表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/11

202号室

本日、二話同時更新しています。(1/2)

「何とかならないの?」

 星崎が気遣わしげに尋ねている。

『封じの札が手に入れば、何とか。だけど、本物を頼むと、下手したら一年かかる』

「一年!?」

 102号室の住人の言葉に、声を裏返らせた。

『手順を短縮しても、数ヶ月だ。代替品があればいいんだが、流石に予備なんて用意してない』

「そもそも、そんなに時間もないんだろう?」

 玄関から顔を出したのは、星崎家の大黒柱だ。

「あなた……」

(なお)さん、部屋から出ないでって言ったのに!』

 不服そうな声に、肩を竦める。

「大事な奥さんと息子だけに頼る訳にもいかないでしょ。それに、見たところ、柿瀬さんのところが結構大変だよ」

「柿瀬……さん」

 何とか、声が出る。

 その場の視線が、咲千に集中した。

「無理しちゃ駄目よ」

 優しく、星崎は告げる。じっと見つめてくる明は涙目だ。

「もう大丈夫です。……ゆらゆらするけど」

 しかし、それは、この地震ではない揺れのせいだ。

 両手を床について、上体を起こした。

「一体何が問題になってるんですか?」

 周囲の目が、僅かに驚いたものに変わる。

「状況説明ではなく、対処法を訊くか」

 楽しげに笑いながら、金髪の青年が呟いた。

『ええと……。木で作った、ヒトガタって札が壊れてしまったんだ。それがないと、この裏野ハイツを閉鎖しないといけないような事態になる。だが、新しいものを手に入れるのに時間がかかってね』

 少々戸惑った声が、しかし簡潔に纏めてきた。

「木、ですか?」

「板でいいなら、その辺の壁をひっぺがせばよかろうに」

 嘲るような口調で、独り、他人事という風情の青年が続ける。

『そんなことやったら被害が増えるばっかだろ! お前だって面倒なことになるんだから、建設的な意見がないなら黙ってろ!』

 苛々と怒声を浴びせられて、101号室の同居人は憮然として口をつぐんだ。

「その、壊れたものって、どんなものなんです?」

 母子と、そしてもう一人の青年が、揃って視線を動かした。咲千と、直と呼ばれた星崎家当主が、それを追う。

 それは、ダイニングの床に無造作に転がっていた。

 幅が十五センチほどの、木の板だ。厚みは一センチというところか。長さは、これも十五センチ程度だが、一方の端が折れた形跡がある。完全な方形ではなく、途中に三角形の欠け込みがあった。墨で何か書かれていたが、全体的に薄汚れていて、判別できない。

 そう、これは、あの大蛇が咥えていたものだ。

 記憶が蘇って、僅かに顔が青ざめる。

 だが、すぐに咲千は口を開いた。

「……板があったら、これを新しく作れるんですか?」

『一時的に凌ぐ分なら、何とかなる。ちゃんとしたものは、本職に作ってもらわないといけないけど、それまでは保たせられるだろう』

「問題は、板がない、ということだがな」

 青年が口を開かなかったのはほんの数分で、皮肉げな言葉はすぐに復活した。

「板なら、あります」


 奥の六畳間へ入り、半畳のクローゼットを開く。

 段ボール箱を一つ二つ持ち出し、中から取り出したのは。

『どれぐらいの大きさだ、直さん?』

 急いた口調で、尋ねられる。

 流石に、咲千の部屋にまではカメラは仕掛けられてないらしい。

「縦横三十センチの長方形は取れそうだよ。厚みは、ちょっと薄いかな」

「八ミリの板です。それから、糸鋸が一応あります」

 ダイニングに持ち出して、床に新聞紙を敷く。

「あとは(きり)とヤスリと紙やすりと」

「何でそんなに色々揃ってるの?」

 少し驚いた顔で、星崎が尋ねた。

「課題で模型を作ったときの残りです。スチレンボードなら、もっと大きいのもあるんですけど」

『スチレン……?』

 おぼつかない声が数秒途切れたのは、検索でもしたのだろうか。

『いやいやいや、無理! それ無理! 木の板でお願い!』

 スチレンボードとは、ポリスチレンフォーム、気泡の入っていない発泡スチロールのようなものを薄い板状にし、それにケント紙を貼りつけてあるものだ。模型を作るのは、本当はこちらの方が楽である。切りやすく貼りやすく、そして白い。

