きな髭面の男がそこにいた。恐らく、制服を着ている事からして、『コネリーハウス』の警備員か何かだろう。

「舌はちゃんと動く小僧らしいが、残念だったな。冒険者ギルドっていうのは信用第一だ。うちは冒険者にしたところで、もう少しまともな身なりをしている連中のための場所なんだよ。な、分かってくれや、坊主」

「だから坊主じゃないって。ああ、ほら、そうだ。ディブラ、ディブラ・ノックスって人からの紹介で来たんだ。住所だけ書かれたメモ用紙しか持ってないけど」

 ポケットを探り、ディブラから渡されたメモ用紙を警備員に見せる。

 男はそのメモ用紙を、ソイールから半ば奪う様に受け取ると、それを見つめて眉をひそめた。

「確かに、ディブラさんの字だが……なんであの人が?」

 眉をひそめた後には首を傾げ始める警備員。いい加減、自分の方も見て欲しいとソイールは思う。

「ちょっと、ちょっと待っておけよ? いいか? そこを動くな? 分かったな! 動くなよ!」

 と、恐らくは本人にでも確認に向かうのだろう。警備員の男はソイールを解放するや、どこかへと走って行く。

「ん? ちょっと待てよ、じゃああの人、今、ここにいるのか?」

 元冒険者なのだろうが、何時も冒険者ギルドに居るという事も無いだろう。単なる偶然か。それとも……。

 考えてみるものの、答えは出ない。幾らか目敏く、ディブラと言う男の背景を予想したソイールであるが、実際のところはその程度のものだ。知らない事は知る事が出来ない。その人間の深いところなんて、深く付き合ってみなければ分からない。

 それをこの街に来て何度も実感した。今もそうで、その実感だけで時間を潰していると、去った警備員が漸く戻って来た。

「おい。許可が出た。付いて来な、ええっと」

「ソイール。ソイール・ラインフルだ。これから大物になる冒険者の名前さ。憶えておいてね」

 警備員にそれだけ伝えて、ソイールは彼に付いてく。何も分からないソイールであるが、そういう軽口を叩けるくらいには、今は有頂天になっていた。




 良い気分なんてものは簡単に終わってしまうものだ。期待をへし折られるという展開は何時もどこかで待っている。

 男、ディブラ・ノックスはそこにいた。冒険者ギルド『コネリーハウス』の大きな建物の中にある一室。幾つかの本棚と、日が差す大きな窓が取り付けられ、中央に大きな机を一つ置く、清潔感のあるその部屋。

 ディブラ・ノックスと言う男の仕事部屋だと聞かされれば、確かにそうだと納得してしまう、機能的なその部屋は、事実、ディブラ・ノックスのために用意されたオフィスなのだと言う。

「どうした? ボケっとして」

「いやその……え?」

 警備員はこのディブラの仕事部屋へとソイールを案内した後、部屋の中にいたディブラにソイールを一任して去って行った。

 残されたソイールはと言えば、ただディブラを見つめて戸惑うほか無くなる。

「私がどういう立場で、お前にどういう理由で紹介されたか。まだ分からないか?」

 そう聞かれても、何を答えれば良いのやら。ソイールはただ、冒険者として期待された結果、コネリーハウスを紹介されて……。

「その、部屋の中にある書類については、その多くが冒険者に紹介される仕事の関係に見える。あなた、ディブラさんがその仕事すべて抱えてるってわけでも無いだろうから、これはコネリーハウス側が冒険者に紹介するための準備書類だって言うのは分かる」

「ほうほう。なら、私がどうしてここに居て、どんな仕事をしているかについても分かったな?」

「冒険者ギルドは、お金を持ってる人や国から仕事を受けて、それを冒険者に紹介する。なんてのは誰だって知ってるけど、内部にはそれを迅速に、的確に行うため、かなりの数のギルド員がそれぞれの役職で働いているらしいから……その一つがあなた。そうなる」

 問題としては、そんなディブラから、ソイールは何を紹介されたかと言う点。何故、このコネリーハウスへ来る様に言われたか。

「そう。冒険者を引退してからは、依頼人から依頼を受け、適切な冒険者にその依頼を紹介し、仲介料をいただく。そういう仕事をしている。一応、部下だって持って良い立場でもある。今は居ないがね」

「はぁ、それはその……立派な仕事ですね? けど、そんな仲介役が僕なんかに……」

仲介人(メディエーター)。コネリーハウスではそう呼んでいる。憶えて置くと良い。真っ先に憶えておくべき事の一つだ。この仕事をする上ではな」

「僕は冒険者として期待されてたんじゃあない!?」

 ソイールは漸く、その結論に至る。いや、薄々気付いていたが、認めたく無かったから気付いていないフリを続けていた。

「おいおいおい。身体に後遺症が残る元冒険者に倒される程度のチンピラ連中に、必死になって逃げていたのは君だろう。冒険者としての評価なんてそんなものだぞ?」

「いえ、いーえ。そりゃあ分かってますよ? 分かってますけど、面と向かって言うのは失礼だと思わないんですか?」

「君と言う人間の能力を客観的に判断する中で、ある種、特定の職業についての適正に欠けている部分がある。故にその様な職業に就く事はオススメしない。こういう言い方で満足か?」

「はいはいはい。口の上手さだって敵いませんね。今、それも理解できました」

 手を上げて降参する。聞きたい事や尋ねたい事が幾らでもあるのだが、それらを幾つか捨てる。

 相手は恐らく……その多くを答えてはくれないだろうから。代わりに、相手が望むであろう話を進めさせて貰う。

「で、僕はあなたの言う仲介人(メディエーター)でしたっけ? その仕事に、どう関われと? まさか浮浪者くらいには生活に困っていた僕が不憫で、屋根のある場所を紹介したって話ではないでしょう?」

 目の前の男、ディブラは、相応の地位がある人間だ。少なくともそう見えるし、コネリーハウスの仲介人という仕事は、やはり社会的立場があると言えるだろう。

 だが、それでも、慈善家には見えない。目の前の人間の印象としては、もっと鋭い印象を受けた。

「これだ」

 本当に説明が少ない。ディブラはただ、自らの前にある仕事机に、紙の束を乗せただけ。

 その紙をソイールが見ろと言う事らしい。

「見た感じ、全部が冒険者への依頼文に見えるんですけど、やっぱり僕に、冒険者としての仕事をしろと?」

「それすべて行える程の能力を持っているかね? やって欲しいのは、これを他の冒険者に紹介するという仕事だ」

「それってつまり……それがあなたの仕事では?」

 仲介人などと言う仕事を詳しくは知らない。だが、名前だけを聞く限りにおいては、まさに冒険者に対して仕事を斡旋する仕事なのでは無いか?

