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ドラゴン・ベイト ~餌奴隷騎士の異世界奮闘記~  作者: 黒木京也
第一章 竜の楽園 ニーベルゲン
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5.一夜明けて

 翌朝。陽光が射し込む白い壁の部屋で、翔吾はゆっくりと目を開けた。

 生まれて初めて見た、天蓋付きの立派なベッド。その上で仰向けかつ全裸のまま、彼は困惑に顔を歪めていた。

 頭の中をいくつもの疑問が駆け抜けていき、自問自答を繰り返す。だが、明確な答えなど出はしなかった。ただ一つ。今ひたすらに唱えたい言葉があるとしたら……。


「……どうしてこうなった?」


 その一言に尽きた。

 翔吾は昨日まで、普通の高校生だった。……正確にはドラゴンLOVEという少し複雑な背景があれど、それ以外はなんの変鉄もない、ただの十七才の少年だった。

 それが巡り巡った運命の元で、今生きていた時代……否、世界というべきか。そこを離れ、見知らぬ場所――所謂異世界というべき場所に降り立つ事となる。……酷く突飛な話ではあるが、そこまでは翔吾自身の柔軟な適応力と、持ち前の異世界への憧れを持って受け入れた。


 しかし……。

 その直後に起こった出来事は、そんな翔吾ですら予想できぬ、思いもよらぬ展開となった。

 お陰で翔吾は、夢の異世界渡航を達成した記念すべき夜が悪夢に。

 それを乗り越えて朝起きてみたら、夢じゃなくてやっぱり現実だった。と再認識され、自分が今地獄のような状況にいると実感した。


「……痛ぇ……身体中が……痛ぇ……」


 悲鳴にも似た軋みをあげる関節を、慎重にさする。高校生にしてはしっかりと鍛えられた身体には、無駄な贅肉などない。ただ違和感があるとすれば、全身のありとあらゆる場所には歯形が付けられ、背中には痛々しい引っ掻いたような傷があること位だろうか。

 勿論これは、翔吾が自分で付けたわけではないし、前々からあった傷ではない。これらはすべて、昨夜に付けられたものだった。


「…………っ、ああ……ちくしょうめ」


 すぐ隣にいる事の元凶を睨み、文句の一つや二つを述べてやろう。そんな考えが一瞬翔吾の中で芽生えるが……。すぐにそれらは雲散霧消する。理由は何てことのない、馬鹿馬鹿しいものだった。


 そこにいたのは、少女だった。

 ウェーブのかかった長い髪は、明けの日差しを反射して、金砂の輝きを放っている。

 色白で顔立ちも整っている事もあり、何処となく浮世離れした美しさをもつ少女。彼女こそが、諸悪の根元であり、翔吾を酷い目に合わせた張本人である。なのだが……。


 その余りにも無防備な寝姿は反則だった。怒りも毒気も抜けるような美貌がそこにある。初めて彼女を、目にした時、天使みたいだ。何て思ってしまったのは、致し方がないと翔吾は自分を納得させた。それほどまでに、出会いが衝撃的だったのだ。


 最も、真剣かつ正確に説明するならば、天使は間違いだった。

 彼女、ラシーダ・ドラグハートは……、ドラゴンだったのだ。

 そして昨晩の翔吾は、ただその幻想の頂点に蹂躙され、いいように貪り喰われる、哀れな餌に過ぎなかった。


 結局紆余曲折あり、こうなってしまった。行く当てなどなく、帰る家もない翔吾は、することもなくただ少女を見つめる。彼女が……眠れる(ドラゴン)が目を覚ました時、何が起こるのか。それは誰にも分からない。


「……どう説明すべきだ? これ?」


 シーツに付いた赤黒い染みを見ながら、翔吾はため息をつく。ついでにいえば、翔吾だけでなく、少女もまた一糸纏わぬ裸体だった。

 更にベッドの横には、互いの服やら下着がズタズタになって打ち捨てられているのだ。確認などするまでもない。

 途端に何とも言えないやるせなさに苛まれ、翔吾は再び「どうしてこうなった……」と、呟きながら頭を抱える。



「何で夢だった異世界に来て……いきなり朝チュンしてるんだ俺は……ぁ!」


 翔吾の叫びが、空しく寝室にこだました。



 ※


 あの後どうなったかというと、突然豹変した少女――。もといラシーダに、翔吾は傷口をシャクシャクと噛まれ続けた。

 見た目が美少女な彼女が虚ろな目のままにそんな狂気に満ちた行動をすればどうなるか。美少女吸血鬼に気に入られるなんて御褒美だ。というおめでたい考えを持っていた翔吾は、あの日すぐさまその主張を取り下げた。


