表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/11

102号室 02

「おはようございます!」

『朝からかよ……』

 翌日、直接裏庭に回りこんで挨拶した咲千に、呆れたような声が返ってくる。

「だって半分ぐらいしかむしれてないんですよ」

『充分じゃん。ゼロから考えたら無限倍の出来じゃん。君の部屋じゃないんだし、諦めてもいいよ?』

 部屋の(あるじ)は、物凄く後ろ向きに誘惑をかけてくる。

「諦めたからやめた訳じゃないです!」

 帽子をかぶっているとはいえ、炎天下だ。昨日、咲千は時折自分の部屋に帰り、冷たい飲み物を摂ったり涼んだりしていた。熱中症予防の基本だ。

 そして夕方には、約束通り柿瀬に料理を教えて貰うために、早めに引き上げていたのだ。

 はかどらなかったのは、さぼっていたからでも、熱意がないためでもない。

「朝からやれば、今日の夕方までには終わりますよ!」

『若さかなぁ……』

 小さくぼやく言葉を無視して、庭に入りこむ。


「今日は同居人さんはいらっしゃらないんですか?」

『うるさいからしばらく来るなって言った』

 憮然とした返事に、しばらく、と呟く。

『なに』

「いいえ。仲がいいなぁと思って」

『よくないってば。ただまあ、確かに機嫌を損ねられても困るんだけど』

 含みのある言葉に、首を傾げた。

『大黒さんさ。なんで、このアパートが六部屋なのか考えたことある?』


 --こんな木造二階建てなんて建てなくても、新築で、十階建て程度のマンションが軽く建ったはずだ。


「……ありま、す」

 それを不思議に思ったのは、自分ではないが。

『下から、修羅、地獄、畜生。上に上がって、餓鬼、天上、人間』

「何ですか、それ?」

 だが、想像もしなかった言葉を続けられて、きょとんとした。

『六道。順番はちょっと違うけど。聞いたことない?』

「ありません。……地獄とか、人間とか、畜生とか、単語は知ってますけど、そういうことじゃないんですよね」

『学生さんは、頭の回転が速い』

 感心するように、揶揄(やゆ)するように続ける。

『じゃあ、木造である意味は?』

「木造の方がくつろげるって、神谷さんは言っていました。密閉感が違うって」

『それは、間違いじゃない。でも、木造の特徴は、あやふやさだ』

 大きく、息を吸う音が、マイクに掠れる。

『内ではなく、外ではない。閉め切られているが、闇ではない。出入り口はあるが、通れない』

「通れない?」

 ある程度は、授業でも聞いた、木造建築のコンセプトに添っている。しかし、最後の一言は。

 咲千が訊き返したところで、どん、と音が響いた。

 スピーカーを通したもの以外にも、庭でも直接耳に入ってくる。

 あれは、二階の部屋から発した、ような。

(もも)兄さん?」

『……ごめん。変なこと、言ったな。忘れて。徹夜だったからさ、ちょっと頭が回ってないんだ』

「すみません、朝早くから来てしまって」

 慌てて謝罪する。

 課題で何度か徹夜したことはある。あれは結構きつい。

『ちょっと寝るよ。草むしり、無理しないでいいから』

「はい。おやすみなさい」

 ちょっとだけ驚いたような沈黙があって、そして。

『おやすみ』

 僅かに笑みを含んだ声が、響いた。




 しおれた雑草を、ゴミ袋に詰めこむ。

 幾つ目か、ぎゅ、と口を縛ったところで、音を立ててカーテンが開いた。

「あら。さっちゃん?」

 窓を開けて、驚いた顔を出したのは、103号室の星崎だ。

「お帰りなさい」

「ただいま。どうしたの?」

 完全防備の咲千の姿に、首を傾げる。

「草むしりをしてました」

 コンクリートブロックで区切られた102号室の庭は、今や地面に貼りつくようなもの以外は雑草が一掃されている。

「あらまあ。どうしてさっちゃんが?」

「色々ありまして……」

 どう説明していいか判らずに、そう答えた。星崎は小さく笑う。

「すっきりしてよかったわ。そうそう、さっちゃん、お土産渡しておくわね」

