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メッセンジャーによろしく  作者: 柴門秀文
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第七章 重力(GRAVITY) その3

 渋谷ランプを降り、渋谷駅方面に向かう右折車線に入った。手前から、激しい混雑が始まっていた。頻繁にブレーキを掛けながら、車はようやく交差点手前まで進んだ。

 渋谷駅に向かう玉川通りの側道には、車が何重にも隙間なく詰まっていた。レクサスの入り込む隙など、僅かばかりも残されていない。

「くそっ、どきやがれ、この野郎(ブタ)ども」

 苛立った銀次が、怒鳴ろうと窓を開けた。振り回すために、ポケットから取り出したナイフの刃を開く。

 交差する通りを確認して、ナイフを仕舞い、再び窓を閉めた。銀次がドアのアーム・レストを拳で叩いた。

 パトカーの赤色灯が、交差点のすぐ近くまで迫っていた。強引な割り込みは、できなくなった。

「まだ動かねえのか」

 落ち着いた態を装っていたが、権堂が苛立ちを隠せずにいた。繰り返される貧乏揺すりと、指先で肘掛を叩く不安定なリズム。

 聞いているだけで、蒼穹まで、どうしようもなく焦ってきた。

 ようやく側道に入った。頭上を塞ぐ首都高速の先に空が覗く。うす暗くなっていた。

 蒼穹は、モバイル・フォンで時刻を確かめた。午後五時を回っていた。

 グロースターからの要求は、それぞれ十五分程度の距離を走る道程ばかりだった。だが、依頼品を探す時間を合わせると、思いがけず時間を費やした。

 このままでは、まもなく周囲が暗くなる。

 剛劉会と登龍の衝突が日没以降になると、一般市民が巻き込まれるリスクが増す。薄暗い街路灯の下では、相手の確認が困難だ。

〈そもそも、衝突自体を防がなくては〉

 謎の宣言文に煽られて、渋谷スクランブル交差点は過剰な密集状態になっていた。

 凶器を振り回す抗争事件が、人混みの中で突然に始まったなら。逃げ惑う群衆によって引き起こされる二次災害も、高い確率で発生する。

 一般市民を巻き込んで被害が増えたなら。事件は暴力団と半グレの抗争事件の範疇を越えて、動乱にまで発展しかねない。

 単なる半グレ集団の排除が、剛劉会のみならず本部組織の解体、破滅にまで追い込まれる危険があった。

 事態は椛島会長の危惧した範囲を遙かに超えていた。

〈グロースターの目的は、本当に剛劉会の解体だったのか?〉

 目的が正しいならば、グロースターの正体は、剛劉会に深く恨みを抱く人物になる。該当する人物に、そこまで怨恨を深める人物がいるとは、思えなかった。

〈剛劉会の存在を消し去りたい人物なら、どうだ?〉

 椛島会長に繋がる人物ならば、雄太、怜人と周東がいる。

 雄太は、すでに剛劉会の跡目の立場を放棄していた。グロースター本人ならば、蒼穹と同じに一方的に送り付けられる情報に、翻弄されているはずがない。

 剛劉会の跡目相続を狙い、登龍との関係を絶とうと考えている怜人なら、なおさら剛劉会が健在であるように望むはずだ。

 周東に至っては、もうすでに剛劉会との関係を絶ち、独自に道を切り開いていた。今更この期に及んで関係を押し隠す必要はない。

 向日葵の口から聞いたばかりだが、権堂にも、椛島会長の血が流れている。当然だが、自分で企てた壊滅の計画を、自ら止めにはいかない。

〈青葉は? どう……〉

 路上シンガーからメジャーに進出するためには、剛劉会の血筋は抱えた爆弾でしかない。

 スキャンダルになる前に存在自体が壊滅していれば、話題性は薄れる。剛劉会の壊滅が目的ならば、青葉が一連の出来事を陰で操っている可能性は高い。

〈でも、まだ高校生くらいの年齢の少女が、暴力団組織の壊滅など、考えるだろうか〉

 蒼穹は背中を向けてシートに(うずくま)ったままの向日葵に声を掛けた。

「いったい、あなたは誰に小指を送ったのよ?」

