表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/11

102号室 01

 ベランダの上に渡された物干し竿に、ハンガーをかける。

 眩しい日差しと大気の熱は、乾燥を充分に期待させるものだ。

「最近、外に干せなかったからなぁ」

 じわりと滲んでくる額の汗を拭いて、咲千は次の洗濯物を手に取った。

「あ!」

 が、ついうっかり手を滑らせてしまう。

 ひらりと舞った水色のシャツは、裏庭に落ちた。

 真下の星崎の庭ではなく、その隣、102号室の。

 そこの住人とは、まだ面識はない。

 星崎なら、黙って庭に入っても怒らないだろう。しかし。

 数秒迷ったが、部屋を出る。

 102号室の前に立って、小さく息を吸った。

 扉の横にある、チャイムを鳴らす。

 このアパートには、インターフォンなどというものはない。耳障りな音でブザーが鳴るのが、部屋の中から漏れてきた。

『なに?』

「ひゃ!?」

 だから、扉も開かないまま、電子音の響きのかかった言葉が発せられて、咲千は奇妙な声を上げた。


『何の用?』

「え、あ、あの、102号室の方ですか?」

『そうだけど。203の人だよね。何の用なの』

 声の原型は何となく判る。成人男性だろう。

 ややぶっきらぼうに問い詰める言葉に、少々怯む。

「あの、洗濯物をお庭に落としてしまって。取りに入ってもよろしいですか?」

『ああ、そんなこと。どうぞ。隣の庭を荒らさないようにして。取った後の連絡なんていらないからね』

 意外と気遣いの言葉が返ってくる。

 ありがとうございます、と呟いて、玄関周りに視線を巡らせた。どこかに、スピーカーのようなものでも設置してるのだろうか。

 ともあれ、小走りにアパートの周囲を進み、裏庭へと向かう。

 星崎家の庭は、こまめに手入れされている。今は朝顔や向日葵が咲いているのは、明の学校関係だろうか。

 一段だけのコンクリートブロックで、部屋ごとに庭は区切られている。その向こう側、102号室の庭は、見事に雑草がおい茂っていた。

 がさがさと踏み分けて、落ちているシャツに手を延ばす。

 草のおかげで、土に接していた部分は少ないが、一応水洗いしようかな、と思ったときに。

 傍らの草むらが、ざざっ、と揺れた。

「きゃぁああ!」

 一瞬で鳥肌を立てて、つまづきながらも星崎家の庭に避難する。

『どうかした!?』

 慌てた声が、発せられる。

 庭の方にもスピーカーがあるのか。

「へ、蛇が」

『蛇?』

 掠れた声で、呟く。その程度の言葉もきちんと拾って、家主は繰り返してきた。

「何か、黄色っぽい、蛇が、にょろにょろって、動いて」

 震えながらそう訴えかける。

『あーうん。怪我はない? 気をつけて』

 しかし、結構あっさりと会話は打ち切られる。

 閉め切られたカーテンは、微動だにしない。

 まあ、親身になってくれたからと言ってどうなる訳でもないが、咲千は少々膨れた。




 一時間ほど経って、102号室のブザーは再び鳴らされる。

『……どうしたの、そのカッコ』

 誰か、と問うこともなくそんな言葉が発せられる。カメラとかも設置してあるのかな、と咲千は推測した。

 そんな彼女のいでたちは、まず大きな麦藁帽子。首に巻かれたタオル。長袖とロングパンツ。スニーカーに靴下。靴下の中にパンツの裾がきっちり入っている。手には軍手をはめて、コンビニの袋を手にしていた。