「見て分かってくれるかと思ったが、まだそこまでじゃあ無いらしいから教えてやろう。私は今、忙しい。少々立て込んだ状況でね。代わりに、雑多な仕事をしてくれそうな人間が必要なんだ」

「それを僕にですって?」

「その頭のおかしい奴を見つけたみたいな目はやめておけ? だいたいは相手を不快にさせる。その目を向けられて喜ぶ相手がいたとしたら、それこそ厄介な相手でもあるしな。別に難しい仕事じゃあない。そこを見ろ」

 今度は部屋の端にある棚を見る様に促して来る。棚の上には服が一着畳まれて置かれていた。まだ新しい、デザインに何か統一がある様な、そんな服であるが……。

「これは?」

「それを着て、仕事をしろ。さすがに現場には案内してやる」

「もしかしてコネリーハウスの制服!?」

「まさかその汚れた格好のままさせるわけにもいかないだろう? さっきも言った通り、私は忙しいから、手伝いをしろと、そういう事だ。上手くやれば幾らか報酬も払ってやる」

「ほんとに正気かこの人」

 その汚れた格好をする人間に、いきなり仕事をさせる輩もいないだろうに。だが、冗談でもなんでも無く、ディブラの顔は真剣そのものだった。

「どうした? 人前で着替えるのは苦手か? 私だって男の着替えを見る趣味なんぞないから、目を背けておこう。終わったらすぐに言え。始業まではもう時間が無いぞ?」

「ああもう、時間が出来たら幾らでもあれこれ聞いてやりますからね!」

 ソイールは慌てて服を脱ぎ、着替え始める。疑問も不満も無いわけでは無い。というか、この状況でディブラの提案を受け入れるなんて間違っているとすら思える。

 だが、それ以上の事情がソイールにもあった。

「で、報酬を払ってくれるというのは本当ですよね?」

「言っただろう。上手くやればだ。失敗するなよ?」

 結局、あらゆる問題と言うのは、今日の糧を得るためという理由に寄り、後回しにされがちなのだ。




「けどなぁ、上手くやるって言ったって、何をどうしたら上手く行った事になるんだ?」

 ディブラに案内されたのは、まさに仕事の現場であった。

 コネリーハウスにおける仲介人は、冒険者に仕事を斡旋する場合、板で区切られた程度の小さな個室で、一対一で仕事を紹介するらしい。

 個室には小さな机と仲介人が座るための椅子。そうして机を挟んだ出入口側には冒険者用の椅子が一脚。それだけで個室は一杯だった。

「直にこの部屋にも冒険者がやってくる。お前はその冒険者を見て、その紙の束から、その冒険者に向いてると思える仕事を紹介しろ。やる事はそれだけだ。簡単だろう?」

 出入口の近くに立つディブラが、すぐにでもこの場を立ち去りたいと言った様子で、ソイールがやるべき事を説明してくる。

「はっきり言わせて貰えれば、ディブラさんって説明足らずですよね。苦手なんですか? 仲介人なんて仕事をしている割には、もしかして口下手?」

「しないで済む相手にはしない事にしているだけだ」

「僕はして欲しい相手だと思いますが」

「そうか。そりゃあ説明が足りなくて済まなかったな。ところで私は忙しいから、説明は後に回す事にする。じゃあな」

 手を雑に振ってから、本当に碌な説明も無くディブラは去って行く。

 残されたソイールは、暫くぼんやりとディブラが去って行った出入口を見つめていた。

 ただ、数秒後ははっとして自分の置かれた状況を理解した。

「いや、あの人なんなんだ? ええっと、仕事を、冒険者が来るから、選んで紹介すれば良いんだっけ?」

 ソイールとて冒険者であるから、その手続きについては何となく理解できていた。

 もっとも、ちゃんと依頼を受けていた頃の記憶は、何故か遥か昔の記憶に思えてしまっていたが。

「時間はどれくらいだ? ええっと、仕事の種類は……ほんとに色々あるな。ここから相手を選んで紹介しろって? そんな無茶な―――

「おーい、ここは空いてるか?」

 時間はそれほど無かったらしい。慌てて仕事内容が書かれた紙束を見返していた間に、来客がやってきた。

 見れば正真正銘の客だ。体格が良く、頬に傷がある男。他の場所で会えば恐怖を抱き、ヤクザか何かかと思えてしまうところだろうが、冒険者ギルド内であれば、簡単に冒険者だと分かってしまう。

「え、ええ。その、はい。見ての通り、椅子だって空いてます。はい」

 来客対応なんて碌にした事が無い。椅子が空いているのだから座れば良いだろうと手で示すものの、それで正解かが分からなかった。

「なんだ? 見ない顔だが新人か? へへっ。だったら丁度良い。俺はダックス。これでも熟練の冒険者でな。それなりの仕事を回して欲しいわけだが」

(なんか、舐められてる様な言い方だな)

 椅子に座ってこちらを見て来るダックスと言う冒険者であったが、それでもソイールを上から見下ろす様にしている。

(いや、こっちが小柄なだけかもしれないけど……上手くやれなきゃ報酬は無しだったっけ?)

