12.墓標
「原初ドラゴンの因子……? 俺が?」
多分凄いことなのだ。と、翔吾は思う。それはニーベルゲンという世界を作ったドラゴン達の力が、自分の中にあるという解釈に繋がるのだ。
喜ぶところかどうかは、自分には分からない。だが、その名前があまりにも悲惨すぎた。なぜよりにもよって〝餌〟なのか。確かに美味しそうとはラシーダから御墨付きは貰えたが、それにしても直球過ぎはしないだろうか。そもそも、体現理想とは何なのか。
「……体現理想とは、原初ドラゴンの為の言葉よ。原初の十竜は個性的な面々だったと聞くわ。太古の時間にものを言わせて、極限まで研き、鍛えられた技や性質・肉体はどれもがドラゴンとして至高と究極を体現する、まさに理想だった。そんな理想を彼らは一頭につき一つ持ち合わせていたの」
ドラゴンとしての究極の理想にして完成形よ。と、ラシーダは締め括る。
「いや、でも、ドラゴンとしての完成形が餌って……餌って……」
「食べられちゃいますね。いえ、もしかしたら、この世で一番美味しいのは、自分だと気づいちゃったとか」
「……悲しすぎるだろ」
自分の尻尾を食べている竜だって、現代の物語や神話にも登場する。
無限や永遠の象徴と謳われているが、あれもドラゴンとしては理想なのだろうか? 人間の翔吾には分からない。
「自分を食べるといえば、〝エターナル・メイトテール種〟というドラゴンがいるわ。尻尾の再生力だけが異様に高いドラゴンで、食料は自分の尻尾だけで自己解決してしまう、変わったドラゴンよ。世界によっては、確かウロボロスとか呼ばれてるわね」
「何その再生力の無駄遣い。てか、ウロボロス実在するのか。……ああ、異世界だった」
実際に自分がいるこの場所は、本当にとんでもない所だと実感する。
「尻尾を食料品として利用できないか。という理由で乱獲された、悲しきドラゴンよ。実際は美味しくなかったけど、今度は珍味として有名になり、今や見つけること事態が困難な……」
「ラシーダさん、蘊蓄はそこらへんで。兄さんには、やはりドラゴンの餌の才能がある。だからドラゴン達に追い回される。呪いやらそういう胡散臭いものが由来ではなく、もはやそういう体質。という結論でいいのですか?」
楽しそうに語っていた故に、またしてもピシャリと話を中断されてしまったラシーダは、ちょっとだけ残念そうだ。翔吾自身、もう少し聞いていたかったとは言えなかった。言える雰囲気ではない。
「そうね。その結論を下すのが妥当よ。そんな体質の人間は初めて聞くけど、いるなら仕方ない。そう思うことにするわ。けど……。今わりと洒落にならない事実が、同時に判明してしまったわ」
腑に落ちないというような態度で、ラシーダは翔吾の左胸をつつく。看破の魔術とやらはまだ続いているらしく、翔吾の身体をまたしても妙な感触がはい回る。特記事項とやらをまた確認しているのか、「やっぱり間違いないのね……」何て呟きが聞こえてくる。
「貴方が竜の因子を持つことは、まぁいいわ。前にも言ったけど、元が違う生物でありながら、それを持つ存在は珍しくないのよ。問題は、それが世界に十頭しかいないと思われていた、原初ドラゴンだということ」
「……何か問題があるのか?」
翔吾の質問に、大有りよ。と、ラシーダは即答する。
「だって、原初の十竜が体現する十の理想は、息、爪、顎、尾、翼、鱗、角、鼻、目、そして心。餌なんてものは無いんだもの」
思いもよらないラシーダの言葉に、翔吾は唖然としたまま、己の手を見る。
