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メッセンジャーによろしく  作者: 柴門秀文
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第五章 呪われた胎(Gebärmutter) その5

〝日陰の向日葵〟の画像に示された場所に到着した。秋葉原駅の東側に位置していた。

 首都高速と山手線に挟まれた昭和通り沿い。小道を挟んで総武線の鉄橋が架かっていた。

 一階にハンバーガー・ショップが入った古いビルだった。二階に創作居酒屋、三階にサラ金の事務所があった。四階が空室で、最上階にメイド喫茶が入っている。

 路上駐車の車種を確認しながら、怜人が総武線沿いの小道にミニ・バンを乗り入れた。

 護国寺インターから首都高速を使う当初のルートではなく、住宅地の入り組んだ小道を中心に走った。

 幹線道路を長く使うと警察の追跡はもちろん、登龍の待ち伏せを受けるリスクが高い。

 何度も道筋を替える時間のロスはあったが、幹線道路で起きている渋滞が回避できた。

 そもそも、タラレバで仮想するほど時間に余裕はない。

 周東は見つかっていない。〝呪われた胎〟と銘打って送られた写真の部位が大腿部または下腹部だとすれば、裸にされた被写体が殺されている可能性も否定できない。

 壁面に並べられた自動販売機の前に怜人がミニ・バンを駐めた。

 蒼穹は車窓からビルを見上げた。奥まった場所にある入口が容易に見つからない、そんな佇まいの雑居ビルだった。

 ドアを開けて外に出た。駅前の路地に特有の饐えた匂いがした。スライド・ドアの間から車内を覗き込んで、誰に向けるともなく、蒼穹は営業用の明るい声を上げた。

「依頼品を配達に行きます。何かあったら、呼びますね」

「一人で大丈夫なのか?」

 怜人の心配は、蒼穹の安全ではない。グロースターとの接触に失敗して、一連の要求が途切れる事態だ。当然と分かっていたが、なんだか少し悔しい。

 メッセンジャーだから、心配も兄弟の枠外なのだ。

〈バカみたい。仕事だもの、当然よ〉

 答えずにいると、遠慮なく雄太が笑い声を上げた。親指を縛った結束バンドは、すでに外されていた。

「心配ないさ。メッセンジャー(このこ)は女戦士なんだぜ」

「なんだよ、女戦士って」

 怜人が驚いた顔で蒼穹を見た。顔が熱くなる。蒼穹は口籠った。照れ臭さを誤魔化すために拳を握り、戦士の構えを真似てみせた。

「クラヴ・マガを少しだけ」

「勇ましいんだ」

 言葉では感心しながら、怜人は冷たい表情のままだった。

「女だてらに無理をすると危ないわ。捕まって痛い目に遭うだけよ」

 反応は、青葉のほうがストレートだった。『大丈夫なのか?』と蒼穹に訊いた、場繋ぎの怜人の言葉に、焼きもちをやいたらしい。

〈この兄弟って、いったいどんな関係なの〉

 蒼穹は愛想笑いを作って、話を誤魔化した。

 小包を抱えて蒼穹は駆け出した。まずは四階の空室を目指した。階段を登ると、雄太が追いかけてくる。

「一緒に行くよ。僕にも確かめる義務がある」

「構わないけど、自転車を降ろしてきてちょうだい。追手に発見されたら、あなたの弟は迷わず車ごと逃げるでしょう。足がなくなったら困るもの」

 義理堅く、怜人が蒼穹を待っているとは、思えなかった。

 狭い入口を奥に進む。二人分の幅もないエレベーターの扉に突き当たった。階段を三段登った踊り場の上だった。

 扉にサラ金の名前とイメージ・キャラクターの顔が印刷されたステッカーが貼られていた。

 ビルに駆け込んできた雄太が、蒼穹に追いついた。

「行こうか」エレベーターの呼び出しボタンに、雄太が指を伸ばした。

「エレベーターは危険よ。階段で行くわ」

 頭を振って、蒼穹は止めた。

