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空だけを見つめている

土曜日の昼過ぎ、僕は一人図書館に居た。


普段の僕ならゴロゴロと家で過ごすのだが、古典の先生に出された宿題がある為、仕方なく図書館まで来た次第である。


誰か教えて頂ける友達でもいればよいのだけれど、悲しいかな僕の友達の中には勉強が出来る友達は一人もいない。


僕は古典の辞書をいくつか手に取ると、日の当たる暖かな場所に腰を下ろすと、黙々と教科書の翻訳を始める。


普段からあまり真面目に受けてなかった授業だけに、なかなか進まない。

今時古典なんて役に立つのかな?なんて事を考えながらも翻訳していく。


” 昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶のひも白き灰がちになりてわろし。 ”


・・・う~ん、何となくはわかるんだけど、わろしってなんだろ?

間違いなくワロスじゃないよね?


そんな事を考えながら、辞書を引いていると誰かが前の席に座った。


「昼になって、だんだん寒さがやわらいでいくと、丸火鉢の炭化も白い灰が目立つ状態になって、みっともない。わろしは、よくないとか、好ましくないって訳すの。」


その声に聞き覚えがあったので顔を上げてみると、彼女がいた。


「ごめんね、急に。困ってそうだったから声かけちゃったんだけど、お節介だったかな?」

彼女は少し笑って首をかしげる。


いつもよりも近い距離に彼女がいる。

そう思っただけで僕の心臓は、口から飛び出しそうになった。


「いや、全然!むしろ助かったよ。僕は古典が苦手だから実は困っていたんだ。ありがとう。青山さんはどうして図書館に?」


そう言うと緊張しながらも彼女の顔をみた。


彼女は2冊の本を僕に見せると、少し微笑みながら答えた。


「この間屋上で君が言ってた事が少し気になって、図書館に調べに来ちゃった。クロード・モネと空の本。私、芸術には疎くって、あまり詳しくないの。彼の絵にそれとよく似た絵があるって言ってたから、とても気になっちゃって!バニラスカイにも興味あったし。」


彼女は本をペラペラと捲ってみせる。


「僕でよければ少しモネについて教えようか?」

彼女は嬉しそうに頷くと、僕に向かって姿勢を正しす。


「モネはね、印象派を代表するフランスの画家でね、あ、印象派ってのは19世紀後半のフランスに発した絵画を中心とした芸術運動で、当時パリで活動していた画家たちのグループが起源なんだ。それまであった保守的な美術界から激しい批判にさらされながらも、独立した展覧会を連続して開催することで、1870年から1880年代には突出した存在になったんだ。この運動の名前は、モネも作品、”印象 日の出”に由来するだ。この絵がパリの批評家の槍玉に挙げられ、印象派ていう新語が生まれたんだ。」


僕は彼女の持っていたモネの本をペラペラと捲ると、印象 日の出の絵とバニラスカイの絵を探して彼女に差し出す。


「モネには光の画家って言う別称があって、時間・季節とともに移り行く光と色彩の変化を生涯にわたって追求した画家なんだ。僕はモネが好きでね、初めて彼の絵を目にした時、一発でファンになっちゃった。」


自分の好きな分野になった為、ついつい熱く語ってしまった。


「ごめんね、ちょっと熱くなっちゃった。簡単だけどモネについてはこんな感じ」


彼女は僕の話を真剣に聞いてくれた。


「凄いね!とても分かりやすくて聞きやすかった!モネか、とても素敵な作品が多いのね。私も好きになったかも!」


彼女は目を輝かせるとモネの絵を一枚一枚丁寧に見ている。


「でもこうなると、バニラスカイを実際にこの目で見たくなっちゃうよね!モネが見た空か・・・素敵だね!」


僕は彼女のその言葉に意を決した。


「見れるさ!勿論モネの見た空と同じって訳にはいかないけど。もし青山さんさえよければなんだけど、これから少し時間を貰えないかな。バニラスカイを見せてあげるよ!」


青山さんは一瞬キョトンとしたものの、笑顔で頷いた。


「ホント!?行きたい!!」

僕らはそれぞれ本を棚に返すと図書館を後にした。


時間は午後13時半。


「どこへ行くの?」

行先が気になるらしい。


「それはついてからのお楽しみ!大丈夫、きっと気に入ってくれるはずだから!」

そう言うと僕らは電車に乗って平塚駅で降りた。


平塚駅からはバスに乗り、約20分の道のり。僕たちは湘南平で降りた。

バス停から展望台まで徒歩で直ぐだった。


「着いたよ。知ってると思うけど、湘南平。ここは僕のお気に入りの場所なんだ。この展望台の頂上からは、まるで空に投げ出された様な360度のパノラマ景観を見ることが出来て、景色や空を見るには最高の場所だと思うんだ。」


彼女は遠くを見ていた。

いつも教室の窓から見るように、ここよりもずっと先の遠くを見ていた。


「私、初めて来た!凄いね湘南平!遮るものが何もない!」


余程嬉しかったのか、彼女は大はしゃぎしている様子。


多分、初めて訪れる人はこの景色に感動するんじゃないだろうか?

