act.0 転生
――全てを飲み込む闇。ただただ黒だけが広がる空間。或いはそれは『無』なのだろうか。
少なくとも言えることは、光を捉える為の瞳も無ければ、物を掴むための手も無く、地を踏みつける足も、一つとして自らを構成する物が存在しないということ。故に、漠然とここが夢なのだろうと結論づける。
気付いたのなら後は簡単だ。闇に飲み込まれぬよう身体を創りあげる。相変わらず目の前は黒のみが支配する世界ではあるが、身体が創られたおかげで触覚が覚醒する。試しに足を抓るとしっかりと痛みを感じた。
ふと、目を閉じていたのだと思い出したので、瞼を開けるとしかし、闇が広がっていた。一つ違う点が有るとすれば、すぐそばに自分が立っているという事位か。
「呼び出されてすぐに【核】の権能を行使するとは、流石俺としか言いようがないな」
目に映る自分は頭が痛々しい子のようだ。
しかし、これが夢だとするのならば真に痛々しいのは自分なのか?
「【核】の権能って……自分の夢ながら妄想たくましいね」
夢と言うと目の前の自分はハッとした顔で手を叩く。
「色々あって俺の感覚が麻痺してたが、確かに、言われてみれば夢としか考えられない事が起きているのか。だが、良くも悪くもこれは現実で夢じゃないんだよな」
夢ではないと言われるとそう思ってしまう、不思議な説得力が目の前の自分にあった。よくよく考えると感覚がリアルすぎる気がしないでもないし、明らかに痛みを感じた。
しかし、夢ではないとなるとここはどこなのだろうか。
再び辺りを見渡すが、相も変わらず闇のみが広がるばかりだ。光が無いのに色を認識できたり、床が有るわけではないのに二人とも同じ高度に立っている。考えれば考えるだけ訳の分からない空間だ。
「夢じゃないならここはどこなのかな?」
「……正式な名前なんて解らないし、そもそもこの場所を認識できるのが二人だけの時点で名前なんて無いんだが、確かに言えることは地球の内であり外でもある事と、現状どの世界にも侵されていない空間であるという事。俺は狭間と認識しているが、俺達がお互いに分かりやすく言うならよくある神の間ってやつかな」
「ありがとう、余計に意味が分からなくなったよ」
皮肉を込めて感謝の言葉を投げつけると、目の前の自分はどういたしましてと皮肉で返してきた。どうやら僕であって僕ではないようだ。
しかし、この場所を、お互いに分かりやすくとした上で敢えて神の間と称したと言うことは、目の前の自分は物語における神。そして僕は……
「大方想像通りだと思ってもらっていい」
「じゃあ君は僕じゃなくもっと偉い存在なのかな?」
「しかし残念。俺は俺だし、俺は死んでもいない。が、まあ、神と呼ばれてもいい存在である事には間違いない」
目の前の自分は確かに僕だが、神でもある。そして死んだわけではないのにも関わらず神の間にお呼ばれした自分。そして大方想像通りであると僕に言われた。
……元の生活に戻れはしないだろうことは想像に難くない。
「でだ、申し訳ないが俺の代わりに異世界へ行ってくれないか? まあ既に決定事項だから俺の意思は関係ないんだけどな」
「……せめて理由を聞かせてほしいかな」
おおよその想像がついていたので特別驚くことは無かったが、拒否権もなく跳ばされるだけの理由を説明してほしい。まあ、納得のいく理由が有っても無くても既に跳ばされる事は覆しようないんだけど。
理由を聞くと目の前の自分は複雑そうな顔をして全く髭の生えていない顎を触る。やはり同一存在、困ったときにでる癖も同じな様だ。
少し間をおいて覚悟を決めたのか、割合真剣な眼差しで口を開いた。
「……ただの俺の我が儘だよ。例え俺に恨まれることになっても、やっとの思いで掴み取ったチャンスを逃すわけにはいかないからな。納得してくれとは言わんが諦めてくれ」
