私が本当に欲しい感想
最近、とても悲しくなることがあった。
自ら望んで巻き込まれたこととはいえ、感想のあり方を深く考えさせられる出来事に直面したからだ。
それは私の文章の根幹にある、ひどく懐かしいことを思い出させてくれた。と、同時にそれを懐かしいのだと思う、すでに過去の出来事となってしまったのだと実感させられることがたまらなく悲しかった。
たぶん、誰もわかってくれない。誰も私ではないのだから。
それでもかかずにいられないのは物書きのサガであり、誰にも見られず、ただネットの片隅にひっそりと私の独り言を沈めておきたかっただけ。
願わくば、友人たちにはわかってもらえるだろうかと淡い期待をこめて。
かつて、私の文章をただ盲目的に愛してくれる人がたった一人だけいた。
何のことはない、実の父である。だから盲目的にもなるし、親のひいき目だと世間は思うに違いない。
それでも娘としての私に対する愛情と、私の文章に対する愛情はまったく別種のものだったと言ったら、あなたは信じてくれるだろうか?
私をただひたすらに甘やかし、絵をかけば天才だと褒める、歌えば美声だとたたえるような父が死ぬまで褒めてくれなかったたった一つのもの、それが文章である。
父は文章を扱う仕事についており、『書く』ための技術も知っているような人だったのだから、文章に厳しいのは当たり前だ。それでも一度くらいは褒めてくれても良かったのではないかと、私と弟の心残りはそれだけであった。
父が死んだ後で、弟と飲みながら泣いたことがある。
「結局父さんは、私の文章を一度も褒めてくれなかったなあ」
「褒めてもらえんかったのは俺だがね、姉ちゃんのことはことあるごとに『天才だ、天才だ』言っとったでねえ」
「何いうとるん、こっちは、あんたの文章がどれほど上手いかばかり聞かされとったがね」
そう、わたしたち姉弟は二人とも父に愛されていた。文章まで、間違いなく。
しかし、面と向かってそれを褒められたことはなかった。一度として。
父の文章指導は厳しく、小学校に提出する作文にまで赤を入れてリテイクを言い渡すような男だったのである。だから、子供のころの私は父の文章指導が嫌いであった。
何しろ父はネタ取りから筋立てにまで口を出すのだし、私は頑固で扱いにくい子供だ。父の指導に私が「はい」とこたえることなどなく、毎回のようにケンカになるのが当たり前。
そもそもが文章とはファジーなものであり、理詰めで説明できないところが必ずある。だから曖昧なだめだしもある。
「ここからここまで書き直し」
「なんで? ウサギを書くのに『ふわふわとした毛羽を着込んだ』って、かっこよくない?」
「そういうことじゃないんだ、ともかく書き直し」
冷静に見ればそうした表現へのこだわりこそが文章を濁すのだと気づくはずだが、文章を書き始めたばかりの小学生にそんなことがわかるはずなどない。自分の表現の上手さを主張する私と、技量相応の文章を求める父とが言い争うことはしょっちゅうであった。
もっとも、子供である私が父に口で勝てるわけなどなく、言い負かされて悔し泣きしながら文章を手直しする羽目になるのが常ではあったが。
少し成長して、高校生にもなれば文章の技量は上がる。屁理屈の技量も上がる。それでも父に勝てるわけがない。
句読点の打ち方から、言葉の使い方の成否まで、いくらでも口げんかのタネはあった。
父がとつぜん私に引導を渡したのもこのころである。
「お前は頑固で、何を言っても聞きやしない。ならば、自分の好きなように書きなさい」
これが父の文章指導からの卒業であった。
その後、父に書いたものを指導してもらう機会はなくなった。若い私はこれに浮かれていろいろと書き散らかしたりもしたが、いま思えば、それでも書くに不自由しないだけの基礎はすでに出来上がっていたからこそ無茶な書き方ができたのだと思う。
