第六章 祝祭(GALA) その1
ビルの外に出ると、ミニ・バンが姿を消していた。
自動販売機の前には清涼飲料水のロゴが入った赤いトラックが駐まっていた。同じロゴを背負った作業員が、詰め替え作業の途中だった。
緊張しながら、蒼穹は小路の周囲を確認した。怜人が蒼穹と雄太を待たずに姿を消した。おそらく理由は、近くに追っ手の姿を確認したからだ。
小路には、配送のトラック以外に目立った車両は見当たらなかった。半グレ集団の姿も見つからない。地味な格好の青年たちが、秋葉原駅から大量に吐き出されてきた。
チェック柄の半袖シャツに黒いリュックを背負っていた。青年たちが、路地に向かって歩いていた。野暮ったい風貌に不似合いな、少女アニメの缶バッチを付けている。
二人か三人のグループを組んで、話しながら歩く姿が、多く見受けられた。意味不明の言葉を展開させながら、滑舌悪く早口で、地下アイドルの名前を次々と口にしている。
急ぐ姿が混じる理由は、地下アイドルのライブが始まる時間が近いからだ。
ドラッグ・ストアの紙袋から、カラフルなケミカル・ライトが覗いている。
一心に歩く独立系も、思いがけず多い。
青年の一人が、蒼穹にぶつかった。モバイル・フォンを見ながら、目を上げずに歩いていた。
顔を合わせずに、青年が謝った。覗き込むように、一瞬だけ目を上げた。
青年の顔に、驚きの表情が浮かぶ。
「どうした、ぶつかったのか?」
遅れて外に出てきた周東が、低い声で蒼穹に訊いた。
焦った青年が、ぎごちない動きで、足早に逃げ出した。
ハンバーガー・ショップの看板の先で、青年が立ち止まった。もどかしい様子でイヤホンを外し、モバイル・フォンを操作した。
画面と蒼穹、道端に駐めた雄太の自転車を交互に見比べていた。
「あんたが〝走る女戦士〟だって気付いていたな、あれは。ほら、動画サイトを確認しているよ」
面白がって、雄太が蒼穹の耳元に顔を寄せた。
青年は雄太のトラック・レーサーに違和感を覚えている様子だった。〝走る女戦士〟にしては、トレード・マークの自転車がない。
通り過ぎるグループを手招きして呼び止め、青年が声を掛けた。何度も頭を下げながら、遠慮がちに蒼穹を指差した。知り合いではなさそうだった。
顔を寄せて、青年たちが話し合っていた。意気投合した様子だ。「デュフフ」と、奇妙な笑い声が聞こえた。
グループの一人が、モバイル・フォンのカメラを蒼穹に向けた。ひょろ長い体形の若者だった。青年と話し合っていたメンバーが、ひょろ長の抜け駆けに気付いて声を上げた。
グループのメンバーが次々とカメラを構えた。青年も慌ててカメラを向けた。
先に録画を終えたひょろ長が、親指を動かして、メッセージを書き込んだ。書き終えると満足そうにニヤけて、送信ボタンを押した。
間違いなく、今どこかのSNSに投稿された。
「ずいぶんな人気だな。アイドル並みだ」
雄太に代わって、今度は周東が蒼穹を揶揄った。モバイル・フォンを操作しながら友人と話していた女子中学生が、驚いて周囲を見回した。
ひょろ長のSNSに気付いた様子だった。口が『うそー』の形に動いた。軽く握った手を口元に当てて、しげしげと蒼穹を見定める。
野次馬の人垣が蒼穹を取り囲むのに、時間は掛からなかった。
それぞれが手にしたモバイル・フォンを掲げ、シャッター音や動画の終了音を立てていた。集まった野次馬の勢いに、蒼穹は半グレにも勝る恐怖を感じた。
蒼穹は、雄太に向き合った。
「先に日比谷に向かうわね。このままじゃ、事件になっちゃう。自転車を貸して」
