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ドラゴン・ベイト ~餌奴隷騎士の異世界奮闘記~  作者: 黒木京也
第一章 竜の楽園 ニーベルゲン
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9.兄より弱い義妹などいない

 修羅場という言葉がある。元はインド神話や仏教関係の言葉であり、闘争の場を指すことが多い。

 が、それは血で血を洗うような戦いの場を示す以外にも、ちょっとした場面を表す事にも使われる。

 主に……。


「なんですかそれ。兄さんとそちらの方……互いにお洋服がズタボロですが? どれだけ特殊なプレイをしたらそうなるのでしょう?」

「い、いや……真昼、待て。これは……」

「あ、しらばっくれるのはよしてくださいね。私はここに辿り着いたのこそ今日ですが、兄さんがこちらに来てからの出来事は……全部見ていました。随分と……ええ、随分とお楽しみでしたねぇ?」

「……ふぇ?」


 主に男女の痴情の縺れ。その名称として使われる事もある。

 片や雇い主。もう片方は義妹。

 本来ならば、これが何をどうすれば男女の修羅場に発展するのか甚だ疑問だが、なってしまっているのが事実な訳で……。


「兄さんにMっ気があっただなんて……。噛まれて舐められ攻められて、次の日にはデート。そのまた次の日は首輪を装着。どれだけ手懐けられてるんですか兄さんは! 何て羨ま……いえ、恥ずかしい!」

「お、おい待てって。何か流れ的には間違ってないんだけど、言い回しが何か違う」


 弁明しようと翔吾がドウドウ。といった仕草をとるが、真昼は止まらない。矛先を変え、今度はキッ! と、強い視線でラシーダを睨み付けた。


「……申し遅れました。八神真昼といいます。そこの八神翔吾とは義兄妹です」

「あ、うん。わざわざご丁寧にありがとう。私は、ラシーダ・ドラグハートよ。一応翔吾の……雇い主になるわ」


 唐突に始まる自己紹介を、翔吾はただハラハラして見守るより他はない。

 真昼は分かる。メチャクチャ怒っているのが凄く分かる。だが、ラシーダはどうだ? 彼女が取りそうな行動を、翔吾は欠片たりとも予想できなかった。

 真昼は般若の形相。ラシーダは……。普段のクールな雰囲気は成りを潜め、今は戸惑っているように見受けられた。

 睨み合う見た目麗しい美少女が二人。その時だ。翔吾は奇妙な事に、何処かで高らかに鳴らされた、ゴングの音を聞いた気がした。

 ……幻聴だと信じたかった。


「……私の兄さんにハレンチな事をしたことについて弁明は?」

「……見ていた。そう言っていたわね。……ないわ。どうかしていたという言い訳もしない。あの日私はどうしても彼を食べたくなって……」

「とんだ痴女もいたものですね? 出会ってすぐに男性を部屋に連れ込むなんて。男なら誰でもいいと?」

「そうじゃないわ。私は……多分彼だからああなってしまったのよ」

「……ぐっ。で、でも、それにしたってズルい……じゃなくて軽すぎます! よく翌日は首輪までつけて!」

「あれは……お互いの為に必要だったの。家族である真昼ちゃんからしたら……気持ちのいいものではないかもしれないけど」

「互いの為に首輪ですって? す、既にそこまでの仲に……! だ、ダメです! ダメですっ! 私は認めません!」

「そう……よね。でも安心して。私の中での彼は、もうほぼ確立されたわ。首輪を外して、正式に縁を結ぶつもり。だから……」

「いや、何を安心しろと!? 私に言わせればそっちはもっとダメですっ! 兄さんは私のです!」


 翔吾は交わされる会話の応酬を聞きながら、肩をガクリと落としていた。

 絶妙すぎる程に話が噛み合っていなかった。


 真昼から言わせれば、ラシーダはきっとお兄ちゃんを取っていく嫌な奴なんだろう。兄冥利に尽きることに、真昼がお兄ちゃんっ子なのは翔吾も知っている。故に謎の暴走をすることが過去にも結構あったのだ。多分兄と謎の女が首輪を着けて着けられて、にゃんにゃんする怪しい関係になったと勘違いしているのだろう。


