謎の妖精の里を追え!
逃げ帰った志願者たちは罪悪感を背負いながらも媚びと物欲を混和させたいやらしい顔つきで村に戻ってきたアクネロを出迎えた。
代表者である村長は格式ばったポーズでお詫びの印に酒宴を開くと申し出る。
そのご機嫌取りの裏には些少ながらも働きに対する報奨金への期待が見え隠れしていた。
「酒はいいよ。水と食料と若い娘を持ってこい。さもないとテメエらをパン粉と一緒にこねてハンバーグに変えたあとに野良犬の餌にしてやる」
協力者から簒奪者へと見事に変貌し、ついに本性を現したアクネロの要求はすぐに緊急村議の議題となった。
蒼白になった村長は即座に逃げ帰って村民を集めてひそひそとやり出した。
――うまくいかなくて奴はキレているっぽい。
――兵隊は連れてないが権力者っぽい。
――変な剣を使って暴れてたから強いっぽい。
ひび割れた漆喰のせいか音漏れがひどい村長家での村議はおおいに紛糾したが、馬車で休憩を取っていたアクネロたちをそこまで待たせなかった。
再び村長がへいこらと猫背になりつつ、ゆっくりと近づいてきた。
「へっ、へへへ……だっ、代金の方が頂けるのでしたら我々としましてもお渡しできるものはお渡ししますが。女性の方はその、お手伝いか何かに必要で?」
「ヤることヤッて死ぬほどこき使ったら速攻でポイ捨てにできる美人が欲しいだけだよ。こんなしけた村でも一人くらい看板娘がいるだろ? さっさと持ってこいよ」
「うへぇ……なっ、なんたる非道な」
「心配するな。金はくれてやる」
「う、うーぬ、相談して参りますじゃ」
揉み手をしていた村長はこすっからい目を光らせ、会議へと戻った。
会話を聞いていたミスリルは非難を込めた冷たい視線を放ち、テーブルに座るアクネロのティーカップに乱暴にドボドボと紅茶を注いだ。
カップから水滴が跳ねる不作法さが内圧からにじみ出る怒りを感じさせる。
「ご主人様、若い娘を手ごめになさるんですか?」
「いや、いざというときに囮にしようと思うんだ。どんな生物だってまず最初に弱い奴を狙うだろ? バケモノだって若いメスの方を食いたがるはずだし、飯を食ってるときはバケモノも無防備になりやすい」
「さすがお坊ちゃま。手ごめにするよりもいっそうタチが悪い」
「あんまり褒めんなよ囮三号、照れるだろ」
聞かなくてもミスリルは自分が囮二号だと気付いてしまったが、追求はしなかった。
悲しいかな彼女も主人が″こういう奴”だと受け入れる心構えができてきたのだ。
「きゃ」
「へぇ、亜麻か」
怒りで油断してると黒地をまくりあげられ、丸みのあるむちっとした尻とふわふわとした可愛らしい下着を見られたミスリルは羞恥にかられながらババッと飛びのいた。
両手でスカートを押さえ、ムッと叱責するが効くはずがない。
警戒していて損はない。絶対に。
いつ自分だって手ごめにされるかわからない立場なのだ。
「お坊ちゃま、村長がいらっしゃいましたよ」
若い娘を後ろ連れてきた村長は手の平を水平にして女を紹介した。
女の名は『幸運』のシルキーという。
村では農夫の手伝いや綿織物をして生計を立てている十五歳の娘。
二つ名がついているのは今まで三度野盗に連れ去らわれてなお、落石や警備隊や嵐などに助けられて無事に戻ってきたからだという話だ。
野暮ったい野良着は他の村人よりも貧相だ。色違いのボロ布が寄せ集められたツギハギだらけの服。手入れされていない伸ばし放題の桃色の髪。
日々、積み重ねられた労苦で顔はしみやくすみが目立つが――愛嬌のある大きな目には人懐っこさがあった。
いわく『縁起物』として推奨できる女だという。
騒ぐ身内のいない孤児という立場は村が失っても構わない存在ということになる。
シルキーはアクネロと相対するとぺこりと頭を下げた。
「噂の領主様っすか。よろしくおねがいしまっす」
「おう、お前、歳のわりには丸っこくていいケツしてるな。後で死ぬほど叩いてやるよ」
