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メッセンジャーによろしく  作者: 柴門秀文
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第八章 グロースター(GLOUCESTER) その2

 群衆の中から、悲鳴が上がった。満杯で身動きも取れない状態だった観客が、外側に向かって一斉に動き始めた。

 悲鳴は一つだけでなく、怜人のいた場所を中心に同時にいくつも上がった。

〈怜人が刺されたのか?〉

 背が低い現実を悔やんだ。状況を把握するために、蒼穹は人混みの先に先にと視線を動かした。

 逃げ出そうとする人の流れに押し戻されながら、蒼穹は少しずつだが前に進んだ。悲鳴と怒号が入り混じって、激しく人波が動揺し始めていた。

 逃げ出そうとする誰もが、前を塞ぐ背中に追突した。少しでも先に進もうと焦っていた。

 ほとんど喧嘩腰で、蒼穹は押し寄せる群集を掻き分けて進む。

 バンドの演奏が続いていた。凛華の歌声だけが、聞こえない。

 PA(公衆伝達)装置を通して大音量に変換された楽器の響きに分断されながら、切れ切れに凛華の言葉が聞こえた。

 演奏を停めようとしていた。このままに興奮を煽れば、いずれ歪みが制御できなくなって、破綻に繋がる。暴動であれ事故であれ、多数の被害者を生み出す結果は避けられない。

「一度、停止させた演奏を、再開させたばかりだから」と、バンド・メンバーの言い訳じみた言葉が演奏に紛れて伝わった。

「小芝居はもう()めろ、怜人!」

 騒動の中に雄太の叫ぶ声が響いた。悲鳴と共に、逃げ出す観客の群れが加速した。

 視界が開けた。怜人と取り囲む〝登龍〟の半グレ集団がいた。拳銃を構え、銃口を玲人に向けた雄太の姿が、群衆の逃げ出した空間に取り残されていた。

 遠巻きに(サークル)を作った観客が、恐怖と好奇心の入り混じった視線で、競り合いの行方を見守っている。場面は想像以上に緊迫していた

 群衆から抜け出した蒼穹は、不意に、採るべき行動を見失った。

「兄貴づらするなよ、雄太。あんたは手を引いたんだろうが。今さらいらない口を挟むなよ」

 怜人が雄太を振り返った。群れを成す半グレのチンピラ集団が、怜人と雄太の間から退いた。

 面白がった表情で、半グレのメンバーたちが雄太を揶揄った。侮蔑の表情に苛立った雄太が、興奮しながら拳銃のスライドを引いた。

「青葉を巻き込まなければ良かったんだ。約束だったはずだ、青葉から手を引く代わりに跡目の権利を譲る、って。青葉(あのこ)だって、僕たちと同じ血が流れているんだからな」

