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ドラゴン・ベイト ~餌奴隷騎士の異世界奮闘記~  作者: 黒木京也
第一章 竜の楽園 ニーベルゲン
2/20

1.八神翔吾はいかにして異世界へ至ったか

 事の始まりを語る前に、とある少年の話をしよう。

 自己評価ではあるが、自分は何処にでもいる在り来たりで普通の人間だ。と、彼は自負していた。

 特異な事は特にない。ただ一つ、他の人間と違う点を述べるならば……。彼は『ドラゴン』という生き物を。存在を。概念を。心から崇拝していた。

 この文明の発達した現代社会で何をと言われかねないが、生憎少年は、常識と言うべきものから、些か逸脱していた。


 幻想(ファンタジー)の頂点に君臨する存在……。龍、竜、ドラゴン。

 彼はその美しさを。

 気高さを。

 獰猛さを。

 野蛮さを。

 残忍さを。

 狡猾さを。

 何よりも、その孤高を。

 愛してやまなかったのである。


 ファンタジーはドラゴン無しでは語れない。彼の中のモットーだった。

 幻想がドラゴンなのか。ドラゴンが幻想なのか。ではそもそもドラゴンとは何なのか……。そういった哲学的なものも交えつつ、ありとあらゆる物語や媒体を通して、彼はその世界にのめり込むことで、その行為をドラゴンへの信仰として昇華していく。

 やり過ぎともいえるドラゴンへの想いが、彼の中を形作る全てだった。


 ……これが、小説やアニメ。ゲームにおいて、その存在が好きだという程度で済むならば、まだ救いはあったかもしれない。

 だが、彼のドラゴンへの念……否、ここまでくれば愛は、やはりその程度では収まらなかった。

 幼少の頃。彼は周りにこう吹聴して回っていたのだ。


「俺は、本物のドラゴンを見たことがある!」

「異世界はある。自分達が気づかないだけ」

「ドラゴンも。その他未確認の生物だって、しっかり存在している」


 その主張を、現代に生きる人間が聞いたとしたら、誰しもが鼻で笑う事だろう。それを話していたのが、幼稚園や小学生位の子どもならば、少し思い込みが激しい子だな。なんて感想が漏れる位だろうか。事実、その頃の彼への周りからの扱いは、そんな感じだった。

 ところが……。

 驚くべき事に、彼は成長し、中学に上がってからもその主張を曲げる事はなかった。この頃になると、彼は周りから可哀想な者を見る目を向けられたり、「夢から覚めろ」といった言葉が投げ掛けられ始めた。ある意味で、当然の反応である。


 個と多では、殆どの場合は多が勝る。普通の人間ならば、多に圧倒され続ければ、主張を曲げるか、二度とその話題を口出しはしなかっただろう。

 だが、ここでもやはり彼は違った。

 何が彼をそこまで駆り立てるのか。何度否定されても、馬鹿にされてでも。彼は頑として、主張を曲げなかったのである。

 彼は本気だったのだ。その〝根拠〟も、彼の経験上ちゃんと存在していた。

 だが、悲しいかな。その根拠もまた、多の人間達によって、有り得ないと否定された。

 結果、彼に貼られたレッテルは、嘘つき。から更に飛んで中二病とまで呼ばれる事となる。

 結構ないじめも受けた。

 教師すらも匙を投げた、暗黒の中学時代。だが、彼はそれでもよかったのだ。

 身近な味方と言えるのは、これまた彼とは違う意味で世間からズレた義妹の一人だけ。理解者はいなくとも、彼はそれで充分だった。

 何故ならば、他でもない。義妹と、離れて暮らす唯一の肉親である父だけは、彼を笑わなかったのだから。……笑わなかっただけで半ば微笑ましく見守られているなど、彼は気付きもしなかったのだが。


 しかし……。

 その味方の存在が、彼の信念をねじ曲げる一因になろうとは、当時の彼は思いもしなかった。

 人並み以上に美しい妹にも、中二病の家族というだけの理由で火花が飛びかけた時。それが、彼のあずかり知らぬ場所で起き、あわや取り返しのつかない事態に行く可能性があったと知った時。