「僕も一緒に行くよ」
蒼穹は頭を振った。
「凛華の街宣車を呼ぶから、周東さんと一緒に後から追い掛けてきて」
「でも、僕の自転車だぞ」
物分かり悪く、雄太がいつまでも引き下がらない。
「二人乗りは無理よ。無理に乗ったとしても、速度が出せない」
これ以上に出発が遅れると、野次馬が多すぎて身動きができなくなる。目的地の日比谷にしても、場所の確定ができていない。到着してから、周囲を走り回る必要があった。
「僕にだって、結末を確認する義務があるんだよ」
自転車を奪い取ろうと、雄太がハンドルに手を伸ばした。これ以上は話しても無駄だった。
「ごめんね。時間がないの」
蒼穹は雄太の手首を掴み、回転させるように捩じ上げた。背中を向いた雄太の膝に、後ろから押さえつけるように蹴りを入れた。不意を打たれた雄太が舗道に膝を突く。
「何をするんだ。僕の自転車だぞ」
「わがまま言うなよ、お坊ちゃま。ソラに任せてやれよ」
脇に回った周東が、捩じ上げた雄太の手首を引き継いだ。
「ふざけんなよ。あんたまで、こいつの味方か」
逃れようともがいた雄太の頭を、周東が小突いた。周東は小気味よく笑い、蒼穹に向かって目配せした。
「心配しなくていい。こいつは、俺が面倒を見る」
周東の言葉に頷いて、蒼穹は雄太のトラック・レーサーに跨った。
「借りるわね。必ず返すから」
雄太を見詰めて、蒼穹は笑顔を見せた。ペダルに足を入れて、左足を軸に逆回転。方向を換えた。
「ガンバレ! 俺たちは後から追い掛ける」
顔を上げて、周東が笑顔で蒼穹にエールを送った。
「お返しはしてもらうぞ。たっぷりと利息を付けさせてもらうな」
悔しがる雄太を残して、蒼穹は野次馬の壁に向かった。モバイル・フォンのカメラを向けながら、野次馬の群れが蒼穹を見送った。
間もなく、再スタートした蒼穹の雄姿が画像となって、インターネットに載せられる。秋葉原でリアル女戦士を見たと話せば、興味深い話題となるはずだ。
蒼穹は、周東を振り返った。雄太の隣から姿を消していた。顔を戻す途中で、野次馬の後方に金髪メッシュの気配を感じた。敵の姿を見つけて、周東が姿を隠したらしい。
大通りに出ると、ようやく野次馬から解放された。フロント部分の潰れたBMWが路肩に駐まっていた。人垣に囲まれて発車できないでいる。
車道に飛び出して、ペダルを強く踏んだ。群衆の中から拍手が起こった。
登龍に捕まらないように、最初のうちにできるだけ距離を開けるつもりだ。
右手を高く上げて群衆に別れを告げ、車道を逆走した。人垣の切れ目を狙って歩道に乗り上げようとして、やめた。人が多すぎる。放置自転車が舗道の多くを塞いでいた。
ガード・レールの切れ間と歩道の人混みを気にしながら、車道を走った。駐車する輸送車両が目の前を塞いだ。奥から、スピードを上げた黒いトランザムが突進してくる。
トランザムに正面から突っ込む形で、駐車車両を回避した。驚くドライバーの表情に心の中で謝りながらも、強硬な走行を蒼穹は続けた。
〈人混みが途切れた。今だわ〉
蒼穹は歩道の段差を乗り越えるために身構えた。
上半身をハンドルに被せ、両腕を突き出して腰を引く。ハンドルを引き寄せてジャンプ。バニー・ホップで、しゃくりあげるように後輪を宙に浮かした。
ママチャリと違って、トラック・レーサーはタイヤが細い。タイヤとリムを傷めないように、滑らかなラインで着地した。
神田川を渡り、歩道橋の袂を回り込むようにして脇道に入った。今度は走行車両も少ない。一方通行の流れに従っているから、心配は要らない。
