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メッセンジャーによろしく  作者: 柴門秀文
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第四章 亡霊(GHOST) その2

「噂の〝ソラ〟さん、ですね。動画サイトで雄姿を見せていただいていますよ」

 揉み手をしながら、刑事が近付いた。背が高く肩幅が広かった。ネクタイを外し、背広を着崩していたが、鍛え上げた肉体が内側から背広を持ち上げていた。

 警察手帳を開いて、刑事が「組織犯罪対策部の吉岡」と名乗る。吉岡傑流(よしおかすぐる)、警部補だ。

「貴女が置かれている立場を、教えてくれませんかね」

 話をしながら思い出したように、吉岡がぎこちない愛想笑いを浮かべた。目の端に笑い皺が浮かんだ。恰好は若作りだが、皺のせいで、蒼穹よりも二回りは年上に見えた。

 もっと上の年代かも知れない。見るからに、バツイチ。人づきあいが不得意そうだった。

「置かれている立場ですか? メッセンジャーの仕事中ですが……」

 蒼穹は、速攻でシラを切った。相手の手の内が分からない以上は警戒する。ニューヨークの生活で覚えた鉄則だ。

 警官だって同じだった。末端の権力は、いつ脅威に豹変しないとも限らない。

「どうして〝登龍〟の連中と張り合っているのですかね。始まりから、すべての経緯を教えて欲しいのですけどねぇ」

 冷たい視線で蒼穹を射抜き、口元だけで吉岡が笑った。

 蒼穹の背後から近付いたもう一人の刑事が、唐突に話し掛けた。

「無駄だからさ。要らない駆け引きはやめようよ。単刀直入に話すよ。僕たちは君を止めようとは思っていない。全体の動きが中断するからね。だけど、折に触れて情報を伝えて欲しいんだよ。危険を感じたら、助けを求めて欲しい。自分の立場が危険な状態にあると、さすがに素人の君だって、気付いているはずだよね」

 まさかのタメ口だった。振り返ると若い刑事が身分証を提示した。

 立川博則(たちかわひろのり)、巡査長だった。吉岡と同じく長身だが、対照的に痩せ型。細身の背広でネクタイを緩めていた。

 細面の顔に薄く髭を蓄えていた。癖のない髪を短く揃え、揉み上げだけを残していた。良く言えばイケメン、悪く言えばチャラ男。とにかく、見るからに軽薄そうな男だった。

 腫れている顔に気付き、立川が蒼穹を、しげしげと眺めた。稀にみる無神経さだった。

 恥ずかしくなった蒼穹は、腹が立った。

「失礼ですよ。じっくりと見ないでください」

 わざとらしく驚いた表情を見せて、立川が「ほほう」と小さく口にして肩を竦めた。

「大変だよね、女戦士さんも。顔を腫らしてまで頑張らないほうが良いと思うけどなあ」

 嫌味な口調で、立川がさらに深く傷を抉る。

「やめろ」と小声で諫め、脇に並んだ吉岡が立川の頭を小突く。

〈最低な奴!〉

 眉間に力を込めて、蒼穹は失礼な若い刑事を睨み付けた。参ったなと言わんばかりに、立川が髪に手を当て、苦笑して見せた。

「とにかく、無理はしないでくださいよ。最悪の場合は助けに入りますけど、まだ表立って我々も動けないですからね」

 困った表情で、吉岡が話を繋いだ。言葉や控えめな態度に反して、相変わらず視線は鋭かった。

「要するに、泳がせてあげるけど、自分の身は自分で守れと言いたいのですね。〝剛劉会〟と〝登龍〟の尻尾を捕まえたいのでしょう。対立が抗争に発展したら、双方を纏めて壊滅するつもりだから、くれぐれも邪魔をするなとの警告ですね」

 蒼穹の質問が的を射た。

「まあ、ソラさんの想像も外れてはいませんけどね。捜査内容ですから、詳しくは説明できないです。とにかく、危険に近付きすぎて、これ以上、ケガをされないように、お願いしますよ」

