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メッセンジャーによろしく  作者: 柴門秀文
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第三章 ゲリラ(GUERRILLA) その2

 歩道の自転車走行ラインを利用して、交差点に近付いた。

 遠巻きに現場を眺める野次馬が前進の邪魔をした。事故処理する警察官の手前、蒼穹は自転車を降りてハンドルを押した。声を掛けながら、隙間を縫って、ようやく交差点に辿り着いた。

 多重衝突した車両の先頭に、潰されて捻じ曲がった原付バイクが転がっていた。歩道の端に壊れたヘルメットが置かれていた。

〈可哀そうに〉左折するトラックに巻き込まれた様子だった。

 他人事ではなかった。人一倍に強引な走行を繰り返す蒼穹だからこそ、危険に巻き込まれる可能性は高かった。

 自転車を押しながら、蒼穹は短く黙祷した。

 人混みを抜け、サドルに飛び乗った。横断歩道を使って交差点を渡る。

 車道は空いていた。横断歩道から外れて、そのまま車道に戻った。競うように、脇を走る自動車がスピードを上げる。

 負けていられなかった。無駄に使った時間を取り戻すために、初台方面に向かって、蒼穹は自転車(ママチャリ)を疾走させた。

 東大キャンパスの横を抜けた。車の流れは普段の状況に戻った。一直線の広い通りがどこまでも伸びている。

 小田急線を越える陸橋に差し掛かった。〝ママ〟の指示に従って、途中から、進入路に折れて地上に降りた。カーブしながら陸橋の下を潜る。

 代々木八幡の駅前を通過した。小田急線に沿ってしばらく北東に進む。新宿駅に向かって斜めに住宅街を突っ切るルートが最速だった。

 住宅街を突っ切るルートは、道幅が狭すぎる。図体の大きな街宣車では走行が困難だった。だが蒼穹の自転車に影響はない。道幅には影響されずに、全力で進むことができる。

 悔しがるスキン・ヘッドの顔を想像した。「どうだ、参ったか」呟いて、蒼穹は思わず口元が緩む。

 住宅街に入り直進するルートがなくなる手前で右折した。

 サドルから腰を上げレール越えの振動を緩和しながら、蒼穹は踏切を渡った。突き当りの通りの向こうに体育館が見えた。左折して街路樹の続く直線道路に入る。

 すべては順調だった。高回転するチェーンが軽快な高音を立てている。風も穏やかで、幾分追い風になっていた。

 前方にトラック・レーサーの姿が現れた。天空庭園で置き去りにした椛島雄太だった。

 少々ぎこちないフォームで、ペダルを漕いでいた。繰り返し甚振られたせいで、痛みが酷いのだろう。街宣車に乗っている間に、蒼穹を追い抜したらしい。

 走行自体は安定し、速度が出ていた。見かけと違い、雄太が優秀なアスリートである事実に気付かされた。腰を持ち上げ、前屈みになって蒼穹は爪先に力を入れる。

 ぐいぐい雄太を追い上げた。

〝できるだけ近付かないほうが得策〟と周東に忠告されていた。だが、事情を知らないで危険に巻き込まれるよりも、本質を知って危険に立ち向かうほうがまだマシだ。

 滑らかに加速して雄太を追い抜いた。スピードを緩めて、雄太を待った。ペースを一定に保ったままで、雄太が蒼穹と並んだ。

『また、あんたか』

 蒼穹に向けて、雄太が、あからさまに迷惑な顔をした。

 雄太が自転車のスピードを上げた。ムキになって、蒼穹は雄太を追った。

 しばらく競い合いながら自転車を走らせた。外見の内向的な印象と違い、雄太も、かなりの負けず嫌いだ。

 並走する雄太に顔を向け、蒼穹は大声で話した。

「あなたも新宿駅に行くんでしょう?」

「僕が、どこに行こうと、あんたには関係ない」

 シートから腰を外して、雄太がさらにスピードを上げる。

「青葉の路上ライブ動画を見たわ。あなたが送信したの?」

 青葉の名前を耳にした雄太が、僅かに反応した。クランクの回転が落ちた。雄太が蒼穹に顔を向けた。

「あんたにも動画が送られているのか? あんたは青葉と、どんな関係があるんだ?」

 雄太にも蒼穹と同じメールが送られていた。

「渋谷のスクランブル交差点で拉致現場に居合わせたのよ。だから犯人を追い掛けたわ。元々は交差点の反対側で〝グース・ダウン〟のギグを観ていたのよ。あなたとは、道玄坂の裏路地で犯人たちに襲われているときに出会ったのよね」