「階段か、疲れるよ」

「エレベーターが停まったフロアで、敵のアジトにいきなり飛び出したら困るでしょう」

 反論する暇を与えずに、身を翻して蒼穹は階段を駆け上った。文句を口にしながら、雄太が後を追いかけてくる。

 創作居酒屋前の踊り場に、乱雑に縄椅子が積まれていた。閉店の貼り紙が見える。縄椅子の間を擦り抜けて次の階段を登った。

 続く三階のサラ金にも人影がなかった。ガラス戸の奥にパーテーションが作られ、中が覗けない。

 四階に登ると、全体に暗くなった。階段の照明が、不規則な点滅を繰り返していた。

 入口のドアに『空室、即日利用可』の貼り紙。右下に手書きで、不動産屋の名前と連絡先が示されている。

『行ってらっしゃいませぇ。ご主人様、お嬢様ぁ』

 頭上から、甘ったれた口調で客を見送るメイドの声が響いた。人の出入りも感じられる。

 他人に隠れて刺青の写真を撮れる場所なら、二階か四階だ。〝空室〟の貼り紙の前に足を止め、蒼穹は雄太を振り返る。

「中を確かめるわね」

「鍵が掛かっているよ。間違いなく」

「絶対はないわ――」首を横に振って、蒼穹はドア・ノブに手を伸ばした。「――開かなかったら、改めて考えればいいのよ」

 ノブを回して、ドアを押した。抵抗はなかった。少しだけ隙間を開けて、蒼穹は手を止める。息を潜めて、室内を窺った。背中越しに雄太も中を覗いていた。

「人の気配は、ないな」

「待ち伏せているかも。安心はできないわ」

 慎重にドアを押し開けた。カーテン代わりの茶色い紙が、窓に掛けられていた。外光が遮られて、全体に薄暗い。

 こもった空気が、埃っぽくて鼻についた。くしゃみを堪えて、蒼穹は鼻に皺を寄せる。

 入口付近に資材が残されていた。外した玄関のガラス扉とパーテーションが一式、壁に立て掛けてある。『パーソナル・ローン』の文字が、剥がされた跡になって残っていた。

 他には、何もなかった。窓まで八メートル、横幅が五メートルほどの空間に日焼けしたフロア・カーペットが敷き詰められていた。

 壁際にオフィス家具の跡が変色せずに残っていた。事務机が置かれた脚の名残が、点々と丸い窪みを作っている。

 何度じっくり見回しても、〝日陰の向日葵〟の姿は見つからなかった。写真を撮ったと思われる形跡も見当たらなかった。

〈逃げられたか。そもそも、この階ではないのか〉

 蒼穹は天井を見上げて、深く息を吐き、目を閉じた。

「入口の横にシンクとトイレがあるぞ」

「念のため、確かめて。何もなければ、二階に降りましょうか」

 期待していなかった。『絶対はない』と偉そうに言い切ったくせに、弱気になっていた。

 シンクの一角はフロアに続いていた。シンクの奥にトイレがある。正面に男子トイレ、右に女子トイレのドア。

 女子トイレからノックして、雄太が誰もいないか、を確かめた。

「開けますよ」と呟きながら、雄太が女子トイレを開けた。雄太の背後から、蒼穹は中を覗き込む。

 誰もいなかった。便器と掃除用具以外に何も残されていない。トイレット・ペーパーのホルダーも空になっていた。しばらく誰かが使った形跡はない。

 写真を撮った場所が、ここだとしても、長時間の滞在はしていないはずだ。

 ドアを閉めようとすると、唸り声が聞こえた。男の声だった。

 男子トイレに向かって、蒼穹は声を掛けた。

「周東さんなの?」

 返事がわりにドアを蹴る音がした。懸命に存在を示そうとして、唸り声が大きくなる。

 蒼穹はノブに手を伸ばした。内側から鍵が掛かっていた。

「退いて」

 雄太がしゃがみ込んで、ドア・ノブの周りを確認した。薄暗い室内の光では顔を近づけたり、位置を変えたりする必要があった。

「ここか」雄太が呟いて、蒼穹を振り返った。「マイナス・ドライバーを持っていないかな」