「それは勘弁っす。<幻惑の森>の情報持ってるんで、それを教えることでエロエロなことは許して欲しいっす。自分は尻も処女も大切にしていく派っす」
「そういう他人が大事な物を足蹴にするのが俺は好きなんだ。だが、情報次第で妥協してやらんことはねえ。行くぞ囮一号」
「シルキーっす。初対面でとんでもねえこと言われてるっす」
森に赴くと聞いていたのかシルキーは旅支度を整えているようで、背嚢を抱え直した。
ミスリルとルルシーもまた同じように荷物を背負う。アクネロは水袋をベルトに結びはしたが、ほとんど手ぶらだった。
再び<幻惑の森>を四人は目指した。
今度は大勢の村人たちに見送られながら。
一度、疲労から一晩休むことをミスリルは提案したがルルシーにすかさず却下された。
「守りに入れば襲撃されます。歩く樹木たちが幻想種の領域を穢した者に報復を与えにくるでしょう」
「おぉ、金髪のお姉さん。詳しいっすね」
両手を後頭部で絡ませて気楽に歩きながらも、感心した口調でシルキーは後ろを振り返った。ルルシーは反応せずに楚々としてよどみない足取りで森を歩いている。立ち振る舞いに苦労などは微塵も見られない。
「森林妖精族が<幻惑の森>を拠点にしてるっす。普段は人に害のない幻想種っすけど、たまに身内が人間にさらわれたりするからイガ栗みたいに警戒心がビンビンっす。彼らの魔法は歩く樹木を作ることっすから、あのまま村に居たら何十本の馬鹿でかい樹木が襲ってきたかもっすよ」
しかしながら単眼の巨人と遜色ない巨樹が襲ってくると考えたとしても、それらのいる本拠地に乗り込むことが正解なのかミスリルにはわからなかった。
「ケッ、冬を越すには申し分ない薪が手に入りそうだったのにもったいなかったか」
前方で立ち塞がる邪魔っけな小枝をばきりと折り曲げ、アクネロは青空に目を向けた。
森林浴をするならば最適な陽気――清涼な空気が森に流れている。
三人が女の足ということもあって、パーティーの歩調は緩慢なものだった。
「危ないっすよ。歩く樹木は森の巨人族とも言われるほどの巨躯と怪力を持ってるっす」
「でかいだけの妖魔なんて速攻でぶち殺してやるよ。たかが木の根っこにびびる馬鹿どもと俺を一緒にするな」
「でも、そんなに苦労してまで<幻惑の森>なんかが欲しいんっすか。妖精が静かに暮らす穏やかなところっすよ。あたしも子供の時分は妖精さんと遊んだっす。皆、いい子っすよ」
ぼやきにはちらりと嫌悪の影が差しこんでいる。
シルキーは平和な森を愛し、騒動を嫌っていることを態度から隠していない。
平和と変化は対極にある。
少なくともアクネロは変化をもたらしにきた。
迷惑以外、何者でもない。
「この世の常識など今更語りたくないものだが、教えてやる。金のためだ。すべからく人間は金のために動く。俺は都市から開発の権利をもらってな。この森は既に俺の物だ。俺が自分のために金にして何が悪い? 社会から受け取った権利を正当に行使するだけだ」
「悲しい話っす」
「お前も金のために俺に売られた哀れな女だ。村人はお前がどうなろうと知ったことじゃないんだぜ。どんな気分だ? 是非とも教えてくれよ。生まれ育った村の仲間たちに売り飛ばされる気分ってのを。この件が終わったら俺はお前を裸にして首輪をつけてペットにするかもしれないぞ」
わざわざ耳もとに顔を接近させてアクネロがささやくと、シルキーは憐れんだ瞳に嘆きの色を混ぜた。
目の前の邪悪を憎み、抗する意志の力など残っていなかった。
「領主様は悪人っすね。酷い人っす」
「お前の流す嘆きの涙が俺の喜びだ。ああ、たまらなく愛しいぜ。俺は自分の運命を呪って泣き叫んでいる女が好きなタイプなんだ」
ははっ、とシルキーは乾いた笑みを漏らすと肩を落として小走りで前方に進み、アクネロから距離を取った。
ルルシーが入れ替わりに傍に寄り、小言でたしなめる。
