ローマ教皇が「ゾンビの国・日本」に送った言葉 - というデマ
ローマ教皇が「ゾンビの国・日本」に送った言葉
世界一他人に冷たい国に伝えたい事 (*1)
という記事が、一部のblogやtwitterで話題になっているようだ。
”教皇が「ゾンビの国」日本に残した言葉の本質
【フランシスコ教皇のスピーチ内容(筆者意訳)】
”笑い方を忘れた人、遊ぶことのない人、不思議さも驚きも感じない人がいる。まるでゾンビのようで、彼らの心臓は鼓動を止めている。なぜならそれは、誰かと人生を祝い合うことができないからだ。”
一方で、意訳前の原典はこうである。(*2)
”笑うこと、楽しむことを忘れた人たちがいます。すごいと思ったり、驚いたりする感性を失った人たちがいます。ゾンビのように心の鼓動が止まってしまった人がいます。なぜでしょうか。他者との人生を喜べないからです。聞いてください。あなたたちは、幸せになります。ほかの人といのちを祝う力を保ち続けるならば、あなたたちは豊かになります。世界には、物質的には豊かでありながらも、孤独に支配されて生きている人のなんと多いことでしょう。”
- 教皇の日本司牧訪問 教皇の講話 青年との集い(東京カテドラル聖マリア大聖堂) 2019年11月25日、東京 カトリック中央協議会
筆者意訳では、「世界には」が抜け落ちている。
そして題名や章題、引用部分以外の筆者の文章で「ゾンビ」が「世界」ではなく「日本」だけであるかのように印象操作して、あたかもローマ教皇がそう言ったかのように書いている。
ゾンビ発言に言及した別のニュースでは(*3)
”教皇はこう述べた。競争力や生産性を追いかけてばかりだと、日常生活で感動したりする感性が失われてしまう。他者と共存していく人生を喜べずに、心の鼓動は止まってしまう、それはまるでゾンビのようだと語った。”
- ローマ教皇が日本来日で残した「珠玉の言葉」 "ゾンビのような生活"への警鐘
「世界」はないが「日本」もない。
”このスピーチで、教皇が訴えたかったのは、他者のために、他者とともに、支え、支えられて、生きることの大切さではないだろうか。
教皇が「世界一他人に冷たい国」で鳴らした警鐘
翻って、日本は(略)”
まずこれはタダのスピーチではない。「講話」である。(法話・説法だと仏教で使うからこの日本語にしたのかも)
こうわ【講話】
《名・ス自》(講義形式で)わかりやすく説いて聞かせること。また、その話。(google)
( 名 ) スル (大勢の聴衆に)わかりやすく説き聞かすこと。また、その話。(大辞林)
「青年との集い」であるから、聴衆はカトリック信者の青年であり、説いて聞かせるのはもちろん、カトリック教義のキリスト教についてである。顔を合わせて直接説いて聞かせる「講話」というのは、イエスの故事に基づく、重要な宗教的儀式である。
”他者のために、他者とともに、支え、支えられて、生きることの大切さ”
それは2000年前から訴えていることであり、今更「ゾンビの国・日本」だけに向けたものではない。
「隣人を愛せ」という言葉くらい、聖書読んだことなくても聞いたことくらいあるのでは。
(とニワカが言ってます)
教皇はカトリック教義では、現世におけるキリストの代理人ということになっている(ハズ)。よりによって教皇の講話を改ざんするとは、まさに神をも恐れぬ所業。
このように、”翻って、日本は(略)”以降の自説を述べるために、我田引水して、他者の文の都合のよい部分だけ抜き出したり、言っていないことを言っているかのように捏造・印象操作する人は珍しくない。時々、というか、よくマスコミが、政治家の発言の前後の文脈をぶった切って、別の意味を捏造・印象操作したりする。
たちが悪いことに、これがyahooはじめ、多くのニュースサイトに転載されている。
コレを信じる人がいないことを、神に祈るだけである。
さらに言えば、「ローマ教皇ヒドイ」なんて思う人がいないことも。
(*1) ローマ教皇が「ゾンビの国・日本」に送った言葉 世界一他人に冷たい国に伝えたい事 PRESIDENT Online
https://president.jp/articles/-/31119
(*2) 教皇の日本司牧訪問 教皇の講話 青年との集い(東京カテドラル聖マリア大聖堂) 2019年11月25日、東京 カトリック中央協議会
https://www.cbcj.catholic.jp/2019/11/28/19857/
【LIVE】青年との集い/ Meeting with Young People【公式】
https://www.youtube.com/watch?v=uUkEI2iCi7U 講話は54分あたりから
(*3) ローマ教皇が日本来日で残した「珠玉の言葉」 "ゾンビのような生活"への警鐘 msn 東洋経済オンライン
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E6%95%99%E7%9A%87%E3%81%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9D%A5%E6%97%A5%E3%81%A7%E6%AE%8B%E3%81%97%E3%81%9F%EF%BD%A2%E7%8F%A0%E7%8E%89%E3%81%AE%E8%A8%80%E8%91%89%EF%BD%A3-%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93%E3%81%AE%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AA%E7%94%9F%E6%B4%BB%E3%81%B8%E3%81%AE%E8%AD%A6%E9%90%98/ar-BBXz13D"
※このエッセイも、原典じゃなかったり、捻じ曲げて引用してるかも。
>さらに言えば、「ローマ教皇ヒドイ」なんて思う人がいないことも。
話が小さくなりますが、ここなろうにも「こんな酷い感想がきて筆折りそう」とか、捏造する人がいるようです。一人や二人じゃないようです。たまたま両方見た人は、元の感想・指摘がまっとうで、「酷い感想」が捏造されたものだと気づきますが、比較しないとわからないので、「それは酷い、災難でしたね」「誹謗中傷ですね」とか同情しちゃう人がいます。いや捏造する方が酷いと思うけど。