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メッセンジャーによろしく  作者: 柴門秀文
3/37

第一章 アジテーション その2

        1

 青葉を拉致した黒いミニ・バンが、京王・井の頭線の高架下を抜けた。赤信号の直前だった。急ハンドルで右前方のバス・ターミナルに突っ込んでいく。

 スキッドしながら、ミニ・バンが車体を転回(ターン)させた。ドリフトしながら対向車線に飛び出した。ブレーキングで走行ラインの乱れを調整しながら、すぐにまた左折。

 井の頭線沿いの路地に走り込んだ。

〝ウェーブ通り〟の看板がある路地だ。

 慌てて逃げる歩行者の間を擦り抜けながら、ミニ・バンが強引に姿を消していく。

 チェーン・キーを外した。蒼穹は自転車(ママチャリ)のサドルに跨った。前籠には、入れた記憶のない小包が入っていた。手に取って確認する余裕はない。

 ペダルを逆回転、軸足を使って井の頭線の高架下に向かって車体を方向転換させた。

 蒼穹の愛車は、クランクとギアを換えていた。固定ギアのピスト・バイク仕様になっている。

 制動装置(ブレーキ)の付いていないピスト・バイクは日本では違法だ。両親からの激しい反対もあった。

 東京でメッセンジャーを再開させた経緯は、両親には内緒だった。

 通勤に自転車が必要と説き伏せた。唯一、許可が下りたママチャリを手に入れた。

 平坦なニューヨークと違い、東京は坂が多い。固定ギア仕様のピスト・バイクよりも、本来は変速ギアが向いている。

 反面、変速ギアだとチェーンが外れやすい。だから、至急便の配達には、向いていない。

 機能のデメリットは、鍛えた体力でカバーする。

 蒼穹は、サドルから腰を浮かした。ハムストリングと大臀筋を頭の中に意識する。

 クランクに最大級のトルクを伝えるために、股関節を中心に、最高の配分でペダルを回転させた。

 溢れる歩行者の間を縫い、蒼穹は信号が点滅し始めた高架下の横断歩道に飛び込んだ。

 歩行者にぶつからないギリギリのラインで、加速しながら通りを渡り切る。

 高架になった井の頭線の渋谷駅が頭上から圧し掛かってくる。高架を支える丸い柱が威圧的に走行を阻んでいた。

 歩道の点字ブロックを走り抜けた。震動で、前籠に入った小包が飛び跳ねて転がった。

 箱の合わせ目に浮き出した染みが見えたが、歩行者の間を擦り抜けるために注視ができない。

 車体を傾けながら、蒼穹は〝ウェーブ通り〟に飛び込んだ。


        2

 狭い車道の道端に停めた営業のバンが、走行の障害になっていた。歩道からはみ出した歩行者の数は思ったよりも少ない。

 通りの先に、暴走する黒いミニ・バンの姿が見えた。クランクになった通りの死角に、黒い車体が消えていく。

〈追いついて確認しなければ〉

 クランクの先は五差路になっている。

 どこに曲がったかだけでも確かめる必要があった。

 レンガ状のブロックを敷き詰めた路面がネックだった。ガタガタと振動をまともに拾って走り難い。安定の悪い路面だった。

 腰を浮かし、体重を掛けてハンドルを押さえつけた。限界に達するまで、蒼穹はペダルを踏み続ける。

 遊びなく車輪と直結したチェーンが、飛ぶ鳥のように一直線に蒼穹の身体を走らせる。