自分が何なのか。ますますと分からなくなってくる。こうなると、ニーベルゲンに呼ばれたのもやはり何か意味があったのではないかと思えてならなくて……。
「に、兄さん……」
考えにふけいりそうになった所へ、真昼の震えるような声が響く。気丈な義妹にしては珍しいそれに、翔吾は慌てて妹の方を向く。
真昼は、しゃがみこんだまま、神殿の床に手を触れていた。「どうした!?」と、詰め寄る翔吾に、真昼は少しだけ青ざめた顔で翔吾を見上げた。
「ここ、というか、神殿全体ですけど、とにかく触れてみて下さい。覚えがありませんか?」
「覚え?」
いまいち真昼が伝えんとする事が分からず、翔吾は言われるままに、〝黄土色〟の床に触れる。
「……ん?」
違和感というべきものは、すぐに訪れた。ざらついた感触。だが、不思議とずっしりとした質感は感じさせないそれ。確かにどこかで覚えがあるような……。
「さんざんこね繰りまわして、最後には砕いたから覚えているんです。ここの床に使われてる材質……あの石板と似ていませんか?」
電撃のような感覚が、頭を走り抜ける。これも偶然なのか。それとも……。
『見つけたゾ……十一番目(ドラゴンの餌)』
戦慄に身を固めていると、不意に何処からか声が響く。驚き、周りを見渡すが、声の主はどこにもいない。咄嗟にラシーダの方を向くが、彼女もまた、知らない。というようにぶんぶんと首を振る。
チラリとクェツアコアトルを見るが、彼もまた相変わらず、ギョロギョロした目で此方を見上げてくるだけだった。
「降りてコイ……待っていタ。ずっと……お前を……」
再び響く、誰かの声。上からか聞こえてくるのか、下から聞こえてくるのかも判別しづらい。まるで頭を直接震わせるようなそれは、静かで。それでいて重みのある声だった。
声は、神殿の中で反響するようにこだましていく。そして。それを合図にしたかのように、大地が揺れ動いた。
「な……」
「じ、地震?」
立っているのも困難になるほどの揺れが、三人を襲う。上下左右に容赦なく加えられた振動は、仕舞いには軋むような音を立てて、神殿の至るところに亀裂が入りはじめた。
建物全体が、悲鳴を上げているようだった。軈て、床の一部が抜け落ちていくのを見たとき、翔吾の背中が一気に凍り付く。
神殿の下にも何かがある。それを直感すると同時に沸き上がるのは一抹の不安だった。地震はいつ終わるのか。そもそも、ここは大丈夫なのか?
「なぁ、気のせいか? 揺れがどんどん大きくなってるぞ?」
「生憎、気のせいじゃないわ」
「あ、安全なんだよな? 結界はってあるんだよな?」
「そ、その筈よ。てか、ここはドラグハートの魔法の集大成よ? そう簡単に崩れる訳……」
徐々に自信無さげな声色になっていくラシーダに、「いや、今まさに崩れてるぞオイ!」と、捲し立てたその瞬間。変化は訪れた。ガコンという間抜けな音を立てて、翔吾達の足元と神殿の天井が、いとも容易く崩壊した。
重力に従い、自由落下する翔吾には、ラシーダへの文句も、真昼への心配も、あっという間に没収される。理不尽だというべきか。不幸が連鎖するにしてもこれは酷いと翔吾は感じた。
「あ……」
続けて、上から落ちてきた少し大きめの石が、翔吾の脳天に着地する。出来すぎていて、まるで誰かの手のひらで踊らされている気分だった。
「ふざけんな……くそ……」
翔吾の意識が、急速に闇へ落ちていく。最後に視界に入ったのは、竜翼を広げ、瓦礫の雨に身をさらされながらも、真昼を抱えて必死にこちらへ手を伸ばす、ラシーダの姿だった。
※
夜風が吹いていた。