それ位ここから見る景色は素敵だ。


僕らは並んで空を見ていた。


一つの感動を二人で分け合える喜び。

先日一人で見た森林公園の夜空とは比べ物にならない。


「どうかな青山さん?素敵な場所でしょ!気に入ってもらえたかな?」

そう言うと彼女は僕に向き直ると呟いた。


「・・・空。」


え?


「空。私の名前。青山さんじゃなくて、空。」


初めて知った彼女の名前。

僕はクラスの大半の人達の名前を知らない。


名前で呼び合えるほど親しい人が少ないって言うのもあるけど、青山さんに至っても同じだ。

最近まで殆ど話した事なんてなかったし。


「青や、あ!空さんで、いいの・・・かな?」


そう言うと彼女はもう一度言う。


「青山さんでも、空さんでもなくって、空。そ・ら!OK?今度さん付けしたら返事しないからね!」

少し悪戯に笑ってそう言った。


なんだろ、すごく緊張する。

同性になら言える事も、女性にだと少し恥ずかしい。


ましてや好きになった女性をいきなり呼び捨てとか、僕には少しハードルが高い。

でもさん付けしたら返事してくれないって言うし。


ここは頑張るしかないな。


「で、ここは気に入ってもらえたかな、そ・空?」

ちょっとぎこちなかったかもしれないが言えた。


「よくできました!(笑)うん!凄く気に入ったよ!」

笑顔でそう答えた後。いつになく真面目な顔で続けた。


「覚えてる?私が初めて君に話しかけた言葉?」


つい最近の話だし、忘れるはずがない。

「あの空ってどこまで続いていると思う?だよね。」


彼女は嬉しそうに頷く。


「この名前をくれた人が、私が小さい頃にいなくなっちゃってね、私は泣きながら母に聞いたの。どこに行っちゃったの?って。そしたら母は、お仕事であの空の向こうにいってるって教えてくれた。あの空って、空はどこまでつづいているの?って尋ねると母はこう言ったの。世界の果てだって。」


彼女は少し寂しそうに子供の頃の話を僕に話してくれた。

小さな子供に説明するにも少し酷な説明だと思ったが、お母さんも辛かったんだと思う。


「それから私は空についてたくさん本を読んだ。空についてたくさん調べた。色んな人達にも聞いた。真面目にとりあってくれる友達は誰もいなかった。とうとう世界の果てって言う場所はわからなかった。本当の意味の答えが分かったのは小学校の3年生くらいの頃。世界の果て。それはもう会えないって意味だって事を知ったの。とても悲しかった。」


後で知った事だが、彼女の両親は彼女が幼い頃に離婚しているそうだ。

お父さん子だった彼女は、何日も家に帰ってこないお父さんを毎日探していたらしい。

見かねたお母さんがお仕事で世界の果てにいるって教えてくれたらしかった。


「でもね、お母さんも私と同じで、とても辛かったんだって知った時、いつまでもめそめそしてちゃいけないって思ってね。一時は嫌いになりかけていたこの名前だけど、今は胸を張って言えるの、大好きだって!ごめんね、急にこんな話しちゃって。私、友達少ないから誰かに話した事なんてなかったんだけど、きっと私の質問に答えてくれた君だったから話せたんだと思う。」


彼女はそう言ってまた遠くを見た。


ここまで話してくれたのだから、僕も彼女に話さなければいけない。

僕は大きく深呼吸をすると、彼女が見ている空のかなたを見つめながら話し始めた。


「僕もね、話さなければいけない事があるだ。僕は君に一つ嘘をついた。先日屋上で聞かれた夜更かしの理由なんだけど、バニラスカイを見たいからって言うのは嘘なんだ。勿論バニラスカイは見たんだけど、眠れなかったのには理由があるんだ。」


僕は彼女の視線がこちらに向いている事にかが付いたが、そのまま話を続ける。


「僕はこれまで人付き合いを極力避けてきた。一人の方が楽だし、面倒だったからってのもある。でも、空と初めて屋上で話した時から、君の事ばかり考えるようになった。いつも遠くを見つめていて、その透明な瞳の中には何が映っているんだろう?そんな事を考え始めた時には、僕は君の事が好きになっていた。僕はそれまで恋なんてした事もなかったから、どうしていいかわからず、一睡も出来ずにバニラスカイを見ちゃったって訳。これがあの時の本当の理由。あの時は恥ずかしくて正直になれなかったから嘘ついちゃったけど。」


言ってしまった。

言ってしまったが後悔はなかった。


「空、僕は君の質問に正解を答える事は出来ない。でも、君の側で一緒にそれを探す事は出来る。僕なんかでよければこれからも君の側に居させてもらえないだろうか?」


あれほど緊張していた気持ちが嘘のように晴れていた。

空は少し赤みがかかり、サンセットのバニラスカイを迎えていた。


「これがバニラスカイなんだね。ねぇ、また一緒にここに来てくれる?」


それが彼女の答え何だと分かった。

僕は彼女に向き直ると、大きく頷いて見せた。


「あ、でもまずは明日君の家で古典の宿題を終わらせなきゃね。一人じゃ難しいでしょ?」

そう言った彼女の顔には悲しみのない本当の笑顔があった。


僕は今、空だけを見つめている。

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