 失敗したら無駄働きになる。それを思えば、目の前の男の威圧も跳ね返せそうだった。

 今日を生きるための仕事は全力で。そう心に誓って、ソイールは一度目を閉じ、すぐに開いた。


【頬の傷】……他に肌が露出した部分に傷は少ない。ただのハッタリだ。

【体格】……まあ恵まれている方だろう。冒険者としては加点の範囲。

【服装】……さすがに冒険者ギルドで武装はして来ていない。が、あまり上等でもない。

【歯】……ちゃんと磨けていない。性格が不精か、生活が不安定かのどちらか。

【仕草】……初対面の相手を威圧しなければならないくらいには焦りがある。


 と、目敏く相手の立場を推察してみる。

 本人が言う程に手練れというわけでも無いだろう。だいたい頬の傷だって、見た目はゴツくなるが、そういう傷を負ってしまった事があると言うのは冒険者にとって恥であるはずだ。

 見せつける様に顔の角度を気にしている点から、やはりハッタリだと思われる。体付きに関しては問題ない。五体満足である以上、簡単な仕事なら行える。

 一方で金に困っている風でもあった。飲み屋のツケか、宿代が切迫しているか。その辺りだろう。そうなるくらいに、やはり冒険者としては安定した立場では無いと言う事。

(評価としては、まだまだ経験か技能が不足しているが、それでもまったく仕事を回せない相手では無いと言う事)

 ならば丁度良い。さっき見返した紙束の中に、打って付けのものがあった。

「これなんかどうでしょうか? 街近くのダンジョン周囲に露店なんかを開こうとしている商人さんがいるみたいでしてね。資材を運んで欲しいとの依頼です」

「おいおいおい。要するに雑用係って事だろう? そういう仕事じゃなくてだな。もっとこう、バッと出来てガーっと儲けが出る奴を頼むって」

「そうですか? 力仕事だから報酬はそれなり。ダンジョン近くの仕事ですから、魔物が現れる危険だって無いわけじゃあない。その点で、報酬にはイロを付けてくれるとの話です」

「危険があれば……だろ? そうじゃなきゃ、ただ荷物を運んでおしまいだ」

 そんな地味な仕事は嫌だとの事。何とも贅沢な話だとソイールは思う。ソイールであれば、そんな仕事だって、報酬が貰えるのなら自分から跳び付くところだ。

 もっとも、目の前の男の様に体格が良いわけでは無いから、きっとギルドで門前払いされるだろうが。

(だから、あんたはその部分だけでも恵まれてる。それをどう納得させるかだけど……)

 考える。その時間はあまりない。紹介して、請け負わせる。それだけの行為に、それほどの時間は掛けられない。

「分かりました。では今回は縁が無かったと言う事で」

「は!? いやいやいや、ちょっと待てって。紹介できる仕事がそれだけって事は無いだろう? ここは天下のコネリーハウスだ。国の要人だったり、幾つもの街に根を張ってる商工組合からだって依頼が来てるって話じゃねえか」

「なるほど。そういう仕事をお探しですか? でしたら身元を証明する知人はいらっしゃる?」

「は? 何の事だ?」

 まあ、そう聞かれるだろう。今、咄嗟にソイールが考え出した事なのだから、戸惑いもする。そうしてこれから話をするのも、すべて作り話だ。

「上位の仕事ともなれば、依頼人側の地位に並び立てる人間でなければ難しいですから。まあ、冒険者ですし? そこまでの物は求められて居ませんが、それでも、腕が立つのでしたらしっかりとした経験を持っていると証明する人間くらいいらっしゃるでしょう? こちらとしてはその方の紹介があれば十分です」

 もっとも、仕事と金が欲しくて焦っている人間に、こいつは凄腕の冒険者だと紹介してくる知人なんていないだろう。

 万が一にでも居たとすれば、それこそそれなりの仕事を与えてやれば良い。既にその程度の芽がある相手だと証明できているのだから。

 ただ、結局はそんな証人は心当たりが無い様で、ダックスの目は明らかに泳いでいた。

「んー……もしすぐに証人を呼べないと言う事でしたら、ここは一旦引いていただき、また後日と言う事に」

「あー、もう、分かった。分かったよ。その仕事。何だったか? ダンジョン近くまで資材を運べば良いんだな? それだ。それを受ける。それなら面倒くさい手続きが必要無いんだろ?」

「ええ、この程度なら、ダックスさん程の方に掛かればちょちょいのちょいでしょうとも。それでは、こちらの紙を持って、依頼人の店まで赴いてください。日が高いうちなら、何時でも店を開いているそうですよ?」

 そう言って愛想笑いを浮かべながら、資材運搬の依頼が書かれた紙を一枚差し出すと、ダックスはひったくる様に受け取り、早歩きで部屋を出て行った。

「よーし、まず一件。なんだ、僕でも結構やれるじゃないか」

 作り話はいけないと言う話は聞いていない。もし駄目であったら、それはディブラの説明不足だ。

 そんな風に考えながら、無事に仕事を請け負わせた事に対して、ソイールは安堵していた。ただ、そんな安心もすぐに吹き飛んでしまう。

「すみませーん。さっき人が出て行きましたけど、ここ、空いてますよねー」

 すぐにまた、別の人間がやってきたからだ。やはり、見るからに冒険者然とした相手であり、新たな来客であると分かる。

(ええっと? そういえば、終業の時間も説明されて無かったよね、これ)

 コネリーハウスには、どれだけの冒険者がやってきて、仕事を請け負っているのか。想像は難しいものの、それでも、その数が多い事だけは分かる。

 休む時間なんてあるだろうか? そんな不安が心に過ぎる中、それでも報酬のためと何度も心の中で唱えて、ソイールは愛想笑いを浮かべた。

「勿論、お仕事をお探しなら、こちらへどうぞ」




「喉が……喉が渇いた」

 夕暮れの日差しが窓から差し込むのを感じながら、ソイールは目の前の机に突っ伏していた。

 場所は変わらない。狭い、依頼紹介用の個室のままだ。体力を使い果たした気分であるため、そこから動くのが億劫になっていたのである。

 一応、終業時間を迎えているため、こんな格好をしていても文句は言われないだろう。

「まだまだ若いだろうに。思ったより体力が無いな?」

 訂正しよう。文句を言う奴はいる。丁度、仕事の時間が終わったタイミングでやってきたディブラだ。

 仕事の最中、本当に、一度たりとも様子を見に来なかった男の姿がそこにある。

「仲介の仕事をする際は、例え客が居たとしても、飲み物を用意しておくべきだ。他はだいたいそうしている」

「はいはい。そういう忠告、仕事の前に教えて欲しかったですね、実際」

「明日からは役に立つだろう?」

「は?」

 慌てて顔を上げる。聞き捨てならない言葉が聞こえて来たからだ。

 まさか、明日にも仕事があると言うのか?

