001
西田藤は、軽蔑にも似た眼差しをこちらに向ける両親に憤慨していた。血縁関係が無ければ良かった、と幾度考えたことか‥‥‥。
「黙ってないで、何とか言ったらどうなんだ」
向かって右側に立つ厳格な父は、藤に向かって棘を吐き続ける。最早それは言葉としての本来の意味を成さない、文字の羅列である。
「‥‥‥裕子、お前の育て方が悪かったんだ。どこで間違えた?金はかけた!これにとって不都合になる事など一つもなかった筈だ!!」
「あたしの所為にしないでちょうだいって毎回言っているでしょう!?大体貴方の方こそ仕事仕事って」
「仕事をしない父親がどこにある!?お前達が食っていけるのは全て俺のお陰だ!!余計な口を出すな!!!」
「何が余計よ!!貴方自分が何様のつもりなの?藤は‥‥‥」
上辺の庇護、饒舌な素振りを続ける両親。他人に己の罪を擦り付ける彼等は下等な生物であるのだから致仕方ないことだと、自身に言い聞かせる他なかった藤は、遂に重たい瞼を擡げた。
「‥‥‥うるさい、よ」
半ば当然の様に口の端から零れ出た藤の言葉を耳にした両親は息を呑む。 底の見えない昏い目をした彼らは、藤が軽く首を振った衝動でふさりと顔にかかった、健全な日本男児としては異質な濃緋色の髪を凝視しながら動作を止めた。
「何だその言葉遣いは!!」
我に返った父親が大股で藤に近寄る。憤慨を露骨に提示するようなその振る舞いに、藤は小さく唸るだけだった。人を縛るために言葉を利用する愚劣な己の父親に反論する気力は無い。
ーーバシッ!
刹那、乾いた音を立てて父親の掌が藤の頰を打つ。‥‥‥一度で止まる筈もなく、それは長時間に渡って行われた。母親が背後でほくそ笑んでいる事だけが許容範囲外である。
「大体っ、一年の時から塾に通わせてやってるのに何故成績が伸びない!!それに何なんだその髪色は!!ふざけているのか!!!」
「‥‥‥」
「何をするにも優柔不断、ずば抜けて何かが優れているわけでもない!お前はこの三年間、一体何をしていたんだ!!!」
錯乱する父親を、藤は内面ただ哀れだと思うだけだ。大学時代の努力は確と報われ、念願の公務員へと就業した彼は、切望するものが多過ぎた。息子への期待は甚だしく、それは自身をも闇に堕とす程の規模であった。その闇は混沌とした社会情勢のように、知らぬ内に自身に絡み付いているのだ。物事の本質を見極めることが出来ない、切に抱いた願望が己の全てだと惟うのが藤の父親ーー西田豊茂である。
「‥‥‥馬鹿みたいだって、何も知らないのは、父さんたちの方だって‥‥‥だからそれで僕は、そんな立派な人になんてならない為にって、思って」
「貴様っ!!!」
「藤!やっと口を開いたと思ったらあんたは何を言うの!!今まで全て尽くしてきた私たちの身にもなりなさいよ!!!」
母親ーー西田裕子の面が剥がれ落ちた。ギリギリの所で留めておいたリミッターが外れてしまったかのように、裕子は自身の夫との諍いのように息子を捲し立て始める。‥‥‥いっその事、離婚すれば良いという考えすら浮上してくる。それ程までに藤の心は悲鳴を上げていたのだ。
「藤を庇ってあげてるのはいつもあたしでしょう!?そんな子に育てた覚えはないわ!!!」
「‥‥‥僕も!僕だって、もっと自分のやりたいこと自由にっ‥‥‥‥‥‥それに母さんたちは、僕に何も教えてなんて、くれなかったじゃないか!」
その藤の言葉がきっかけとなり、暴行含む口論はヒートアップした。彼らの言動に対し恐れを抱くということは毛頭ないが、藤は戦慄した。
何を享受させる為に責め立てる?実の息子を震駭させれば満足なのだろうか。‥‥‥しかし興味は無い。藤は眼前で展開されている光景を払拭してしまいたい衝動に駆られた。だがすんでのところで思い留まる。
(僕には‥‥‥関係ないんだ)
己の内でそう吐き捨てた藤は、言い争いの渦中から逃れるようにして家を後にした。
***
精神だけを放ち己の欲望のままに馳せ回ることが可能だとしても、それは欣喜の至りに堪えないーー単に自由として受け入れることは出来ないだろう。
親は義務教育中の子供に目をかけてやらなければならない。‥‥‥否、これは義務ではないのかもしれない。母親は自らの腹を痛めて生んだ子供が愛おしい思うことこそが、一人前になるまでそれはそれは大切に、その感性と愛を育もうと意気込むことこそが至極当然ではないのだろうか。
そんな風に複雑に絡み合った思考回路を解こうと試みる藤は、両親という存在が、その意義が解らなかった。不条理な言動は藤を狂わせていく。彼等の過度な期待により、幾度となく押し潰されそうになった。
‥‥‥だから逃避行為に及んだのだ。深夜、足音を忍ばせて家を出る。そして徒歩十分程の場所に位置する商店街の裏路地に入り浸る。そこで表向きでは“仲間”と称される不良集団と戯れるのだ。それが藤の日常だった。
閲覧ありがとうございます。
5000字程度を目安に執筆しようと意気込んだのですが、山のような課題に追われる毎日にそう余裕が生まれるはずもなく‥‥‥
立ち寄ってくれた方、感謝です。