 彼はついに主張を取り下げた。


 長年の信念を潰すような行為ではあった。が、彼とて偏執狂ではあったかもしれないが、義は弁えていた。家族の安全は……特に義妹の安全は、己の命より優先だったのである。

 人間とは妙なもので、反応や反論がなくなると、迫害の力は徐々に弱まっていく。彼に対する苛めも、同じ末路を辿ることとなる。

 もっとも、どんな仕打ちにも決して肉体言語に頼らなかった彼が、義妹に手を出しかけた不届き者共をボコボコにした。という事も、多少は背景にあったのかもしれないが。

 当時少年は十四歳。

 本気でドラゴンを崇拝するだけあって、その気質には少なからず獰猛なものが隠されていたのだ。


 そこから数年。多くの者共と同じように、彼もまた、高校生になった。

 苦汁から学び、世間の理解の無さを痛感した彼は、高校に上がってからというもの、燃えるような激情を胸に秘めながら、たた毎日を生きていた。主張しなくとも、心に留める事は出来る。

 いつか来るに違いないドラゴンとの〝再会〟を彼は待ちわびていたのだ。

 人に話せば、また同じ穴の二の舞だ。故に彼は内に秘めた異常性を、誰にも話そうとはしなかったし、表にも出さなかった。



 今まさに、この瞬間までは。

 彼――。八神(やがみ)翔吾(しょうご)は、人生における最大級の祝福を、その一身に受けていた。


「……ああ、昔散々馬鹿にしてくれた奴等に、コイツを見せてやりたいよ……!」


 歓喜に打ち震えながら翔吾は自身の部屋の中にて、目の前の光景に魅入っていた。

 机の上に置かれた黄土色の石板。どういう原理か、それは七色に発光し、その真上には奇妙な鏡を思わせるサークルが出来ていた。

 まさにファンタジー世界への扉。これだけでも、翔吾には小躍りしたくなるような現象なのだが、彼にとっての本題は、その更に奥にあった。


「……日本じゃあ……ないよな?」


 その鏡のようなサークルの向こうには、見たこともない景色がまるで駒送りのように浮かんでは消えていく。


 美しい山嶺。

 風が吹きすさむ荒野。

 澄んだ湖の岸辺。

 死を体現するかのような砂漠。

 不気味な沼地のぬかるみ。

 急流の熱帯雨林。


 映画のスクリーンのように流れていくそれは、人の手が加わらない故の美。その体現だった。まさに大自然の絶景と呼ぶに相応しい世界が、そこには広がっていた。

 ゴクリと、知らず知らずのうちに翔吾の喉が鳴る。これに触れれば、この景色の場所に行けるのだろうか?

 それは分からない。そもそも、この珍妙な石板自体が翔吾の持ち物ではなく、貰い物なのである。だが、そんな事は今はいい。目の前で不思議な存在の扉が開いているのだ。調べない理由が翔吾にはなかった。


「……よし」


 そうとなれば、翔吾がやることは決まっている。

 まずは、万が一の事を考えて、それ相当の準備が必要だろう。こんなこともあろうかと用意していた、サバイバルグッズの数々を引っ張り出そう。そう思った翔吾は、意気揚々と立ち上がり……。


「兄さん? 入りますよ?」

「うぉおおお!?」


 不意に浴びせられた鈴を鳴らしたかのような声で、そのまま勢い余ってつんのめりそうになった。

 続けてコンコンという軽快なノックと共に、自室の扉がゆっくりと開かれていく。

 誰が来たか。それを瞬時に悟った翔吾は、直ぐ様行動に移した。


 弾かれたように机の前に立ち塞がり、翔吾は両手を広げ、片足立ちする。

 荒ぶる鷹やら、某お菓子メーカーの謎ランナーを思わせるポーズの意図は……やった本人にもわかってはいまい。

 来訪者が誰かは確定的に分かってはいても、彼は混乱していた。そんな状態では、まともな行動など出来る筈もなく……。結果、苦し紛れに出来た事は、非日常な石板を己の身体で隠す事だった。


「……何してるんですか? 兄さん」

「えっと……何だろう」


 現れた人物が、訝しげに翔吾を見つめる。肩の下まで伸ばした艶やかな黒髪と、切れ長の目が特徴的な少女だった。

 通う高校の制服の上に、赤とピンクのチェック柄のエプロンを付けた出で立ち。男の妄想を具現化したかのようなその格好に、いつぞや翔吾が(おさな)(づま)。なんて単語を思わず呟いてしまった時、何故か無表情でガッツポーズされた。謎過ぎるリアクションは今でも記憶に焼き付いている。

 八神(やがみ)真昼(まひる)。翔吾の義妹(いもうと)だ。


「あの……夕食が出来たので……呼びに来たのですが……」


 お邪魔でしたか? と、首をかしげる真昼。翔吾はブンブンと首を横に振りながら、「いやいや。いつもありがとな」と、当たり障りのない返事をし……。内心では本日最上級の問題に頭を抱えていた。


 そうだ。自分は今から異世界渡航をするとして。真昼はどうする?

