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メッセンジャーによろしく  作者: 柴門秀文
4/37

第一章 アジテーション その3

        1

 足が停まった。慎重になって蒼穹は息を潜めた。

 老朽化したホテル街の怪しい雰囲気以上に、男たちの組み合わせは近寄りがたい危険を感じさせた。

「たいがいにせいや、ど素人だろうが。何か、どえらい下手でも売ったんか」

 背広の暴力団員が、ドスの効いた声を出した。

「誰だ? てめえは……」

 覆面から覗く視線が鋭く光った。大柄で胸板が厚かった。ナイフを取り出して、黒ずくめの男が身構えた。

 まるで悪役レスラーのような体形と動作だった。

「おやおや、君たち、何も知らないの? 渋谷界隈で剛劉会の権堂さんに名前を訊くなんてサ。お兄さんたち、どこの田舎者かなぁ」

 睨み合った権堂と大柄の男の間に、軽い調子で腰巾着のチンピラが入り込んだ。身体を捻った勢いで、着込んだ黄色いアロハ・シャツの裾が揺れた。

「余計なことをするな、銀次!」

 権堂に叱られた。失敗を嘲って、へらへらと銀次が笑った。甚振られている若者を覗き込みながら、揶揄(からか)う表情で銀次が前屈みになった。

 細身の黒い革パンツを穿いていた。ポケットに両手を突っ込んでいる。だが、どこか動きが不自然だ。足が悪い様子だった。

 辛そうな表情を挟みながら、銀次が青年の脇にしゃがみこむ。

 薄っぺらな口元に、嫌味たっぷりの笑みが浮かんでいた。

 痩せ型で長身の覆面男が、青年に蹴りを入れ続けていた。

 銀次の存在は完全に無視だった。

 憎々しい表情で銀次が眉間に皺を寄せた。皮肉たっぷりに、痩せ型を見上げて声を掛ける。

「ずいぶん熱心だねぇ、あんた。すっかり頭に血が昇っているみたいだ。しかし、遠慮ってぇもんを知らないんかねえ。ちょっとばかり下がっていてくんねぇかい。俺はね、このお兄ちゃんとお話がしたいの」

 鋭い視線で銀次が痩せ型の覆面を睨んだ。

 蹴りをやめ、痩せ型が銀次を睨み返す。片手をポケットに突っ込んだ。ポケットの中にナイフを忍ばせていた。

〈青葉を遠ざけなければ。危険だわ〉

 蒼穹は身構えた。身構えながらじりじりと青葉に向かって(にじ)り寄った。いざとなったら駆け寄って、青葉の手を引いて逃げる準備はできていた。

 殴られて顔の腫れた青年に手を伸ばし、銀次が青年の顔を持ち上げた。右に左にと、顔を動かしてみる。

「あーあ、酷えなあ。お坊ちゃん、何やったのさ? だめじゃないかさ、天下の〝登龍〟さんに逆らっちゃさ。殺されちゃうよ。俺たち〝剛劉会〟とは、狂暴さが違うんだからさ。半グレさんたちには、遠慮や限度なんか無いんだぜ」