 実際にそれに近い事をやられてみて。同じ人の姿をした(翼など一部は置いておいて)存在が口元を自分の血で染め上げながらニコッと笑ったりなどしたら。

 腕に走る激痛も手伝って、翔吾は心底震え上がった。思うことはただ一つ。「洒落にならないくらいに怖い」だった。

 その後の翔吾の行動は、ただ一点に絞られた。身の危険からくる火事場の馬鹿力で、何とかラシーダを押し退け。全力で逃走した。もうなりふりなど構ってられず、翔吾は何よりもあの少女から逃れる事だけを第一に考えた。

 もう無礼など知ったことか。

 翔吾は最初に補足したお屋敷に、扉を蹴破る勢いで転がり込んだ。


「だ……誰かいないか!? 助けてくれ! 悪い女に追われてる!」


 性別とかが色々と逆な気もするが、今の翔吾にそんな事を気にする事など出来ず。

 鍵は掛けられていないのにホッとしながらも、翔吾は力一杯叫んだ。

 しかし、住人の気配は欠片もなく。変わりに……。


「あら、貴方から〝私の家〟に入ってくれるなんてね」


 今一番聞きたくない声と、認めたくない事実が翔吾を打つ。ギギギ……。と、油の切れたロボットのように振り返りながら、翔吾は掠れた声で確認した。


「待て……誰の……お前の家、だと?」

「ええ。私の家。因みに他に住人はいないわ。一人暮らしよ」


 助けてくれる人なし。ついでに、唯一の出入口らしき場所は、今や完全にラシーダによって塞がれていた。

 ふと、ゴブリン達が言っていた言葉を思い出す。〝人間は久しぶり〟〝姫以外はいなくなった〟

 もしも目の前にいる少女が、ゴブリン達の言っていた『姫』だとしたら?


「……私ね。ショートケーキが大好きなの。苺のケーキ」


 不意にラシーダが唐突に、歌うようにそう告げる。

 口元を鮮血で濡らしながら。極上の笑みを浮かべて。そうして、少女は悪夢の到来を告げた。


「貴方の味……楽しみにとっておいた苺を、口に含んだ時に似てるわ」


 飛びかかってきたラシーダに、翔吾は反応できなかった。気がつけば宙に浮いていて。気がつけばベットの上。どのようなルートを経て寝室らしき部屋に来たのかすら把握できず……。気がつけば、今度は、太股の傷口を()まれていた。血が滲むズボン事歯を立てていたラシーダは、何処と無く不満そうな顔で眉を潜め……。


「変な味がする服ね。何を材料にしてるか分からないけど、取り敢えず邪魔だわ」


 ズバン。と、冗談のように簡単に、ズボンが切り裂かれた。下半身はパンツ一丁になった翔吾は、もはや男としての威厳など何処へ投げ飛ばし、「きぃぃやぁあああぁ!」等といった悲鳴を上げるのみだった。


「こら、暴れないで。食べにくいでしょ?」

「食うことから離れろぉおお!」

「あーもう、仕方ないわね」


 逃げようともがく翔吾。呆れ気味にため息をついたラシーダは、そっと目を閉じる。そして。


「…………伸びろ」


 何らかの言葉を呟いた瞬間。翔吾は突然、全身が何かに巻き込まれるのを感じた。ザラザラした、鱗の感触。それは、ラシーダのドレスのスカートから伸びていた。


「尻……尾?」


 す巻き状態の翔吾が辛うじて声を絞り出すと、ラシーダはクスリと妖艶な笑みを漏らす。

 翼がパタパタと小さく羽ばたき、目は爛々と光る。竜爪(りゅうそう)は今も翔吾の目の前にかざされ。竜尾は、翔吾の身体に巻き付いていた。


「……お前は、ドラゴンなのか? 人間なのか?」

「……人間よ。ドラゴンの要素を持っている、ね」


 翔吾の説明に、ラシーダは囁くように呟く。上着も引き裂かれ、その上から少女のぬるついた舌が傷口の血を舐め取っていく。

 顔を紅潮させ、うっとりと酔いしれたような顔のラシーダに、翔吾はこんな酷い状況だというのに、思わず見惚れていた。

 恐怖と、美しい少女の手で優しく抱かれる心地よさと。とうとう麻痺し始めた痛みで、翔吾は気が狂いそうだった。

 抵抗する力はもうない。逃げられないのだと、翔吾の本能的なものがそう告げていた。



 どれくらい時間が経過しただろうか。ひたすら噛まれて舐められるという最上級の羞恥責めを受けたあげくに出血で気が遠くなりかけてきた翔吾の上で、ついにラシーダはへにゃりとくずおれた。