『直さん、スマホに大体の形送るから。見て』

 その言葉の直後に、軽い電子音が鳴る。

 スラックスの後ろポケットから取り出したスマートフォンを操作し、咲千へ示してきた。周囲から、彼の家族も覗きこむ。

 マウスで手早く描いたのだろう図解が表示されている。直線が歪み、文字は見にくかったが、一応意図は読み取れる。

 それは、長さ三十センチ、幅十五センチの形状をしていた。ところどころ、三角形に切り落とす指示があり、それが頭の丸みや肩、手、脚などを端的に表している。

「よし、じゃあ私が切るよ」

 金差しに手を延ばして、直が言う。

「え、いえ、私がします」

「無理しないで。まだ、手が震えてるじゃないか。これでも結構、手先は器用なんだよ」

「そうよ、無理しちゃ駄目よ」

 夫婦に止められて、肩を落とす。

「あ、じゃあ、私、柿瀬さんの様子を見に行ってきますね」

『駄目だ。家の中から外に出ないで』

 しかし、その提案も、百兄にきっぱりと止められた。

「でも、先刻(さっき)、大変なことになってるって」

 気が急いて、そう言い募る。

『大丈夫。家の中にいれば、しばらくは問題ない。そもそも、柿瀬さんのところは、この手の案件には滅法強いひとがついてるからね』



 結局、直の作業は明も手伝った。

 親子二人で板を押さえ、糸鋸で切り落としていく姿は、このような事態でなければ微笑ましい。

 やきもきしていたが、三十分ほど経って、ようやく満足いく形になったらしい。

「これで、いいんですか?」

 終わってみれば呆気なくて、そう尋ねる。

『まさか。そのままだと、それはただの板だ。意図を、魂を入れなくては、役に立たない。本当は、本職に作って貰うべきなのがその理由だよ』

 だが、それはできないと言っていた。

「じゃあ、一体どうすれば」

 困惑して、呟く。

『簡易的なものなら、今でもできる。ただ』

 迷うように、彼は言葉を切った。

『それを、202号室の前まで持っていかなくちゃいけない』



「判りました、行ってきます」

 あっさりと咲千が立ち上がると、慌てて明と星崎が両側からその手を掴んだ。

「だめだめだめだめ!」

「明くん?」

 必死に声を上げるのを、不思議そうに見る。

『大黒さんは無理だ。多少回復したとはいえ、今の状態で外には出せない。でしょう、葉子(ようこ)さん』

「ええ。無理よ」

 きっぱりと星崎が同意した。

「大げさですよ。もう大丈夫です」

『あんな異形に生気を吸われた直後に、こんな空気の中に出て行ける訳がない』

「空気?」

 要領を得ない咲千に、相手は大きく溜息をついた。

『玄関から外を見てごらん。ちょっとでも、身体を外に出しちゃ駄目だからね』

 首を捻りながら、玄関へと進む。

 確かにちょっとふらふらするな、と思いながら、扉を開けた。

 そこは。


「……っ!」

 奇妙な、暗いもやに包まれていた。


 見通せるのは、門扉のある辺りまで。その向こう側は、ぼんやりと判然としない。

 暗いもやには濃淡があり、まるで奇妙な雲のように漂い、次々に形を変えていく。人のような、獣のような、鳥のような。何かよく判らないものが殆どだが。

 色もさまざまで、赤みがかっているもの、濃紺のもの、深い紫のものなどがあるようだ。

「な……なん、ですかこれ」

『ヒトの身体には有害なものだ。今、この裏野ハイツの屋内は正常値に保っている。逆に、裏野ハイツの敷地外に流れ出さないように止めてもいる。だから、部屋の外はちょっと規格外に濃度が高いんだよ』