 青年の怪我の具合をしげしげと覗き込んだ後で、厭味ったらしく銀次が痩せ型の顔を流し見る。

「うるせえ!」

 怒鳴り声と同時に、痩せ型の覆面がナイフを突き出した。

「おおっと、危ねぇ。兄ちゃん、何すんのさ」

 ふざけた調子で、銀次が突き出された切っ先を(かわ)した。

 蒼穹は肝を冷やした。

〈見ず知らずの他人でも、目の前で人が刺されるのは御免だわ〉

 ニューヨークでも危険な思いをした。だが、実際に目の前で人が刺されたり、撃たれたりした経験はなかった。

 よりによって比較にならないほど安全な東京で、実際に刃傷騒ぎに遭うなんて、嫌になるほど運が悪すぎる。

 思ったよりも銀次の身のこなしが達者で、助かった。

 蒼穹はミニ・バンの近くに立つ青葉の顔をそっと窺った。冷静な表情に変わりなかったが、よくよく注意して見ると頬の辺りが引き()っている。

〈緊張して当然だわ。ストリート・ライブで度胸を鍛えていても、いきなり拉致されて、刃傷騒ぎに巻き込まれているんだもの。平然としていられるほうが、神経を疑うわ〉

 無線が入った。緊張した空気に〝ママ〟の声が割り込んだ。焦った蒼穹はボリュームを調節した。睨み合う男たちを無駄に刺激したくはない。

『大丈夫なの? パトカーは、まだ到着しないの』

 遠慮なく〝ママ〟が訊ねる。無線に向かって蒼穹は声を潜めた。

「ごめんね、取り込み中なのよ。パトカーは到着していないわ」

 心なしか一度は近付いたサイレンが遠ざかった気がした。

〝パトカー〟の言葉に、一瞬だけ銀次が眉を顰めた。すぐに表情を崩して、必要以上に大声で笑う。銀次を一瞥して、権堂が苦々しい顔を見せた。


        2

 覆面の二人に当て付けるように、嫌味たっぷりに銀次が青年に話し掛けた。

「お兄さんの言った通りでしょう。キレやすいのよ。この人たちはね」

 銀次に向けて、痩せ型の男が次のナイフを突き出した。

「ふざけんな、この野郎」

 興奮した言葉が、訛って感じられた。イントネーションが、微妙にズレていた。どこか日本語に慣れていない様子だ。

 突き出されたナイフが銀次のシャツを掠った。

「あれれ、参ったなあ。シャツが切れちゃったよ。冗談がきついんだよなぁ。なんでも、やって良いってもんじゃないんだけどなぁ。わかってんのかよおおぉ、こいつっ」

 笑いながら銀次が素早く動いた。ポケットから抜いた手には、飛び出しナイフが握られていた。

 痩せ型の手からナイフが落ちた。路上で跳ね返ったナイフが、耳障りな音を立てた。

 落ちたナイフが、路上に跳ねて飛んだ。蒼穹は慌てて飛び退いた。

 痩せ型の男が右手首を押さえていた。押さえた指の隙間から血潮が(ほとばし)る。

 声を堪えて、男が喘いだ。蒼穹は視線を逸らした。痩せ型の痛みが頭に浮かぶ。蒼穹は思わず眉を顰めた。

「何をしやがる」

 大声で怒鳴り、大柄の男が銀次を睨んだ。恫喝しながらも、思いがけない銀次の行動に驚いていた。

 我に返り、大柄の男が銀次に飛び掛かろうとした。

 権堂が背広から拳銃を取り出した。素早く銃口を大柄の男に向ける。

「ふざけるなとは、こちらの台詞じゃねえかな。おまえら、隠しているけど、もっとヤバいことをしたよな。俺たちに顔向けできないほどヤバい事件をな」

「知らねえな。何の話だ」

 白を切る男に向けて、権堂が引き金を引いた。表情は冷たく醒めたままだった。

 ぱーん、と乾いた音が、鼓膜を貫いた。体中が痺れ、自分ではなくなった感覚がした。

 身を(すく)めた蒼穹は、身動きができなくなった。

 予測できない展開だった。とっさに身構えたが、蒼穹は次の行動が取れないでいた。

 尻餅を搗くように倒れた大柄の男は、右肩を押さえていた。黒いシャツに赤黒く染みが広がった。威嚇ではなかった。直接に銃弾が身体を貫いていた。

「撃つな。これ以上、甚振ると、俺たちの老板(ラオパン)(ボス)が、お前らを許さない」

 及び腰になりながら、大柄の男が負け惜しみを口にした。

「いいのかな、捨て台詞なんか吐いちゃって。老板が許さないのかぁ~。それじゃ怖いから、知られないうちに、お前らを殺すしかないかなぁ」

 銀次が、ナイフを突き出した。痩せ型の男が太腿を押さえて路上に崩れた。太腿に血が滲んでいた。癇に障る高音で、銀次が狂ったように高笑いをする。


        3

 パトカーのサイレンが聞こえた。遠くから路地に向かって近付いた。

〈早く逃げないと、捕まったら面倒だわ〉

 ニューヨークでポリス・カーに撥ねられてから、近付くサイレンがトラウマになっていた。不安な感情が、蒼穹に退散を求めている。

 ポケットの上から、ラッキー・コインの感触を確かめた。曲がった金属の形状が、蒼穹の焦りを静めてくれる。

〈大丈夫よ、ソラ。あなたは逃げ切れる。絶対にこんな奴らに捕まらないわ〉

 強気の言葉を口の中で転がしながら、蒼穹は青葉に擦り寄った。

 覆面の男たちは、権堂と銀次に向き合ったままで、身動きができないでいた。