「……御馳走様。ただ血を飲むだけでこんなに満たされたの……はじめ……て……」


 うわ言のようにそう言ったきり、ラシーダは動かなくなった。やがて聞こえ始めた寝息は、この吸血地獄が終わりを向かえた事を意味していた。まるで酒で酔い潰れたかのような様子に「呑気な奴だ」と、苦笑いで流す余裕は、今の翔吾にはなかった。

 肉体的疲労と精神的疲労。その両方に苛まれた翔吾は、そのままラシーダに続き意識を手離したのだ。


 ――回想終了。


 これがあの後起きた事の顛末である。そう、二人そろって寝た。それで終わった筈なのだ。

 全裸は、翔吾だけの筈だった。

 なのに。

 目を覚めて毛布を蹴飛ばすように跳ね起きて。横を見たら少女まで全裸だった。

 ああ、きっと寝ぼけて脱いだのか。そうに違いない。あの豹変ぶりといい、急に崩れ落ちた様子といい。ラシーダはまさに酔っていたのだ。


「違う。現実逃避はよせ……!」


 シーツに付いた血は翔吾のものだ。うら若き男女特有の間違いなど犯していない。……筈である。

 わりと特殊な事はしていた気もしたが、翔吾はそれには目を瞑る。

 現状の把握やら、今後の身の振りを考える方が、遥かに重要だ。


 隣に眠る少女……ラシーダを見る。出会った時の、姫騎士を思わせる凛々しい姿。豹変した時の、妖艶な姿。そして今は……そのどれにも該当しない、実にあどけない寝姿だった。


「……oh」


 思わず、母国語ではない感嘆が、翔吾の口から漏れた。

 女性の裸は見たことがある。ただしそれは、媒体による写真やら動画ごしにである。生で見たのは初めてだった。

 所々に浮かんでいた鱗は消え、雪のように白い肌が日の光で眩しく反射する。おかげでベットの枕とシーツに広がるブロンドヘアの煌びやかさが強調されていた。

 肌は惜しげもなく晒されているものの、ラシーダの胸元は、髪と腕で殆ど隠れていた。だが、見えない事で際立つものがあることを、八神翔吾は齢十七にして知ることになる。加えて横向きに眠るからこそ、腰の括れやら身体のラインがいっそう艶かしく見え、翔吾は思わず生唾を飲み込む。健全な高校生には、いささか刺激が強すぎた。


 故に。若さゆえの過ちで、欠片も遠慮なくガン見していた翔吾の目は、静かに瞼を開いたラシーダのサファイアの瞳と、バッチリ合うことになった。


 そのまま沈黙が訪れる。

 翔吾にはやっちまった……という無言の後悔が。

 ラシーダの中には、今頃は困惑、思案。からの昨晩の想起。それに加えて自分の現状把握の順で流れているのだろう。翔吾は勝手にそう想像した。


 そのときだ。翔吾はラシーダが一瞬だけ羞恥を覗かせた後、その顔から表情が完全に消えるのを見た。


「……大体。いえ、ほとんど覚えているわ。貴方には迷惑をかけたみたいね。まずはごめんなさい」


 そっと枕を抱く事で身体を隠し、ゆっくり上体を起こしながら、ラシーダは淡々と語る。翔吾もまた、毛布で下を隠しつつ。ベットの上で正座する。

 今すぐ土下座を繰り出したい気分になったが、果たして日本の謝罪は異世界で通用するのだろうか?

 そんな事を翔吾が考えていると、ラシーダはコホンと、短く咳払いする。


「迷惑は掛けたけど、言及はしたいの。貴方が私の裸体をじっと見つめていた事について。何か弁明は?」

「い、いや、俺も起きたばかりで……」

「あらそうなの? そうよね……。私のなんか見て劣情を催す輩がいるとは思えないもの」

「いや待て自覚しろ。お前間違いなく俺が知る限りでナンバーワンだ。綺麗すぎて鼻血もの……あ、いや違う。ちょっと待って。そんな鼻血出るくらいマジマジと見た訳じゃ……! いやあの……」


