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メッセンジャーによろしく  作者: 柴門秀文
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第五章 呪われた胎(Gebärmutter) その4

 首都高速の高架下の暗がりから、BMWの車体が飛び出してきた。完全に車体を確認する前に、怜人の操るミニ・バンが交差点を曲がり切った。

 首都高速の高架線に沿って急加速。次に高架下を潜る細い道が現れた。上体を前傾させて、怜人が道幅を確認した。

 ハンドルをしっかりと抱え、怜人がアクセルを踏み込んだ。

 モバイル・フォンを取り出して、蒼穹はナビゲーションのアプリを選択した。現在地を起点に、〝ママ〟から教わった〝日陰の向日葵〟の位置情報までの最短ルートを検索した。

 次の路地を左折して高架下を潜り、都道音羽池袋線に戻って護国寺から首都高速に乗る。このコースが最短だった。おそらく、怜人も同じコースを想定している。

 普通に走れば、他に比較すべき選択はない。だが、今は金髪メッシュのBMWに追われている。どこかで右折して、さらに路地を走り、BMWの追跡を撒く必要がある。

 蒼穹は〝TQサーブ〟専用の自転車ルートを選択した。一方通行や車両制限を無視した最短ルートが表示されるはずだ。自動車専用道路の利用は一切、排除されている。

 交差点が近付いた。いつまでも表示されない検索結果に苛立って、蒼穹は手にしたモバイル・フォンを持ち上げた。振りながら、画面を睨みつける。

 怜人がブレーキに足を乗せた。左折する前に、最短ルートを確定させたかった。

 車が減速した。身体が前方に押し出される。表示させた地図に、ルートの折れ線が表示された。

 首都高速を利用する場合と、ほとんど変わらないルートだった。だが選択すべきは、BMWの追跡を振り切るルートだ。

 次の交差点は直進だ。右に折れる路地は、ミニ・バンが入り、抜けるだけの道幅がない。

 蒼穹は決断してモバイル・フォンから目を離した。

「次の交差点は直進して!」と蒼穹は叫んだ。

「なんだよ。いきなり」

 左折の心構えができていた怜人が、苛立ちを隠せずに大声になる。

「信じて! 今は追跡を振り切る必要があるわ」

この子(メッセンジャー)の選択なら間違いない。僕が証明する。勘でもいいから、信じてやれよ」

 後ろの席から雄太が蒼穹の肩を持つ。

「どうなっても、知らねえぞ」

 怜人がブレーキから足を外した。アクセルに踏み替える。前に出ていた身体が、今度は背凭れに押し付けられた。蒼穹の隣で腕を組み、不満そうな表情で青葉が顔を背けている。

「次を斜め右に入って、突き当りを左折。クランクを抜けたら、すぐに右折して。雑司ヶ谷霊園の中に入るわ」

「霊園かよ。縁起でもないな」

 不服を口にしながらも、怜人がスピードを上げ続けた。

「呪われた兄弟には、相応し過ぎる場所ね」

 小声で青葉が馬鹿にした。同意するように雄太が「ふん」と笑う。

 青葉の言葉の意味を深読みして、蒼穹は考え込んだ。

〈〝呪われた兄弟〟の中には、青葉も含まれるのかしら?〉

 今までの会話の中で、雄太と怜人が兄弟だとは分かっている。言葉の響きから、〝呪われた兄弟〟に青葉自身も含まれている可能性を強く感じた。

 青葉の言い回しには、明らかに自虐の感情が含まれていた。肉親でなければ、あそこまで冷淡にはなれない。

 だが、すでに一度、想定した関係だ。意識に刷り込まれている可能性がある。慎重に判断を下す必要があった。

「兄弟って?」と思い切って蒼穹は訊いた。

「椛島兄弟」と的を射ない答が返ってきた。路上ライブのMCからは想像できないほど、青葉の口が重い。

 不機嫌な理由を思い巡らせて、〝無理もない〟と蒼穹は一人で頷いた。

 自分を巡る兄弟の争いで、拉致されて拘束されている。こんな状況など、通常ならば万人に起こり得る話ではない。

 蒼穹自身が青葉と同じ立場でも、間違いなく口は重くなるはずだ。