「逃げるわよ。一緒に走って」

 耳元に囁くと、青葉が「ダメよ」と、首を横に振った。視線が甚振られて倒れている青年に向いていた。

「私は、まだ逃げられない……」

 思いがけない返事に驚いた蒼穹は、青葉の横顔を凝視した。

 青葉は、青年を心配しても、同情してもいなかった。ただ呆れているだけに見えた。

 冷たい表情がすべてを物語っていた。

 倒れている青年が這いながら、痩せ型の覆面から逃げ出した。電柱の陰に隠れて腫れた顔を蒼穹に向けた。『助けて』と口が動いた。情けない、みじめな格好だ。

「あなたも逃げなさいよ。まだ走れるでしょう」

 転がった自転車を視線で示して、蒼穹は冷たい言葉を吐いた。青葉に釣られて、ついつい蒼穹も冷淡になる。

 もともと蒼穹は、意気地のない男が嫌いだ。

「黙って観ていないで、助けてよ。このままじゃ、殺されちゃうよ。助けに来てくれたんじゃなかったのか?」

自転車(ママチャリ)だから、二人は無理よ。競技用の自転車(トラック・レーサー)を持っているんだから、今のうちに逃げてよ。大丈夫だから」

 蒼穹は青葉を向いて。続けて話し掛けた。

「自転車まで走るわよ。到着したら、すぐにスタートするから後ろに乗ってね」

 掛け声と同時に、蒼穹は全力で駆け出した。まだ迷いが残った青葉の出足が遅れた。振り返ると、逃走に気付いた痩せ型の覆面が青葉を捕まえて盾にした。

 甚振られていた青年に目を移した。一目散に逃げ出す姿が、蒼穹の視界に入った。思いがけず、自転車の加速が著しかった。

 痩せ型の覆面が、突き飛ばすようにして青葉をミニ・バンに押し込んだ。刺された片足を引き摺りながら運転席に乗り込んだ。ミニ・バンのエンジンが掛かる。

 ミニ・バンが急発進。狭い路地を蛇行しながら銀次の前を抜け、睨み合う権堂と大柄の覆面の間に急停車した。

 後ろ手に大柄の男がスライド・ドアを開けた。権堂を睨みながら、ミニ・バンに乗り込んだ。

 閉まりかけたドアに向かって、権堂が銃弾を撃ち込んだ。口元が笑っていた。

 権堂の鼻先を抜けて、ミニ・バンが猛スピードでバックした。後ろ向きのままで、蒼穹に向かってきた。


        4

自転車(ママ・チャリ)が危ない!〉

 蒼穹は自転車に向かって一心に駆けた。倒れる寸前にまで、身体を前に倒していた。ハンドルを掴んでサドルに飛び乗った。

 蒼穹はペダルを回転させた。前ブレーキを掛けて、ジャックナイフ・ターン。浮き上がった後輪に体重を掛けて押さえつけた。

 スピンした車体がミニ・バンを向いた。

 蛇行しながら、ミニ・バンがバックで突っ込んでくる。蒼穹はコースを予測した。ミニ・バンに向かって、全身を使って自転車を発進させた。

 追い掛けられるより、突っ込んだほうがマシだ。

 狭い路地に食み出したラブ・ホテルの看板が邪魔だった。

 ミニ・バンの鼻先を横切った。猛進する車体とラブ・ホテルの入口との隙間に、自転車を突っ込んだ。看板との衝突を避けるために、急激なブレーキング。

 横滑りを始めた後輪を(なだ)めながら自転車を操った。風圧を叩きつけて、ミニ・バンが通過した。

 看板すれすれに路地に戻ると、蒼穹は自転車をターンさせた。

 流れる路地の光景に、権堂と銀次の姿が映った。権堂と銀次は、深追いをしなかった。

 ミニ・バンが走り去った路地で、権堂と銀次が踝を返した。ポケットに手を突っ込んだままで、威圧的に歩きだした。権堂と銀次の背中が裏路地に消えていく。

〈黒ずくめの男たちを泳がせて、アジトでも探るつもりかしら? それにしても、パトカーはまだ来ないの?〉

 気のせいか、サイレンの音は場所を変えていなかった。あまりにも時間が掛かり過ぎている。

 ミニ・バンを追い掛けて、蒼穹はペダルを踏み下ろした。自慢の愛車(ママチャリ)がぐいぐいとスピードを上げていく。

 メッセンジャー・バッグの無線機に向かって、蒼穹は叫んだ。

「ねえ、〝ママ〟。パトカーが来ないのよ。どうしたのかな」

『おかしいわね。近くにはいるんだけど、さっきから動いていないのよ――』

 警察には内緒だが〝ママ〟は個人的にカー・ロケーターを傍受するシステムを持っている。付近にパトカーが停まっている状況に、間違いはないはずだ。

『――ソラの事件よりも、大きな事件が起きているのかもね』

〝ママ〟の意見に賛成だった。警察が無駄に介入しないなら、それはそれで良かった。余計な邪魔をされずに、心置きなくミニ・バンを追い掛けられる。

〈でも、なぜ、青葉は逃げなかったのだろう。充分に逃げるチャンスがあったのに〉

 交差する路地にテールから突っ込んで、ミニ・バンが方向を変えた。路地に消えたミニ・バンを追って、蒼穹は全速力で次の路地に飛び込んだ。

 遠心力で、前籠に入った小包が横に滑った。蒼穹は不快な匂いを感じた。間違いなく、小包が悪臭の発生源だった。


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