「覚えているさ。『助けてくれ』って頼んだのに、『トラック・レーサーがあるんだから、自分で逃げなさい』って冷たかった女だよな。忘れやしない、見捨てられたんだからな」

 青葉を優先させた蒼穹の決断を、雄太は根に持っていた。

〈自転車に二人も乗せられないから、自分で逃げて欲しいとお願いしたのよ。女の子を優先させるなんて、当然の選択だわ。根に持つなんて、小さい男ね〉

 優秀なアスリートだと見直した前言を、蒼穹は心の中で打ち消した。

 剛劉会の跡目争いの渦中にあるなんて、信じられなかった。こんな度量の小さい男には誰一人だって従いて行かない。

〈雄太に跡目を継がせるくらいなら、私だって抗争に加わるわ〉

 呆れながらも、蒼穹は雄太を切り捨てられなかった。巻き込まれた事件の内情を知るための唯一のパイプだからだ。

 なにより、拉致された青葉の救出を途中で投げ出したくなかった。蒼穹と雄太の二人に同じ情報(メール)が送られている理由も知りたい。

 自転車のスピードをキープしながら、蒼穹は気持ちを入れ替えた。

「見捨てたんじゃなくて、青葉のほうが、優先順位が高いと判断しただけよ。〝次代会長〟のあなただって、青葉を救出するために必死になっているのでしょう」

 雄太の表情が、一段と険しくなった。

「僕は〝次代会長〟ではないし、候補ですらない。〝跡目の権利〟なんか、ずいぶん前に放棄している。なのにあいつは、交換条件だった青葉まで僕から奪おうとした。卑怯なんだ、あいつは。青葉を巻き込まなければ、僕だって、ヤクザ者たちに担ぎ上げられる必要はなかったのに」

〝あいつ〟の言葉に蒼穹は〝弟〟を当て嵌めた。

〈まあいいわ。苛立たせたおかげで、一歩踏み込んだ情報が得られたものね〉

「〝弟〟って、どんな人物なの?」と蒼穹は雄太に大声で訊ねた。

 雄太が一瞬、不思議そうな表情を浮かべた。蒼穹の顔を覗いて口を開いた。

 この展開なら、さらに突っ込んだ回答が得られそうだった。〝弟〟が〝グロースター〟ならば、〝残酷で醜い人物(?)〟のはずだ。

「〝弟〟か? 外見で言えば、僕と違って格好いい。顔立ちだって少女漫画の〝王子〟みたいなイケメンだし、何でもこなす優秀な男なんだ。あんたみたいな女なら、〝弟〟の魅力にイチコロだと思うけどな」

〈グロースターではないのか〉蒼穹はガッカリした。簡単にはいかないものだ。諦めきれずに、さらに突っ込んで雄太に訊いた。

「どこかに欠点はないの。〝醜いほど残酷〟とか?」

 少し考えた後で、雄太がふうっと息を吐いた。僅かに俯いたぶん、スピードが落ちる。

 首都高速入口ランプと別れて単線道路に入った。道が登り坂に変わった。道路脇の塀の先に黄色く塗り分けられた道路補修の車両が見えた。

 ようやく、雄太が口を開いた。

「完璧すぎるほど出来上がった男だよ。性格は確かに冷徹で残酷だけど、絶対に外に出さない。策略に陥れられた相手が、恨むどころか自分自身の非を感じて悔いるように仕組める男さ」

 想像がつかなかった。雄太と違ってイケメンだと表現されても、顔が腫れる前の雄太の顔を蒼穹は知らない。

「〝グロースター〟は知っているわよね。あなたの弟が〝依頼者〟でいいの」

「僕にも〝グロースター〟から指示が来ている。でも、弟が実際の〝依頼者〟であるかどうかは判らない。青葉を拉致した事実だけ見れば、弟に違いないのだけれど」

〝醜い〟点だけで〝グロースター〟を判断すれば、現在の雄太が合致する。思いついて、蒼穹は不用意な言葉を吐かないように気を付けた。

 弟が完璧な策士ならば、雄太も同様に狡猾な部分を持っている可能性がある。

「弟の他に〝グロースター〟の可能性がある人物は、誰かいないの?」

「跡目相続の対象となる立場なら、叔父さんがいるよ。でも、剛劉会からは完全に離れているし、強面だけど知識人で、とても優しい人だ。僕が〝跡目の権利〟を放棄したとき、賛成して協力してくれたんだ。〝グロースター〟は剛劉会の跡目を狙っている人物だよね。それなら絶対に違うよ。叔父さんが〝グロースター〟でなんてありっこない」