 一方のラシーダは……。翔吾は何とも言えない顔のまま、己の首元を撫でる。

 原因の一端になりつつあるこの首輪は、れっきとした魔法具(マジックアイテム)であり、名を奴隷(スレイブ)(リング)と言う。

 特殊かつ複雑な術式が刻印されたものであり、その効力は対象の隷属。勿論そこまで対象に奉仕心を植え付けるというような強い暗示を掛けるのではなく、単純に主人の命令に逆らえなくなる代物である。

 ラシーダはこれを翔吾の監視もとい、保険として運用した。翔吾がニーベルゲンへの害意を隠したままである可能性もある。他にも理由がちらほらあるらしいが、ともかく。物騒な名前であるがその名の通りの扱いは決してしない。大丈夫と此方が判断したら、すぐにこの首輪の術式を破棄する。そうラシーダは強調し、翔吾もまたそれを了承した。


 お互いの為に必要だった。その通りだ。手っ取り早く信用し合う為に、リスクは承知で二人は歩みよった。


 家族である真昼が気持ちのいいものではない。それは恐らく、奴隷という響きを指しているのだろう。


 首輪を外して縁を結ぶ。あれはそのまま、首輪を破棄して正式に助手として雇ってくれる気があるという事。


 彼だからああなってしまった。は……。血のせい。その筈だ。



 他意などない。ないのだが、この場では火に注ぐ油だった。

 事実、真昼の顔はどんどん怒りで土気色に。目なんかもう大変な事に……。


「……ん?」


 そこで翔吾は、異変に気がついた。ラシーダは当然ながら、頭に血が昇っているか、もしくは回っていないであろう真昼はまだ気づいていない。論戦は今だに続いていた。もっとも、真昼が握っていた包丁は、今はラシーダに向けられていた。


「……兄さんを、返してもらいます。無理なら……貴女を……!」

「……真昼ちゃん、落ち着いて。その刃物を下ろして。私は現段階で、貴女や翔吾を傷付ける気はないわ。それだけは……!」

「関係ない……。関係ないんですよ! いきなり変なことした貴女は信用できません。異世界でしたか? 魔法もあるんでしょう? 貴女が兄さんに何かしたに決まってます! 貴女が兄さんに誘惑された何て……」


 信じてたまるものですか……! そう言って、真昼は覚束ない足取りでラシーダの方へ一歩踏み出す。ラシーダの目には迷いが見えた。真昼を御すことは、今の彼女ならば造作もない事だろう。だが、彼女自身も現在酷く混乱しているようだ。


 入れる筈のな世界に入ってきた、二人目の人間。

 しかもその人物は、最近自分が雇った……もとい奴隷にした男の家族。

 更には敵意剥き出し。

 彼女がどう応対したらいいものか決めあぐねるのも無理はない。

 故にラシーダは翔吾の方に視線を少しだけ向ける。翔吾はまるでそれを予想していたかのように小さく頷いた。目で合図しあうような二人に、真昼の目元がつり上がるのが見えた。が、翔吾は今それに関しては無視した。それよりも優先すべき事があるのだ。


「……兄さん、何のマネですか?」


 低い声で、真昼が唸る。


「……見ての通りだ。妹が何か凶行犯しそうだからな。身を持って止めてるなう」


 茶化すように。お兄ちゃんスマイルを浮かべながら、翔吾は真昼とラシーダの間に割って入った。背をラシーダに。顔を真昼に。義妹から見たら、ラシーダを守っているように見えるだろうか。だが、今翔吾はこうする以外に自分がしたいことはない。