 無言で右手を上げるラシーダ。ああこれはダメだ。と、翔吾の中で諦めが生まれた。ビンタ位は覚悟し、一思いにやれと言わんばかりに両手を広げ、翔吾はその時を待ちわびる。

 が、思いの外衝撃は来ず。変わりに長く深いため息が聞こえてきた。

 恐る恐る目を開けると、ラシーダは右手をノロノロと下ろし、シーツの血の染みを悲しげに見つめていた。


「女としてビンタしたいところだけど……。貴方を連れ込んだの、私なのよね。しかも……あんな……あんな……恥ずかしくて酷いことを……」


 言葉が途切れ途切れになり、ラシーダの顔が今度こそ羞恥で朱に染まる。連れ込んだというか、翔吾がホイホイとラシーダの家に入り、そのまま捕まえられただけなのだが、そこは閉口した。

 するとラシーダは静かに翔吾に向き直り、ペコリと頭を下げる。


「翔吾。改めて、非礼を詫びるわ。取り敢えず今更だけど、傷口の消毒をしましょう。薬はあるから」

「え? あ、おう。ありがとう」


 舐めて消毒。……にはならないかと苦笑いし、翔吾は礼と共に自分の傷口を確認し……。


「あれ?」


 直後、己の目を疑った。

 起きてからの僅かな間。身体が覚えた痛みは微々たるものだった。だが、それだとおかしい事に彼は気付けなかった。

 ゴブリンの牙による傷は結構な深手だった。少なくとも、痛みを忘れるなどあり得ないし、冷静に正座したり、ラシーダの裸体に見惚れる余裕などはないくらいに。にもかかわらず……。


「傷が……治ってる?」

「……え?」


 肩や太股。その両方ともが、完治とはいかないまでも、傷口はほとんど塞がっていたのだ。



 ※


 八神翔吾が義妹。八神真昼は、一睡もしないままに夜を明かしていた。

 理由は言わずもがな。目の前で兄が。それも明らかに自分を庇う形で消えてしまったからである。

 あの日真昼はただその場に座り込んだまま、キョロキョロと周りを見回す事しか出来なかった。半泣きで「兄さん? かくれんぼですか?」

 と、呼び掛けても反応は無し。その時唐突に、真昼は悟ったのだ。兄が、何処かへ消えてしまった……。と。

 事実を頭の中で認めるのに三十分。ようやく動けるようになるのに三十分。そして、兄を消した犯人であろう石板を殴る蹴る。刃物を突きつけ、脅し文句を浴びせる事一時間。その間、石板を送りつけて来たであろう義父に連続コールをかけるのも忘れない。

 国際電話もなんのその。真昼にとっては一に翔吾。二に翔吾。三四が翔吾で、あと全部も翔吾なのである。


 だが、これといった成果も得られず。警察に相談したところで当てになるとも思えなくて、真昼の視界が涙で歪み始めた頃。

 唐突に、石板が反応した。

 いつかに兄が消えた時のように、どういう原理か再び映写機モドキになった石板に真昼がかじりつくと、それは脈絡もなく、真昼にある映像を見せた。


 そこには、猿と攻防する兄がいた。

 いつも語っていたドラゴンと邂逅し、歓喜の叫びを上げる兄がいた。

 空から舞い降りた、異形の美少女。それに見惚れる兄がいた。……しかも明らかに兄が好むであろう、フランス人形のような金髪碧眼である。

 そして極めつけは……。


「兄さん……ナニシテルノ?」


 黒い感情が広がっていく。

 一通りイチャイチャして(真昼にはこう見えた)

 同じベットで寄り添い眠り(真昼にはこう見えた)

 起きたら昨日の淫らな互いを思い出したかのように恥じらう(真昼にはこう見えた。見えたったら見えた)

 こんなのまるで……。


「行きずりから恋人? ……ダメダメダメですよ。認めません。認めない。認めないです……え? てかいつまで裸でいる気ですか?」


 ハイライトが消えた目で真昼は映写機な石板を睨む。血が出るほどに柄を握り込まれた包丁は、光を浴びて鈍く銀色に光っていた。

 真昼はそれをそっと額に当てて。やがて何かを閃いたかのようにパッと顔を綻ばせる。


「…………ああ、そうだ。現状を打破するの、簡単じゃないですか。泥棒猫は……排除。昔からそうしてきましたもん」


 限りなく歪で黒い笑みを浮かべながら、真昼は静かに立ち上がった。


石板が……ブルリとおののいたかのように見えたが、きっと気のせいだったのだろう。

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