「チャンス?」
「漫画や小説みたいな話だよ。願いを叶える聖杯を賭けた殺し合いがあったんだ。●●が死んで、俺はあいつを生き返らせる為に参加した」
「それだったら●●を生き返らせるだけでよかったんじゃないの?」
ノイズが走る。●●が誰なのかは解るのに、顔も名前も浮かんでこない。
僕の我が儘の影響が既に現れているのかもしれない。
しかし、●●の名前は自然と発することはできるのだ。自分が発した言葉もノイズに打ち消されてしまったが。
「それだけならな。信じられないかもしれないけど、○○に●●は殺されたんだ。ただ、聖杯戦争を有利に進めるためにって」
また人名にノイズが走る。
それにしても、○○が●●を……ね。元々あまり得意な奴では無い。それでも九年間同じ学校で過ごしていた友達だ。願い事のために僕は友達を殺せないし、○○がそういう奴だったってのは素直にショックを受ける。
「それだけじゃない。先生は俺達が今をこの空間で過ごしているこの力を見越して近付いてきただけだった。だから、その願いでこの糞みたいな聖杯戦争のない、俺達の平和な世界を取り戻すんだって」
「それで世界を作り直した」
担任の教員までもが聖杯戦争の関係者。聖杯戦争の所為で身近な平和が崩れたのならば、僕の気持ちも分からなくはない。僕自身が同じ環境なら同じ事をするのだろう。なるほど、確かに僕は僕で俺は俺なのかもしれない。
「ああ。だけど俺の居ない世界を創るわけにはいかなかったんだ。俺の記憶だけを創るなんて小回りの利く代物じゃなかったからな」
「願い事を叶える代物なのに?」
何でも叶える願望器(何でもとは言っていない)と言うことだろうか。
「流石に世界を創るのは難しかったみたいだな。自画自賛になるが、俺の世界は俺の力に依るところも大きい。……今の俺は最早絞りカスみたいなもんだけどな」
そんな状態で僕を別世界に送られて、果たして無事に過ごせるのだろうか。どんな世界なのかは解らないけど、例えば日本ですら近世以前にタイムスリップしたら生きていける自信がない。……いや、無戸籍で現代日本も危ないけど。
「別にタダで送るわけじゃないからそんなに不安がるなよ。そう、俺達に都合のいい言葉を選べば俗に言う転生特典ってやつだな」
「含みのある言い方だね」
「……本来言うべき事ではないかもしれないが、俺が俺と入れ替わる為の代償として俺が俺で在る為の記憶や状態を、俺と結びつかない様にしなくちゃいけないんだ。簡単に言えば俺をただ俺に似ているだけの他人にしないと、俺が俺になれない」
自身が二人存在すると片方が消失する。まるでドッペルゲンガーのような話だ。
「そんな感じだな。実際、同一存在が同時に多数存在するのはおかしいだろ?」
「まあ、どうでもいいってわけではないけど、僕にはどうしようもできないからね。受け入れるしかないんじゃないの?」
「俺ならそう言うって解ってたけど、こうして客観的に見ると冷めてんな」
僕がどうしてもほしかった世界なのならば、僕が受け入れないわけにはいかないだろう。ある意味ではなにも知らずに消えてしまった方が幸せなのかもしれないが、僕が僕なら絶対にそんなことはしない。ただのエゴだが、幸せになれるかもしれない芽を摘む方が悲しいと考えているからだ。
「辛気臭い話はこれでやめにして、そろそろ本題に入ろう」
「……僕の転生先と所謂転生特典の話しかな」
とはいったものの、既に絞りカスらしい僕に出来ることなど限られているのでは無かろうか。
「……失礼な事を考えているな? まあいい、転生先については俺も詳しく知らないが、主だった大陸は一つ、【ファウダーナ】ってのがあるらしい。色んな人族がいるから、その中で最も人に近く、最も人から離れた吸血鬼として生きてもらう」