 伸び過ぎた髪を掻きながら、吉岡が照れ臭そうに苦笑した。〝危険に近づくな〟の言葉は、本心でもあるが、建前の部分もあると蒼穹は感じた。

 蒼穹が脱線して、掻き回せば、意外な剛劉会潰しの切っ掛けが生まれる可能性もある。

「解りました。犯人の指示通りに自転車便の業務を続けます。依頼通り、次の指示があったら、刑事さんにも教えますよ」

 立川がモバイル・フォンを突き出して通信を求めた。蒼穹は掌で遮るように、立川の依頼を断った。結果は一緒でも、嫌な奴と電話番号の交換はしたくない。

 メモ用紙を求めて、蒼穹は吉岡に手を差し出した。意図に気付いた吉岡が内ポケットから手帳とペンを取り出して、蒼穹に渡す。

 素早く電話番号を書いた。少し悩んでメール・アドレスを書き加え、手帳とペンを吉岡に返した。

「それじゃ、もういいですね。私は急がなくっちゃ」

 蒼穹は自転車のハンドルを持ち直した。

「ちょっと待って――」慌てた表情で、立川が蒼穹に向かって身を乗り出した。「――もう一つだけ、訊きたい話があるんだ」

「手短にどうぞ。急がないと、青葉の安否が心配だから」

 立川に替わって、吉岡が真剣な面持ちで蒼穹に訊いた。

「秋黎会の周東賢悟だけどね、お嬢さんと、どんな関係なのかな?」

「周東さんですか? 政論社の清宮凛華の間違いではなくって。今回の事件は、政論社の凛華ちゃんが関係しているはずですが?」

 蒼穹は小首を傾げて吉岡に確認した。青葉の拉致と同時に〝グロースター〟は、切断された小指の送り先を政論社の〝グース・ダウン〟を対象に指定したはずだ。

 吉岡があっさりと「ええ、秋黎会の周東さんですが」と答え、質問を続けた。

「ITを中心とする芸術家集団の代表もされていますよね。どんな関係なのですか? かなり親しいみたいですけど」

「周東さんとは直接の関係ではなく、友人の清宮凛華の知り合いみたいな関係です。周東さんは、凛華ちゃんのバンドのプロデュースをしていますから」

 期待外れの顔をして、立川が吉岡の前に乗り出した。女の子なら自分に任せろみたいな、スカした表情で蒼穹に詰め寄った。

「本当は知っているんでしょ。教えてよ、周東と椛島雄太の関係は、どこまで聞いているの」

「知りませんよ。二人とも関係があるんですか? 初めて聞きました。椛島雄太くんだって、この一時間の中で話をしただけで、素性も何も、わかってはいないのだから」

 ほらみて下さいよ、とでも言いたげな表情で、立川が吉岡の顔を見た。困った表情で眉間に皺を寄せ、吉岡が頭を掻いた。

 吉岡と立川が、最初に送り付けられた〝切断された指〟について聞きたいのではないかと、最初に蒼穹は想像した。小指が入った小包の箱を最終的に処分したのは周東だ。

 だが、組織犯罪対策部の二人が訊いてくるからには、雄太の関係する剛劉会と周東の繋がりが重要なはずだ。

「周東さんの素性なら、公安警察の方が詳しくないですか? 情報は、すべて把握されていると周東さんに教えられましたけど」

「公安ねぇ……」

 立川が意味深長な言い方をして、苦笑した。諦めた顔で吉岡が頷いた。

「解りました。何か新しい情報が手に入ったら教えてください。くれぐれも危険に近づかないように用心してくださいね」

「できるだけ、近付かないようにします」

 愛想笑いを作って、蒼穹はペダルに足を掛けた。クランクを逆回転、バック・ターンして、蒼穹はペダルを深く踏み込んだ。

 吉岡と立川が歩き出す気配を感じた。振り返らずに、蒼穹は自転車を走らせた。やがて、覆面パトカーのドアが閉まる音が、路地に響いた。

〈周東と剛劉会の関係って、いったい何なのか?〉

 雄太の話を訊いたとき、確かに周東は剛劉会の情報に詳しかった。抗争でヤクザの会長が刺された事件など、報道で詳しく説明されない限り一般人なら知らない。

 自慢げに政論社のドライバーが語った内容は、〝へなちょこ息子〟の噂話だけだ。

〈もしかして、雄太と同様に、跡目相続の対象になっていたりして〉

 周東は雄太と同年齢には見えない。少なくとも雄太より一回りは年上だ。

 兄弟? 叔父と甥の関係なのか?

 叔父ならば、椛島会長の息子ではないか。本来なら跡目の第一候補だ。何か複雑な事情がありそうだった。

〈とにかく、先を急ごう。〝巣鴨プリズン〟まで、まだ半分も来ていない〉

 視線を上げ、蒼穹は路地の先を見据えた。

 無線から〝ママ〟が心配する声が聞こえた。

『どうしたの〝ソラ〟。停まっていたみたいだけど。また半グレたちに襲われたの?』

「ううん、大丈夫だから、安心して。ところで、次は、どう進んだらいい?」

 心配を懸けないように、蒼穹は元気な声を出した。

『突き当りの手前の交差点を右折して、次の突き当りを左折。すぐに広い通りに出るから、斜め左に折れて進んでね』

「分かったわ。突き当りの手前ね。間違えていたら、指示してよ」

 荷卸しをする配送のトラックが片側を塞いでいた。積み上げた段ボール箱で左側が通れない。作業員の飛び出しに気を付けて、右の隙間にフル・スピードで車体を突っ込んだ。

 ぶんっ、と風を切る音がする。目の前に突き当りのビルが見えてきた。突き当たる手前の交差点で〝ママ〟の指示通りに右折した。

 先の交差点から、営業用のバンが勢いよく曲がってきた。車線を修正しきれずに、大きく膨らんだまま蒼穹に向かってくる。

 驚いている運転手を見据えながら、一直線に蒼穹はペダルを踏み続けた。

 急ブレーキの音が路地に響いた。ハンドル操作を誤った運転手が、電柱に衝突する寸前で車を止めた。

 躊躇せず、停車した営業用のバンの鼻先で車体を傾ける。空いている右側を走り抜けた。

 続く交差点を左折した。すぐに大通りに合流した。歩道がガード・レールで分離されている。

 路線バスが目の前を通り過ぎた。渋滞とまではいかないが、裏道と違って、大通りは当然のように混雑だ。

『北新宿百人町の交差点を右折して。JRの高架橋を二つ潜ると職安通りだから、高架下を過ぎてすぐの路地を左折して。線路沿いをしばらく走って、戸山公園まで向かうからね』