「まさか、一日で終わる仕事だとでも思ったのか? ふむ? 今日与えた依頼については、すべて紹介する事が出来たらしいな? なら、明日の分を用意しておこう」

「ちょ、ちょっとちょっと! まさかって何ですかまさかって! 普通、今日一日の仕事だって思うでしょう? 昨日出会って、そこで頼まれた程度の仕事ですよ!?」

 顔を上げるだけでは無く、ソイールはその場で立ち上がる。その勢いと言えば、掴み掛らんばかりである。

「そうだな。そう思っていたというのなら喜ぶと良い。数日雇ってやろうと思うくらいにお前には価値がある」

「だ、だからってねぇ!」

「部屋を貸してやる。何ならこれから、夕食にでも行くか? 金が無いのは分かってる。奢ってやると言っているんだ」

 と、その言葉にソイールの勢いは止まる。こちらに関しても、聞き捨てならない言葉を聞いたからだ。

「仕事期間中は、屋根のある部屋と食事が提供される?」

「そういう事に関しては頭が早いな? 客の前に碌な生活が出来ていない人間を出すわけにも行かないだろう。勿論、一通りが終われば約束の報酬だって渡してやる。どうだ? それなりだろ?」

「足元見られてるって感じはしますけどね」

 ただ、掴み掛るのは止めておく事にした。これから、夕食を奢って貰う相手だ。

「いいか、これも忠告だが、足元を見られたくなかったら自分の足場を固めろ。ふわふわ生きている人間は、何時だって足を掬われ易い」

「別にふわふわとは生きてるつもりは無いんですけどねぇ」

 ただ、ここ最近、生きる事だけに必死で、足元なんて見ていなかった気がする。こうやって、人とまともに話していることすら、久しぶりに感じてしまう。

「まあ、おいおい分かって来るさ」

「臨時雇いに何言ってるんですか、あなた」

「これから飯を奢ってやるつもりの相手でもある。飯の時間は話が出来る相手が良いだろう?」

 とりあえず、話術くらいは学べと言われた気がして、ソイールは頭を掻く以外無くなる。いや、もう一つ、出来る事があった。

「ところで、奢ってくれる夕飯って、どういうものがあります? 僕、この街に来てから肉を食べた記憶が無いんですよね、不思議な事に」

「ほう、なら今回が初めてになるか。覚悟しとけ? 店主が、客の腹を破るために料理を作ってると評判の店がある」

 どうせ短期間の仕事。それが終わればまた他人同士になる相手。

 だと言うのに、こうやって仕事の後の事についてを話していると、ソイールはどうした事か、妙に楽しくなってきていた。




 不思議な事に、忙しいと人間は時間が短く感じるらしい。

 日々についてもそうで、五日ほどコネリーハウスで働くその日々は、ひたすらに忙しく、大変に思えるものであったが、思い返せば、それらは一瞬で過ぎ去った様に感じる。

(それとも、それは単なる思い出だからで、本当の、当時の実感としては、やっぱり働く時間は長いものだったのかな?)

 それは今さら分からない。分かる事はと言えば良いか悪いかだけ。恐らく、この五日間の思い出は、良い方に区分できるのではとソイールは思うのだ。

「良く勤めてくれた。実は途中で諦めるかもと思っていた……みたいな事を言えば、貫録が出るか?」

「どうでしょう? 貫録って言うのなら、そんな事を言わなくても、並程度にはあるのでは?」

「その並がどこのどいつを入れての平均値かに寄って、お前の言葉が褒め言葉かどうかが決まるな?」

 五日目の仕事を終えた後、ディブラのオフィスへ来る様に言われたソイール。部屋の主であるディブラは、これまでの日々とは少し様子が違っていた。

 具体的には、その片手に封筒の様なものをつまんでいる。

「僕の言葉が褒め言葉になるかどうかは、その封筒の中身に寄って決まると言えますね。それなりの額なんでしょう?」

 どれほどの事や思いがあろうとも、すべては封筒の中にあるであろう今回の仕事の報酬に掛かっている。

 ソイールはその報酬を受け取るため、ディブラの机へと近づき、手を伸ばすが……。

「おっと、まだ話は終わってない」

「話がしたいのなら、今日一日くらいなら付き合いますけど? それくらいの義理はある」

「義理というより義務の話だ。今、ここに入っているのは、当初渡す予定だった分の半額でな」

「……えっと? つまり何故か、良く分からない力で減らされたとか?」

「仕事の最中、不手際があった」

 ひらひらと封筒を揺らすディブラ。その姿が、一瞬で憎らしいものへと変わる。

「さ、散々働かせておいて、最後にそれですか!? いやいやいや、詐欺か何かで訴える事が出来ますよね、これ?」

「訴えて勝てる身分か? 今のお前が。足元は掬われる前に固めるべきだと教えたはずだがな」

 笑いながら話す姿が、より一層に腹が立つ。怒りに任せて机を叩いてやろうか。いっそ、叩くのは目の前の男にするか。そうソイールが思い始めたのを見計らった様に、ディブラが次の言葉を口にする。