 そもそもこの謎の石板に触って渡航できる確証はないのだが、翔吾の頭からは都合がいい事に、その仮定は消えていた。


 父は海外で大学教授。義母はパリバリのキャリアウーマンで、家には滅多に帰って来ない。

 昔からそんな家庭環境だったが故に、家族としてもっとも近く、大切な存在が、義妹である真昼だった。

 自惚れでなければ、真昼も自分をそれなりに慕ってくれている。そう翔吾は感じていた。


 ……どうしよう?


 長年の夢が、今まさに目の前にある。だが、それを掴むという事は、真昼を置いていくという事で……。


「……兄さん。いつまでそのポーズでいらっしゃるので?」

「い、いや、これには海より深くて山より高い事情があってだな……」


 思案は、相変わらずジトリとした視線を此方に向けてくる妹によって中断させられた。一歩。部屋に踏み込もうとする真昼に、翔吾は「待て待て待て!」と、慌てて両手を羽ばたかせた。

 が、翔吾のそんな要領を得ない行動が琴線に触れたのだろうか? 真昼の顔が少しだけ不機嫌なものになっていく。


「何ですか? そんな必死に。もしかしてとは思いますが、私に隠し事ですか?」

「え? ……イヤイヤイヤ! そんな事ないから! ないない! ほ、ホントダヨ?」

「目が泳いでます。兄さん、嘘をついていますね?」

「い、いや……」

「私に見せられない物が、背後にあるとか? 何か光ってません? パソコンですか?」

「そ、そう! パソコンだ! グロい画像だから真昼には見せられないと……」

「嘘ですね。兄さんグロテスクなの苦手ではないですか。……まさか、いやらしい動画でも見ていらしたとか?」


 核心をつかれたかと思えば離れ、取り敢えず背後にはパソコンがあって見せられない。という形で落ち着きそう。そう考えていた翔吾の目の前で、妹の勘違いが加速していく。

 ここで、翔吾の中で葛藤が生まれた。


「うん」と答えたら? 思春期真っ盛りな兄と妹。この後どんな顔をして食卓を囲めばいい?


「違う」と答えたら? 明らかに異常なこの状況。これをどう説明する? 素直に翔吾がやろうとした事を説明したとしたら……どうなるかは翔吾にも予想がつかなかった。 


 結局、追い詰められた翔吾が出した結論は……。


「ま、真昼! ご飯だ! ご飯を食べよう!」

「……ああ、成る程。エッチな動画で確定ですか。妹として、兄の性癖は見ておく必要がありますね」

「ねーよ! なんだその謎理屈? いいからほら、リビングに戻ろうぜ!」


 一旦何もかもを保留にして。夕食を理由に、強引に妹を連れ出すことだった。

 が、敵もさるもの。押し出そうとした翔吾の両手首を掴み、ぐぐぐっ、と反対側へ押し戻さんとする。

 真昼の小柄な身体のどこからそんな力を捻り出しているのか。本来ならば兄であり男である翔吾が競り勝って然りな状況は、両者がその場で拮抗するという展開を見せていた。

 真昼が右側から翔吾の後ろを覗き込もうとすれば、翔吾も右へ。左に首を動かせば翔吾も左へ。

 謎の攻防戦の火蓋が、唐突に切って落とされた。


「どいてください兄さん。金髪ですか? 兄さんの額縁裏のコレクションみたいに、また金髪洋物ですか? 今からでも黒髪な妹モノにしませんか? 義理の兄とくんずほぐれつするストーリーな」