 無線から〝ママ〟の声が聞こえた。前を走る緑色のタクシーを追い掛けて、内側から余裕を持って追い越した。

 右折車線に入る。消えそうになる右折信号に構わず、北新宿百人町の交差点に突っ込んだ。もたついた軽自動車が邪魔だ。無理やり車体を傾けて前に出た。

 歩道橋の向こう側に、総武線の黄色い電車が通り過ぎていく。下がり勾配になる手前で蒼穹は自転車を側道に突っ込ませた。

 車道からでは、高架橋を過ぎてすぐの路地には曲がれない。

 側道を走り、狭いトンネルを通って、鉄橋の下を抜けた。狭いトンネルは、電車の騒音を強く反響させていた。

 騒音以外に何も聞こえなかった。トンネルの中では、〝ママ〟の無線が何を告げても気付かない。

 メッセンジャー・バッグから無線機を取り出した。受信ランプを確認しながら走るつもりだ。何か重要な情報が入ってくると信じていた。

 取り出すときに、不審な突起を指先に感じた。小さなピン・バッジのようだった。メッセンジャー・バッグの内側に、不審な何かが取り付けられている。

〈発信機なの? 無線の内容を盗聴されていたら、どうしよう〉

 自転車を停めて確認しようと思った。だが、トンネルを抜ける寸前に無線機が鳴った。

『大変よ〝ソラ〟。脅迫めいた画像が送られてきたわ。あなたの知っている人とは違うの?』

 無線機を仕舞って、モバイル・フォンを取り出した。

〝ママ〟が送ってきた画像を開いて確認した。

「これって、秋黎会の周東さんだわ。捕まったの? 写真以外にメッセージはないの?」

 画像の周東は、頭から血を流し、目を閉じていた。殴られて腫れた痕が目の下にあった。

 ロープで固く縛られていた。車のトランクに詰め込まれた様子だ。画像だけでは生きているのかどうかは確認できないが、虫の息には違いない。

『次の画像に〝すべてのGは呪われよ!〟と書かれているわ。確認して』

 スクロールすると、マルチ・ビジョンに表示された黒文字が現れた。

〈どうして周東さんなの? そうか〝Gトラッド〟か〉

〝Gトラッド〟は、周東が代表を務める芸術集団の名称だ。

〈最初から〝G〟の中に入れて考えるべきだったか〉

 蒼穹は思ったが、後悔しても何も始まらない。

〈メッセンジャー・バッグに取り付けられたピン・バッジが発信機だとしたら、次の目的地は〝巣鴨プリズン〟で間違いない〉

 目的地の方向が間違っていないからこそ、位置に関する情報を送ってこなかったのだ。

〈ピン・バッジは気付かない振りをしていよう。捨てたと気付かれたら、周東にも危険が及ぶ〉

 周東を乗せた車もまだ池袋に到着していないはずだ。半グレ集団を追い掛けて行く周東の姿を、新宿で確認している。蒼穹が出発したのは、確認のすぐ後だ。

 空でも飛ばない限り、蒼穹より早く、池袋に到着できるはずがない。蒼穹だって未だに新宿を抜けていない。

〈最速で走れば、周東を運ぶ車より先に到着できるはずだわ〉

『〝巣鴨プリズン〟に急ぎたいの。お願い、最速のルートを探して』

 モバイル・フォンを仕舞って、蒼穹は無線機の〝ママ〟に話し掛けた。

 タイヤの回転速度を上げて、続く山手線のガード下に飛び込んだ。

 次の路地を曲がる。最速ルートが違うなら、早く連絡が欲しかった。

〈周東さんが危ない。一刻も早く池袋に着かなくちゃ〉

 焦りながら、蒼穹は刑事たちが周東の素性を気にしていた理由が解った。

 今回の事件では、最初から周東が重要な位置を占めていたのだ。

〈気付かなかった私が、バカだったのね〉

 連絡がないまま、路地を左に折れた。蒼穹はスピードを上げた。道の先が遠く見えた。戸塚公園までは、まだ距離がある。東池袋までなら、さらに倍以上の距離があった。

 のんびりといちゃつきながら、細い道の真ん中でカップルがキスを始めた。クソ邪魔だ。

 固く口を閉じて息を止め、自転車を傾けた。愛し合うシアワセな二人の脇を、蒼穹は全速力で擦り抜けた。


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