「あの、先刻(さっき)のお礼に。これ、プリンですけど、どうぞ」

『いや、お礼とかはいらないけど』

 住人の声は、未だ戸惑っている。

「で、ですね! お庭の雑草を抜いてしまってもいいですか?」

『は?』


「あんなに雑草とか茂ってるから、蛇なんて出るんですよ! いっそ全部抜いてしまいましょう!」

『いや冬になったら枯れるし放っといても』

「蛇が出て、星崎さんとか明くんとか柿瀬さんが怪我でもしたら大変ですよ!」

『外出たくないし、土とか触るの嫌だし、抜いた草の処分とか面倒だし』

「全部やります!」

 プリン一つにしては大きめのコンビニ袋から、お徳用ゴミ袋(大)を取り出して、扉に見せつけた。

 電子音が、溜め息を飾る。

『……君一人で全部やり遂げるなら、ご自由に』


『で、何でそんな完全防備なの。それも買ってきたわけ?』

 プリンをドアノブにかけて、裏庭に回る。取りにでたのだろうか、一度、玄関が開閉する音が聞こえた。

 102号室へ向かう前に一応声をかけてみたが、星崎家は留守だった。お盆休みだし、どこかへ出かけているのだろう。

 とりあえず、体は星崎家の庭に置き、手だけ延ばして雑草を抜く。そうして陣地を増やしていく算段だ。

「去年、夏休みのアルバイトで、遺跡発掘調査をやったんです。学校に求人が来てて」

 建物を建てる際に、基礎工事の為に地面を掘り返すと、地中から過去の住居跡などの遺跡が出土する場合がある。文化財保護の為に、そういった場合は監督官庁へ報告しなくてはならない。しかし、調査のために時間を費やすことになるので、工事関係者の中には、秘密裡に処理するものもいるらしかった。

『あー。きついって聞くね、あれ。その時の装備か』 

「暑いし炎天下だし集中しなくちゃだしで、熱中症になりかけましたよ」

 あはは、と咲千は笑う。

 そのため、その後探したアルバイトは設計事務所での内勤を選んでいる。

 あれもそれなりにいい経験だったが、しかし繰り返したい訳ではなかった。

『にしても、何でわざわざ草むしりとかしたいのさ』

「理由はお話しましたよ」

『若い女の子が、夏に丸一日費やして草むしりとかないでしょ。もっとこう、友達や彼氏と遊びに行くとか』

「友達は休みに入ってみんな帰省しちゃってますからね」

 肩を竦めて、そう返す。

 根の張った雑草は、引き抜くには少々力が必要だ。

『冷房の利いた部屋でネットとかゲームとか』

『貴様と一緒にするでない、自宅警備員』

 聞き覚えのある声が割りこんできて、部屋の主が悲鳴を上げた。


『いきなり入って来るなよ、ニート!』

『貴様に罵倒される覚えはないな』

『不法侵入者が罵倒されない覚えもないよ!?』

「あ、ひょっとして、神谷さんの同居人の方ですか?」

 スピーカーから続くかけあいに、口を挟む。

『うむ。小娘は今日もよく励んでおるな』

 偉そうな口調は、覚えがある。

 一度、会ったとも言えない程度に顔を合わせただけの相手の声に、咲千は口元を綻ばせた。

「あの時は、お世話になりました」

『気にするな。小娘に対処できる相手でもない』

「……あれ、なんだったんですか?」

 ずばり、と尋ねてみる。電子音声が、小さく、莫迦、と呟いた。

『ふむ。ほれ、あれだ。狸にでも化かされたのだろう』

「狸?」

『祭りに異形のものどもが浮かれ騒ぐは、よくあることだ』

 はぐらかされて、咲千は小さく唇を尖らせた。


「でも、お二人は仲良しなんですね」

 陣地が広がってきて、102号室の庭に足を踏み入れる。

 しゃがみ続けてきた腰が、少し痛んだ。

『は?』

『俺に仲良しなどという次元で並ぶなど、こんな奴ができるものか』

『お前本当に性格悪いよな……』

 長々と溜め息が聞こえてきて、咲千の方が苦笑する。

「そういえば、お名前を聞いてもいいですか?」

 そう尋ねると、数秒間、沈黙が落ちる。

『名前、は』

『小娘ごときが俺の名前など知る必要はない。呼びたければ、支配者様(マイ・ロード)とでも呼ぶといい』

『お前のその自我の強さ何なの』

『この自宅警備員は、(くそ)と呼ぶがふさわしかろう』

『お前女の子相手になに言い放ってんだ!』

 最低限の気遣いを弁えている程度の102号室の住人でさえ反射的に怒鳴りつけるレヴェルの発言に、流石に咲千も沈黙する。

『ほらー! 彼女引いただろ! ドン()いてるだろ! お前、家主の交友関係壊していいの? 神谷さん、怒るよ?』

『う、いや、カーミラは俺を怒ったりなど』

『あと家主の名前ぐらい覚えなさい』

 変なところをきっちりと言い渡されていて、思わず小さく笑った。

『……すまぬ、小娘』

「まあいいですよ。同居人さん」

 渋々という風に謝ってくるので、茶化すことで流した。

「102号室の人は、そうですね、ももにいさんとでも呼びましょうか」

『なにそれ』

 あまりに突拍子もなかったのか、短く訊いてくる。

「百、でもも。二、で、兄さんです」

『……変な子だって言われない?』

 力なく返されるのに、言われません、と胸を張って答えた。

『もも、か。言い得て妙だな』

 くつくつと同居人が笑う。



 かちゃん、と、遠くで小さく何かが割れるような音がしたのは、誰も気がつかなかった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