椛島会長(じいちゃん)に、もっと節制があったら、僕たちの関係もややこしくならなかったはずさ」

 思いがけず、雄太から遠回しの発言があった。〝僕たち〟の響きには、間違いなく青葉が含まれていた。

〈ややこしい関係なの?〉

 ヤクザの親分だから、正妻、妾、恋人と女性関係が乱れていても不思議はなかった。

 バック・ミラーを覗き込んだ怜人が、聞こえるように舌打ちした。

「追い上げてきやがる」

 振り返ると、鼻息の荒い猛牛の顔つきでBMWが迫っていた。抱えるようにハンドルを握る金髪メッシュが、フロント・ガラスの奥で狂ったように口を開けて笑っている。

 前方の路地が道なりに右に曲がっていた。左から繋がる小路から、車がゆっくりと姿を現した。廃品回収の軽トラックだった。

 荷台に古自転車や箪笥、オーディオ・セットを満載していた。重みで車体が傾いている。

 前に割り込まれ、走行の邪魔をされては迷惑だ。たちまち金髪メッシュのBMWに追いつかれる。

「どけよ、前を走るな」

 煽るように、怜人がミニ・バンのスピードを上げた。腹立ち紛れに、クラクションを掻き鳴らす。

 つんのめって、軽トラックが停車(エンコ)した。道路の半分以上を塞いでいた。残された空間は、ミニ・バンの車幅では通り抜けられないほど狭い。

 前方の視界いっぱいに軽トラックが迫った。空転するセルモーター。甲高い音が、何度も繰り返して響いた。

 白い煙が軽トラックの排気管から噴き出している。

「くそう、邪魔なんだよ」

 口を曲げて、怜人が軽トラックを罵った。

「私が退いてもらうわ」

 移動を要請しようと窓のスイッチに手を伸ばした蒼穹を、怜人が止めた。

「やめろ! シートに掴まっていろ」

 右にハンドルを切ると、速度を上げた。不十分なスペースに、怜人はミニ・バンを突進させた。

 バン! と、激しい衝撃。ミニ・バンが軽トラックのフロント部分に突っ込んだ。ヘッド・ライトが割れた。頭を抱えて、青葉が悲鳴を上げる。

 舌を噛むまいと、蒼穹は奥歯を噛み締めた。両腕でしっかりとシートに掴まった。

 通り抜けた。ぐいぐいとミニ・バンがスピードを上げる。

 衝突の勢いで、軽トラックが向きを変えていた。荷物を固定するロープが解け、荷台の廃品が路上に振り落とされた。横向きになって、軽トラックが狭い道を完全に塞いだ。

「やった! 上手くいったぞ」

 怜人が雄叫びを上げた。潰れた運転席側のドアを諦め、助手席から軽トラックの運転手が姿を見せた。

〈よかった。無事だったのね〉

 振り返った蒼穹は、胸を撫で下ろした。

 後方で、新たなクラクションが掻き鳴らされた。欧州車特有の力強い威圧感に溢れたホーンの音だった。

 呆然として立ち尽くしていた軽トラックの運転手が顔を上げた。驚いた運転手が、慌てて道の端に逃げ出した。

 道を塞ぐ軽トラックに向かって、BMWが突進した。威圧的にヘッド・ライトを点灯させている。怒り狂った表情で、金髪メッシュの目が血走っていた。

 グロースターの不気味な姿が、BMWを包んで黒く大きく膨れ上がる。想像した蒼穹は目が離せなくなった。

 軽トラックにBMWが激突した。崩れた荷物が邪魔をして、却って道が塞がった。

 壊れた軽トラックのクラクションが鳴り止まない。

「やった。これで逃げ切れる」

 蒼穹は思わず歓喜の声を上げた。軽トラックの運転手には悪いが、BMWの障壁となってくれて感謝した。

「簡単に諦めるほど、〝登龍(チャイニーズ)〟はまともじゃないよ」

 三列目のシートから起き上がって、雄太が冷静な声で蒼穹に入れ知恵をした。

 雄太の言葉通り、BMWがバックした。勢いを付けて軽トラックに再び追突した。僅かだが軽トラックの車体が動く。

 改めて、バック、BMWが追突を繰り返した。繰り返すたびに、通行できる隙間が増えていく。

「急いで! 追いかけてくるわよ」

「言われなくても、解っている」

 ハンドルを小刻みに動かしながら、怜人が吐き捨てるように呟いた。アクセル全開で、ミニ・バンは狭い路地を駆け抜けていく。

 執拗に繰り返す衝突の音が止んだ。通り抜けた証拠だ。

 前方に一時停止の標識が見えた。左折して一方通行の指示が下に付いている。