月下の草原で、小さな女の子が歌っている。煌びやかなドレスに身を包み、その身に合わぬ大きな竪琴を手にして。薫風香るその場所にゆったりと腰掛けながら、彼女は歌っていた。
それに合わせて、満天の星空をドラゴン達が踊っている。
時に火を吹き。
時に牙や爪を打ち鳴らし。
歌い手たる少女と共に彼らもまた、歌っていた。
この世のものとは思えぬ幻想的な世界がそこにある。綺麗だ。と翔吾は感じると共に、強烈なまでのデジャヴを覚えていた。
「原初の竜。原初の竜。十の理想を担うもの
荒廃の竜、名をリンブルム。神すら焼き尽くす、麗炎の息
開闢の竜、名をティアマト。境界を広げゆく、創造の爪
暴食の竜、名をニズヘッグ。星をも飲み喰らう、悪夢の顎
剛力の竜、名をイルヤンカ。筋肉研ぎ澄ます、不動の尾
退魔の竜、名をクエレプレ。時間も吹き飛ばす、封印の翼
御身の竜、名をガルグイユ。魔王の一撃すら凌ぎきる、聖盾の鱗
神槍の竜、名をプリマーズ。世界を切り繋げる、時空の角
看破の竜、名をクルワッハ。災厄を嗅ぎ分ける、真実の鼻
予見の竜、名をラハヴ。未来すら見透す、神秘の目
崇拝の竜、名をダッハーカ。万の軍勢をも平伏させる、聖者の心
語ることは憚れる。偉業と罪の物語……」
視界が徐々に再び暗転していく。
そうだ。忘れもしないあの景色。幼い八神翔吾が目に焼き付けた、美しきドラゴン達の姿。この日から、翔吾の中でドラゴンは不動なものとなったのだ。
「待て……消えるな……!」
焦がれるように、手を伸ばす。視界を満たす黒に抗う翔吾に、女の子も、ドラゴン達も気づかない。
あの女の子は、誰だったろうか。そもそも、自分はどうやってここへ辿り着いたのだったか。
遠い昔に置き去りにしたかのような、むず痒い想い。
何もかもが不確かな夢の中で、翔吾は再び意識を失った。
※
目を覚ますと、視界一杯に真昼の顔が大写しになっていた。艶やかな唇が愉悦に震え、翔吾の両頬には柔らかな手が添えられていた。
「どわぁあああ!」
思わず跳ね起きた反動で、ゴチンと頭蓋骨同士が衝突する音が響く。
「ひ、酷いです兄さん。心配する義妹にヘッドバットなんて……」
「明らかに心配以外にも目的があったろ今!」
額を抑え、涙目で訴えかけてくる義妹を、翔吾は糾弾する。
風邪で寝込んでいた時。休日に惰眠を貪っていた時等に、真昼は色々とスレスレな悪戯をしかけてくる。
最初は兄妹としての距離を測りかねているのかと思っていたのだが、最近は悪意が見え隠れしているようにしか見えない。
いつぞやベットに潜り込んで来た時に、「既成事実さえあれば……」何て笑えない言葉を聞いた時の戦慄を、翔吾は未だに忘れてはいなかった。
「……そうだ! ラシーダ! ラシーダは?」
「……ラシーダさんならすぐそばですよ。私もついさっき起きたんですけど、その時からそんな状態でした」
どこかムッとしたように真昼は翔吾の隣を指差す。
慌てて視線を向けると、成る程。確かにそこには、翔吾に寄り添うようにして眠る、ラシーダの姿があった。だが……。
「……っ、そんな」
その惨状に、思わず翔吾は唇を噛み締める。
ドレスの一部は破け、露出した肌には赤黒い痣や裂傷が痛々しく刻まれていた。頭部も負傷したらしく、美しいブロンドには生々しい赤が混じっている。加えて、翔吾と真昼の周りには不自然な位に瓦礫が少ない。どうやったのかは分からないが、ラシーダが身を呈して守ってくれたのは疑いようもなかった。
「……ちくしょう」
起きた瞬間には、文句でも言ってやろう何て考えた自分を、翔吾は強烈に恥じた。翔吾とて囮に使われたり、実験に使われたりと散々だった。だが、ラシーダはどうだっただろうか?