「教えたくないって言ったでしょう。自分で探しなさいよ」

 背中を向けたままで、向日葵が答えた。体調が悪いのか、不機嫌な声だ。口の中にこもり、小声すぎて、聞き取り難い。

「少しだけ教えて、青葉ではないの?」

「さあて、どうだろうね」

 青葉の名前を聞いても、目立った反応はなかった。向日葵の態度が変わらない限り、蒼穹自身が一人一人に訊き出さなければ、真相は解明しない。

 青葉は雄太や怜人と一緒に行動していた。権堂が受けた椛島兄弟に関する情報が正しければ、青葉も渋谷にいるはずだ。

 このまま抗争になれば、真実が解らずじまいになる恐れが大きかった。一刻も早くハチ公前、スクランブル交差点に到着する必要があった。

「車を出るぞ。このままでは埒が明かない」

 業を煮やした権堂が、ドアを開けて蒼穹に声を掛けた。

「あなたも行きましょう」蒼穹は背を向けている向日葵に手を伸ばした。

「いやよ、行かないわ」激しく頭を振って、向日葵が蒼穹の誘いを拒んだ。

向日葵(そのおんな)は置いていく。足手纏いだからな――」

 権堂が強い口調で蒼穹を止めた。

「――銀次、しっかり見張っていろよ。逃がすんじゃねえぞ」

 続けて車内に声を掛けると、不満をあからさまに見せて銀次が大声を出した。

「留守番ですか、俺が? 冗談だぜ。思いっきり暴れられると、心待ちにしていたのに」

「口答えすんじゃねえ。てめえに荒らされたんじゃ、治まるもんも治まんなくなるんだよ」

 鼓膜が破れそうなほどの勢いで、権堂が銀次を怒鳴りつけた。怒りに任せて銀次が思い切りドアを叩き、口を堅く結んでソッポを向いた。

 銀次を気にしながら、蒼穹は路上に降りた。動き出した左車線の隙間を見計らって、権堂と共に側道を渡った。

 本当は、向日葵も連れて行きたかった。緊迫した現場で、向日葵がどんなふうに反応するかを確認したかった。

「どうしても、向日葵さんは連れていけないんですか?」

「ふてくされた女を連れて行って、どうするつもりだ。向日葵(あれ)は強情な女だ。何があっても、隠し事を打ち明けたりしねえ」

 権堂が冷たく言い切った。

 駅に向かう歩道は、すでに混雑し始めていた。邪魔立てする相手を睨みつけながら、幅を利かせて権堂が先に先にと食い込んでいく。

 小柄な蒼穹は、歩幅を大きくする必要があった。大柄な権堂に連れられて歩くと、まるで親子のようだ。店舗の窓に映った姿を見付けて蒼穹は苦笑した。

 もちろん、蒼穹の父親がやさぐれているわけではない。それでも頼もしく思える理由は、経験のない事態に底知れぬ恐怖を覚えているからだ。

 向日葵を連れて来られなくて残念だった。だが一方で、銀次が残された結果になり、蒼穹は胸を撫で下ろしていた。

 狂気を孕んだ銀次の行動を考えると、内側から足を(すく)われる恐れがないだけ、安心だ。

「脇道に入るぞ。目立ちすぎる」呟くように告げて、権堂が脇道に入った。

 追い掛ける蒼穹は、さりげなく後方を確認した。パトカーから降りた制服警官が、後を追っていた。

 六メートル程度しか離れていなかった。脇道に逸れる気配に気付いて、警官が走り出す。歩道に溢れる人波に邪魔されていた。思うように進めない警官が焦りを見せた。

 警笛を銜えた。耳を貫く高音が鳴った。頭上を塞ぐ首都高速の高架に反射して何度も響き渡った。

「走れ! 体力は残っているな?」

「もちろんよ。自転車便(メッセンジャー)をナメないで」

 次の十字路に向かって、権堂と二人、猛烈にダッシュした。追い掛けてくる警官が路地に入るまでに、姿を消しておきたかった。

 最初のうちに撒いてしまえば、後が楽だ。

 十字路を右に曲がった。ビルに挟まれた路地の先に(たむろ)する男たちがいた。

 上半身裸の上に(じか)に背広を羽織っていた。袖捲りした腕や、胸から首にかけて、びっしりと細かい絵柄の刺青(いれずみ)が彫られていた。おのおの、頬や額に漢数字を彫り込んでいた。