 メッセンジャー・バッグから修理用のドライバー・セットを取り出した。マイナス・ドライバーを探して、蒼穹は雄太に手渡した。

 雄太がドア・ノブに向かうと、カチッと鍵の外れる音がした。つまみを回すタイプの錠前だった。

〈中から、誰が鍵を掛けたの?〉

 蒼穹は首を捻る。

 雄太がドアを開けた。大柄な身体を折り曲げる格好で、周東が閉じ込められていた。蓋をした便器の上に座らされ、粘着テープで縛り上げられていた

 口から首の後ろまで、何重にも粘着テープが貼られていた。後ろ手に組まされた手首に、執拗にテープが食い込んでいる。

 苦しそうだった。雄太を押し退けて、蒼穹は口を覆った粘着テープに手を掛けた。テープの端が、なかなか見つからない。

 蒼穹は口元近くの粘着テープに指を差し込んだ。指先で抓んで布状のテープを裂こうとした。わずかに切り口が付いたが、巻かれたテープが分厚すぎて、一度では切り外せない。

 気を落ち着けて、表面から一枚ずつ切り離す。息苦しくて、周東が何度も顔を横に振った。そのたびに、指先から粘着テープが離れる。

「我慢して。もう少しで外れるから」

 強い口調で、蒼穹は周東を諫めた。デカい図体の周東が、情けなく、子供のように頷く。

 ようやく、粘着テープが口から外れた。周東が肩を持ち上げて大きく息を吸った。呼吸が落ち着くと、目を上げて(すが)るように周東が蒼穹を見つめる。

 息を呑み込んで、震わせながら周東が口を開けた。

「女にやられた。金髪で派手な服を着ていた」

「もしかして、ピンクの軍服なの?」

 蒼穹の問い掛けに、周東が頷いた。

 雄太が驚嘆の声を上げた。明らかに、雄太も〝日陰の向日葵〟の画像を目にしていた。蒼穹に送られた内容と同じ情報が、雄太にも送られていた証拠だ。

「何者なんだ、あいつは」

 腹立たしい表情で、吐き捨てるように周東が口にした。機を逃すまいと、蒼穹は話に踏み込んだ。

「おそらく最初に〝切断された小指〟を送り付けてきた人物。心当たりは、ない?」

「知らないな。恨みを買った覚えも、しつこく追い回された記憶もないぞ」

 周東が素っ気なく首を横に振った。即断過ぎて、かえって疑わしい気がした。

「小指の他にも、絞首刑のロープを模して()った髪や、〝命〟の文字が刻まれた刺青の写真が、〝G〟の頭文字の相手に送られているのよ」

「〝G〟〝↓〟だから、グース・ダウンではなかったのか?」

 周東が疑いの表情を見せた。小さく首を横に振り、蒼穹は人差し指を持ち上げた。

「Gトラッドだって、頭文字が一緒よね」

「確かにな」

 いかにも迷惑だという表情を見せたが、気付いていたのか、いなかったのか。疑問だった。

 手首に巻かれた粘着テープを外しながら、蒼穹は周東に訊いた。

「何か、手紙か、小包のようなものを残していかなかった?」

 無言のままで、周東が前方を顎で指した。蒼穹は振り返った。開いたトイレのドアにコピー用紙が貼られていた。雄太の陰になって文字が良く見えない。

 印字された太文字のキャッチ・フレーズを雄太が読み上げた。

「〝ウォール街を占拠せよ〟か」

 正確には、〝ウォール街〟の部分に細いボールペンで×印が書かれ、〝東京〟と書き直されていた。

「格差社会に対する抗議行動だよ。ニューヨークで起こった運動に呼応して、東京でも大規模なデモが行われた」

「デモの中心は、日比谷公園でしたね」

 蒼穹が訊くより先に、雄太が答を出した。

「行きましょう。日比谷公園に」

 蒼穹は周東に手を差し伸べた。雄太が先に立って走り始める。

「ずいぶん、本気だな」

 苦笑しながら、周東が腰を起こした。

「途中では、やめられないわ。私の仕事(メッセンジャー)だもの」

 振り返って周東を促しながら、蒼穹は雄太の背中を追った。


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