「挽回のチャンスをやる。上手くやれたら、元の報酬を支払おう」

「今さらそう言われて、信じられると思います? ところでついさっき、足元を掬われない様にしろと言われたばっかりで」

「不手際の話だがな、最初に仕事を紹介したダックスと言う男を憶えているか? 今だってそうだろうが、経験の無いお前が仕事を紹介した相手の事だ」

「……」

 怒り続けようと思っていた感情が、少しだけ萎む。

 不手際とそのダックスと言う男。その二つに、引っ掛かるものがあったのだ。

「最初、本当に一件目。上手く仕事をする時の感覚が掴めていなかった。だから……今、思い返してみると、他のどの冒険者よりも、雑に当たってしまった気がする」

「気が付いているのならば、まだ見込みはある。お前が紹介した冒険者の内、初日に仕事を紹介した人間に関しては、幾らか結果が出ているところだが……そのダックスという男だけ、失敗の報告が来ていてな」

 その結果が出るまでの期間が五日であり、それを待つために、ソイールを五日間働かせたと言う事か。

「それが僕の責任……と言う事ですか」

「そこまでは言わない。この仕事をする上で、紹介した仕事を、冒険者が失敗する事も良くある。仕事をする人間が自分では無く、あくまで紹介された側となればそうもなるだろう」

 不思議な事に、ディブラの言葉には、不手際をしたはずのソイールに対する嘲りが感じられなかった。

(なんだ? この人は……何を僕に望んでいる?)

 分からない。そんな当たり前の事を認識する。ソイールは何も知らないのだ。冒険者ギルドについても、コネリーハウスという場所についても、そもそも目の前の男についても。

「ただ、私はこう言いたいだけでね。挽回のチャンスをやろう。ここに、うちに入って来た仕事が幾つかある。それをまた紹介するんだ。仕事を失敗したダックスにだ」

「ちょっと。一度失敗した冒険者にまた……その……ええっと……チャンスを与えるですって?」

「悪い事じゃあ無いだろう? 今、お前が一番それを認識しているはずだな? 丁度、向こうの方も、仕事を失敗して手持ちの金が無い様子でな。新たな仕事をくれと頼み込んできている最中だ。さあ、お前ならそんな相手に、どんな仕事を紹介する?」

「……」

 ディブラの顔を見る。もう笑いもしていない。だた、こちらをまっすぐに、じっと見つめて来るこの男。

 やはり分からない。こんな顔を向けられた事は、ソイールにとって初めてだったから。




 向こうがやってくるのでは無く、こちらから赴く。

 普通とは違う仕事をする時は普通とは違う対応をしろとディブラから忠告されて、ソイールはダックスが居ると聞くとある長屋までやってきていた。

(わざわざここまでする必要があるかと言われれば……そんな事すら僕には分からない)

 まだ初めて五日と少しの仕事だった。その仕事で、失敗した事に対する挽回のために行動しているだけであった。

 今だってまだ、戸惑いがずっと続いているのだ。

(僕は何をするつもりだ? わざわざ自分から冒険者に会いに行って、それで何をどうしたいって?)

 自分に問いかけてみるものの、帰ってくる感情はと言えば決まっていた。

 兎に角全力を尽くしてみろ。


【ボロの長屋】……家賃はそう高そうではない。住民の財力も知れている。

【ここまで通った道】……こんな長屋がある地区への道だ。その道は愉快ではない。

【時間帯】……まだ太陽は照り始めた時期。多くの人間は漸く起き始める時間だ。

【空気】……雨は降りそうにないが、雲が多く、せっかくの太陽が時々姿を隠す。


(……こんな事にまで気を使わなくたって良いだろう?)

 問い掛ける。答えは変わらない。それでも全力を出してみろ。そう返って来る。すべては自分の内心だけで決着が付いていた。

「と、行けばそれで良いんだけどさ。やっぱり、相手がいる仕事だよね。これはさ」

 ソイールは手を伸ばす。すべて考え事をしている内に、ダックスの部屋の前までやってきていたのだ。

 外観からも、頑丈性も安全性も、防犯性だって無さそうなその部屋の玄関扉。それをソイールは叩く。

「ダックスさーん。いらっしゃいますかー。コネリーハウスから仕事の仲介でやってきましたー」

 中に人がいるなら、必ず聞こえるくらいには声を出す。すると部屋の中からドタバタと音が聞こえて来た。その後、音は足音へと変わって、玄関口までやってくる。

「本当にコネリーハウスの人間か? 家主じゃ無いだろうな?」

「家賃でも滞納してる? けど安心して。どちらかと言えば家賃の元になるものを提供する側だから」

「賠償金でも持って来たか!?」

 勢い良く扉が開いた。そう来ると予想し、扉から距離を離しておいて良かった。

「残念ながら、お金の、さらに元になる物です。つまりお仕事って言う物で。どんな仕事がしたいかな? このドブ攫いなんてオススメだよ。報酬は雀の涙だけど、死んだり怪我したりする様な物じゃあない」

「雀の涙じゃ困るんだよ! そりゃあ、命が危なくなるのも嫌だけどよ……」

 そんな強気なのか弱気なのかも分からないダックスの姿をソイールは見やる。


【金銭面】……やはり大分逼迫しているらしい。

【相手の格好】……虚を突けたらしく、慌ててズボンを履いた様子。

【感情】……失敗する様な仕事を紹介したコネリーハウスへの怒りは無い様子。

【怪我の具合】……これが今はもっとも大事。


「前回、紹介させていただいた仕事については、予想外の事態があり、怪我をされたと聞きましたが、具合はどうです?」

「どうもこうも、ほら、これを見ろよ」

 ダックスが頬の傷を見せて来る。以前見た傷痕では無く、反対側の頬に残る、まだ新しい傷痕だ。ソイールが紹介した仕事で負った傷らしい。聞く限りにおいては、頬だけでは無く、全身あちこち傷だらけになったらしいが。

