表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
メッセンジャーによろしく  作者: 柴門秀文
29/37

第七章 重力(GRAVITY) その1

 狡猾な表情を近付けて、椛島会長が顔に刻まれた深い傷を歪めた。

 東池袋で目にした『リチャード三世』のポスターを連想して、思わず蒼穹は身を引いた。

「しばらく可愛がった〝登龍〟から手を退こうと、孫たちが謀略を計っている。権堂と一緒に止めて欲しいんだがな」

 (しゃが)れた声が、老いて乾いた唇から擦り抜けて聞こえた。暗い洞窟から響くような低音だった。

「奴らは会長を刺した犯人が〝登龍〟の三下だと勘違いしている。向日葵(このおんな)が〝登龍〟を利用して会長(おやじ)に近付いたからな」

 感情を殺した声で、権堂が椛島会長の話に補足した。

 疑問が浮かんだ。余計だと思いながらも、率直に蒼穹は椛島会長に訊ねた。

「手を切って困るほど〝登龍〟は重要な相手なのですか?」

「正直、面倒な奴らだ。こちらは面倒を見てやっとるつもりだがな。対等だと思い込んでおる。三下まで、ろくに挨拶すらしない」

 顔を顰め、椛島会長が蟀谷(こめかみ)に手を当てた。

 蒼穹には理解ができなかった。そもそも、剛劉会と登龍の関係が解らない。

〈登龍は、剛劉会の下部組織ではなかったのか?〉

 探りを入れようと思った。声を潜めて、蒼穹は身を乗り出した。

「関係が切れて、都合良いわけですね。でも、関係を切りたいんなら、なぜ謀略を止める必要があるのですか?」

「時機が悪いんだ。会長の襲撃が半グレの仕業だと信じる若中連中が、登龍を潰せとイキまいている。小競り合いになって死人でも出れば、ソタイの格好の餌食になるだけだ。組潰しと半グレ解体を目指した連中に、鼻息荒い勢いでガサ入れを喰らう」

 椛島会長に替わって、権堂が答えた。両膝の間で、権堂は何度も手を組み直した。椛島会長の前では話し難い話らしい。

 場の空気を気にせずに、へらへらした調子で銀次が口を挟んだ。

「つまらん内部のいざこざで、剛劉会を潰すわけにはいかねえんだよ。わかるよなあ、ねえちゃんにだって。だからこそ今は、登龍と最終決戦を目論見て、画策している〝お坊ちゃん〟たちに手を退いて頂かねえといけねえんだよ」