「よく判りません……」

 説明になっていない説明に、困惑する。

『ニートは行けそう?』

「無理を言うな。屋敷の中であれば日光も怖くはないが、外はまだ明るい。俺が灰化しても構わんのか?」

 水を向けられて、憮然として金髪の青年は言い返した。

『だろうねぇ』

 さほど期待していない、という風に、呟かれる。

「じゃあ私が行こうか」

 肩を竦め、父親が言う。

『駄目だよ、直さん。先刻(さっき)よりも濃くなってる。本気で生死に関わりかねないんだ』

「私は……?」

『葉子さんも駄目。持って帰ってくる時、多分、かなり痛みがあると思う。封じの札は、ヒト以外には持てない。女性に、そんなことをお願いできないよ』

「ヒトは外に出られない。ヒトでないものには、持ってこられない。もう手段はないのではないか?」

 皮肉げに告げられて、沈黙が満ちる。

 そして。


「僕が行く」

 幼い身体が、立ち上がった。


「明!」

「駄目だ、お前が行くなら私が」

「明くん!」

 口々に止めるが、しかし、彼は首を振る。

「僕は半分ヒトで、半分そうじゃない。202号室は隣の部屋で、すぐに行き来できる。手に持ってる時間なんて、一分もないよ」

 その小さな手には、既に先ほど作ったヒトガタが握られている。

「だけど……」

 葉子は泣き出しそうな表情で、父親を見上げていた。

「……他に、手段は」

『それ以上に勝率が高い方法は、今のところない。正直、上昇率が予想以上だ。このまま放っておいたら、じきに誰も外には出られなくなるよ』

 百兄の声も、心なしか、重い。

 ふぅ、と小さく溜息が漏れた。

「俺が、直接隣家へ出むけばよかろう。招待を送れ」

 脚を組み替えて、そう命令したのは。

「…………ニート」

 信じられない、という表情で、明が呟く。

 あからさまに、青年はそっぽを向いた。

『それも駄目だ。じい様は部屋の中へは誰も入れない』

 しかし更に拒絶が返ってくる。

 それには嘲りの言葉も発せず、ただ、形のいい眉を寄せるだけだ。

「……ありがとう、みんな。大丈夫、行ってきます」

 何故か嬉しそうに笑んで、明が足を進める。

「辛かったら、こっちに投げなさい。それを受け止めるぐらい、お父さんがやってやる」

 悲壮な顔で、直が息子に告げる。

 うん、と頷いて、明は廊下に出た。


 ふわり、と髪の毛が揺れる。

 金色になっていたそれは、一部がぴんと立っていた。

 そして、半ズボンの間から、一掴みもありそうな、太いふわふわの尻尾が現れる。

「…………え?」

 一瞬、思考停止した咲千に笑いかけて、明は軽々と階段を降りていく。

 そして隣の部屋へ通じる階段へと辿りつき、かんかんと音を立てながら登った。

 扉の前に着くと、明は廊下に膝をついて座った。

 自分と扉の間に、ヒトガタを置く。

「おねがいします」

 頭を下げた、その視線の先で、ヒトガタの胴体部分に、墨跡鮮やかに文字が描かれる。

 ほんの数秒でそれは終わる。

 もういいのか、と判断できるまで、一分ほど待ってから、明はヒトガタに手を延ばした。

「……いたっ!」

 瞬間、指先に走った痛みに悲鳴をあげ、反射的に手を離す。

「明!」

 203号室で両親が大声で呼んだ。

「大丈夫!」

 歯を食いしばり、震える手で、再度ヒトガタを握りこむ。じり、と、焼けるような痛みが掌を襲う。

 明はもう一方の手で、廊下の手摺を掴むと、とん、と、その細いパイプの上に乗った。

 軽く膝をたわめて、跳ぶ。

 ずだん、と、音を立てて、一瞬の後には彼は203号室の玄関前にいた。

 廊下と廊下の間の空間は、三メートルほど。助走もなく、こんな幼い子供が跳べる距離では、ない。

 その明は、慌てて開いたままの玄関の中に飛びこむと、床にヒトガタを落とす。

「何て無茶を……!」

 葉子がその小さな身体を抱きかかえた。

「大丈夫だよ。すぐに離したから」

 それでも安堵したように、明は母親に身を任せている。

 直が、無言で金色の髪を撫でた。

『上手くいった?』

「の、ようだ」

 ふぅ、と、口々に吐息が漏れた。

『よし、じゃあ、それを一旦戻そう。封をしないと。キッチンのシンク下を開けてくれる?』

 視線が、家主に向かう。

 あの扉から、蛇が出てきたのだ。咲千は、頬を引きつらせた。


「あ、開けるんですか?」

『大丈夫、もう何もいないから』

「何で判るんですかー! 一匹いたんだから、三十匹いるかもしれないじゃないですか!」

「まだいたら、今度は僕がやっつけるよ!」

 しり込みする咲千の傍で、明が勢いづく。

「ううううう」

 流石にこんな小さな子供に発破をかけられて、駄々はこねられない。観念して、そっと、扉を開いた。

『お風呂場側の壁、棚の下辺りに、隙間ないかな』

「隙間……。一ミリ程度ですけど」

『うん、それ。引っ張り上げて』

「爪が折れますよ!」

 一旦シンクへ突っこんでいた頭を出すと、先ほど木工をやっていた時に使用した金差しを手に取った。

 僅かな隙間にそれを滑りこませると、てこの原理で持ち上げようとする。

 数度、外れてしまったが、何とか成功した。

 十五センチ四方ほどの壁が、スライドする。

 その奥は、ぼんやりと薄暗い空間だった。

 埃や黴の匂いが漂ってくる。

 目を凝らすと、縦方向へパイプが通っているのも目視できる。パイプスペースとしても使われてはいたようだ。

 清潔な布に、と言われ、木綿のハンカチに包まれたヒトガタを、そっと中へと納める。

 かたん、と、隠し扉が閉まると、ずっとゆらゆらと揺れていた世界が、ゆっくりと動きを止めていった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