「……両方の頬に傷痕で、バランスが良くなってますよ、ダックスさん」

「何のフォローにもなってねえからな!? ったく、これで動けなくなるくらいの怪我だったら、大変な事になってたところだ」

「なるほど、まだ幾らか仕事を出来るくらいの傷ではあると」

「大怪我じゃねえ。いや、コボルトって言うのか? 犬みたいな顔した小人。あいつらに集団で襲われてな。ダンジョンの方から出て来たんだろう。その時は、大変な事になったと思ったもんだが……」

 ダンジョンには魔物がいる。それらがダンジョンから出て来る時もある。それを思えば、魔物がコボルトであった事は不幸中の幸いだろう。

「確かその魔物は、それほどの脅威では無いと聞きますが」

「ああそうだ。武器みたいなもんも持ってたが、折れた釘より厄介なもんじゃあ無かったよ。あちこち傷だらけだけど、それだけだ。けどな、資材を奪われた。おかげで依頼主は大損。報酬なんて要求できる状況じゃあ無くなった」

 守り、運ぶ様に頼まれた資材を魔物に奪われたのだからそうもなるだろう。

 もっとも、依頼主の損についてはそこまででは無いかもしれない。既にその依頼主は、コボルトに奪われた資材を取り返して欲しいとの依頼をコネリーハウスに出しているそうだ。

(と、これは気落ちしている彼に話すべき事じゃあないね)

 お前なんて代わりは幾らでもいる。そんな言葉は、冒険者に向けてはいけない言葉の一つだ。それがどれほどプライドを傷つけ、それ以上に心を折るかを、ソイールは実感として知っていた。

 つまりは……そういう言葉を向けられた事もある。

「一度の失敗を糧に立ち上がれるなら、その失敗も良い経験かと。それで、どうです? 次の仕事、探してみませんか? まとまったお金が近い内に必要でしょう?」

「なんでそれを知ってるんだ」

「さて、ちょっとした魔法かもですね」

 このボロ長屋と、ダックスの焦り具合を見れば簡単に分かる。家賃、食費、遊興費。どれにしたって、目の前の男には足りないものだろう。

 そのどれかについてを特定する必要は無い。勝手に相手が想像してくれる。そうして、どうしてそんな事を知っているんだと戸惑ってもくれる。実際、そうなっている。

「ダックスさん。ここからが本番です。あなたの人生にとってもですよ? こんなところで躓いてはいられない。そのはずだ。次の仕事こそ、成功させなくちゃ。でしょ?」

「分かってる。ああ、分かってるんだよ、それはな」

 分かってはいないだろう。ソイールが紹介する仕事をするしかないと言う事態に誘導された事をについては分かっていないはずだ。

(お前らが紹介する様な仕事なんて受けていられるか……なーんて言葉は避ける事が出来た。なら、確かにここからが本番だ)

 相手が暮らす環境、相手の服装、相手の感情、服装に至るまでを考慮して、確実に仕事を受け取ってくれる状況まで持って行けた。

 その事については、ソイール自身の能力に寄るものであるが、それだけではあの男、ディブラ・ノックスは及第点すらくれないだろう。

(僕が、この男に対してどこまでをするのか。ディブラって男は、そこまでを見ているはずだ)

 自分には何が出来るか? それを問われている気がする。

「で、どんな仕事があるってんだ? 出来る仕事しか出来やしないぞ?」

「そりゃまあその通り」

 今度こそ、目の前の男が満足して仕事を受け、そして達成できる仕事で無ければならない。そうでなければ、ソイールがこうやって仕事を紹介する意味が無い。

(考えるだけじゃあ駄目だ。良く見ろ。この男すら気が付かない、この男の特性を見抜かない事には、適切な仕事なんて紹介できるはずが無いだろう?)


【玄関の向こうの部屋】……見る限り雑然としている。部屋の主は雑な性格だ。

【ダックスの能力】……これまでの能力を思えば、それほど高くは無い。

【持ち込んだ仕事の種類】……どれも、ある程度の報酬は期待できるが、難度も相応。


 これらから導き出せる、ダックスに紹介するべき仕事は―――

(違う違う。もっと、もっとだ。僕にはもっと、何かが出来る)

 かつて、そんな風に信じていた時期がソイールにもあった。都会で夢破れ、落ちぶれたソイールだが、それでももっと、先を目指せると信じている時があったのだ。

(この感覚……もう無いものだと思っていたけど、僕は何かを見つけたのか? 誰かとは違う、何かになれるきっかけを。そうして、目の前の男にしたってそうなのかも)

 冒険者なんて、誰だって夢を見ている。他とは違う何かになれると信じているから冒険者なんて危険な仕事を続けている。

 実際になれるのは一握りの、さらにその一部。そんな可能性の低い夢でも、それでも夢を見続ける人間が冒険者だった。

 そんな人間に、今のソイールが出来る事。

「おい。どうした? 何でその紙束を見てじっとしてんだ?」

「っ……ああいえ。どーれーにーしようかなって、こう、選んでました」

「運任せかよ!?」

「運なんてもの、あまり信用なりませんけどね。だから、出来れば、ちゃんと選びたいものでして……」

 ソイールもまた、今になって夢を見ていた。冒険者としての夢では無いが……それでも、自分にしか出来ない事があるという夢を。


【ダックスのポケット】……普通より広がっている。

【ダックスの腕の太さ】……普通よりデカい。体格を考えてもやはり大きい。

【部屋の様子】……雑然としている主な原因は、小物が壊れがちになっている事。

【体格】……やはり大きいが、天性以外にも、鍛えたからこそにも見える。

【手のひら】……何らかの道具を扱い続けているのか、マメの潰れた跡がある。

【前の仕事での傷痕】……軽傷であったのは傷を受けた位置が致命的な場所で無いから。


(つまり……敵の攻撃に合わせて動けるくらいには体捌きが上手いって事だ)

 ダックスの、冒険者としての背景は知らない。彼がどの様な経歴と思いでもって、冒険者を続けているのか。そんな事は知らない。だが、それでも、彼が冒険者として相応しくなる様に、体を鍛え続けている事は分かる。