 クランクに飛び込む手前に、横断通路があった。道に並行して聳える巨大ショッピング・モール(マークシティ)の東館と西館を繋ぐ通路だ。

 エアロ・パーツで飾り立てた大型ワゴン車が、右側から姿を現した。

〈急ブレーキを掛けても止まれない〉蒼穹は判断した。

 そもそも、フル・スピードでブレーキを掛ければ、ピスト仕様の愛車(ママチャリ)は派手に転倒する。

 ワゴン車より先に交差点を抜けるために、ペダルを高回転させた。

 蒼穹の猛突進に大型ワゴンが怯んだ。残された隙間を縫って、蒼穹は車体をバンクさせた。左に進路を膨らませて、自転車がワゴンの鼻先を横切った。

 コンと小さな音が耳に届いた。

 メッセンジャー・バッグの固定ベルトが、一本だけ外れていた。蒼穹が巻き起こした旋風に揺れて、ベルトの留め具がワゴン車に当たった音だった。

「馬鹿野郎! やりやがったな」

 怒号と共に、耳を劈くほどけたたましくエア・ホーンが掻き鳴らされた。横断通路の狭い空間に反響して、騒音は鼓膜を破る衝撃に変わる。

 停まるわけにはいかなかった。構っていたらミニ・バンを見失ってしまう。何より、話し合って解る相手ではない。

 片手を上げて、一方的に謝意を表した。体勢を戻して、新たな坂道に突入した。坂を登るミニ・バンのテール・ランプが、赤く光った。


        3

 加速をつけて、坂道を突っ走る。路面が滑り止めの付いた粗いコンクリートになった。

 腰を上げた。腰を左右に振りながら、負荷が増えたぶん強く、強引にペダルを踏み続けた。

 改造マフラーの派手な響きを噴き上げて、改造ワゴンが追い掛けてくる。

「待て! この野郎、逃げるんじゃねえ」

 野太い怒号が、走る背中を追ってくる。蒼穹は、さらにスピードを上げた。命の危険さえ覚えるほどの勢いだった。

 坂の途中に、花屋のトラックが駐まっていた。蒼穹に気付かずに、トラックがウインカーを出した。動き始めて斜めになった大きな車体が、狭い進路を塞いだ。

 いちゃつきながら歩いている男女が、蒼穹の思い描いた走行ライン上に入り込んできた。

「どいて、どいて、どいて!」蒼穹は大声で叫んだ。振り向いた女が、突進する蒼穹に気付き、驚いた表情で口に掌を当てた。

 派手なエンジン・ノイズと怒号を巻き起こしながら、改造ワゴンが勢い込んで、蒼穹の後ろから追ってくる。

 迫力に怯えて、女が足を停めた。慌てた男が女の手を引いて右端に逃げ出した。

〈チャンスだ! 突っ込め〉

 ありったけの力を振り絞って、蒼穹は自転車のクランクを高速回転させた。

 トラックの鼻先に〝貸店舗〟の張り紙が付いたシャッターが迫っていた。隙間は、かなり狭い。

〈大丈夫。自分を信じて!〉

 最短のラインを想定して、蒼穹はトラックとシャッターの隙間に飛び込んだ。自転車が走り抜ける風圧で、シャッターが揺れて音を立てた。

 侵入者に気付いたトラックの運転手が慌ててブレーキを掛けた。トラックの鼻先が一瞬だけ沈み込んで、また元に戻る。

 反動で揺れを繰り返すトラックの前を、衝突するギリギリで走り抜けた。バンパーと接近した(すね)の辺りに、微かな擦過の感触があった。

「くそっ、退け! 邪魔するんじゃねえぞ。この野郎!」

 改造ワゴンが、急ブレーキを掛けた。タイヤが派手にスキッドする。悲鳴が坂道全体を包んだ。

 ワゴン車の中から怒鳴り散らす声が、道を塞ぐトラック越しに聞こえてきた。

