18.食べやすいドラゴン
八神翔吾は、ドラゴンが好きである。何を今更な話ではあるが、そんな彼でも己が大切にすべきものは弁えている。例えば家族。例えば友人。それらとドラゴンが天秤に掛けられたとしたら、翔吾は迷わず家族や友人を取る。
崇拝こそしても、盲信、狂信はしない。
誇り高く愛してこそ、真の愛であると翔吾は考えていた。
それくらい本気に考えるくらいには、翔吾はドラゴンが好きである。
だが……。
それが高じて自分自身がドラゴンになるだなんて、彼は一ミリも予想してはいなかった。
「おぉ……」
いつもより高い視点。
身体一つ一つが、重いようでいて、それを動かすのにはあまり労苦を感じない。
明らかに人間ではない手足を見つめた後、自身の口からは普通の言葉が出ていることに再び驚いた。
「どうなって……」
普通の声に唸り声が混じっている事を感じつつ、翔吾は周りを見渡す。
ラシーダは、ポカンと口を開けている。驚きが限界突破したのだろう。
真昼もまた、似たような感じ。
唯一違うのはファーブニルだ。何処と無く、懐かしむような表情で、彼女は空中から翔吾を見下ろしていた。
そして……。
「ルゥウウゥ……」
数メートル前方で仰向けにひっくり返っていた原初ドラゴン、プリマーズは、何処と無く憎々しげに翔吾を睨みながら、ゆっくりと上体を起こす。
飛び上がり、ラシーダや真昼の方へ向かおうとした矢先の、下からの不意打ち。もとい意図せぬ頭突きを受けたのだ。何の警戒もしていかったプリマーズは、それをまともに受け、屈辱的な後退をせざるを得なかった。
結果、誇り高き原初竜は、今静かに怒りを燃やしていた。
「あ……えっと……あー。……へ、Hello?」
無駄に発音のいい翔吾からプリマーズへの挨拶返しは、竜王の平手打ちだった。
「痛っ……」
「ゴギャアア!」
「わーっ! ちょ、待って! タンマ……!」
問答無用で爪を唸らせ、プリマーズは翔吾に飛びかかる。十五メートル強の巨体同士がもつれ合い、倒れ、地響きが轟く。
意図返しとばかりに仰向けにひっくり返された翔吾は、目の前でプリマーズの竜爪が、高らかに掲げられているのを見た。
「う……おおおお!」
慌てて両手を顔面前に。ボクサーのファイティングポーズのような形で行った咄嗟のガードは、プリマーズの爪を鈍い硬質な音と共に受け止めた。
痛く……ない?
当然ながら、心や感覚に人間の基準を残していた翔吾は、その事実に驚愕する。
ドラゴンの身体の、予想以上の頑強さ。それは、翔吾にもたらされた僅かな光明だった。
もしかしたら……。そんな欲にも似た感情がせりあがる。だが、それは直ぐ様冷める事となった。
プリマーズの表情が、明らかに変わったのだ。
再び爪を振り上げる原初竜。が……。先程の一撃とは雰囲気がまるで違っていた。
淡い黄金色に爪が輝き、ビリビリとした害意が、こちらの肌を叩く。格下のドラゴンから、それなりに強そうなドラゴンに。プリマーズからの翔吾への評価がそう書きかわっているのは、明白だった。
「……あ」
ヤバイ。そう思ってからは、翔吾の行動は速かった。
全身の筋肉をバネにして跳ね起き、出来うる限りの力を込めて両手を伸ばし、プリマーズを押し退ける。
突然の行動に、攻撃体制に入っていたプリマーズの身体がほんのわずかに弛緩した。
翔吾はそれを見逃さない。
天性の喧嘩慣れは野性でも通用した。マウントポジションから脱却した翔吾は、そのまま身体を反転。標的を見失ったプリマーズを視界に収め、瞬時に狙うべき箇所を弾き出し、今度は此方が攻撃体制に。
軸をぶらさず。地に脚を着け、体重を乗せたボディーブローをお見舞いする。
〝ドラゴンパンチ〟!
と、心の中で密かに叫ぶのも忘れない。
唸りを上げるドラゴンの手は、見事にプリマーズの頭部を捉えた。
鐘を鳴らすような鈍い音が響き渡り、原初竜の身体が後ろに仰け反る。その瞬間、翔吾は手を引き絞り、次の攻撃体制に入っていた。
いける……! もう一発……!
