記憶を消された東堂家。
狩人を生業とする家々の中で、源流であり最高とされるのが有川家と東堂家である。
このニ家が中心となり魔獣の殲滅にあたっている。
しかし、2年前に事件が起きた。ーー東堂家が滅亡した。
この事件に狩人達は衝撃を受けた。それ以降、有川家が主となり魔獣退治が行われている。
「白井くんが狩人って…本当に?」
「ああ、そうだよ。俺の本当の名前は、東堂一臣。東堂家の当主だ」
白井は制服のワイシャツの首元から、東堂家当主を示すネックレスを見せた。東堂家を示す蘭の花が刻まれた玉である。
狩人の家の証である玉は翠にとって珍しいものではなかった。それは昴も身につけているからである。
「それに有川さんは俺に会ったことがあるよ」
「えっ!?」
「ああ。7年前に東堂家の当主が代わる儀式で会ったな」
「あ、だから……」
翠は白井の表情で懐かしさを感じたことがあるのは、そのせいだったのかと納得した。
「あの時以来ですね、有川家当主である昴さんとお会いするのは。相変わらず、偉そうですが……」
「おいっ、どういうことだ!」
白井の言葉に昴の眉間のシワが深くなった。一方、翠と朔は深く頷いた。
「それで、どういうことなんだ。東堂家は滅亡したと言われ、お前が記憶を無くして生きており、白井と名乗っている理由は……」
「東堂家が滅亡したのは、ある意味事実だよ」
コーヒーの入ったカップをテーブルに置くと、白井はぼそっと言葉を落とした。
「お前がいるから、滅亡してはいないだろ」
「…………、けど、俺しかいない」
その言葉も事実である。
「俺以外の東堂家の者は、みんな魔物に喰われた。母も妹も……」
三人は言葉がかけられなかった。
記憶が戻り、白井の中にはたくさんの想いが溢れていた。
「その魔物はそんなに強かったのか?」
ーー氷の魔物。白井が狩人として戦った中で、初めて見るものだった。それにあのーー。
「金髪の創造者がいた」
「金髪の創造者……?」
「あの創造者は魔物を扱うのが上手い。共に戦った仲間も次々と喰われてしまい、俺一人で戦うことになったが…ダメだった」
あの時の悔しさが溢れ、白井の拳は堅く握られていた。
「俺も喰われると思った瞬間、消滅の刻印が暴走して、魔獣と創造者と相討ちになったんだ」
ぼうっと白井の瞳が蒼く光り始めた。
消滅の刻印が暴走した後、しばらくしてから白井ーー東堂一臣は目覚めた。
目覚めた時、そこが何処なのか、自分が誰なのか、分からなかった。辺りの木々はなぎ倒されており、竜巻が起きたのではないかと思われるような、凄惨な状態だった。
遠くから救急車のサイレンが聞いた直後に、東堂一臣はまた眠りに落ちた。
再び目覚めた時、病院のベッドに横たわっていた。すでに1年程の時間が経っていた。
「白井さん。お加減はいかがでしょうか?」
優しく声をかけてくれた看護師から『白井』と呼ばれて、自分が『白井』なのだと知った。
それから衰弱していた身体の回復には時間がかかった。ようやく退院できるとなった時に、手紙が白井宛に届いた。
『○○市にあるマンションに行け。君の家がある』
結局、記憶が失われたままだった東堂一臣は、書かれていた場所に行くことにした。
そのマンションに行くと、部屋のダイニングテーブルの上に一通の手紙が置かれていた。
それがつい1ヶ月程前の出来事である。
「……ということは、お前は誰かの誘導で此処に来たってことなのか?」
「……誰の導きかは分からないが、そのお陰で俺は記憶を取り戻し、同じ狩人である有川家の当主と会うことができた。俺にとっては有り難い……」