 体勢を戻しながら、蒼穹は苦笑した。短く息を吐く。

〈大げさなのよ、ストラップが当たったくらいで〉


        4

 トラックをやり過ごすと、道が開けた。坂を登った先が、斜めに曲がっていた。もうすぐ黒いミニ・バンが坂を登り切る。

 メッセンジャー・バッグに取り付けた無線に向かって、蒼穹は声を張り上げた。

「ねえ、〝ママ〟GPSで確かめて。この先で道が見えなくなるけど、交差点はどうなっているの?」

〝ママ〟はディスパッチャーの主任でシングル・マザーだ。ちょっと太めのダイナマイト・ボディだが、渋谷、新宿の路地という路地を知り尽くしている強者だ。

『仕事じゃないわよね、ソラ。何をしているの? ずいぶんスピードを上げているのね』

「詳しい話は後でするわ。車を追い掛けているの。逃がすわけにはいかないのよ」

〝TQサーブ〟の事務所では、モバイル・フォンのGPS機能を利用して、瞬時にメッセンジャーの現在位置を確認できる。

 蒼穹の緊迫した声の調子に勘を働かせた〝ママ〟が、納得した調子で即答した。

『路地が斜め左に曲がっているでしょう。先に、左に入る丁字路があるわ。ライブ・ハウスの前よ。ライブ・ハウスの先に玉川通りと道玄坂を結ぶ道路が交差するわね。片側六メートルの道路よ。右に折れると、少し坂を降りて、すぐに道玄坂上交番前の交差点に出るわ』

 玉川通りに出るつもりなら、渋谷駅前でバス・ターミナルを抜けなくとも、直進すれば良かったはずだ。

〈右折して道玄坂に出るつもりね。道玄坂に出たら、左折して神泉駅に向かうか、直進して、円山町か? そうね、見失ったら円山町だわね。ラブ・ホテルに逃げ込む可能性が高いものね〉

 蒼穹はクランクを高速回転させた。交差点まで大きな障害物は見当たらない。

 坂道になど負けていられなかった。蒼穹は死に物狂いで自転車のスピードを上げた。

 ピスト・バイク仕様の愛車(ママチャリ)は、どこまでも蒼穹の期待に応えてくれる。

 力を使えば使うほど従順に速度が上がっていく。改造したクランクとチェーンは、相当な高回転でも、壊れる心配はない。

 坂を登り切り、交差点を右折した。道玄坂に続く道の先にミニ・バンの黒い車体が消えようとしていた。ウインカーを点滅していなかった。

〈やはり、円山町に逃げ込むつもりね。よかった、なんとか、ギリギリ間に合った〉

 道は、わずかに下り坂になった。ミニ・バンを追って、蒼穹は速度を上げた。

 風に乗って、一瞬だけ怪しげな匂いがした。匂いの元は判らなかった。路上に放置された生ゴミが()えて悪臭を立てているような匂いだった。

 前籠の中で小包が裏返っていた。中身が気になったが、交差点が目前に迫っていた。


        5

 蒼穹は顔を上げて道路の状況を確認した。道玄坂は登りも下りも、渋滞していた。身動きを止めた車列の間を見計らって、黒いミニ・バンが対向車線に飛び出した。

 タイヤを鳴らしながら、赤信号を無視して、交差点に突っ込んだ。電子ホーンと派手な排気音に反応して、交差点の反対側にある交番から警官が飛び出してきた。

「黒のバン! 停まりなさい」

 交番のスピーカーから警告が響いた。信号は赤のままだった。変わる気配が見えない。交差している道玄坂が渋滞しているとはいえ、続けて飛び込むには躊躇(ためら)いがあった。