……代償は思ったよりも深刻らしい。人として存在することすら許されないとは。
「まあ、人族のなかではかなり強い部類の種族だからそう簡単には死なないから安心してくれ。で、吸血鬼が存在するように魔法や魔物の存在が現実に存在する世界だからか、そこまで科学は発展していない世界らしい。俺自身この世界に行ったことないから飽くまでも参考程度だがな」
肝心なところで無責任なのは自覚していたが、目の前でやられると少々怒れてくる。
……それに、簡単に死なないとは言っても吸血鬼ってのは日の光に弱いのではないのか。転生先では吸血鬼にそのような弱点はないのだろうか。飽くまでも別世界なのだから。
「それは転生特典ってやつだな。吸血鬼に対しての認識は俺達がもっているそれとはそう大差ないからな。……なけなしの魔力を生き残るために使ってやるんだからありがたく思え」
「そもそも君が僕を飛ばさなければいいだけなのでは?」
「……でだ、転生特典なんだが、日照や銀などの吸血鬼の弱点への完全な耐性をつける。今の俺にはこれくらいしかできないがそもそも上位吸血鬼は特典持ちの人間より強かったりするらしいし、何とかなるだろ」
肝心なところで(以下略)。転生特典については闘争に生きる訳でもないし、不満は特にない。吸血鬼になることもデメリットよりもメリットの方が大きいので、これについても文句は無い。既に乖離が済んでいるのか、記憶や口調についても違和感はないので、問題が無いわけではないが良しとなると、転生自体は僕と僕の二人ともが得をするいい結果になるだろう。強いて言えば転生先の世界に関する情報がほとんどないことだが、元の世界で過ごしていたとしてもぶっちゃけた話詳しくは知らないので気にすることはないか。
……流石に僕と言ったところか。僕が考えることはお見通しなのか、考えれば考えるだけ僕にメリットの有る展開に思える。そうまでしてさか手に入れたいものならそれこそ問答無用でもいいと思うが……その甘さも僕なら納得か。
一通り考えるだけ考えた後、一度深く瞬きをする。開き直りや諦めなど諸々を含めた心の区切りを自らでつける合図、彼も僕ならこれで通じるのだ。
「決心ついたか? あまり長く時間をとられると空間が維持できなくなるからな」
「その甘さは相変わらずなんだね」
時が来たら僕の決心の如何に拘わらず転生を済ませていたのだろう。
神の間であるこの空間は彼の領域だ。それを維持できなくなると言うことは、力を使い果たすということだろう。入れ替わった後の保険を捨ててまで僕が決心するまで待つことは長所であり短所だ。
……既に他者になった僕からしたら甘いとしか言いようが無いが、わざわざ見せ付けられた甘さが自らの短所になり得ることを記憶に刻み転生に臨むとしよう。
「まあいいや。時間がないんだよね? そろそろお願いしようかな」
「本当にすまない。自分勝手な奴だと罵ってくれて構わない。……どの口が言うんだって話だが、できることなら幸せになってくれ」
「本当にどの口で言ってんだか」
すごく真剣な表情で言うんだから思わず笑ってしまった。
……短い付き合いだったし元は彼の所為なんだけど、彼との別れを名残惜しく思うのは僕という存在への未練なのだろうか。
「……さよならだ」
空間が更に闇に沈む。泥に沈むような感覚が足からゆっくりと上ってきている。
闇に沈んだ箇所は痺れるような感覚を覚えた後、一切の感覚が閉ざされた。恐らく不要となった僕の身体を消去しているのだろう。
――さよなら。
別れの言葉を放つ前に口まで消去されてしまった。だが、それでも彼に伝わったのだろう。ふっと微笑むと目をつむる。
視界が完全な闇に包まれた数秒後、意識も闇に包まれた。