 真昼から目を背けない。そう自分の中で確立した想いは、翔吾に迷いを抱かせず、ただ行動に移させた。


「……包丁。下ろせ。真昼」

「……嫌です。その泥棒猫を排除します」

「落ち着けよ。お前らしくない。今そんなことしたって、良くならないのは分かるだろ? ビンタとかパンチとか投げ飛ばしならいいから」

「え? ちょっ……」

「あ、すまん。ラシーダ違う。受けるのは俺。言葉が足りなかった」


 後ろでちょっとだけ狼狽したラシーダに肩を竦めながら、翔吾は再び義妹を見る。

 髪は。普段は美しい髪が、少しだけ乱れている。

 目も、澱んでいるように見えたが、それは違う。彼女の目元には、くっきりと。(くま)が出来ていた。

 顔色も悪く、立っているのもやっとだろう。この状態で、ラシーダに強気の態度を貫いていたのだ。


「真昼。お前……何日寝てない?」

「……別に。三日寝ないくらいじゃ人は死にません」


 その返事に、ラシーダが息を飲む。翔吾はというと、やはりか。と言うかのように、静かに渋面を見せた。

 真昼の小柄な身体は、明らかに疲労のピークを迎えていた。

 何故こうなったのか。それについての心当たりが、翔吾には有りすぎた。故に、翔吾は静かに歩みを進めた。


「……包丁、ありますよ?」

「知るか。むしろ刺されてもいいよ。……今はな」


 近寄る翔吾に、真昼は刃を向けたまま。その刃に手をかけ、翔吾は包丁を義妹から没収する。手の皮が破れ、血が滲むが知ったことではなかった。真昼に比べたら、この程度の痛みは軽かった。

 打ち捨てられた包丁など目も暮れず、真昼は翔吾を見つめていた。その視線が、チクチクと翔吾の心を刺していく。


「……心配、しました」

「……だよな」

「眠れる訳ないじゃないですか」

「……うん」

「あの映像見て……兄さん私なんか忘れちゃったの? って」

「……わりと極限だったり。エンジョイしたり……ああ、ダメだな。万死に値するわ俺」

「で、やっとこせ来たら何ですかあの反応。鬼にでも遭遇したみたいな」

「……気づかなかったのもあるが……マジで怖かった」

「……かけよって来てくれると思ってたのに。あんな顔されたら八つ当たりしたくなります」

「……ああ」


 徐々に視線を下げ、震えながら俯いてしまう真昼。

 一人でも、気丈に振る舞っていたのだろう。

 翔吾とは二人暮らし。突然兄が消えた彼女の心中は、どれ程乱れた事だろう。

 それを危惧したからこそ、あの石板と対峙した時、迷ったのではなかったか。なのに……。

 翔吾を今支配するのは、自責の念ただ一つ。それは真綿で閉めるかのように、翔吾の一番痛い場所を的確に締め付けていた。


「……ごめん。ごめん。真昼」


 口から出たのは謝罪の言葉。今更ながら駆け寄りたいが、果たして自分にそれが許されるのか。

 すると、迷う翔吾を見透かしたのだろうか。真昼は再び顔を上げ、静かに微笑んで。


「……兄さんのごめん。私は後何回聞けばいいんでしょうね? まぁ、いいで……す……。こうして……また会えたから」

「ま、真昼!?」


 輪を掛けて顔色を悪くした真昼に、翔吾は慌てて手を差し伸べかけ……それを制された。他ならぬ真昼の手で。

 その様は話はまだ終わってません。といいたげだった。


「起きたら……文句言います。お仕置きもします。説明も求めます。……だから、これだけは言わせて下さい」


 拒否は許さないという真昼の目。それを真っ直ぐ見据えながら、翔吾は何度も頷いた。出来るならすぐにでも眠らせたい。だが、こうなった真昼は頑固だという事を、翔吾は誰よりも分かっていた。

 そして……。言葉は紡がれる。

 八神翔吾を糾弾する、優しくも残酷で。だが、自業自得と受け入れざるを得ない言葉が。


「兄さん……ご無事でよかった……。本当に……よかっ……」


 それだけ告げて。八神真昼はここに来て初めての安堵の表情を見せ。そのまま、糸が切れかたのように崩れ落ちた。

 間一髪その身体が地面に叩きつけられる前に、翔吾は半ば条件反射で身体を滑り込ませ、真昼を抱き止める。すると真昼は母にすがり付く赤子のように、翔吾に身を預け……。やがて、静かに寝息を立て始める。