 雄太が激しく頭を振って否定した。どういう理由からか解らないが、雄太は叔父を信頼し切っている。

〈どんなふうに言い訳しようと、暴力団の関係者に違いはないわ。手放しで信じるなんて、無謀よ〉

 続けて雄太の話を訊こうとした。蒼穹は前方の異変に気付いた。

 登り坂の先に、人だかりができていた。どう見ても集まった顔ぶれは相当にガラが悪い。

「ねえ、前方が、ちょっとヤバくない?」

「〝登龍〟の奴らだ。逃げよう、誰の指示かは知らないが、〝爺ちゃん〟を狙った実行犯は間違いなく〝登龍(やつら)〟の若い衆だ。僕も囲まれて、痛い目に遭ったからね」

 金髪やモヒカン刈りの集団を確認した。剃りが入った髪型が半端なく凶悪な印象を強調していた。武装する男たちは、手に手に角材や鉄パイプを持って、息巻いていた。

 緊迫した空気がヒシヒシと感じられた。明らかに、泳がせた雄太を待ち伏せしていた。

「脇道に入るわよ」

 前方を睨みながら、蒼穹は雄太に告げた。ペダルは踏み続けたままだ。

「分かった。遅れを取るなよ」

「それは、こっちの台詞よ」

 生意気な雄太の返事に、蒼穹はイラっとした。しかし、噛みついている暇はない。

〝行くよ!〟の掛け声と共に、蒼穹と雄太は進路を変えた。

「踏切を渡るわよ。その先が丁字路になっているから、二手に分かれましょう。少し戻るけど、私は左に行くわ」

「了解だ。新宿駅西口に、どっちが先に着くかだな」

 半グレの集団が大声を出して追いかけてきた。

 怒号と口汚い罵声が、どんどん後ろになっていく。

 追いつかれる心配は要らなかった。蒼穹も雄太も、自転車の速度では誰にも負けない。

 威嚇するだけだったのか、駐車していた改造バイクやシャコタン車両の追跡はない。距離を空けると、半グレたちが思いがけずあっさりと諦めた。

 次の丁字路で、雄太が車体をバンクしながら右に折れた。約束通りに、蒼穹は左に曲がる。突き当りの中華料理店が、吹っ飛ぶように視界の端を流れていく。

 登り坂の先に回転する赤色灯が見えた。パトカーが停まっていた。隠れて半グレたちの動向を見張っている様子だ。

 坂の途中に郵便局の赤いポストがあった。ポストの手前から、真っ赤なシャツとバンダナで統一した男たちが飛び出した。凶暴な外見はさっきと同じだ。

 敵は少人数だったが、狭い道を塞ぐには十分だった。

 右折して、手前の路地に入る。半グレの男たちが足を速めて追ってくる。

 サドルから外した腰を左右に振りながら、蒼穹は一気にスピードを上げた。

 両脇に木造アパートと戸建て住宅が続く。補修工事の跡が残った路面は、舗装に凹凸が目立っていた。

 振動で、自転車の車体が激しく上下に揺れる。

 次々と男たちが路地に入ってくる。男たちが、全力で追い駆けてきた。隠し持っていた凶器を振り上げて、集団リンチの勢いだ。

 完全に追い込まれていた。だが、何とかして切り抜けるしか選択肢はなかった。余計な時間を取られていては、指定された時刻には間に合わない。

〈青葉を助けるためにも、下っ端になんて構ってはいられないのよ〉

 前方の交差点から、巨漢の二人組が姿を現した。二人とも赤く染めた髪をワックスで固めて棘のように立てていた。爬虫類のような顔つきはイグアナを連想させた。

 赤い棘を揺らしながら、男たちが蒼穹に近付いた。

 右側の男がだらりと下げた腕の先には、サバイバル・ナイフが冷たい光を放っていた。

 もう一人の男は、ナックル・ダスターを嵌めた拳を、誇らしげにひけらかしている。

〈いったいどこの格闘家と闘うつもりなの? こっちは、か弱い女子ひとりなのに〉

 負けていられるか。蒼穹の中に強い闘志が湧いた。

 自転車を停めた。

 追い込むから悪いのだ。蒼穹はポケットの上からラッキー・コインを押さえた。曲がった硬貨の(エッジ)を太腿に押し付けた。鋭い痛みが、蒼穹を冷静な判断に戻してくれる。

 自転車を降り、蒼穹は車体を道路に倒した。

 左足を一歩前に踏み出して、親指の付け根部分に体重を掛ける。

 素早く動けるために、自然な足幅をキープした。顔の高さに両手を広げ、掌を二人組に向かって構えた。