そこからは自分での修行であったが、文章作法や構成の勉強なども、通り一遍を理解するのに不自由した覚えがない。これも実は無意識のウチに刷り込まれた基礎の部分があってこそなのだが、当時の私はそんなことに気づくわけもなく、全てが自分の実力と実践による成果だと思っていた節がある。
思えば恥ずかしいことだ。私は人としてポンコツなところがあり、文章だって人並みに書けるようにと父が教え込んでくれたから書くに不自由しないというだけだ。
私がそのことに気づいたのは、十数年、一切文章を書かない期間を経た後でなろうに投稿をはじめたときになってだった。
ブランクがあったにも関わらず、筆は動く。構成も、キャラの立て方も、いくつかの確認をしただけでするすると思い出せる。文章の基礎そのものが『記憶』として体に染み付いているのは、幼いころに受けた文章指導の賜物だ。
その記憶にたよって、私は今日のように書くことを続けていられるのである。
この十数年のブランクを一番嘆いたのは父だった。
もともとうちは結婚の挨拶のときに両親が「どうかこの子から書くことは取り上げないでください」と夫に頼むというイベントがあって、父はそのくらい私の文章を愛してくれていた。
しかしながら生活をしながら書くには、私は少々不器用すぎる。日々の雑事に追われれば筆を置くしかなかったのだ。
だから、私が再び書くという行為を始めたときに喜んでくれたのも父である。
いつの間にか私の文章を読み、嬉々としてダメ出しに来るという、それは、私の創作人生の中で一番幸せな時間だったのだと、今は思う。
私は大人であり、父は老いた。だから、やや肩を並べた喧嘩というものが出来た。酒席の勢いに任せてお互いに持論をぶつけ合い、相変わらず娘は頑固だが、父はそれでも笑ってけんかの相手をしてくれた……文章については、ただの一度として私を褒めず、ただ最後までけんか相手として、父は逝ったのだ。
そのケンカの理由がすとんと腑に落ちたのは、今回の感想騒動がきっかけになってだ。
あれほどケンカとだめだしばかりだったのに、なぜ、私は今も書くことをやめないのか……父が一番怖い顔をしたのは、私が「それならもう、書くのをやめる!」といったときだからだ。
幼いころから何度もそれを言ってきた。最初にその言葉を口にしたのがいくつのときだったかなんて覚えてもいないほど昔から、何度も。
そのたびに父は激昂し、やや切れ気味でわめくのだ。
「やめたいならやめればいい! 別に俺は強要していない!」
散々ダメだしを食らわせて、凹ませておいてこのせりふだ。
それでも温厚な父が背筋も震えるほどの怒声を上げて顔を赤くして怒る姿から、この言葉の真意が読み取れぬほど私は馬鹿ではなかった。
それに、ひねくれてて頑固者の私がヤメロと言われてハイソウデスカなんてこたえるわけがないのだ。
「やめないっ! やめるわけないじゃん! いってみただけだよっ!」
こういうところは似たもの親子だったのかもしれない。
私は他がちゃらんぽらんな分、文章に対しては真摯で真剣で、時にそれは怒りとなって燃え上がるほどなのだ。父もまた、他がB型特有のだらしなさを存分に発揮する性格だったくせに、文章に対して逃げを知らない男だった。
最近では私も他人の文章の手伝いなどさせてもらう機会もあるわけで、そういうときに幼い私に向かって父が怒っていた理由が少しだけわかるのだ。
自分が愛し、成功して欲しいと思う文章に厳しくなるのはそれだけ真剣だからだ。真剣だからこそそのよさが少しでも完全な形であって欲しいと願うし、作家と一緒にあがきもする。だからこそ怒りも沸くし、けんかにもなる。
もちろんそれを感情のままにぶつけ合えるのは信頼と親密さがあってのことだし、私は作品に対する愛を作家さんに伝えるのにいつだって悩んでいるのだ。