「いや何言ってくれてんのお前ぇ! てか何で俺の秘蔵本の場所知ってんの!? めっ! 俺は真昼ちゃんをそんなもの漁る子に育てた覚えはありませんっ!」

「一緒に十年以上育っておいて今更何をおっしゃりますか! そろそろ次のステップへ……。ちょ、兄さんどいてくださいってば! 押し倒……投げ飛ばしますよ?」

「真昼さんや。言葉の端々に兄と妹には不適切な単語がある気がするんだよ。ちょっと家族会議開こうか」

「か、家族計画!? そ、そんな。兄さんはまだ十七才ではありませんか! せめて十八になるか、手に職つけてから……」

「聞けやバカァ! お前頭いい癖にたまにバカになるよなバカァ!」

「バカバカ言わないで下さい! 私がこの身を焦がすのは、兄さんの為だけです!」


 いざっ! と、短い気合いが込められたかと思えば、翔吾の視界がグルリと反転し……。

 数秒後、彼は盛大に床へ叩きつけられた。

 八神真昼。高校一年生。然り気無く合気道を嗜んだりしている。

 つまり……。


「兄より強い弟はあんまりいなくとも、兄より強い妹は結構いるんですよ?」


 情けないことに、可愛い妹補正もかかって正面からやりあえば翔吾が勝てないのは必然だった。

 目の前をチカチカと火花が散っている。視界の端で、真昼が机の上を確認するのが見えた。


「……なんですこれ? 新手の映写機ですか?」


 そう言いながら、真昼はそれに。異世界への扉を展開した(あくまで翔吾の推測)石板に手を伸ばす。全ての出来事が、スローモーションのように見えた。まさか無警戒で妹がそれに触れようとするとはつゆほども思わず。翔吾は慌てて身体を反転させ、立ち上がる。


「ま、待て! 真昼! それに触れるな!」

「え?」


 急に声を荒げた翔吾に戸惑ったのだろう。ビクリと身体を硬直させた真昼の手を、翔吾は一気に引き寄せた。間一髪。真昼と石板の間に身体を捩じ込むようにして、翔吾は何とか真昼を危険な扉から引き離し……。


「よ、よし、あぶなかっ……たぉ!?」


 それは、不幸な事故だった。そう言うべきだろう。

 急にあらぬ方向へ引っ張られ、バランスを崩した真昼を、翔吾はしっかりと支えていた。もっとも、多少よろめいてしまったのはご愛敬。机の方に片手を置き、倒れることを免れた翔吾は、何とか真昼を守れた事に安堵のため息をついていた。

 ……これで事態が終息していたら、どれ程よかっただろう。その時初めて、翔吾は手をついた先が妙にザラザラしているのに気がついた。


「……あり?」


 物凄い嫌な予感を胸に、翔吾は油の切れたからくり人形のように、手をついた場所に視線を向ける。

 果たしてこそは、予想通りの光景だった。翔吾の右手は、しっかりと石板の上に置かれていたのだ。


「……兄さん? どうし……」

「真昼離れろぉお!」


 直ぐに手を離そうとして、それが糊付けされたかのように動かない。それどころか、石板は熱を持ち、明らかに生物のように鼓動を刻んでいることに気がついた時、翔吾は内心で謝罪しながらも、真昼を突き飛ばした。

「きゃん!」という可愛く短い悲鳴が聞こえたのを最後に、翔吾の視界がみるみるうちに白く染まっていき……。

 やがて、形容しがたい浮遊感と共に、翔吾は身体が斬りもみ回転しながら、何かに吸い込まれていくのを感じた。


 それが、翔吾が所謂〝元の世界〟にいた時の、最後の記憶だった。



 ※


 白い光に包まれて、ジェットコースターにでも乗ったかのような奇妙な体験により意識を手放してから、どれくらいの時間が流れた事だろう。

 ゆっくりと目を開けた翔吾が感じたのは、自室では有り得ない土と、草の匂いだった。

 何処かに、仰向けで倒れている。そう認識した瞬間、つい先程起きた出来事が、翔吾の中で回顧する。


「――っ、そうだ!」


 弾かれたように立ち上がる。その瞬間。翔吾は思わず目を見開いた。


「なんだ……これ」


 視界にまず飛び込んできたのは、限りない蒼天。

 熱い風が下から顔へと吹き付けるのを感じる限り、どうやら自分が踏み締める場所は、小高い丘の上のようだ。と、ぼんやりとした思考の中で推察する。

 前方にはだだっ広い草原が続き、遥か彼方にはうっそうと繁る森林らしきものと、活火山を思わせる茶色い山嶺がそびえ立っていた。

 翔吾が住んでいた街では、まず有り得ない風景。それはまさに……。


「異世界? まさか……本当に?」


 当然ながら疑問に答える者は、いなかった。

 ただ視界を占める見たことのない風景と、身体全体が覚えるあまりにもリアル過ぎる感覚が、これは夢でないことを物語っていた。



 かくして幕は上がり、少年は降り立った。

 夢にまでみた異世界へ、半ば事故のような形で唐突に。

 よもやそれが大きな運命の元で動かされた必然の出来事であろうとは。この時の翔吾は知るよしもなかった……。

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