 受け身の姿勢と捉えたナックル・ダスターのイグアナ男が、蒼穹を馬鹿にして笑った。

「戦うつもりかい。漫画の見過ぎだぜ、お嬢ちゃん。女のあんたが俺たちに勝てるはずはないぜ」

 嫌味な表情で言葉を捻り出しながら、サバイバル・ナイフが醜く笑った。爬虫類そっくりの血走った小さな丸い眼が、気持ち悪い。

 近付いてくるイグアナ男たちの攻撃に備えて、足幅を広げた。掌を広げたままで、顎の位置まで下げた。両肘を内側に入れて脇を締める。

 後ろ足で押し出すように前足を進め、歩幅を狭めてスタンスを戻した。じりじりと近付きながら、蒼穹はイグアナ男たちの攻撃に備えた。

 相手が動く間合いを慎重に計るために視線は決して外さない。

 焦って自分から攻撃を仕掛けたら、負けだ。攻撃のために近付く相手の状態をしっかりと確認して、的確な防御で脅威を逸らす。

 煽るように、蒼穹はサバイバル・ナイフの男を睨みつけた。

 慢心したサバイバル・ナイフが、小さな丸い目に残忍な光を浮かべた。大きな刃先が蒼穹に向かって突き出された。

 心拍数が上がった。

 一直線に突き出されたイグアナの手を押して、ナイフの軌道を逸らした。返した左手でナイフを掴んだ男の手の甲を叩く。

 足を踏み出した。サバイバル・ナイフの腕を掴んで、蒼穹は右ストレートをイグアナ男の顔に叩きこむ。

 右手を戻して相手の手首を内側に捻った。体重の移動を利用してナイフを()ぎ取り、とどめに股間にキックを入れる。

 舗道に落ちたサバイバル・ナイフが甲高い音を立てた。

 鈍い音を立てて地面に転がったナイフの男が、動きを止めた。

 次はナックル・ダスターの番だ。

 思いがけない蒼穹の反撃に圧倒されて、ナックル・ダスター男が勢いを削がれていた。

 無防備になったナックル・ダスターのイグアナ男に攻撃を仕掛けた。

 気を取り戻したナックル・ダスター男が、猛烈な勢いで右フック・パンチを繰り出した。

 攻撃に合わせて拳を握った左腕を横に動かした。前腕部で相手の手首を押さえて、アッパー・カットをナックル・ダスター男の顎に当てる。

 ぐえっという奇妙な声を上げてナックル・ダスターのイグアナ男が仰け反った。倒れそうになる身体を抱え、股間に膝蹴りを加えた。

 柔らかな塊が膝の上で潰れる感触がした。ナックル・ダスター男が股間を押さえて、煩悶しながら路上に転がった。

 口ほどにもない奴らだ。

〈今のうちに、早く逃げなくちゃ〉

 圧倒的に力の差がある場合には、急襲こそが効果的な戦法だ。

 二度目が通用する可能性は低い。イグアナ男たちが戦意を取り戻す前に、この場を逃げ出す必要があった。

 道路に倒した自転車(ママチャリ)に駆け戻り、車体を立て直した。

 サドルに飛び乗って、ペダルを踏み下ろす。急発進でウィリー・ジャンプ、着地した後輪で倒れているナックル・ダスター男を轢いた。

 全速力でクランクを回し、蒼穹は路地を駆け抜ける。

 蒼穹は無線機に向かって叫んだ。

「ねえ〝ママ〟どの道で曲がればいいかな?」

『次の十字路を曲がらずに直進。もう一つ先を右折すれば、首都高速新宿線に沿った広い通りに出るわ。新宿中央公園に繋がる道よ』

〝ママ〟の説明で、記憶が蘇った。正面に新宿パークタワーが見える通りだ。

〈新宿駅までは、もう少しだ。雄太は、どうしただろうか。捕まっていなければいいが〉

 背後から、新たな怒号と息遣いが押し寄せてきた。雄太の心配どころではなかった。

 十字路で曲がらなくて正解だ。

〝登龍〟のメンバーが路地から飛び出してきた。曲がっていれば相手しきれない数の荒くれ者たちが待ち構えていた。

 振り返る余裕はなかった。次の十字路だって待ち伏せの可能性はある。

 だが、心配しているだけでは、道は開けない。今できる方法は、全力で前に前にと進むだけだ。

 超特急便(プレミアム・ラッシュ)の指定時刻が迫っていた。次の十字路を見据えて、蒼穹は限界を超えてシャフトをフル回転させた。


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