17.餌になるとは
盛大に啖呵を切ったはいいが、どうしたものか。
翔吾は冷や汗でこれでもかという位に背中を濡らしながら、自問自答する。
現状。
攻撃できるラシーダは自分の腕の中。
時点で戦力になりそうな気もするファーブニルは、敵か味方か微妙。
真昼は論外。彼女を荒事に参加させることは、お兄ちゃんとして容認できない。
肩にずっと、未だに貼り付いている白いヤモリもどき。もとい、クェツアコアトル。……謎。というか、普通に存在を忘れていた。
自分。餌らしいです。竜の因子でなのか、脚が一瞬だけ速くなりました。以上。
「……あれ、詰んでね?」
子どもでも分かる結論だった。救いになっているかはわからないが、唯一の幸いは自分が流血しなかった事くらいか。お陰でプリマーズは、飛び込んできたやけに素早いカトンボを、興味深げに眺めていた。
「……翔、吾」
ふと、か細い声がする。ラシーダだ。ボロボロになりながらも、その手は翔吾の服の胸元を掴み、弱々しく首を横に振っていた。
「ダメ、じゃない……こんなとこに来たら、すぐ、食べられて……」
「いや、今まさに食べられそうだったからなお前!」
思わず反論しつつ、翔吾はプリマーズを見る。まだ、妙なアクションは起こしてこない。時間はあると翔吾は判断し、ラシーダに目配せする。
「なぁ、竜の言葉は、やっぱり通じないのか?」
「ダメね。一応戦いながら話しかけてはいたけど、まるで聞く耳を持ってはくれなかったわ。力を見せようにも何だか……身体が重くて。ドラグハートの恥さらしだわ」
「恥より生きろバカ。そうか……」
状況は悪いまま。翔吾は歯噛みする。一応ラシーダを救い出したまではよかったが、当の彼女は戦っても敵を圧倒できるか危うい。後は……。
「っ……ファーブニル!」
「え、妾? ヤダ」
「まだ何も言ってないっ!」
「いや、助けろ。だろ? 嫌だよ。楽しそうだから見守ってはいたが、妾はこことは別の世界に行きたいんだよ。魔竜王たる妾なら、本来簡単に別世界には行けるが……今はこの忌々しい雲のせいで満足に魔力が編めん。癪だがそこの雄の〝角の力〟に便乗するより他はない。呪いの核たるニーベルゲンから離れれば、解呪は出来そうだしの」
「ぐ……」
最初から望みは薄かったが、改めて現実が突きつけられる。そして……。
「プリマーズの奴、もう痺れを切らしたみたいだぞ? 十一番目。余興は終わりかえ? せっかく竜の因子の片鱗を見せたのにのう?」
鋭く、轟くような咆哮がする。プリマーズが天に向けて吠え猛っていた。翼を広げ、威風堂々。ビリビリと、近くにいる翔吾達に音圧が降りかかり……やがて、琥珀色の視線から静寂と共に殺意が向けられた。
「――っ、翔吾! 逃げ……」
「兄さんっ!」
ラシーダが青ざめた顔で翔吾を押しやろうとしたその時だ。
背後から、聞き覚えのある声がした。少し離れた所から走ってくる、制服姿。それは……。
「ちょ、真昼!? バカ! 何で……!」
「バカは兄さんです! 自分から死ににいくなんてふざけないで下さい! そこの爬虫類! こっち! こっちです!」
片足を上げ、完璧なフォームで遠投されたそれは……。八神家の鍋だった。
風を切り、唸りを上げてそれは宙を舞い、プリマーズの頭に見事命中した。
「おい……待て。……っ! おいっ!」
目を血走らせ、翔吾が叫んだ所で、もう遅かった。遠目から見た真昼は……笑っていた。
「さぁ、こっちに」
真昼がそう小さく呟いた瞬間、プリマーズの標的は、あっさりと切り替わった。
「ダメ、真昼ちゃん! ダメェ!」
瞬時にラシーダが動く。翼を再生させ、ふらつきながら真昼の元へ。だが、それはただ、喰われる存在を徒に増やした事にしかならず。
「ああ……ぐ……そぉおお……!」
置き去りにされた翔吾は無念の唸りを上げるしかない。わかってはいた事だ。時間稼ぎしか出来ない事は。その間に、ラシーダか、他の何かにすがることしか出来ない。わかってはいたのだ。
だけれども……こんな結末は……。
背後から、翼が広げられる音がした。飛び上がり、向こう側へ一気に強襲するつもりだろう。
ここで流血? だが、解決するのか? 食べる順番が変わるだけでは?