東堂の瞳はまだ蒼く光っている。その蒼さは、翠には深い悲しみを表しているかのように思えた。
だからか、翠の身体は自然に動いた。
「お、おいっーー」
翠はぎゅっと東堂を抱きしめた。ーーその様子を昴と朔はじっと見つめていた。
「あ、有川さん、ど、どうしたんだよ」
「ううんーー」
東堂の額に雫が落ちてきた。
「白井くん……泣いてもいいんだよ。だって、家族を魔物にーー。そんなの、悔しいし悲しいし辛いよーー」
「……………」
えーんと声を出して、翠は泣いていた。
しばらく泣き続けると、翠は床にペタッと座り込んだ。
「翠……」
昴が翠に寄り添おうとすると、東堂が翠に向かい合った。
「……ありがとう、有川さん。俺さ、昨日ようやく記憶が戻って、いろいろなことを思い出して、様々な感情に押し潰されていたんだ。だって、2年間も忘れていたんだよ。家族を失っていたことを」
悲しみをこらえた表情をする東堂を、ただ翠は見つめた。
「本当に悔しい。俺は当主として、何も守ることができなかった。俺にとって大切な家族は、家は今どうなっているのか……」
東堂は床に力強く拳を叩きつけた。再度、拳を床に落とそうとした時、その腕を昴が掴んだ。
「東堂家の家はちゃんと残っているわよ」
朔が話に入ってきた。
「今は高良家でちゃんと守っているわ。もちろん、あなたの母君も妹さんもきちんと弔った」
「ああ。東堂家に多くの狩人が集まって、葬儀を行った。だから、大丈夫だーー」
昴と朔の話は翠も初耳だった。もちろん、東堂にとっても。
「そ、そうだったんだ……。本当に……ありがとうございます……」
この時、初めて東堂は涙を流した。
東堂が落ち着くと、多くのことを昴と朔が伝えた。
「それにあのうるさいガキもいたからーー」
昴がガキと言った時に、部屋のドアが勢いよく開いた。
「ガキってのは、僕のことか! 有川家の当主っ」
いきなり現れた人物は部屋に入ると、大きな足音を立てて昴の目の前に歩いてきた。
「そうだ。お前のことだ」
「この僕のどこが、ガキなんだ!」
「そうやって、馬鹿みたいに騒ぐところがだよ」
「なんだとっ!」
「てか、なんでお前が此処に来たんだ?」
「ふん! ようやく気づいたか、そのことに」
翠から見ると、小さな昴がそこにいるような感じだった。確か、幼い頃の昴はこんな感じに偉そうだった。
「紫苑、お前……生きていたのか?」
久しぶりに会う、あの時に共に戦った仲間との再会に、東堂は驚いていた。
声をかけられた紫苑は、さっきまで昴を睨みつけていた顔がパアッと笑顔になって東堂に駆け寄った。
「はいっ! 一兄が生きていて下さって、本当に僕は嬉しいです。1年間も眠り続けて、記憶を無くしていて……、本当に本当に心配で心配で」
紫苑から出てくる言葉に、皆が難しい顔をした。
「それってつまり、東堂を介抱したり、此処に住まわせたりしたのは、お前か?」
「ああ、その通りだよ! 僕の家の力を使えば、なんだってできるんだよ! このマンションも僕の家で所有しているし、一兄が入院していた病院も、僕の家の病院だからね」
「紫苑っ!」
自慢気に話す紫苑を、東堂が強い口調で黙らせた。
「つまり、お前は俺の状況を理解していて、そのままにしていたということか? もし、有川さん達と出会わなければ、記憶を失ったままでも良かったってことか?」
「うっ……、それは……」
紫苑のさっきまでの威勢の良さが失われた。
「おい、紫苑。答えろ」
「……そのままで良いなんて、思っていません」
東堂は紫苑が唇を噛み締めているのに気づくと、ぽんっと頭を撫でた。
「悪い。お前に当たるのは間違いだな。ありがとう、俺を生かしてくれて」