「なあにね、難しいことはないんだ。あんたはメッセンジャーの役割を果たしてもらえばいい。権堂と孫とは、馬が合わんのでな。あんたが間に入って欲しいんだ」

 身分を(わきま)えない銀次の態度に苦笑いして、椛島会長が覆い隠すように話を繋ぐ。

「どうして私ですか? 悪玉(グロースター)が見つかったのだから、向日葵さん(このひと)に謝罪させて、丸く治めれば良い話ですよね」

 蒼穹は仕事を受けかねていた。ヤクザの手先にだけは、なりたくない。〝TQサーブ〟の利用規約にも、暴力団関係の依頼だけは受けない決まりになっている。

 返答を渋っていると、顔を背けたままで、向日葵が唸るように低い声で呟いた。

「悪玉って、なによ。勝手に決めつけないでよ。あたしではないわ。グロースターなんて、これっぽっちも知らないわ」

「私の会社に配送指示をしたでしょう。〝切断した小指〟や〝切り落とした髪〟で綯った絞首刑のロープを小包にして送り付けたわよね」

 蒼穹の言葉を聞いて、「はあ? なに、それ?」と眉を顰める。振り向いた向日葵が不機嫌な声を出した。

「言いがかりだわね。あたしは確かにベッドで添い寝している会長を刺したわよ。でも、他には、なんもしてないわ」

 予想外の答に、蒼穹は困惑した。向日葵でなくて、誰が小指や髪を送りつけられるのか。

「でも、その指は?」

 意地悪な表情を浮かべ、向日葵が嬉々として笑う。

「確かに、小指や髪を切って叩きつけたわよ。嫌がらせのためにね。いけ好かない奴だからさ。あたしがどんなに俊作を愛しているか、見せつけてやったんだ」

 一般的な心中立てではなかった。一途に愛する相手ではなく、脅すほど嫌う相手では、立場が逆転していた。

「誰に送り付けたの? 権堂さんではなかったの?」

 思わず声が大きくなった。

「さあね、教えたくないわ。自分で調べてみたら」

 口を曲げて向日葵が背中を向けた。再びシートに(うずくま)る。

 周東の顔が、真っ先に思い浮かんだ。渋谷の駅前広場で最初に〝切断された小指〟の入った小包を受け取った相手は周東だ。

 向日葵が蒼穹の配送に関わっていないのなら、受け取った小指を使って、周東が自作自演をした疑いが生まれる。

 最初の小包は、凛華のステージを見ている間に、こっそりと自転車の前籠に置かれていた。演奏前に、間違いなく周東が蒼穹に近付いていた。

 歩道に駐めた自転車に立ち寄って、前籠に小包を仕込む行為なら、可能だ。

〈他に誰か、近くにいなかったか?〉

 向日葵はいなかった。ピンク尽くめの特異な格好が近くにいれば、さすがに蒼穹も気付いているはずだ。

〈だが、コスプレを着替えていたら? 軍服を脱いで、金髪のウィッグを外していたら、どうだ? しかも、過去に〝向日葵〟には会っていない〉

 普段着の向日葵が近くにいても、雑踏に紛れて記憶に残るはずがない。

〈でも、さっきの言葉を信じる限り、向日葵はTQサーブを利用してはいない。存在すら知らなかったはずだ〉

 しかも、送り付けた相手が蒼穹だとしたら、いけ好かない相手が蒼穹という話になる。

 蒼穹には心当たりがなかった。〝ママ〟に見せられた画像を見るまで、向日葵の存在など知る由もなかった。

〈他に誰か、いなかったか? ……そうだ〉

 凛華の演奏が始まる前、蒼穹は権堂の姿を群衆の中に見つけていた。

 まだ権堂の存在を知らなかったが、いかにも場違いなヤクザの風体だったので、覚えている。しかし、向日葵は送り付けた相手が権堂ではないと暗に示唆している。

 蒼穹をメッセンジャーに選んだ理由も、偶然だとは思えなかった。当初はメッセンジャー・バッグに表示されたアドレスを見て連絡してきたと考えたが、安易すぎる。

 偶然が重なるたびに、確率は天文学的な数値に近付いていく。

 誰かが、明確な意図をもって計画的に進めなければ偶然も起こり得ない。

〈誰なのだ。心中立てを装って、得になる人物とは?〉

 すべては群衆の中で発生した青葉の拉致から始まった。いや、正確に言えば、スクランブル交差点を囲むマルチ・ビジョンのジャックが始まりだ。

『すべてのGは呪われよ!』

 シェークスピア演劇のセリフを捩った言葉の意味に翻弄されながら、蒼穹は路地を走った。マルチ・ビジョン・ジャックの首謀者がグロースターだと思ってきた。

〈もしも根本から想定が間違っているとしたら?〉

 今さら軌道修正はできるだろうか。

 モバイル・フォンが短く振動した。〝ママ〟からのメールだ。

 画面を見られないように逸らしながら、蒼穹は通信文を確認した。

『G、見つかったよ。意外な画像』

 下矢印の方向にスクロール。東京近郊の鉄道路線図が現れた。

『解らなければ、コレ』

 次の下矢印を辿ると、マップにギザギザの太線が現れた。渋谷を出てから、蒼穹が走った道筋だった。ほとんど山手線に絡みつくように走っていた。