 金網のフェンスの向こうに、木立が見えた。ずらりと墓石が並んでいる。新宿西口から東池袋に向かう際に目にした雑司ヶ谷霊園だった。

〝東條英機の墓がある〟という〝ママ〟からの情報を思い出した。

呪いは信じない。〝吉〟と出るか〝凶〟と出るか、不安になるなんてまっぴらだ。強引にでも、〝吉〟に持ち込まなければ気が済まない。

「左に進むと、道がクランクになるわ。抜けたら、すぐに右折よ。カーブの途中だから、ほぼ直進だわ。霊園の中に入ってね」

「行き止まりだけは、御免だからな」

 舌打ちをして、怜人が難癖をつけた。

「間違いないわ。ちゃんと繋がっている」

 蒼穹はモバイル・フォンの画面を怜人に向けた。ハンドルを構え、前方を睨んだままで怜人が頷いた。

「いいよ。仕舞ってくれ。すべて従うから、指示を間違えるなよ」

「わかった。大丈夫。自転車便(メッセンジャー)を信用して」

 突き当りが近付いた。ふん、と鼻を鳴らすと怜人がブレーキに足を掛けた。短い声の調子から、少し前まで張り巡らされていた心の壁が薄くなった気がした。

 正面にカーブ・ミラーと町内連絡の掲示板。飛び出した電柱が、実際以上に道幅を狭く見せていた。

 カーブ・ミラーで、車も歩行者もいないと確認した。右に膨らんだルートから、一時停止を無視して、怜人が斜めに交差した細い路地にミニ・バンを突入させた。

 身体が強く右に振られる。サイド・ミラーが電柱を擦って、実際以上に大げさな音を立てた。

 転がった雄太が座席から落ちた。サイド・パネルに衝突して「うわっ」と、短く声を上げた。

 横からの重力()に逆らいながら、蒼穹は隣を覗き見た。

 青葉がアシスト・グリップにしがみ付いていた。歯を食い縛って下を向き、固く目を閉じている。身体全体が恐怖に震えていた。

 右に弧を描くカーブを過ぎると、今度は左に曲線を描く。カーブに入るとすぐに、ほぼ直進の形で霊園の中に入る小路が別れていた。

 立ち並ぶ墓標に挟まれて、霊園内の通路が奥まで続く。入りしなに、造園工事のトラックが駐まっていた。

「どうする、通れないぞ」

「大丈夫。ギリギリだけど、擦れ違えるわ」

 ルートを替える選択はなかった。霊園に入らなければ、道はしばらく直進が続く。追いかけてくるBMWに姿を曝す結果が見えていた。

 ギリギリでもトラックを擦り抜ければ、金髪メッシュが見落とす可能性が出てくる。

 わずかな可能性にも賭けたかった。

「知らないぞ、通れなくとも」

「縁石に乗り上げてもいいから、絶対に通り抜けて」

 可能性を信じて、蒼穹は迷わず指示をした。

「ちぇっ、人使いが荒いな」

 怜人がミニ・バンを霊園内に突っ込んだ。スピードは上げたままだった

 縁石に乗り上げた。全員の身体がバウンドした。立木の間を衝突ギリギリまで使って、駐車するトラックを擦り抜けた。

「やった。やればできるでしょう」

「勝手に、ほざいていろ」

 蒼穹の言葉に再び舌打ちして、怜人がスピードを上げた。直線を走り切って、交差点を曲がれば、凶暴なBMWの視界から逃れられる。

「もう、やめればいいのよ。無駄だから」

 視線を伏せたままで、青葉が冷たい声を出した。アシスト・グリップにしがみ付いたままだった。

「無駄ではないわ。どんなときでも、無駄なんてないのよ」

 青葉の言葉を否定して、蒼穹は首を横に振った。自分にも言い聞かせていた。

「どうして確信できるのよ。何も知らないくせに」

 言い切る青葉に反論はできなかった。確かに、何も知らない。だけど巻き込まれた以上は、少しでも多く理由を知りたかった。

 何より、これはメッセンジャーとして引き受けた大切な仕事(プレミアム・ラッシュ)だ。

 青木蒼穹に後悔は似合わない。回転させる足を停めたら、ピスト・バイクは転倒するのだから。

「次の交差点を左折。霊園を抜けたら、迷路みたいな住宅地に入るわよ。覚悟して」

 迷いを振り切るように、強い言葉で、蒼穹は怜人に向かって次の指示をした。


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