「お坊ちゃま。女性は打楽器ではありません。打てば必ず気持ちのよい音を奏でるわけではありませんよ。今のは言い過ぎです」
「やめろ、説教は。俺もちょっとばかりイジメすぎたかな、って思ってるんだ」
「ご主人様はもう少し他人の気持ちを考えた方がよろしいかと思います」
「お前もここぞとばかりに乗っかってくるなよ。ったく。傷心の俺を慰めようとしねえのか? 今回の仕事がうまくいったら特別ボーナスをやろうと思ってたのによ」
アクネロの言葉にミスリルは目をぱちぱちさせたあと、両手を合わせた。
「ご主人様ってすっごくかっこいいですよね。私、惚れちゃいそうです」
「お坊ちゃまは世界で一番いい男です」
「おっ、おいおぃー…よせよ、そんな見え透いたお世辞で俺が喜ぶとでも思ってんのか」
明らかに気をよくしたアクネロはうきうきしながら肩で風を切るように大股で歩き出したので、二人のメイドは複雑な顔つきでその背中を追った。
<幻惑の森>の境界に再び訪れると、白い樹木は灰色の姿となって朽ち果てていた。
その死を一瞥してから、シルキーは背嚢からガラス瓶を取り出した。
濃緑色の液体が瓶のなかで揺れている。霊薬が入っていると語り、人間の臭いを消すことができるとのことだった。
それは道中で遭遇するだろう幻想種――縄張り意識の高く弓矢を撃ってくる人馬の怪物や遊び半分で人を誘惑する木の精霊などを避けるためであるという。
シルキーは瓶に四指を突っ込み、ぴっぴと飛沫を各自の衣服にふりかけ終えると深い森のなかへと足を踏み入れた。
――森の息遣いが変わる。
未知の森林は人の足の届かぬ魔境であり、それは道なき道を歩むということでもあった。
一同は野鹿や野熊が踏みならした細い獣道を歩き、長い棒を振り回して蜘蛛の巣を払いながら進む。
途中で怪しげな影が樹木の間を駆け抜けたり、森の茂みが人のささやき声に変わったりもしたが霊薬の効果が発揮されたのか、怪物たちは姿見をちらつかせることはなかった。
数分ほどして、唐突にシルキーは足を止めた。
苔むした岩場が立ち塞がってはいるが隙間のような抜け穴がある。
向こう側は見えているし、ただの岩と岩の間にある小道だ。そこに根元の折れ曲がったブナの木が左右対称に生えている。
自然が形作った玄関門といった雰囲気がある。
「妖精の里に辿り着けるかどうかはわからないっす。ここから先は異界になるっす。それに向こう側からこちら側に繋がる道もいつ開くかわからないですし、入れば二度と帰ってこれないかもですけど、覚悟が大丈夫っすか?」
「肛門みてえな形してねえこれ」
悪態をつきながらアクネロは何一つためらうことなく、先陣を切って突入した。
姿はかき消え、煙のごとく消失した。
「お坊ちゃま。ご婦人もいるのですから、もう少し言葉をオブラートに包んでください」
次いでルルシーも異空間へと身を投げる。
彼女の姿もなくなり、ミスリルは恐々と向こう側に目を凝らす。膜も何もない。障害物すら。
なんの変哲もない緑林で彩られた岩穴があるだけだ。
少なくとも、本来ならば。
「銀髪さんは行かないんですか? その方が賢いっすけど」
「い、いえっ、あは、ははは……怖くて」
例えば海水浴に来たとして。
目の前が穏やかな凪の海となれど、海中が見えなければ飛び込むのはためらうものだ。
膝が少しだけ震えてしまい、ミスリルは笑顔を引きつらせる。
「入口で待ってればいいっすよ。それじゃあ」
「あっ」
踏み出したシルキーまでもが消える。
ミスリルは静かな森でひとりぼっちにされた途端、微かな安心感のあとに急に物寂しくなるのを実感した。
首をぐるりと回すと物音一つしない森。
きらきらと木漏れ日がきらめいているが、<幻惑の森>の内部である。また恐ろしい樹木の瞳に囲まれるかわからない。
がさがさっと茂みから葉のこすれ合う音が聞こえてきて、心臓が跳ね上がった。
「ええいっ、ままよっ!」
両拳をむんっと握りしめ、ミスリルもまた幻想種の住まう秘境へと冒険するのだった。