翔吾が怪我すれば、全力で守り。帰る場所も与えてくれて。異世界について教えてくれた。内心では想定外だらけの事であたふたしていた事は想像できる。だが、そんな中ですら足手まといに等しい翔吾と真昼を抱えながら、今も必死に飛び回ってくれたはないか
クールで感情の起伏の少ない女だが、その行動は紛れもなく……。
「ダサいな……俺は」
「兄さんは弱いだけです。ダサくなんかありませんよ」
妙な励ましの言葉を翔吾にかけながら、真昼は立ち上がる。
つかつかと歩いていった先には、ラシーダが持ち歩いている背嚢があった。真昼はそれを引っ張りあげると、いそいそと中身を確認する。
「……凄いですね。中身は無事です。えっと……これでしたね。確か」
取り出されたのは薬瓶。中身は青みがかった液体が入っている。最近翔吾が塗られる事の多いものだ。翔吾がいた世界で言うならば傷薬。だがそれは現代の医療の範疇を軽く凌駕する。塗れば傷を瞬時に塞ぎ。飲めば疲労回復も臨める、奇跡のような産物。『ポーション』そう呼ばれる薬だった。
因みにこれはラシーダの一族が更に改良を加えた逸品で、普通のポーションの効果に加えて、ドラゴンからの損傷には絶大な効力を発揮するものらしい。
「どらぐーん・えりくしるでしたっけ? 塗っただけで治るなんて何かおかしいとしか言えませんけど。ともかく……!」
詮を抜き、ドロリとした青い液体を手に馴染ませながら、真昼は溜め息混じりに呟いた。
「助けられっぱなしは私の主義に反しますので。兄さんは決して……決・し・て! こちらを見ないようにお願いします」
念を推すようにギロリと翔吾を睨みながら真昼はラシーダのドレスを脱がせていく。
慌てて反対方向を向いた翔吾は、真昼に悟られぬようこっそりと笑いを漏らした。
真昼は真面目で気立てがいいが、間違いなく不器用だ。けど、それだけでないことを翔吾は知っている。
ラシーダと同じ。何だかんだ言って優しい子なのである。
「お兄ちゃん惚れ直したよ」
「何か言いました?」
真剣に手当てをしているであろう真昼に、何でもないよとだけ告げて、翔吾はその場を離れていく。
多分ここはラシーダも知らぬ場所だ。周りの安全確認くらいなら自分にも出来るだろう。そう考えた翔吾は、瓦礫を避けつつ、慎重に歩き出した。
※
ラシーダを手当てしながら、真昼は溜め息をついた。今頃翔吾は、妙に暖かな気持ちになっているに違いない。
「お兄ちゃん惚れ直したよ」の言葉に思わずガッツポーズをしそうになるのを必死で抑えながら、真昼は一人ほくそ笑んでいた。
「バカですね~兄さんは。女の子イコール優しいと思ったら大間違いですよ。単純なんですから……」
勿論助けられっぱなしは嫌だというのは本心だが、これが計画通りだとは、翔吾は思わないだろう。
真昼の株を上げる計画兼……。
「それに、お人好しな兄さんなら、手当てする。何て言い出しかねませんし」
スレンダーながら、女である真昼から見ても羨ましく思える程、ラシーダの身体は完成されていた。これを兄には見せたくない。
名付けて、ラッキースケベ防止作戦。大部分は、それが理由だった。
「ぽーしょん代は、後で労働で還元します。……まだ沢山ある気はしますが……借りの一部はは返しましたよ。ラシーダさん」
どこか戸惑ったように告げられた言葉を聞く者は、どこにもいなかった。
※
真っ直ぐな道のりを、翔吾は慎重に歩んで行く。真っ暗な筈の場所は壁に等間隔で設けられた、松明のような者が発する光源で、比較的視界は良好だった。
松明は、現代でいうセンサーライトのようなものらしく、翔吾が近くを通る度、怪しげな音を立てながら、蒼白い光を放っていた。原理は分からないので、翔吾は考えるのを止めた。ついでに……。
「お前、いつのまに俺の肩に乗ってたんだ?」
翔吾はため息混じりに呟きながら、己の右肩を見る。
そこにいたのは、白いヤモリ。ラシーダ曰くドラゴンでもしかしたら神様かもしれないらしい存在。クェツアコアトルだ。
「……ケロケロ」
そんな翔吾の問いに、白い小竜は喉を鳴らし、奇妙な鳴き声を漏らすだけ。人の言葉は話せないとラシーダは言っていた。ので、対話できないのは仕方がないかもしれないが、あの瓦礫の雨をどうやって生き延びたのかだけが、翔吾は気になった。
「……お前。この場所知ってたのか?」
「……ケロケロ」
「今、ニーベルゲンで何が起きてる?」
「ケロケロ」
「どうでもいいけどお前、見た目ヤモリなのに、鳴き声蛙っぽいな」