「ええい!」
迷えない。再び腰に差したナイフを取り出す。この無情な庇い合いが、最善策。それが悔しくてたまらない。せめて、一思いに飲み込まないでくれればいい。そうすれば、ラシーダが真昼を連れて逃げてくれるかもしれない。そんな事だけを考えて、翔吾は荒い呼吸を抑え、ナイフを手に……。
「モガッ!?」
突き刺そうとしたその瞬間。口に何か大きなものが入り込んだ。
「も? ゴババ?」
グニグニとしたゴムのような舌触りと、土の混じったなんとも言えぬ味に、翔吾は思わず目を白黒させる。
何だ? 一体何が……。
「殺して」
「はが?」
不意に響いた、馴染みのない声。それに翔吾が戸惑っていると、再び「私を、殺して」そう、口の中で声が響いた。
「ちょ、うげ……」
喋ろうにも、それは翔吾の舌に貼り付いている。必死で引き剥がそうとするも、指にはザラザラとした感触が残るのみ。
そして……
「殺して。殺して。この為に私は……殺して。私は自殺が出来ない。殺して。殺して殺して殺して殺して殺して殺して……。終わらせて……!」
深い深い悲しみ混じりの声。その時翔吾は、肩にいた白ヤモリがいなくなっていた事に気がついた。
「おふぁえ……ふぁ……」
「お願い。力はあげるから。殺して。守りたいなら殺して。戦いたいなら……殺して……!」
意味が分からなかった。だが、その言葉の端々にある意味を、翔吾は聞き逃しはしなかった。
「…………力っふぇ……なんだ?」
「……私を殺せば……わかる。待ちわびた。ずっとずっと。……だから……私の血肉を……貴方の中に……」
迷いは一瞬だった。プリマーズが飛び立った。それを見た瞬間、翔吾は電撃を受けたかのように、身体を硬直させ。
「…………いいのか?」
「…………いいの。ずっと、ずっと待ってた。コレが私の救い。守りたいなら、喰うの。ドラゴンなら、そうすべき。この世は……」
弱肉強食だから。
それが、白ヤモリ。否、小さな謎めいたドラゴン。クェツアコアトルの最後の言葉となった。
自分の歯が生ける者の柔らかい肉を噛み潰す感触。きっと一生忘れないだろうな。と、思いながら、翔吾は口にしたそれを咀嚼した。
絆も、交流もなかった。ただ、力を与えるから殺せという契約じみたそれに従った。すがれるならば、すがる。故に翔吾はごめんといった謝罪はせず。心の中で呟いた。
頂きます。
ご馳走さまでした。
※
ラシーダドラグハートは、傷つき、折れかけた翼を羽ばたかせ、真昼の元へ到達した。めぐまるしく回転する頭は、生き延び、勝利する道を探り続けていた。
何故か重い自らの身体。どうにか。どうにかして動けるようにはなるまいか。
「真昼ちゃ……」
「何してるんですかラシーダさん! 飛べるならこっち来ないで! 兄さんを守って!」
ブレない瞳で。だが確かに震えながら叫ぶ真昼を、ラシーダは心の底から美しく思えた。無鉄砲故にか。誰かを想う故にか。だから……。
「バカね。貴女にもしもの事があったら、翔吾が悲しむわ。そんなの認めない。貴女を連れて、翔吾も連れて……それで……!」
視界が歪む。涙だと気づいたのは、真昼が絶句しているからだろう。珍獣でも見るかのように、真昼はラシーダを見ていた。
「ラシー……」
「死なせ……ないわ。そうよ。何て今更……! 私が死んでも……貴方達だけは……!」
その時だ。背後から、地響きがした。プリマーズが今まさに飛び立ち、こちらへとぎらついた視線を飛ばしてくる。
全身を刺すようなプレッシャーに、ラシーダは歯を食い縛りながら、再び剣を構える。
翔吾は……大丈夫そうだ。プリマーズは真昼がこちらへ誘導した。勝ち目は薄くても、体勢を多少立ち直せた今なら……。
「真昼ちゃん! 下がって! 私が奴を引き付けるから、翔吾の所まで走っ……て……?」
言葉は最後まで続かなかった。不意にラシーダは、暴力的にまで濃い、別の威圧感を身体に浴びた。
煮えたぎるマグマのような気配。それが、所謂魔法の源……魔力によるものだと気づいた時、ラシーダはその発生源を捉え……。
それは、突然の出来事だった。一迅の熱風と共に、プリマーズのすぐ下から〝生えてきた〟
「……ふぇ?」
ラシーダは、思わずすっとんきょうな声をあげていた。
そこに現れた存在に。
白金色の、淡い光を放つ鱗。
鳥のような羽毛が生え揃った、独特の両翼。
天を穿つというよりは、支えるようにして生えた、ヘラジカのそれを思わせる、二本の立派な角。
太く、力強い尾は、二又に裂け、先端は槍のように鋭い。
鈍く輝く銀色の爪は、焔を思わせる霞が揺らめき、さながら雪被りの霊峰を逆さにしたようだった。
そこには、ドラゴンがいた。
見たこともない姿の、ただただ美しい、ドラゴンがいた。
そして……。
「な、な……なんじゃこりゃぁぁあ!」
それは何処か聞き覚えのある声で、なんとも情けない叫びを上げたのである。