 男たちは全部で五人。テープを巻いた木刀や鉄パイプを肩に担いでいた。

「クソ野郎(ムシ)ども。道を開けやがれ」

 吐き捨てるように権堂が怒鳴り、ポケットに手を差し入れながら駆け出した。権堂を追って疾駆(ダッシュ)しながら、蒼穹は大声で止めた。

「拳銃はダメよ。私に任せて」

「ケガをするぞ。やめておけ――」

 声に出しかけて、権堂が言葉を止めた。顎を撫で、口元を緩ませる。天空庭園で受けた蒼穹の頭突きを思い出したようだ。

「――いや、余計な世話だな。わかった、任せたぞ。思い切り甚振(いたぶ)ってやれ。倒しきれない奴は、俺が始末してやる」

 肩を落とし、上目遣いに睨みながら、権堂が男たちに向かって堂々と歩を進めた。

「甘く見ないでよ。あなたたち」

 権堂の前に出て、蒼穹は小走りになった。

「ふざけるな、小娘が」

 額に〝伍〟の刺青を入れた男が、獣の咆哮のように野太い声を上げた。木刀を振り上げ、一直線に蒼穹に迫ってきた。

 額の〝伍〟が寄せた皺で歪んでいた。眉を逆立てて目を吊り上げている。

 走りながら、男が木刀を振り下ろした。

 腰を落とし、蒼穹は〝伍〟の懐に飛び込んだ。両手を合わせ、木刀を支える〝伍〟の前腕を押し戻す。振り下ろす勢いを反動に変えられた〝伍〟が仰け反った。

 不安定な〝伍〟の足元を、蒼穹は回し蹴りで払った。筋骨隆々の身体が、鈍い音を立てて、情けなく路上に転がった。

 権堂が、止めの蹴りを〝伍〟に、ぶち込んだ。

「くっそう、調子に乗るなよ」

 鉄パイプを投げ捨てる音がした。蒼穹は音の方向を確認した。両頬に〝壱〟の刺青をした男が、拳闘の構えをした。

 左足を前に出し、〝壱〟が肩幅と同じ歩幅で膝を軽く曲げた。すぐにでもストレートを打ち出せるように右足の踵を浮かしている。

 腕は無駄な力を抜き、脇を固めてガードを絞っていた。

 左拳を目の位置まで上げ、顎を狙う攻撃に備えて、肩でガードしていた。右肘を脇腹にくっ付けて守り、右拳で顔をガードする。

 軽く前屈みになり、顎を引き、〝壱〟が上目遣いに蒼穹を睨んだ。

 フット・ワークが良さそうだった。プロ・ボクシングの経験ありと、蒼穹は値踏みした。

「おい、どうした? いきなりの戦意喪失か?」権堂が揶揄って笑う。

 一切の構えを捨てて、蒼穹は両腕のガードを解いた。

 ゆっくりと歩きながら〝壱〟に近付いた。バカにした態度に、顔を歪めて〝壱〟が激怒した。素早いジャブを繰り返して、蒼穹を牽制した。

〈やっぱり、ダメね。プロじゃ通用しないわよ〉

 感情に動かされ過ぎだ。〝壱〟のリーチがギリギリで届かない位置まで足を進めると、蒼穹は立ち止まって鼻で笑って見せた。

〝壱〟の顔が真っ赤になった。刺青の場所だけが盛り上がって見えた。

 体重が左足に移った。左拳が僅かに動いた。左ストレートが突き出された。

 上体を少し後ろに反らし、〝壱〟のパンチを躱した。同じ流れで膝を曲げ、蒼穹は〝壱〟の懐に飛び込んだ。

 右ストレートが突き出された。屈伸を利用した蒼穹は、飛び出す勢いで〝壱〟の股間に膝を蹴り込んだ。同時に顎を目がけて掌底を突き上げる。

 驚いた表情で〝壱〟の身体が宙に浮いた。そのまま背中から路上に激突した。

 続く〝弐〟と〝燦〟が鉄パイプを振り上げて、同時に迫っていた。

「片方は俺に任せろ」

〝壱〟に止めを刺した権堂が、振り下ろされた〝弐〟の腕を掴んで捩じ上げ、首筋にハンマー・パンチを(よじ)り落とした。

 大柄な権堂が繰り出したパンチは効果抜群だった。ひとたまりもなく〝弐〟が前のめりに路上に突っ伏した。

 呆気にとられた〝燦〟の顎に頭突きを加え、倒れた股間に、蒼穹は踵を蹴り落とす。

 左頬に〝死〟と刺青を入れた男が、腰を抜かして路上にしゃがみ込んだ。何もせずに、陥落だった。

 背中を下にして這って逃げる〝死〟の顎を目がけて、軽快なステップで権堂が爪先を蹴り上げた。

 白目を剥いて、〝死〟が道路に伸びた。

「やるな、自転車便(メッセンジャー)!」

 振り返った権堂が、面白がって声を懸けた。蒼穹は前を見据えて権堂に告げた。

「急ぎますよ。いつまでも下っ端にかまけている余裕はない」

 次の丁字路に向かって蒼穹は駆け出した。急がなくては警官に追いつかれる。

 権堂を連れて丁字路を左に折れた。突き当りのビルの上に湧き上がった雲が見えた。雲の端がオレンジに染まり始めていた。

〈急がないと、夕暮れになる〉

 口を(つぐ)み、蒼穹は次の突き当りに向かって走った。焦る気持ちが蒼穹の中で大きくなっていた。


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