この時、この二人の関係性が翠たちに伝わった。
「でも、どうして?」
「それは、一兄の記憶を戻す方法が僕には見つけられなかったからです。だから、此処に……」
チラッと紫苑が昴と朔を見た。
「俺らの記憶消しの術頼みだったってことか」
「…………」
無言が答えだった。よほど、人に何かを頼むのが嫌なのだろう。
東堂は大きな溜息を吐いた。
「……紫苑」
「……はい」
「礼儀は大切だと、何度も教えたはずだ。お前の前にいるのは、有川家の当主だ。お前より格段に上の立場のお方だ」
東堂が言いたいことを紫苑は理解している。けれども、変なプライドが紫苑を邪魔していた。
なかなか動かない紫苑に呆れて、東堂が昴に向かって頭を下げた。
「我が東堂家が未熟だった故に起きた事件に巻き込んでしまい、申し訳ございませんでした。このご恩は一生の忘れません」
「か、一兄……」
その様子を昴はじっと見ていた。同様に静かに翠も朔も見守った。
「東堂、頭を上げろ。それに気にするな。同じ狩人だろ。助け合うのは当然だ。それにガキ。お前の主人に頭を下げさせるなんて、やっぱりガキだな」
昴は紫苑に対し、ズバズバと言葉を投げると、紫苑の顔は真っ赤に染まっていた。その横にいる東堂は、まだ頭を下げたままである。
「藤原紫苑ーーお前が東堂家を守るために必死なのが分かっていたから、お前を俺らは助けたんだ。それなのに伝えるべき事をきちんと話さず、俺らを利用するとは残念だ。帰るぞ、翠、朔」
「えっ、昴くん!」
部屋を出ていく昴に朔は無言でついて行くので、翠は慌てて立ち上がった。
頭を下げている東堂も気になるが、その横で泣きそうな表情をしている紫苑も心配になった。
「……紫苑くんだっけ?」
「…………」
「昴くん、きっと君に信用されていなかったことが悲しかったんだと思うよ。今思うと、2年前って昴くんと朔くん、よく家にいなかったんだ。たぶん白井くんの家の事で、いろいろ動いていたんじゃないかな」
振り返ると、2年前のある時期、用事ができたと言って2人がなかなか家に帰ってこない日が続いた。その時に、東堂家の葬儀や家の修復をしていたのだろう。
「2人を動かしたのって、紫苑くんなんでしょ? なら、きちんと伝えるべき事を自分の言葉で伝えなきゃいけないよ」
そう伝えると、翠も東堂の部屋を後にした。
昴の車に三人は乗っていた。
翠は後ろの席で、前に座る二人の様子をうかがった。
「ん? どうしたの、翠ちゃん」
それに気がついた朔は、後ろを振り返った。
「あ、いや。いろいろあるんだな……と思って」
「?」
「よく考えると、私が狩人の仕事に関わるようになったのって、まだ二年しか経ってないんだよね。その前から昴くんも、朔くんも狩人として、たくさんの魔物を倒したり、他の狩人と出会ったりしていたから、私の知らないことって多いなと感じたの」
東堂家の事で二人が動いていたことも知らず、白井がどんな辛い思いをしたのかも知らず、何も分かっていない自分に翠は落ち込んでいた。
狩人としての特異な力を翠は幼い頃から持っていたが、それを両親も昴も長い間使わせなかった。ーー両親の力によって封印されていた。
「お父さんとお母さんが亡くなった後も、きっと昴くんは私の知らないところでいろいろやってくれたんだよね……」
八年前に両親が亡くなった時、双子の兄が翠を守ってくれた。ーー今は昴と朔に守られている。
「知らないっていう状況って……怖いんだね」
「……まあ、東堂の状況は辛いな。彼の思いは二年前から止まったままだからな」
「そうね。ゆっくり時間を取り戻すしかないと思うけど」
昴も朔も窓の外を眺めながら、言葉を紡いだ。