歩道から降り、蒼穹は、心置きなくスピードを上げた。
本来は〝走り〟が目的の自転車だから、反応が敏速だ。細部まで高性能にチューン・アップされたマシンを駆りながら、雄太が性能を完全に把握していたかどうかを疑った。
場合によって、高性能は諸刃の剣になりかねない。
〈もったいない〉とクランクを回しながら、蒼穹は、やっかみの感情を雄太に抱いた。
実態が暴力団であれ、権力を巡る争いに巻き込まれた。雄太には、望みさえすれば簡単に最高性能の自転車を手に入れられる立場がある。
理解できてもいないスペシャルな性能まで、本人が知らぬ間に用意される優雅な生活だ。
〈宝の持ち腐れね〉
吐き捨てるように息を吐き、誰にともなく蒼穹は口を曲げて見せる。
〈どうして、雄太のために〉
内輪揉めならば、外部の人間まで巻き込まないで欲しい。甚振られた身体中の打撲痕を、蒼穹は一つ一つ意識する。
雄太が跡目争いから早々に手を引いていれば、青葉との関係を諦めていれば、こんな最悪の状況には絶対にならなかったはずだ。
ムキになってペダルを回した。計らずもペダル・ストラップから爪先が外れた。
バランスを崩した蒼穹は、慌ててペダルに足を戻した。前を睨み、ふらつく車体を立て直すために、車輪の回転を上げる。
失敗の原因に気付いて、蒼穹は苦笑した。妬み、嫉みと、詰まらない思いに心を乱し過ぎだ。〝常に前向き〟が蒼穹のモットーではなかったか。
道端から、怒鳴りながら男たちが飛び出してきた。白いタンクトップに納まりきれない分厚い胸筋から腕にかけて、毒々しい色彩の刺青が彫り込まれている。
スピードを上げて、走行ラインを変えた。間一髪で、半グレの手を擦り抜けた。
走り切る蒼穹に向けて、半グレ集団から何かが投げつけられた。バラバラと自転車の脇に落ちる石や、靴に混じって、金属音が甲高く耳に刺さった。
一瞬だけ、光る金属片が視界に入った。刃先の鋭い投げナイフだった。
〈殺すつもりなの〉
事件は、核心に迫っている。疑いはなかった。蒼穹の確保にどんな意味があるのか解らない。だが、半グレたちの行動は異常だった。
自転車便の蒼穹を襲ったからといって、何の得にもなるはずがなかった。
〈賞金でも掛けられているのかしら〉
今の蒼穹は、依頼された小包を持っていないし、目的地の代々木公園だって全く確信が持ててはいない。
攻撃は振り切った。だが、次の待ち伏せは確実に存在する。メイン・ストリートの走行は危険だった。路地を多用しながら、待ち伏せの予想を攪乱しなければならない。
いずれにしても動画サイトが邪魔だった。走行の現場をいちいち録画されて、位置情報ごとアップロードされていては、どこを走っても、すぐに半グレたちに気付かれる。
走りながら蒼穹は〝ママ〟に無線を繋いだ。ノイズが入った。驚いた〝ママ〟の声が、風に邪魔されながら蒼穹の耳に届く。緊張した心が、少しだけ和んだ。
『どうしたの? 池袋中央公園から、ずっと連絡がなかったけど』
〝ママ〟は、音信不通になった蒼穹を、本気で心配していた。気が付けば、地下駐車場に入ってから、一度も無線連絡していなかった。心配しても当然だ。
「拉致されたの。大変だったのよ」
〝ママ〟が絶句した。蒼穹の声色を伺いながら、抑えた声になる。
『大丈夫なの? ケガは、ない?』
「すでにボコされているから、青痣だらけ。だけど、動けているから大きな影響はないわ。それよりも、問題があるのよ」
いざという時の〝ママ〟頼みだった。すかさず〝ママ〟が、頼りがいのある声を出す。