「前回の仕事で、ダックスさん。あなたは失敗した。その一番の原因は何だと考えますか?」

「何って……そりゃあ俺が上手くやれなかっただけで……」

「戦う力ならあるでしょう? 少なくとも、コボルト数頭には負けないという自負くらいはあるはずだ。そういう自信が、前にコネリーハウスへやってきた時はあった」

「恥ずかしい事言うなって、そりゃあ束になって掛かって来たって、戦えるさ。けど、守れなかったから仕事は失敗した。そうだろう?」

「つまりあなたは、器用さが足りない。そういう事だ」

 武力はある。ただ、その武力を的確に使う経験値はまだ無い。冒険者としてはまだまだ未熟と言える。だが、欠点として言えばそんな程度の事である。

「そりゃあ分かってるさ。色々と、つい物を壊しちまう事もあんだよ。だからな、そう難しい事は―――

「出来ない。こちらも期待はしない。あなたに期待できる事は、正面から脅威と戦える。そういう技能だし、あなただってそれを望んでいるのでは?」

「冒険者としちゃあ、魔物と正面から戦うなんて展開は本望だろうが……分かるだろ? そういう事が評価される冒険者なんていうのは一握りだ」

「その一握りに挑戦してみる価値があなたにあると……僕はそう判断した」

 ソイールはそう言って、手に持った紙の束から、一枚の紙を取り出した。目の前の男に相応しい仕事が漸く決まった。そう思えたからだ。

「街から西へ進んだ森に、サイが出るそうです」

「……サイ?」

「ええ、サイ。知りません? こう、四本足で歩く、角のあって、突進とかしてきたらビビるっていうか、細い木とかならそれだけで折れちゃう」

「いや、そのサイなら知ってるけどよ……ええ?」

 ソイールはダックスに引き抜いた紙を渡したが、その内容を見て、ダックスは狼狽えていた。まあ、サイは大きいから怖いものだろう。

「このサイ、ペットが逃げ出したものだそうで、飼い主は他人様に迷惑が掛かる前に殺処分をお願いしたいとの事です。サイを飼えるくらいですから、依頼主はお金持ちでもありますね。いやあ、ダックスさん。あなた幸運だ」

「俺に倒せってか!? そのサイを!?」

「ダックスさんなら出来るんじゃないですか? 細かい方法なんかは問わないって事ですし。ただサイを一頭、処分するだけ」

 サイは強敵だ。少なくともソイールには勝てそうに無い存在。だが、目の前の、しっかりと鍛えられた男が、しっかりと武装して戦うのであれば、勝利出来る可能性はある。結果、報酬だって手に入るだろう。

「無茶だ。んな仕事、これまで受けた事がねえし、自信が無い。別のは無いのか?」


【顔】……不安げな表情。

【冷や汗】……動揺もしている。だが、その動揺はどこから来ている?

【震える手】……ソイールが渡そうとする紙を払いのけずにいる。


「他の仕事はあります。本当にダックスさんが、この仕事が嫌だと言うのなら、そちらを紹介しましょう。より難度が低く、より収入が少なく、より名声にならない仕事……それで良いのであれば」

 ソイールはダックスを見る。ダックスの周囲も見る。ダックスの内心だって、どうにか覗き込もうとする。

 自分にはもしかしたら、それくらいなら出来るかもしれない。これはソイールにとっても挑戦だった。

 かつての自分への挑戦。

(もっと上を目指せる人間だと、昔の僕は示して欲しかった。けど、それはされなかった。だから落ちぶれたし、それは自業自得だ)

 目の前のダックスと言う男も、このままなら、そんなソイールと同じ顛末を辿るかもしれない。

 けど、目の前の男には、かつてのソイールとは違って、今のソイールが居る。その違いに価値が生まれるとしたら。

(今の、こんな僕だって、何か価値のある人間だと思えるじゃあないか?)

 だから、もしかしたら、こんなに必死になっているのかもしれない。

 今、この場で上手く事が運んだとしても、多少、報酬が多くなるだけ。そんな事は分かっている。評価されたところで、ソイールは一個人の、落ちぶれた冒険者でしか無い。そんな事も分かっている。

 けれど、それでも、自分に価値があるのだと思えるのならば、今、ここで、精一杯を行おう。そう決めたのだ。

「俺に、これが出来るってあんたは本気で思ってるのか?」

 ダックスは既に、ソイールが差し出した依頼書を受け取っている。未だ、その手は不安の中にありそうだったが。

「出来るだけの力はあると、そう見ていますし……何よりダックスさん、このクラスの依頼は初めてでしょう? それを成功させれば、あなたの名が上がる。紹介した僕の方も。仕事なんて、そうであって欲しいものじゃあありません?」

「はっ、自分の利益にもなるってかい? ああ、それなら……そうなら、むしろ信用できるってもんか。分かった、この仕事、引き受けた。成功の報告、楽しみに待ってな」

 笑うダックス。その顔を見て、ソイールも笑った。ただの、仕事をする中での愛想笑いであったが、それこそ、この仕事において、ソイールが出来る最後の事であった。




 仕事は終わった。

 結果はまだ出てはいないが、出来る事が終わった以上、ソイールの仕事は終わったのだ。

 もし、まだ終わっていない事があるのだとすれば、終わった事の報告くらいだろうか。

「……評価する」

「はい?」

「評価しようと言っている。結果はどうあれ、お前のやった事は正解の一つだ」

 ダックスとの仕事が終わり、コネリーハウスへと戻ったソイール。彼はディブラに事がどうなったかの報告を、ディブラのオフィスで行ったのであるが、返って来た言葉はそんなものであった。

「……自分で思い返すに、結構、相手に放り投げてる部分があるなって顛末だったんですけどね」

「我々の仕事なんて、そんなものだ。仲介人なんて良く言ったもので、最後は依頼を受ける人間に、すべてを任せる他無い。それで金を貰うのだから、因果な仕事だと思う時もある」

 相変わらず、自分の机を前にして、座ったままこちらを見るディブラ。

 服装は何時だってきちんとしたものだが、代わり映えしないので、服だって彼の皮膚なのではないかと思ってしまう時もある。まあ、常々思う事なんて、ソイールの方はそんなものだ。

