第三章 ゲリラ(GUERRILLA) その4
地下駐車場の暗がりに駐めたミニ・バンに、青葉と若い男が乗り込んだ。
スライド・ドアが閉まる瞬間に、蒼穹は若い男の風貌を確認した。
全体の造作が、どことなく雄太に似ていた。顔立ちは整っていたが、蒼穹の好きなタイプではなかった。殴られて腫れていなければ雄太も同じ顔なのだろう。
ナルシストで恰好ばかりの男に見えた。とても〝剛劉会〟の跡目を奪い、半グレ集団を使って組織を根底から牛耳る野心を持っている人物とは思えない。
ストレートの髪を金色に染めていた。
片目だけ入れた白いカラー・コンタクトが、危険な雰囲気を醸し出していた。だが、性格まで危険とは限らない。
金髪もカラー・コンタクトも、おそらく虚勢を張るための仮装だ。
狡猾ではあるが、決して暴力で相手を押さえつけるタイプの人間ではないと思える。
〈予想が正しければ、力で動く半グレ集団を、言葉だけで、どうやって配下に治めたのかしら?〉
近付く蒼穹を阻止しようと、半グレの構成員たちがミニ・バンの周囲を固めていく。
蒼穹は足を停めた。相手の様子を確かめる。
前回の活躍が知られているのか、構成員の数は半端ではなかった。
〈絶体絶命だわね、これは〉
基本的にクラヴ・マガは護身術だ。自分から攻撃を加える武術ではない。
自分を守るために闘う技術だけでなく、危険に立ち向かうときの心のスキルを共に学んできた。ストレスに対する耐性を強めるために、蒼穹は心を静めて闘志を高めた。
〝二度目からは簡単に通用しない〟
雄太の意見は正論だった。真っ当な勝負ならば、完全な勝利は望めない。
だが、護身術である以上、仕掛けられた攻撃に対して冷静な判断を下し、場面ごとに最適な対処を加える必要がある。
〝一つ一つの慎重な積み重ねが、最終的な生還に繋がる〟と、蒼穹は心に言い聞かせた。
必要以上に敵を恐れても、無駄なパニックを引き起こすだけだ。
地下広場に繋がる進入口から、街宣車が鳴らす軍歌が微かに聞こえてきた。
〈凛華が来てくれたのね。到着までに、できる限り青葉に近付かなくっちゃ〉
蒼穹は、逸る気持ちを抑えた。慎重な歩幅を取り戻し、前に進みながら深く静かに呼吸を繰り返す。
群がる半グレたちの障壁の向こうに、救出すべき青葉がいる。
闘志が高まった。心拍数が上がる。蒼穹は視線を動かして闘うべき場所と相手を探った。
異常な形相の半グレ集団に恐れをなして、駐車場に入った車が、距離を空けて停まった。ブレーキ・ランプが駐車場の壁と柱を赤く光らせた。
前が詰まり、立ち往生した後続車が、通路に行列を作っていく。
歩行者が見当たらない点が、せめてもの幸いだった。
周囲に一般人がいては、無関係の人たちに被害が及ぶ。何よりも、群れを成して押し寄せる敵が群衆に紛れていては、戦い方も難しい。
少なくとも、交戦するだけの間合いは必要だ。
渋滞する車列を利用しようと蒼穹は決めた。停車した車列で限定された通路の隙間ならば、一度に闘う相手を制限できる。
青葉を乗せたミニ・バンは、まだ発車する気配がなかった。
狭められた通路を全力で駆けた。蒼穹の動きに合わせて、半グレ集団が車列の横を移動した。
先頭を切って、薄笑いのマスクを被った男が襲ってきた。鉄パイプを持っていた。だが、ブレーキ・ランプを光らせた車が邪魔をした。
幅が狭くて、思う存分に凶器の鉄パイプを振り回す間隔は残されていない。
威圧するために、薄笑いのマスクが大声で叫んだ。低い天井に向けて鉄パイプを振り上げた。
隙ができた薄笑いのマスクの懐に飛び込んで、蒼穹は股間を膝で蹴り上げた。俯き加減になった薄笑いのマスクの顎に掌底突き。力を失った身体が背中から宙に飛んだ。