『できることなら、何でもするわよ。安心して、自暴自棄にだけは、ならないでね』
「自暴自棄なんて絶対にならないわよ。知っているくせに」
蒼穹は失笑した。〝ママ〟が、蒼穹に合わせて短く笑いを返す。
『〝常に前向き〟だものね。知っているわよ。で、どんな問題が起きたの? 私は、何をすればいいの?』
「〝動画サイトに私の行動が流されている〟って教えてくれたわよね。動画や写真の位置情報を調べて、私を待ち伏せしている連中がいるのよ」
〝ママ〟が、言葉を詰まらせた。蒼穹の話した内容が、簡単には理解できない様子だった。
『〝待ち伏せって〟あなたのファンなの? ストーカー? それとも、今回の悪玉?』
「半グレの〝登龍〟のメンバーに狙われているの。ボコされた相手も、〝登龍〟なのよ」
悔しくて、涙が滲む。視界が邪魔されないように、首を振って蒼穹は涙を散らした。
『解ったわ。情報を攪乱させてやればいいのね』
「できる? 無理なら、いいのよ」
型通りの返事を伝えたが、〝ママ〟なら必ずやってくれると信じていた。
『大丈夫よ、信じなさい。ところで、渡されている緊急セットの中に、赤いバンダナが入っているのよ。知っている?』
「長尺物を運ぶときに結ぶやつね。あるけど、使った記憶はないわ」
もともと長尺物は配達対象になっていない。万が一、どうしても断れないときに使えと説明されていた。
『動画で映るように、目立つ場所に結び付けて。あとは、指示された通りに走ってくれればいいわ』
「オーケイ。目立つ場所に結び付けるわね」
前方に半グレの姿はなかった。振り返っても、追いかけてくる様子は見られない。
路肩に寄せて、蒼穹は自転車を停めた。メッセンジャー・バッグを降ろし、中から小袋に入った緊急セットを取り出した。
反対側の歩道に、若い女子の集団がいた。肩を叩いて話し合い、蒼穹に気付いてモバイル・フォンのカメラを向けてきた。
女子たちに構わずに、蒼穹は緊急セットから赤いバンダナを取り出した。これ見よがしに、蒼穹は右の腰にバンダナを結びつけた。
「右の腰に、バンダナを結びつけたわ。動画を撮っている女子がいたから、写るように付けたわよ」
『いいわねえ。どんどん見せちゃってちょうだい。もう、いいわよ。自転車をスタートさせて』
調子に乗った蒼穹は、女子たちにⅤサインを示して見せた。女子たちが甲高い奇声を上げて嬉しがった。タカラジェンヌにでもなった気分だった。
ペダルを踏んで、蒼穹はスピードを上げた。
「バンダナで、どうするつもり?」
『分身の術よ。大量の身代わりを、東京中に走らせてやるわ』
メッセンジャーの同僚を、総動員するつもりだ。
「ありがとう。でも、みんなの仕事の邪魔になるわ」
『気にしないで、待機中のメンバーに、お願いするわ。ソラの身が危ないんでしょう。みんな、引き受けてくれるわよ。できたら、同業者にも協力していただくわ』
〝ママ〟の言葉に、蒼穹は安堵した。偽物の蒼穹が東京を走り回る姿を想像して、思わず苦笑する。頼りになるのはメッセンジャーの仲間たちだった。
猛烈な勢いで増殖する、虚実入り混じった動画の洪水を想像した。面白がったネットの住民たちが炎上させてくれたら。半グレに見つかるリスクは、確実に減るはずだ。
「路地に入るわ。〝ママ〟次は、どこに行ったらいいの」
山手線の手前で、蒼穹は線路沿いに続く路地に入った。神田方面に斜めに突っ切る近道だった。
このまま走ると、道は神田駅前に出る。目立たない路地に進路を変える必要があった。