〈思ったよりも、狭い範囲だわよね〉

 TQサーブのテリトリーも、ほぼ同じで、山手線の内側か近隣だ。

『二つの画像を重ねてみて』

 特別な画像は現れなかった。離して眺めると、なにやら違和感を覚えた。

〈G……だ! 見つけた〉

 蒼穹自身の走った軌跡が、山手線を強調させていた。環状の路線を中央総武線が横切っている。神田=御茶ノ水の路線を加えると、形状が巨大な〝G〟に見える。

 JR環状線と言論統制、向日葵の心中立てを利用したグロースターが意図する関連が次第に見えてきた。

 だが、何のために関連付けるのか? 肝心の問題が不明のままだ。

 権堂が携帯電話を開いた。受信があった。ぶっきら棒に相槌を打ちながら、権堂が必要な事項だけを告げた。

「お坊ちゃんの居場所が判った。渋谷だ。スクランブル交差点。行くぞ」

 権堂が銀次に指示した。面倒だと言いたげな表情で、口を曲げた銀次がドアを開けた。

「来いよ。お前がいなくちゃ、何も始まんねえ」

 車道に降りた銀次が、蒼穹に向かって手招きした。拒むつもりはなかった。結末を知る権利は、メッセンジャー役の蒼穹にだってあるはずだ。

「私は自転車で行きたい」

「馬鹿野郎、逃げていいですか、と訊くようなもんだ」

 笑いながら鋭い目で銀次が睨む。強い力で蒼穹の手首を掴んだ。手首を回して、蒼穹は銀次の手を振り解いた。

「解ったわ。手を掴まなくても、一人で歩けるから」

 蒼穹は「退いて」と銀次を睨み、車から降りた。

「それじゃ、親父(おやっ)さん。行きます」権堂が会長に挨拶をして、向日葵の手首を掴んだ。「お前も来い。これ以上あれこれ親父さんの手を煩わすわけにはいかねえ」

「ほっといてよ。あたしなんて、どうなってもいいんだから」

 ヒステリーになって、向日葵が権堂に抵抗した。有無も言わせずに、権堂が向日葵の頬を張った。

「お前が良いかどうかの問題じゃねえ。また親父さんに刃物(やっぱ)を向けられちゃ、困るんだ」

 座席に崩れた向日葵の腕を、権堂が強引に引いた。怯えて震える向日葵が権堂の顔を覗き込み、縋るように訊いた。

「殺すの? 当然だよね。会長を殺そうとしたんだものね」

 権堂は無表情のままだった。無言で乱暴に向日葵の腕を引く。激しく抵抗しながらも、向日葵の身体がシートの上を引き摺られた。

「あまり派手にするなよ。(ねや)で刺されたなんて、恥ずかしくていけねえ」

一部始終を見ていた椛島会長が、口を曲げて苦笑した。

「ありがとうございます。すんません、馬鹿な情婦(おんな)で」

 抵抗する向日葵に力尽くで頭を下げさせると、権堂が車の外に出た。車の外に引き摺り出されてもなお、向日葵が抵抗を繰り返した。

 荷物でも引き摺るように、権堂が向日葵の身体をレクサスに向かって運んだ。

「どうするんですか、そいつ。連れて行くんですか?」

 運転席のドアを開けた銀次が振り返って、いかにも嫌そうに口を開いた。

「放っておくわけには、いかねえ。会長(おやじ)を狙った女だ」

 後部ドアを引き開けて、権堂が向日葵をレクサスの車内に押し込んだ。物でも扱うように乱暴だった。蒼穹は権堂に抗議した。

「酷すぎませんか? あなたを愛している女性なんですよ」

「殺されるより、マシだ」

 必要以上に説明はなかった。ドアに手を掛けたままで、権堂が「乗れ」と蒼穹に短く指示をした。

 無駄に時間を懸ける訳にはいかなかった。雄太と怜人が渋谷から姿を消す可能性だって大いにある。

 権堂の指示に従って、蒼穹は車内に入った。隣に権堂が乗り込んでくる。窮屈だが我慢するしか方法はなかった。

「渋谷で何をしているんですか? 雄太くんと怜人くんは」

「さあな。若い奴らの考えは、まるでわからねえ」

 権堂が渋い声を出した。運転席から振り返った銀次が残酷な表情で嬉しそうに笑う。

「戦争でも考えているんじゃあねえか。(ヘッド)をぶっ殺しても、半グレに仁義はねえからな」

 蒼穹の隣で権堂が静かに首を横に振る。

「戦争は、できねえな。親父が組の連中を抑えているからな」

「ま、どうでもいいや。発車しますよ、兄貴。急ぎますから、どっかに掴まってください」

 エンジンを掛けると、いきなり車を発進させた。乱暴な運転だった。一時停止を無視して大通りに突っ込んだ。信号に構わず、交差点をUターン。

 異常な走り方に、競い合う車はなかった。財務省の角を左折して首都高速環状線の霞が関インターを目指していた。

 タイヤを鳴らし、車が交差点を曲がるたびに、捨て鉢になった向日葵の身体がドアに叩きつけられた。

 掴まる場所などなかった。蒼穹はシートに身体を埋めていた。

 両手両足を使って何とかシートの端にしがみ付き、狂気じみた車の動きに堪えていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