落下した振動を、足底に感じた。蒼穹は止めに腿を上げ、体重を籠めて薄笑いのマスクの股間を踏み下ろす。
ぎゃっと、情けない声が口から零れ、薄笑いのマスクが動かなくなった。
「調子に乗るなよ、このアマが」
続けて襲ってきた迷彩ペイントに首を絞められた。タンクトップからはみ出したビルドアップされた肉体には、所狭しとタトゥーが入っている。睨みつける両目に、金色のカラー・コンタクトが嵌められていた。
狂気に満ちた迷彩ペイントの両目を、蒼穹は見据えた。
絞め付けている太い腕の外側に手を上げた。手鉤を作って内側に差し込み、親指に近い場所に手を掛けて、一気に外へと腕を引き剥がす。
力ではなく、スピードが肝心だ。
首を絞める手が外れた。顎を引き、迷彩ペイントの鼻柱に頭突きを喰らわした。仰け反る背中を抱え、股間に膝蹴りを連続で打ち込んだ。
尻餅をついた迷彩ペイントの無防備な顎を、全身の力を籠めて爪先で蹴り上げた。白目を剥いた迷彩ペイントの腹を、踵で踏みつけながら乗り越えた。
車列が途切れた。通路全体が凶悪な顔、顔、顔で埋められた。
速攻で二人も倒された半グレ集団が、異常に興奮していた。目の色が変わっていた。忽然と現れた無鉄砲な女戦士を倒して名を上げようと、我先にと蒼穹の前に集まってくる。
屈強な男たちの合間を擦り抜けて現れたのは、ベースボール・キャップを斜に被った痩せぎすの少年だった。雀斑だらけの顔に味噌っ歯が愛嬌だ。
ファニー・フェイスなのに、顔が緊張していた。半グレのメンバーにしては、どう見ても弱そうだ。
〈なんだ、まだ子供じゃないのよ〉
楽勝を決め込んで、蒼穹は少年の前に立った。
グロテスクな面構えの男たちが奇声を上げた。なにが可笑しいのかわからないが、全員が、やけにヒート・アップしていた。
少年が拳を構えた。まさかの素手だった。体格からして、間違いなく凶器を使用すると踏んでいた。調子が狂った。呆然となった自分に気付き、蒼穹は、もう一度、構え直した。
手出しもせずに、一斉に男たちが蒼穹と少年から距離を置く。
駐車場の通路に、即席のリングが出来上がった。ふざけ切った展開に、蒼穹は腹が立った。苛立ちながら、構えた拳に力を籠めた。
睨み合いが続いた。お互いの様子を見ながら、右に左にと、じりじりと位置を変えた。
〈さあ早く、懸かってきなさいよ〉
青葉を乗せたミニ・バンがエンジンを噴かした。今にでも出発しかねない状況だった。
取り囲む半グレたちが、歓声を上げて煽り立てた。緊張しきった少年の顔が、泣き出しそうになっていた。気力では勝っていると、蒼穹は判断を下した。
〈よし、一気に勝負を決めよう〉
反応を見るために、蒼穹は一歩前に踏み込んだ。
ビクンと大きく反応を見せて、少年が半歩だけ後ろに下がった。
「逃げんなよ、臆病者!」
明らかに馬鹿にした声が地下駐車場に響いた。声を契機として、嘲笑が人垣のリングを包んだ。
思わず釣られて口元が緩んだ。驕っていると、蒼穹は自分でも解った。
気を引き締めた。肘を脇に寄せて、拳を構えた。
人垣の外側で別の騒ぎが起こった。揶揄する声と恫喝の怒号が乱れ飛んでいた。
「助けに入らんでええんかい。おのれの女戦士が危機に遭っとるぜ」
乱暴な声が聞こえた。
グロースターのメッセージを取りに行った雄太が、半グレたちに捕まっていた。
雄太に助けて貰おうと思ってはいなかった。こんな場所で下っ端相手に関わっていないで、青葉を追い懸けてくれればいいのに。戦力外の自分の立場が理解できていないのか?