最初こそ、「力って俺自身がドラゴンになることかよ!」などと嘆いた翔吾ではあったが、思いの外この身体は戦いやすい事に気がついた。同サイズに近く、筋力も拮抗しているならば、近接戦闘にそれなりの自信がある自分にも、勝機はあるかもしれない。
「らァ!」
奮起するように気合いをいれ、二撃目の拳を振るう。相手が倒れたなら、今度はこっちがマウントをとって……。
「たわけ! 〝魔力の上乗せ〟もしないで、殴りかかるドラゴンがいるか! 一端引け! 十一……」
斜め上後方から、叱責が飛んでくる。ファーブニルだろうか? よく分からない事を言っているので、一端スルー。考えるのは、この二発目のパンチを当ててからだ。
攻撃続行。だが、それは致命的なミスだったと、翔吾は気づく事になる。
「……へ」
手応えはあった。だが、翔吾はその直後、己の手に違和感を覚えた。
訝しげに、拳の終着点を見る。
翔吾のドラゴンパンチは、プリマーズの顎によって受け止められていた。ついでに……。
「ガフ……」
流れるように、プリマーズは翔吾の手を口にくわえた。成る程。普通に腕の力を発揮するよりは、顎の力の方が余程強い。
爪が通らなかったならば、この噛み付き攻撃は理にかなっている。
「……って、ちょ!」
呑気な状況分析はそこまでだった。直後、耐え難い激痛が、翔吾の手に襲い掛かる。プチプチバキプシュッ! という肉が裂け、骨が軋むような音がして。
「あ……ぎゃひぃいいぃいっ!」
苦痛に満ちた、翔吾の悲鳴が響き渡った。
「いだだだだだだ! 離……いでぇ! ちょ! 離せ! いでででで死ぬ死ぬ死ぬぅ!」
必死に腕を引き抜こうともがくも、敵もさるもの。ますます翔吾の腕にかぶり付き、その肉でも味わうかのようにシャクシャク。モクモクと顎を動かし始めた。
ダラダラと垂れ流しになった血すら、ゴクリゴクリと飲み干すプリマーズ。その姿に翔吾の背中を冷たいものが走ると共に、ある仮説が生まれてきた。
自分は、ドラゴンから見れば、とても美味しそう。
その源……元凶は、自分の血液である。
現在、翔吾はドラゴンになった。
だが、ドラゴンであろうとも、翔吾は翔吾である。意識もはっきりしてる。
そんな自分が、今まさに血を流している。
噛まれ、半泣きになりながら。翔吾は現実逃避も兼ねてちょっと本気だして考えてみた。
もしかしなくても自分は、ドラゴンからみたら食べやすいサイズになっただけではないだろうか?
むしろ、なまじ身体が大きくなった分、受ける攻撃の苦痛やらは、相対的に大きくなったのではあるまいか?
そもそも、身体が大きいという事は、出血する部位も増える上に、発見される確率も上がる訳で……。
結論。
極上のドラゴンの餌が、ここに完成した。
「ちょ……待て待て! ふざけ……あ"あ"あ"あ"っ! 痛でででで! はな、せぇ!」
よく見れば、プリマーズの目には、もはや理知的な光はない。誇り高き原初ドラゴンは、目を血走らせ、よだれを撒き散らしながら、今度は翔吾の肩へと大口を開けて襲いかかってきた。
「うおおお!」
なりふり構わず、殴る。蹴る。が、プリマーズは止まらない。その時脳裏には、つい先程のファーブニルの言葉が蘇る。魔力を上乗せ? 一体どうやって? 混乱を極め、自棄になった翔吾は、原初竜の王に鼻フックをかけるべく、二本指を突きだす。が、それもまた、美味しくいただかれてしまう。
モキュモキュと自分の指が食われる光景に、翔吾は悲鳴という悲鳴を出し尽くしていた。
ラシーダに噛まれた時とは訳が違う。純粋に、捕食対象として見られる恐怖に、ガリガリと精神は削られていく。
「や……べ……」
喧嘩は弱気になった方が負け。翔吾の持論の一つ。
それを体現する状態になりかけている事を自覚しかけた時、翔吾はそこで初めて、明確になった死のヴィジョンと、弱肉強食の本質を見た。
それは、翔吾単体で見れば敗北を意味していた。そもそも、生まれたてのドラゴンが、ドラゴンの中のドラゴンに勝てる道理もなかったのである。
だが……。
「――貴方は、死なせないわ。私が絶対に護るから……!」
この場で翔吾を救ったのは、彼が一人ではなかった事に尽きた。いつかに意図せずとはいえゴブリンから護ってくれた時のように。
金砂の美しい髪を靡かせて、空から竜の姫が舞い降りた。
「織り紡ぐは、麗炎の〝息〟なり――。燃え散れ!」
唇が軽やかに呪文を述べた直後、かけつけたラシーダは荒々しく大口を開ける。陽炎が揺めき、サファイアのような蒼い瞳が、その色をより深くして――。虹色の炎が、その口から迸った。
「ギゴォ!?」
突然の竜の吐息に、プリマーズが怯み……。その隙に、翔吾はヒィヒィ言いながら、その場から離脱した。
「翔吾……なのよね? 生きてる?」
「……マジで死ぬかと思った」
「思っただけなら大丈夫ね。……ああ、よかったわ。無事で」
心底安堵した様子のラシーダを、翔吾はまじまじと見る。
竜の翼は、完全に再生している。血色も先程よりよく、疲労の欠片も見られない。ポーションでも飲んだのだろうか? はたまた、ドラゴンは時間さえあればゆっくりと体力を回復できると言っていたし、それを利用したか。恐らくその二択だろう。
「そっちこそ。何とか元気になったみたいで」
「ええ、何故かしらね。さっきまで身体が鉛みたいに重たかったのに、嘘みたいよ。むしろ、調子がよくなってるわ」
ウインクをよこしつつ、ラシーダは視線を翔吾から前方へ移す。
原初竜のプリマーズは、唸り声を上げ、涎を隠しもせず、翔吾を見つめていた。
「さて、無事を喜び合う時間もくれなそうね」
「調子が戻ったなら、何とかなりそうか?」
「ええ。大丈夫よ。ただ……」
チラリとラシーダは翔吾の方を見る。翔吾からみたら小さな手が、頬にそっと触れる。
ああ、今ドラゴンだったっけ、と、後れ馳せながら実感する。
「翔吾、虫のいい話かもしれないけど、貴方の力を借りたいの。そうすればきっと、確実にプリマーズと対話が出来る」
祈るような口調で、どうかしら? と、問うラシーダ。それに対して翔吾の答えなど、初めから決まっていた。
「ああ、勿論だ。力になれて嬉しいよ。俺は、何をすればいい?」
力強く頷く翔吾。ラシーダは目を潤ませながら、ありがと。と呟いて……。
「……じゃあ、さっそくなんだけど、倒されない程度にあの子に噛まれてきて欲しいの」
「……ふぇ?」
下されたのは、結構酷い指示だった。