「ダックスさんは上手くやれると思いますか。経験豊富なディブラさんはどう思います?」

「どうだろうな。最後はやはり、冒険者任せだ。だからこそ、正解の一つだと言った。我々は結局、ベストの状態まで、仕事のスタートラインを整える事を仕事にしている。スタートした後の事は、眺める事しか出来んし、その正解は幾つもある。だからこそ……やりがいもあるのだが」

 小難しい話だ。そこまでの答えをソイールは求めていない。ただ、正解が幾つもあるという話だけは受け止めておこう。

 やるべき事なんてものは幾つもあるが、選べるのはその中の一つだけ。そういう意味での正解があるのが、仲介人という仕事なのだと思う。

「ま、何にせよ。僕の仕事は終わりました。やれる事は無い。後は結果待ちですね。報酬については、その結果が出てからですか?」

「ん。いや、まあ、今の段階で渡してしまっても構わない。後始末はこれで終わりだからな。後がどうなろうと、正規の報酬を払わなければむしろこちらの沽券に関わる」

 ディブラはそう言って、封筒を机の上に置いた。以前見た時よりは、確かに厚い封筒だ。中に何が入っていたとしても、それなりの額にはなるだろう。

「ええっと……それで、ディブラさんの方は良いんですか? 忙しいから、僕を雇ってたみたいですけど」

「なんだ? 自分の仕事が終わって、漸く他人を見る余裕が出て来たか? ああ、勿論、終わらせた。一人前の人間と言うのはだな、限られた期間の中で、結果を出せる人間の事だ。君を雇うと決めた時点で、君を雇っている間に自分の仕事を終わらせる算段を付けている」

 最後までそつの無い男だ。ならば心残りは無いし、有難く報酬を受け取って、仕事を終わらせて貰おう。

 そう思って手を伸ばすも、そう言えば一つだけ、残っているものがあったなと思い直す。

「そう言えば、今日で僕はこの仕事を終わりますけど……冒険者ギルドは幾つもありますから、どこかで雇って貰う事に決めました」

「調子にでも乗ったか? だが、たかが数日仕事をしただけでなった気分に、どれだけの価値があると思っている?」

「例え少しであろうとも、自分に価値があると思えた。それって、たかが数日だとしても大事だと思いますけどね。少なくとも、前までの自分よりも大分マシだ」

 こんな、冒険者崩れの人間を雇う冒険者ギルドなんてあるとは思えない。思えないが、挑んでみようと思う。必死になって、泥だって啜る気持ちで向かえば、こんな自分でも食らいつける仕事があるはずだと思う事にした。

「……何が君をそういう気持ちにさせた? 自分で言うのも何だが、それほど上等な仕事じゃあない。仲介人なんてものはな。気苦労は多い癖に、最後の最後は他人に任せて、結果も他人に掻っ攫われる。最後に残るのは、他人の行動の上に胡坐をかいている怠け者なんて陰口くらいだ」

「そりゃあそうです。やってる事なんて、誰かの背中を押してるだけなんですから」

「なら、どうして?」

「そうやって、背中を押して欲しかったからです。昔の自分が」

 自分がかつてして欲しかった事。それを今の自分が出来る様になりたい。そういう思いが、ソイールに決意をさせた。そう思うのだ。

「ふん? ま、こちらとしては頑張れよとしか言えんな。夢を持つのは良い事だが、夢を叶えられる人間は少ない。だからと言って、夢を諦めろと言える程、酷にもなれない。だが……そうだな。選択肢を与える事くらいは出来るか?」

 ディブラはそう言って、机の上に置いた封筒の横に、懐から一枚、紙を取り出してからそれを並べる。

「これは……えっと……んん?」

 紙に書かれていたものは、幾つかのルールだ。始業時間と終業時間。月ごとの給与額と副業に関する決まり。勤める際の心構え。

 端的に表現するなら、雇用契約書と呼ばれるものがそこにあった。

「君にはこれから、二つの選択肢がある。一つはこちらの封筒を受け取り、今までの仕事を金銭へ変えて、明日をこの金を使いながら、自分の意思で生きるか」

「……それで、もう一つは?」

「組織に属し、自分の意思を制限されながら、対価として日々の糧を得るかだ」

「思うに、後者についてはもうちょっと良い言い方があるんじゃないかって思いますね、僕は」

 ディブラはその問い掛けに対して笑みを返して来た。と言っても、苦笑の類だ。実感が籠っている。

 きっと、組織に属して、様々な苦労を背負って来たのだろう。今だって何か、面倒な事を抱えているのかもしれない。

 だから……夢のある選択肢とは絶対に言わない。むしろ、断りたいなら断れと、そういう誠実さをディブラは見せていた。

 なのでソイールも、苦笑を返す事に決める。

「僕みたいなのを雇うなんて。忙しいんじゃなかったんですか? きっと、僕関連で苦労する事もありますよ」

「だから、その忙しかった仕事がこれだ」

 雇用契約書を示して来るディブラ。

「人一人、正式に雇うのにどれだけの手順がいると思う? まったく、苦労させられた。まあ、私に今まで、部下らしい部下がいなかった事を幸運に思え? 一人くらいなら滑り込ませられる」

 ソイールを臨時に雇ってからずっと、目の前の雇用契約を作るために仕事をし続けていたらしいディブラ。

 そんな彼の姿を見て、ソイールはどうしても笑えてきた。今度は苦笑では無い。

「その話を聞いて、僕が封筒か契約書のどちらを選ぶか。迷ったりすると思わなかったんですか?」

「良く言う。どちらを選ぶかなんて、端から決まっているんだろう?」

 それはあなたがそうさせたのでは? ソイールは尋ねたくなったが、止めて置く事にした。

(今、この瞬間に、何を選ぶかについては、誰がどう言おうと、僕自身の判断さ)

 ソイールは手を伸ばす。その手の先には一枚の紙があった。


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