 部屋の中に戻り、紙袋の中から一つの包みを取り出した。

「よくあるお饅頭だけど」

「ありがとうございます。どちらに行かれてたんですか?」

「私の実家に、顔を出してきたの。お盆の終盤だと混むから」

「でしょうね」

 よく、テレビで高速道路の渋滞の映像などを流しているのを思い出し、頷いた。

「明は寝ちゃってるから、ご挨拶できなくてごめんなさいね。また会ったら遊んであげて」

「はい」

 冷房をつけるのだろう、その後すぐに星崎は窓を閉めた。



 玄関に入って、鍵を閉める。

 ふぅ、と息をつきながら、麦藁帽子を脱いだ。

 もう全身汗だくだ。まだ明るいが、柿瀬との約束の前にシャワーを浴びてしまおう。

 脱いだ服を洗濯機に放りこみ、浴室に入る。

 熱くも冷たくもない湯を、頭から浴びた。

 汗でぬるりとした肌が、洗い流されていく。

「あー……」

 リラックスのあまり、間の抜けた声を出した。


 瞬間。


 がたん、と、空耳としては非常に大きな音が、外から聞こえた。



 びくり、と身を竦め、壁を見つめる。

 がた、がたがた、と、立て続けに、何かを板へぶつけるかのような音が、振動が、響く。

 恐る恐る、小窓にかけたビニールカーテンをそっと寄せる。


 窓の向こう側で、細く長いものが、踊るように動いていた。



「っ、やぁああああ!」

 悲鳴を上げて、下がる。

 つい窓を覗いてしまったが、この向こう側は、外部ではない。

 どこからも入ることができない、デッドスペースだ。

 事実、ほんの十分前、外から見た限り、外壁の窓は割れてなどいなかった。

 中に、何かがいるのだ。

 ばたんばたんと騒がしいそこから離れ、脱衣所へ逃げこむ。

 玄関から外へ出て、大丈夫だろうか。

 迷うが、何があったにせよ、ここで一人でいても解決できない。

 幸い、アパート内には知人が複数いる。救けを求めれば何とかなるだろう。

 急ぎ、手にひっつかんだワンピースに、濡れたままの腕を通す。


 ぱきん、と、軽い、音がした。



 地面から、突き上げるような衝動が襲う。

「きゃぁあ!」

 着替え中という不安定な体勢だった咲千は、その場に尻餅をついた。

「地……地震?」

 ぐらぐらと揺れる床に、立ち上がれない。



『総員警戒態勢!』


 聞き覚えのある声が、大音声で、裏野ハイツ全体に響く。

『ヒトは絶対外に出るな! 現在、震源地を探査中!』



 おかしい。

 先ほどお茶を飲んで、そのままテーブルに置いたままのグラスが、揺れてもいない。

 重心の高い、液晶テレビも。

 テーブルも、椅子も。

 咲千は、立ってすらいられないのに。


 キッチンの方から、がたん、と、やけに大きく耳に残る音が聞こえて。

 シンク下の扉が、ゆっくりと、ゆっくりと、押し開かれていく。

 シンクの横の壁は、ちょうど、デッドスペースの隣で--




 内ではなく、外ではない。外壁と、内壁で区切られているから。

 閉め切られているが、闇ではない。外壁と内壁に、窓が作られているから。

 出入り口はあるが、通れない。二つの窓は、嵌め殺し、つまり、開かない窓であるから。


 百兄さんが言っていたのは、この空間のことだ。






 百兄が、怒声を響かせる。

『203号室だ!』



 その、203号室の住人、咲千は、その時シンク下の扉から顔を出した金色の蛇に睨まれ、ただ、震えていた。





 最初は、その蛇の直径は、五センチ程度に見えた。

 充分大きい。だが、人の手で掴めないほどではない。

「や、ぁ……」

 揺れる床を、必死に後ろへとにじる。

 三十センチも、その姿を現した時には、太さは十センチほどに。

 五十センチとなると、太さは十五センチほどに。

 二メートルに、なると。

「やああああああああああ!」

 大蛇は、その口吻に、平たい小さな板を咥えていた。

 それが、ゆっくりと、近づく。



「お姉ちゃん!」

 どんどんと、扉が叩かれる。

 ぎしぎしと身体が軋む傍らで、ぼんやりとそれを認識した。