 ホッと一息つき、翔吾はその寝顔を、ただ噛み締めるように見つめていた。意識を手放した義妹の身体は……。一つしか歳は変わらないのに、震えたくなる程に軽かった。


「……ああ、クソ」


 真昼に負担をかけぬよう、翔吾は静かに腰を下ろす。義妹を抱き止めたまま、涙を堪えて。自分には泣くのは許されないとわかるから。今はただ、真昼がぐっすり眠れるように寄り添う事しか出来なかった。

 今は穏やかな真昼の目尻に、光る滴があふれている。それは殴られるよりも、罵られるよりも。翔吾をこれ以上ない形で痛め付けた。


 起きたら……、全部受け入れよう。フライパン位は飛んでくるのを覚悟して。

 そして、真昼に説明して。それから……。


「ベットに、寝かせてあげましょう。起きたらシャワーも浴びてもらって。服は私が着替えさせるから」

「……すまん」


 背後からのラシーダの声。何処と無く遠慮が見られる声色に、翔吾は心の中で頭を下げた。と、同時に、少し気になる事を問かけた。


「真昼にもやっぱり……。首輪はつけるのか?」


 沈黙が流れる。それを肯定ととるか翔吾が迷っていると、呆れたようなため息がすぐ横から聞こえて来た。気がつくと、ラシーダもまた、翔吾の隣にしゃがみこみ、まるで眩しいものでも見るかのように、真昼の寝顔を見つめていた。


「生憎、奴隷(スレイブ)(リング)は一つしか持ってないの。まぁ、あったとしても着けないでしょうね。……きっと必要ないわ」


 この子には、翔吾がいるから。そう小さく呟きながら、ラシーダは僅かに微笑んだ。

 その答えが意外すぎて、翔吾は目を丸くする。


「俺?」

「短時間で分かったわよ。お互いどれだけかけがえのない存在なのか。二人で一つなら、二人共監視する必要ないわ。それだけ」

「……ボス、優しすぎるぜ」

「……ボスとか姫とか忙しいわね貴方も」


 呆れ顔で翔吾の感激の視線から逃れながら、ラシーダはそそくさと立ち上がる。


「あ、家事、今日は俺が当番……」

「いいわよ。それくらい私がやるわ。翔吾は、傍に居てあげて。それが……家族でしょう?」


 そう言い残して、ラシーダは優雅に屋敷へと戻っていく。

 ドラグハート。竜の心臓を家名にもつ一族の、最後の生き残りの少女。その後ろ姿を、翔吾は黙って見つめていた。

 美しく凛々しいかった。だが何故だろうか。一瞬だけ。家族という言葉を語る彼女の笑みは……何故か寂しげに見えた。


 ※


 それは、とある丘に佇み、動向を見続けていた。傍らには、赤いアルマジロを思わせる背中のゴブリンを従えて。

 漆黒のローブを身に纏うそれは、男か女かも判断がつけがたい。喩えるなら影。それが一番相応だった。

 その指が動けば、ゴブリンは奇妙な踊りを披露する。影はそれを一瞥すらしなかったが。影が見つめるは、再会し、抱き締め合う兄妹と、その近くで二人を見守るドラグハートのお姫様のみ。


「役者は揃った」


 厳かに両手を広げながら、それは宣言する。

 内心でほくそ笑みながら。全て筋書き通りに事が進んでいる事に満足しつつ。


「後は姫が竜をあの場所に導く筈だ。それで封印は解ける。さすれば……」


 ローブを翻し、影はその場を離れる。滑るように飛行する影を、認識出来た者はいなかった。今まさに大空を旋回する、ドラゴン達すらも。


「魔竜王は復活し、ニーベルゲンは滅びるだろう」


 故に、空に残された、予言じみた言葉の意味も。問い質す者は何処にもいなかった。

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