実はここまで、何人かの作家さんには人間関係の目測を誤って不快な思いをさせた。信頼のある関係だと思ってだめだしをして、喧嘩別れになったケースが何件かあるのだ。
逆に信頼関係のある相手に「もっとふみこんで!」と怒られることもある。
かように他人との信頼関係は難しい。
だからこそ、私と父は親子という絆に守られた、文章的には恵まれた関係だったのかもしれない。決して切れない絆に守られて、遠慮も手加減も無しで、がっつりと正面からガチンコかませる間柄だった。
だから私も、父には思う存分はむかうことができたのだ。
いま、大して信頼関係もないネット上の感想ごときを大きくとらえて大騒ぎしているのを見ると、ひどく悲しくなる。
私たちがネットに文章をあげるというのは、たとえば駅前で歌を歌うのに似ている。誰もが聴けて、その気になれば足を止めることができる。
多くの人は足さえ止めず、ただ歌のワンフレーズを耳に残してその場を立ち去るだろう。これが感想すらつけない多くの読者。時には家に帰ってから「いや~、駅前で下手くそな歌を歌っていたよ」と言われるかもしれないが、自分から遠くはなれた感想まで追尾するわけにはいかない。
時に足を止める人がいるかもしれない。これが読者。
しかし彼らは、自分が満足するだけ歌を聴いたらどこかへ立ち去ってゆくだろう。これもまたしかたなし。
足を止めた人の中には、あなたの歌に共感して何らかの祝儀を包んでくれる人もいるだろう。これが感想。
そして時に、いなくてもいいのに、一番前に座って野次を飛ばす観客がいるかもしれない。これがアンチ。
そのいずれもが、各々反応は違っても「あなたが歌うことをとめたりはしない」。あなたはどんなに罵られようとも歌い続けてよいのだし、どんなに大絶賛されようともギターケースを閉じてその場から立ち去ってよいのだ。
ようするに、どれもあなたと直接の関わりはない他人であり、いちいちそれに振り回されるはあまりに無粋である。
つまり感想は、作者の手を離れた読者にとって作品を読んだ後のお楽しみ要素であると心得れば腹などたたない。あれは読者の特権であり、作者が何かの操作を行うためのツールであっていいはずがないのだ。
むしろ、身近な者の意見を恐れ、尊重しなさい。
それは良い意見であれ、悪い意見であれ、あなたの作品を愛するがゆえの言葉なのだ。時に手が滑ってかなり深く切りつけられたとしても、それこそが愛の深さであると知っていれば恐れることはない。
そして、そうした者と信頼関係を築くことにこそ腐心しなさい。
少し言い返したくらいじゃ離れられない関係を築き、思い切り四つにくんでケンカしてくれるような、一緒に作品を作ってくれる友人が、どうか見つかりますように。
さて、あざとーは父を亡くしてから、いまだそういう相手に出会っていない。
どんなに一流のプロでも人との縁は文章のみで勝ち取れるわけがない。ましてやあざとーは底辺のへっぽこ作家、文章の力すら頼れないのだから縁遠い。
それでも、文章を投げたときに与えられるものは好意的な感想ばかりではない、どれほど自分が完璧だと思った文章でもダメ出しの余地はあるのだと教えられたあざとーは、感想ごときで筆を折られたりしない。傷ついたり、へこむことはあっても、折れてなんかやらない。
ただ、もしもわがままが許されるなら、もう一度だけ父の厳しい言葉が欲しい。
口では絶対褒めないくせに、こっそりと私の作品をチェックしてくれる、あの優しさが欲しい。
そういう私の作品に対する盲目的な愛から生まれる、本物の感想を……願っても、この世で一番私の作品を愛してくれた父はもういない。
だからこそ、皆さんがこれから出会う有象無象玉石混交の感想のなかからそうした作品に対する愛を探し出せますように、けっして一時の見栄や邪心で目を曇らせることのありませんようにと、へっぽこあざとーはここから祈っているのです。