 雄太の言葉に反応して、怜人が顔を顰め、大きく口を曲げる。

「馬鹿馬鹿しい。常識やしがらみに囚われて、どうする。俺は青葉に心を奪われ、青葉を愛している。どうして感情を偽らなければいけないんだ」

 呆れた表情で、力なく雄太が首を横に振り、諭す口調になった。

「青葉の気持ちを考えていないのか? 計画を知る前から、青葉は、お前に心を惹かれていた。だけど、青葉にだって、やり遂げたい夢があるんだ」

 雄太と怜人の遣り取りに隠れながら、半グレのメンバーが、二人を取り囲む(サークル)の内側を厚く埋めていく。

 バンドの演奏が続いていた。観衆には、雄太と怜人の会話が聞こえていない。

 半グレの(サークル)がゆっくりと左に回り始めた。金髪メッシュが輪の中で全体の動きを纏めていた。あえて視線を合わせていないが、怜人とタイミングを取り合っていた。

 回転が速くなった。駆け出す半グレたちの内側に、蒼穹は取り残された。

「逃げて、ソラ! 危ない」

 ステージ上で凛華が叫んだ。声をタイミングに、(サークル)が中央に向かって突進した。

 巻き込まれた蒼穹は、男たちに押されて、前に進む。反対側から屈強な体格の半グレが押し寄せてきた。圧し潰される恐怖に、蒼穹は身を震わせた。

 驚く表情の雄太が、間近に迫った。構えた拳銃のやり場に困り、肘を曲げ、雄太が腕を頭上に持ち上げた。

 男たちの身体が、激しく衝突した。汗が飛び散り、肉がへしゃぐ音がした。身体を押し付けたまま、揉み合い(モッシュ)が、しばらく続く。

 揉みくしゃにされて、蒼穹は為す術もなかった。

 群衆という化け物(モンスター)に対して護身術は効かない。せいぜい、骨折を免れるために弱い部分を守るだけだ。

 (サークル)が再び開いた。中央に、倒れた雄太の姿があった。圧死を疑った。微かに動く背中を確認して、蒼穹は胸を撫で下ろす。

 辛うじて立っている蒼穹にしても、ダメージは大きかった。もう一度、同様のモッシュをまともに受けたら、雄太の二の舞になる恐れは強かった。

 回転が始まった。冷たい表情で、怜人が倒れている雄太を見下ろした。今回は、半グレだけでなく、煽られた群衆も回転に加わっていた。

 必死で停めようとする凛華に逆らって、バンドのメンバーが演奏を続けた。興奮するリズムとファズ・ギターのノイズが、観衆の狂気を煽り立てた。

〈今度、揉みくしゃにされたら、倒れている雄太は、死ぬかもしれない〉

 痛む身体を動かして、蒼穹は雄太に駆け寄った。

 左回りに加速する金髪メッシュが、残酷な笑みを蒼穹に向けた。回転の内側に立つ怜人だけが、下を向いて雄太を見詰めていた。

 無理にでも起こそうと駆け寄った蒼穹は、力の抜けた雄太の手を引いた。

 怜人が顔を上げた。金髪メッシュが回転する半グレの仲間に、目配せで合図を送った。

 蛮声を張り上げて、群衆が蒼穹と雄太を目がけて押し寄せた。

〈ダメだ。殺される〉

 足が竦んだ。気を失ったままの雄太の身体を、倒れないように蒼穹は抱きかかえた。倒れたままモッシュの波に踏みつけられたら、取り返しのつかないダメージに繋がる。

 押し寄せる群衆を睨みつけた。片足を引き、蒼穹は揉み合いの衝撃に備えた。

 暗がりの中で、右肩を下げて全身で突進してくる金髪メッシュの鍛え上げた筋肉が見えた。顔全体に残酷な笑いが浮かんでいた。

 金髪メッシュだけでなく、突進する群衆すべての顔が狂気と殺意に満ちていた。顔、顔、顔。雄太の死を期待した狂った群集が、ものすごい勢いで中央めがけて集まっている。

化け物(グロースター)だ。群衆こそが、凶悪で残酷なグロースターだったんだ〉

 抗う気持ちが身体中に溢れた。だが、修得したクラヴ・マガが使える相手ではなかった。心の壁を破って浸み出した恐怖が、身体全体に震えを(もたら)した。

 押し寄せる恐怖の群集(グロースター)に恐れをなして、諦めて目を瞑りたかった。心に弱い部分が生まれていた。

〈ダメだ。負けていられるか!〉

 蒼穹は弱い心に抗って、強く頭を振った。最後まで諦めるつもりはなかった。

 金髪メッシュの狂喜に溢れた視線を睨み返した。突進する人波が目前に迫った。衝突はもはや免れない。

〈停まれ! 停まれ! 停まれ!〉

 押し寄せる群衆を睨みながら、心の中で念じた。

 突然、鼓膜を貫き通す高音のハウリングが路上に響いた。

 スピーカーの電源が突然に落ちた。同時に、眩しい光が頭上から差し込んだ。蒼穹を中心に発生した揉み合い(モッシュ・ピット)全体が、刺すような白い光に包まれた。

 蒼穹を取り囲む半グレ集団を先頭にした群衆が、突然の光に、我を失った。腕や掌で光を遮り、突進を忘れて立ち竦んだ。

 ドラムの連打が静寂を打ち破った。重低音のサウンドが、群衆を包み込んだ。グース・ダウンの楽曲(ロック)だった。青葉が拉致された時と同じだった。

 街宣車上のステージでは凛華を含むメンバー全員が、呆然と視線を上げていた。

 蒼穹は、群衆を取り囲むビル群を見回した。ビルの壁面に設置された巨大ビジョンが、白一色に映像を変えていた。

 再び巻き起こった高音のハウリング。スクリーンに書き出された、荒々しい筆致の黒い太文字。

 巨大なスクリーンの枠から、はみ出しそうになって、強いメッセージを伝えていた。

『すべての群衆は呪われよ!』

 太文字が巨大化して迫り、画面がすべて黒で塗り潰された。鼓膜を揺さぶるエキゾースト・ノイズが、交差点を包み込んだ。