「ゲコッ」
無意味な言葉と鳴き声の応酬が、空しく響く。それに思考放棄した翔吾は後は無言で進み続けた。どうやら、地下にある謎の空間は、大きく分けて三つに分けられるらしい。
一つは、翔吾達が落っこちた小部屋。
もう一つは、今まさに翔吾が歩く直進の通路。
最後に。
「何だ……これは?」
通路の先にあったのは、広大な空間だった。真っ先に思い浮かんだのは、古代ローマの闘技場コロセウム。天井が見えない程高い壁が、回りを取り囲んでおり、苔むしたような匂いが、翔吾の鼻を刺激した。
その壁に埋め込まれるようにして、大きな扉がいくつも取り付けられている。
だが、最も翔吾の目を惹き付けたのは、コロセウムの中央――。そこにポツンと佇むように立てられた、西洋風の墓標だった。
導かれるかのように翔吾は墓標の傍へ歩み寄る。そこにいる何かが、自分を呼んでいるような気がして。
「……記念碑。ニーベルゲン誕生の日」
墓石に刻まれた碑文を読む。何故だか目を逸らせないまま、翔吾はそれを読み上げる。
「原初の十竜……ここに、眠る……?」
ラシーダの話は、祖先が世界を作ったこと。原初の十竜がそれを支援したこと。それだけだった。その後ドラゴン達がどうなったかまでは聞いてはいなかった。
「ここに真実を残す。ニーベルゲンを核に……を閉じ込めるため……。二重。…………ドラグハートに。…………は、竜達に。私の…………は成功した。最悪の……は…………れた。……因縁と遺恨。……器は……一族の…………に。…………の……二つは…………。……どうか…………約束の時まで……」
碑文は、所々途切れて、全ては読みきれない。当然ながら内容を理解する事も、推測する事も翔吾には叶わなかった。
ただ……。一番最後には、こう伝えられていた。
「原初のドラゴン達よ。私を許さないでくれ。協力を感謝すると共に、その罪をここに記そう。 ジョージ・ドラグハート……うっ!?」
その時だ。翔吾は突然、強烈なまでの虚脱感を覚えた。全ての碑文を読み終わった後、胸を刺すような鈍痛が走る。それはまるで身体中の力が抜きとられていくかのようだった。
『待ってイタ……お前が来るのを、待っていタ……!』
地上で聞いた声が、また響く。それは翔吾の足元……。墓標の下から語りかけてくる。
「墓が……しゃべっ……!」
慌てて後ずさりしようとするも、それは叶わない。碑文を読むために墓標についた手が、何故か糊付けされたかのように離れないのだ。
『満ちていク……飢えが満ちて……いく。長かったぞ……! この時を待ちわびたのだ!』
足元が、覚束なくなっていく。比喩的にではなく、本当に力が吸われているのではないだろうか? 身動きが取れなくなった翔吾の危惧を置き去りにして、墓は喋り続ける。
途端に、再び地面か大きく揺れ始め、翔吾の手元で墓標は粉々に砕け散り、下に隠されていた納骨室が剥き出しになった。
「これは……」
ドラゴンを象った紋章が、丸い入り口に刻まれている。変化は止まらず、地震に呼応してまるで生きているかのようにオレンジ色の光を放つ。心臓が脈動するかのようにそれは消えては灯りを繰り返し、異様な存在感を醸し出していた。
逃げろ……。
と、翔吾の中で警笛が鳴る。発光しているのは、納骨室だけではない。
コロセウムを囲むようにして埋め込まれた扉もまた、紋章を有していた。
ざっと数えること全部で十。どの扉も同じドラゴンを模した紋章が、それぞれ別々の光を放ちながら、唸るような異音を奏でていた。
吐き気すら覚えるプレッシャーが、全方位から翔吾一点に注がれている。その時……。
「……魔竜王が起きる。封印が綻ぶ」
艶やかな女の声がした。ぎょっとして声のした方、己の右肩に目を向けた途端。翔吾の手にバチン! と弾けるような電流が走る。動けなかった筈の手がようやく墓標から離れたのだ。半ば本能的に翔吾は直ぐ様墓標から距離をとる。地震はいつの間にか、収まっていた。周りを見渡せば、光輝く扉と共に、唸るような異音がしていた。
何が起きている。だが、今の翔吾には、それ以上に気になる事象があった。
「お前……今……」
「私を連れて逃げて。……いえ、いっそ殺して」
震える声で、右肩でクェツアコアトルが唸る。呆気に取られた翔吾を尻目に、白い小竜は小さな口を動かし……。
「もう止まらない。原初の竜が……。神が来る」
爬虫類然とした紅い目は、確かに恐怖で震えていた。