 警察官に捕まっては、元も子もない。しかし、円山町に続く道は、すぐにカーブを描いて先が見晴らせなくなる。

 大人しく青信号を待っていては、肝心のミニ・バンを見失いかねない。

〈行くっきゃないわね〉

 警察官から最も離れる曲線を思い描いた。ミニ・バンに続いて、蒼穹は交差点に飛び込んだ。

「待ちなさい! 信号を守りなさい」

 警笛と共に、警察官が横断歩道を渡ってきた。蒼穹は腰を上げ、ペダルを強く踏み込んだ。渋滞を擦り抜けて交差点を渡り終えた。

 警察官に注目している隙に、ミニ・バンが姿を消していた。

〈まいった。見失ったわ……〉

 ひとまず、警察官の追跡を撒く必要があった。このまま立ち止まるわけにはいかない。

 直進すると、進入禁止の標識が前方に現れた。手前に右に折れる道と、突き当りを左に曲がる選択があった。

『左折したら一方通行に従う限り、すぐに道玄坂に戻るわよ。円山町からは離れるけれど、まともに考えれば、右折しか選択はないわ』

「オッケー、〝ママ〟車の走行に合わせた道順を教えてね」

 指示に従って、和風の瓦塀を巡らせたラブ・ホテルの角を右に曲がった。ミニ・バンの姿は見えなかった。心なしか、左前方から排気音が聞こえた気がした。

『次の交差点を直進。狭いけど、突き当りが右に折れているから、道なりに。手前の交差点で左折すると、元の道玄坂に戻るしか、ルートはなくなるからね』

「道なんか見えないわよ。狭すぎないかな? ミニ・バンが通れるの?」

 突き当りを右に入った。直前になるまで、道がある事実さえ気付かない狭さだ。

 おまけに、狭い路上に電柱や看板がはみ出している。

『慣れていれば、通れる幅はあるわ。逃げ込むからには土地鑑があるはずだから大丈夫。信じて、ソラ。不安があると、タイムが遅れるわよ』

「解ったわ〝ママ〟。信頼しているわ」

 軽い笑い声が、無線から聞こえた。力いっぱいペダルを回しながら、蒼穹は少しだけ心が(なご)んだ。

 太めのダイナマイト・ボディから出る声は、いつも柔らかくて優しさに満ちている。

『手前を左折してね。直進だと狭いままだから、おそらく次で左に曲がるわ。二つ目の角を左折して。直進すると、一方通行で道玄坂に戻るからね』

〝ママ〟が指示をした手前の丁字路に毒々しい色のラブ・ホテルの看板が乱立していた。

 蒼穹は、ふと怪しい気持ちがした。一方通行の出口だが、テール・ランプの赤い光が、視界の端に残った。


      6

 丁字路を走り抜けたとき、怒鳴り声と顔を殴る音が聞こえた。

 ペダルを逆回転させて急ブレーキ。斜めに滑りながら、蒼穹は自転車を停めた。

 怒号と殴る音が続いていた。蒼穹は声を潜めて、無線に告げた。

「何か、ヤバいかも知れないわ。〝ママ〟連絡したら、すぐに110番通報してね」

『了解。だけど、無理はしないで』

 自転車(ママチャリ)をバックさせて、慎重に路地を覗いた。

 ミニ・バンが、一方通行を逆走して停まっていた。黒い車体の前方に競技用の自転車(トラック・レーサー)と華奢な身体つきの青年が倒れていた。

 覆面をした黒ずくめの男たちが二人がかりで、倒れた青年を甚振(いたぶ)っていた。

「何をしているの」

 蒼穹は悲鳴と共に大声を上げた。黒ずくめの男たちを牽制するためだ。無線に向かって〝ママ〟に110番通報を頼むと、全力でミニ・バンに向かって自転車(ママチャリ)を走らせた。

 ミニ・バンの反対側に、大きめの迷彩シャツを羽織った青葉の姿が見えた。怪我をしている様子には見えなかった。

 蒼穹は安堵した。走りながら、さらに大声を上げた。

「やめて! 警察を呼ぶわよ」

 青年を甚振っていた男の一人が、蒼穹を見た。鋭い視線が突き刺さる。口元に意地悪な笑みを浮かべ、男が再び青年を殴り始めた。蒼穹の存在は無視だった。

 血塗(ちまみ)れになりながら、青年が泣きじゃくっていた。顔を(そむ)けながらも、思いがけず青葉は冷静な表情のままだった。

 遠くで、パトカーのサイレンが聞こえた。

〈〝ママ〟が連絡してくれたのね。良かったわ〉

 男たちが攻撃の手を緩めたら、青葉を奪って、一刻も早く立ち去ろうと思った。

 しかし、男たちは暴行の手を緩めなかった。まるで楽しむように倒れた青年の腹を蹴り続けている。

「いい加減にしてよ。警察が来るからね」

 自転車(ママチャリ)を降りた。蒼穹はミニ・バンに向かって警戒しながら歩く。

 路地の先、古いラブ・ホテルの横から、大柄の男が現れた。蒼穹は足を停めた。男の姿には見覚えがあった。

 凛華の街宣演奏を見ていた暴力団員だった。背広を両肩に掛けて羽織っていた。腰巾着のチンピラを一人、連れていた。黄色いアロハ・シャツを着た、軽い男だった。

 拳を握り、妙に落ち着いた様子で、暴力団員が男たちに近付いていった。


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