 改造バイクに囲まれた秋黎会の街宣車が、群衆で溢れるスクランブル交差点に突っ込んできた。

 フル・ボリュームの軍歌が駅前の空間に流れた。グース・ダウンのロックと混じり合って、群衆全体を狂騒状態に包み込む。

 道を空けて逃げ出す群衆の悲鳴が聞こえた。

 スクランブル交差点から揉み合い(モッシュ・ピット)に向かって、一直線に群衆の壁が開いた。

 戦闘服の同志に守られて、周東が姿を現した。開かれた群衆の壁を歩く姿が白い光に包まれた。戦闘服のメンバーが腕を組んで群衆の(サークル)を広げていく。

「やめろ! 兄弟で啀み合って、どうする」

〈周東は剛劉会を纏めるつもりだ〉

 すべての流れが、焦点を結んだ。

〈周東個人の野望のために振り回されたのか〉

 すべてが空しくなった。信頼していた周東に裏切られた気がした。力の抜けた蒼穹は、わずかに意識を取り戻した雄太から手を引いた。

 雄太が力なく、歩道にしゃがみ込んだ。呆然としている雄太の瞳に光が差した。

「ふざけないでよ。勝手に跡目を継いだ気にならないで」

 ヒステリー過剰の叫び声が蒼穹の鼓膜を貫いた。戦闘服で固めた群衆の壁を割って、向日葵がサークルの中に飛び出してきた。片足を引き摺りながら、銀次が後から続く。

「ずいぶんと厚い面の皮をしてやがんな、てめえ。この(アマ)が送った嫌がらせを悉く無視(シカト)するなんてな」

 皮肉たっぷりに口を曲げた銀次が、周東を見下げて嘲笑(あざわら)った。

「無視は、していない。利用させて頂いたがな」

「馬鹿にしないでよ。あれは、あたしの〝思い〟なんだ。あたしは、俊ちゃんのためだったら、何だってする。組を捨てたあんたなんかより、俊ちゃんのほうが跡目に相応(ふさわ)しいんだから」

 身体を折って、向日葵が振り絞るように大声で叫んだ。向日葵は周東に向かって走り出した。腰の高さにナイフを構え、一直線に突き進んだ。

()せ! 向日葵」

 人混みの中から権堂が飛び出した。突進する向日葵に向かって、行く手を阻もうと駆け出した。

 観客から悲鳴が上がった。周東はいっこうに逃げ出そうとはしなかった。

「逃げて! 周東さん」

 蒼穹は叫んだ。声に反応して、周東が蒼穹に目を向けた。『これでいい』と言わんばかりに、穏やかな笑みを浮かべていた。

 突進する向日葵が周東の間近に迫った。為す術もなく蒼穹は拳を握っていた。目を逸らそうと思いながらも、視線が離せなかった。

 小さく悲鳴を上げて、走っていた向日葵の小柄な身体が、横に吹っ飛んだ。権堂が体当たりを喰らわせたためだった。

 無様に路上に倒れた向日葵に向かって、権堂が仁王立ちになった。息が乱れ、肩が大きく上下に動いていた。

 どこか、不自然だった。武闘派のタフな権堂にしては、疲れすぎている。

「この、バカ女が。誰に向かってヤッパ振り回してやがんだよ」

 背広の奥に手を忍ばせながら、権堂が向日葵に近付いた。

〈ナイフがない。どこに行ったの?〉

 倒れている向日葵の手から、ナイフが消えていた。辺りの舗道上にも転がっていない。

〈まさか……〉

 目を凝らす蒼穹の前で、権堂が片手で向日葵を抱え上げた。暴れる向日葵に手古摺りながら、睨むような表情で、権堂が周東にお辞儀をした。

 踝を返し、歩き出した権堂の横を銀次が抜けようとした。周東に刃向かおうとしていた。

「やめろ、銀次」

 顔を振り向かせて、権堂が銀次を叱った。反意を剥き出しにして、銀次が立ち止まり、権堂を睨んだ。それ以上は語らず、向日葵を抱えて、権堂は群衆の中に戻った。

〈血だわ〉

 舗道の上に点々と残る滴が、向日葵の手から消えたナイフの行方を示していた。

 蒼穹は権堂を追い掛けようとした。再び巻き起こったドラムの連打。重低音のサウンドが、改めて群衆を包み込んだ。グース・ダウンの楽曲(ロック)が始まった。

 ステージの上に立ち尽くしながら、凛華はボーカルを再開できないでいた。

 観客の中から、人差し指が立てられた。広場を埋めた観客が一斉に暗い空を指差した。奇跡を呼ぶように観客が、声を合わせて叫んだ。

衛星を撃ち落とせショット・ザ・ギグ・ダウン!」「衛星を撃ち落とせショット・ザ・ギグ・ダウン!」

 渋谷駅前広場を、地響きに似た圧倒的な(パワー)が揺さ振った。まだ目にしていない展開を、群衆が期待していた。

 路上に(パワー)が溜まり始めていた。力は磁場となって、集まった観客一人一人の心を交差点上に結集させた。

 突然、照明が消えた。頭上から降り注ぐ白い光が消えた。ビルの照明も街灯も、全てが失われ、駅前広場全体が闇に包まれた。

 槍のような強い光が、一直線に暗い空に向かって投射された。見上げた観客から悲鳴が上がった。

「あれは何?」

「人だ。堕ちてくるぞ」

 地上に背中を向けて、足掻きながら落下する人影が高い空に映し出されていた。豆粒ほどの小さな姿が加速度を付けて、地面に向かって落ちてくる。

〈逃げなければ〉

 すり足で後じさりする蒼穹の踵を、倒れていた雄太が掴んだ。

「逃げないで、見届けてくれ。青葉の新しい旅立ち(スタート)だ」

 雄太の言葉に足が停まった。意味が解らなかった。

 戦闘服のメンバーが群衆に向かって留まるように命じた。怯えながら空を見上げる群衆は、声さえも失っていた。ドローンのプロペラ音が降下するように大きくなった。

 背中から落下する青葉の姿が、投射された光の中から消えた。


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