それでなくとも、片付けるべき相手は尽きないのに。
〈雄太まで守るのは、大変なんだからね〉
リング場外の状況に気を取られて、一瞬の隙ができた。戻した視線の端に、間合いを詰めた少年の姿が映っていた。
〈しまった、遅れを取った〉
不安が蒼穹を焦らせた。待つべき場面だった。少年の動きは揺動に過ぎなかった。計略に嵌って、蒼穹が先手を取る形になった。
怯えて緊張して見えた少年が、精悍な表情に変わった。
姿勢を低くして、少年の顔に向けて蒼穹はストレート・パンチを繰り出した。背を逸らして、少年が蒼穹のパンチを受け流した。手応えがなかった。完全に躱されていた。
肩を掴まえ、股間に膝蹴りを加えた。違和感を覚えた。あるべきものがそこにない。
プロテクターで守られていた。だが、そもそもの急所が違っていた。
〈女なの?〉
雀斑だらけの顔に、薄ら笑いが浮かんだ。
表情の変化から、柔らかな女性の特徴が感じ取れた。股間蹴りが女に効かないわけではない。だが、想定した標的の位置がズレただけでも、ダメージは半減したはずだ。
拳を固め、下から突き上げた。雀斑の顔が、下がりながら後ろに逸れた。
〈また外れた!〉
裏拳が柔らかな頬を掠った。頭突きを避けようと、蒼穹は顎を引いた。
前に動いた重心を利用された。体勢を逸らし、攻撃を躱した雀斑の女の掌が、蒼穹の肩を下に押した。
血の気が失せた。下方に変えられた重心の移動が、蒼穹のバランスを奪った。前のめりになって、蒼穹は駐車場の冷たい路面に転がった。
「押さえろ!」
「徹底的にボコしてやれ!」
身体の上に、重い体重が次々と圧し掛かった。蒼穹は息が詰まった。肋骨が折れそうになって軋んでいた。
「助けて……」
地下ロータリーから軍歌が聞こえてきた。一刻も早く、凛華が駐車場に気付いてくれるように祈った。
下半身から体重が退いた。間髪を入れずに腹に蹴りが入った。女だからといって容赦はなかった。
今までに倒した相手は、徹底的に打ちのめしてきた。手加減されなくて当然だった。
執拗に腹を蹴られて、反吐が出た。腰を折って腹をガードすると、押さえていた力が抜けた。
今度は顔を蹴り上げられた。腫れ上がった雄太の顔が頭に浮かんだ。同じになるのかと思うと、胸が苦しくなった。
「やめて……」
顎を蹴られて、蒼穹の意識は朧げになった。連続して吹き鳴らされる警笛が聞こえた。路上ライブでは邪魔者でしかない甲高い響きが、この上なく頼もしく聞こえた。
「やめなさい! あなたたち、恥ずかしくないの。寄って集って、女の子一人を甚振るなんて」
怒りを籠めて叫ぶ声が、遠くに聞こえた。
凛華の声ではなかった。もっと高齢の、落ち着いた女性の声だった。
「誰だろう?」
考えた蒼穹の腹に、全身の力を籠めた強烈な最後の蹴りが入った。逃げていく男たちの騒動が、夢の中のように遠く聞こえた。
「助かった……」
思った途端に、蒼穹は全身から力が抜けた。目を閉じると、意識が遠く感じられた。
凛華の街宣車が鳴らす大音量の軍歌が、天上の音楽のように聞こえていた。