 脚を。

 胴を。

 胸を。

 腕を。

 大蛇は、咲千の全身をゆっくりと締めつけていく。

 もう、声も出ない。




「お姉ちゃん、開けて!」

 明が、絶叫する。

 二階のキッチンの窓には、階段からでは大人でさえ手をかけられる高さではない。

 母親が、どん、と、扉に肩からぶつかっていくが、女性の力ではそう簡単にスチール製のそれは破れない。

「こんなとこばっかり、丈夫に作るんだから!」

 罵声を上げて、しかし、彼女は再び突進した。


『お前行けないか、ニート!』

「俺は招かれておらんからな」

 焦りが滲む叫びに、飄々と金髪の青年は返した。

『くっそ……! じっちゃん、頼む!』

 その叫びに応じるように、二階の中央の部屋、202号室の床が、二度、鳴らされた。

「ご招待、お受けしよう」

 恭しく一礼し、閉め切られ、闇に沈む101号室にいた青年は、大股で戸境壁へ向けて進む。

 するり、と沈むように、その壁を抜け、102号室を横断しかけ。

 とん、と床を蹴ると、宙に浮き、天井を通り抜けた。




 ごぼ、と、口の端から、泡が溢れる。

 目の前で、人の頭ほどにもなった蛇の顔が、近づいてくる。

 口に咥えた板は、木目に対して鉛直に割れていて、棘のように細く鋭い先端が、何十本もこちらを向いている。


 金色の蛇の向こう側、うっすらと滲み歪んだ視界に、更に輝く黄金が現れた。



 黒いコートを身に纏った金髪の青年が、その惨状を見下ろす。

 白い肌を締め上げる、金色の大蛇。

 一瞬鼻を鳴らすと、無造作にその鎌首を掴む。

不味(まず)そうではあるな」

 小さく不平を漏らすと身を屈め、青年は自らの牙を大蛇の鱗へとやすやすと沈めた。




 じんじんと、手足がしびれる。

 ぼんやりとした視線が、天井をさまよった。

「気づいたか、小娘」

 尊大な声に、顔をゆっくりと傾ける。

 一度会っただけの青年が、ダイニングテーブルの椅子に腰掛け、脚を組んでこちらを見下ろしていた。

 視界がゆらゆらと揺れて、目を閉じる。

「無理はするな。気力が随分吸われておる」

 珍しく気遣うような言葉をかけられる。

 と。

「お姉ちゃん! おい、お前、お姉ちゃんに何もしてないだろうな!」

「うるさい仔狐じゃのう……」

 溜息をついて、立ち上がる。

「小娘。奴らを招いてもよいか?」

「は、い」

 掠れた声で、それだけを告げる。

 頷いて、青年はコートのフードを深く被った。

 その姿で、玄関の鍵を回転させる。

「お姉ちゃん!」

「さっちゃん!」

 差しこむ陽の光を避けるように半身を寄せた青年の傍を抜け、転がるように母子は室内に入ってきた。

「ああ、こんなに顔色が悪いなんて」

 星崎が、そっと咲千の手を取る。

 泣き出しそうな顔で、明は咲千の濡れた髪に触れた。

 ふぅ、と身体が楽になる。

 ゆらゆらと揺れ続ける視界の中、よく知った二人は、しかし髪の色が金色になっていた。小さな山形に盛り上がった髪の一部が、ふるふると揺れている。

「どう……したんです、か?」

 とりあえず疑問を口にするが、静かに、と諌められた。

『封じはどうなってる?』

 同じ部屋にいるかのようにはっきりと、電子音声が尋ねてくる。

「小部屋から外に出されておる。おそらく、破損しているな」

 淡々と、黒いコートの青年が告げた。

 電子音声が立て続けに罵声を発した。

「この場合、一体どうなるのだ、獄卒(ごくそつ)よ?」

 興味などひとかけらもない、という表情で、青年は尋ねる。


『今の時期、この土地は盂蘭盆(うらぼん)だ。六道のバランスが崩れて、起きることといえば、多分』

 苦々しげに、言葉が帰ってくる。




 ゆらゆらと揺れる部屋の中、柿瀬が背を丸め、一心に仏壇へ向かっていた。




『亡者が、地獄へ戻れなくなるんだろうな』




 老女のその背に、暗く、薄い、煙のような何かが迫っている。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