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竜の餌の日常

 幻想とは、いかなるものだろうか?

 流星が降り注ぐ夜空の元で、八神(やがみ)翔吾(しょうご)は思案する。


 魔法の存在。見たことのないモンスター。勇者やお姫様。〝以前は〟所謂普通の高校生だった翔吾ならば、その辺の言葉を羅列するだろうか。

 この世に有り得ないモノ。幻と想像で骨組みされたそれらは、最近までは、ゲームやアニメ。漫画などのものであって、手の届かない筈のものだった。

 つい、この間までは。


『余計な事は考えないで。死にたいの?』

「嫌だね。絶対ごめんだ!」


 耳に付けた〝魔導中継機〟を介して、頭に直接響くように、女の声がする。それに叫びで返事をしながら、翔吾は〝自分の血に濡れた〟手を握り締める。

 滴る赤。それを追いかけるようにして――。


「ルォオオォオオオオァアア!」


 身が竦み上がるような咆哮を上げながら、翔吾の背後より、幻想が迫る。


 巨大かつ強靭な肉体を覆う鱗は、深紅の輝きを放つ。

 爬虫類然とした顔の裂けた口には、鋭い牙がびっしりと並び、呼吸する度にその息の高温が災いしてか、 周囲に陽炎を燻らせている。

 蝙蝠のそれに形状の似た、禍々しい両翼。

 天を穿つようにして生えた、二本の立派な角。

 地を打ち据え、亀裂を走らせる巨大な尾は、今や虚空に波打ち、風切る音を立てながら、時折地面を擦る。

 身体中のパーツというパーツが、完成された凶悪さと、 隠しきれぬ神々しさを。そして何よりも、暴力的なまでの餓えと殺意を放っていた。


 幻想の頂点にして、最大の捕食者――、ドラゴンだ。


「おい! 速すぎる! こいつドラゴンの中では鈍い方じゃなかったのか!?」

『〝ドラゴンの中では〟よ。急いで回避!』

「簡単にぃい! 言うなこの野郎!」


 悪態をつきながらポケットに手を突っ込むと、翔吾は己の武器を取り出す。

 鶏の卵大の大きさ。手榴弾を思わせるそれが、翔吾の手の中で軋みを上げた。


 〝魔導手榴弾〟


 マジックボムやスペルナパームなど、色々な呼び名があるらしいが、今はどうでもいい。

 背後のプレッシャーに身を刺されながらも、翔吾はそれの安全ピンを指で外す。

 機械的な起動音を鳴らしながら、魔導手榴弾が小さな魔法陣を形成する。それを確認するや否や、翔吾はすかさずそれを足元に叩き付けた。

弾けるような炸裂音。

 その瞬間、爆心地から、暴風が巻き起こる。


「――っ!」


 舌を噛まぬよう歯を食い縛りながら、翔吾はそれに乗るようにして、一時的に加速する。

 ガキン! と、つい先程まで翔吾がいた場所で牙が打ち鳴らされるような音がした。


「あ、あぶ……ねぇい!?」


 風の魔導手榴弾による急加速。それにより、喰い千切られる危機から脱した翔吾だったが、すぐさま次の脅威が身に迫る。

 後方に置き去りにして来たドラゴンの口が大きく開き、喉奥から目映い閃光が煌めいて――。


「おぁああぁあ!」


 慌てて横っ飛びを二、三度繰り返す。最後は不様に顔面から地面にスライディングするが、それで済んだのは幸運だったのだろう。

 次の瞬間、転がり込んだすぐ横を猛烈に熱い風が吹き抜けた。


「――ぐっ」


 茹だるような熱気と、地面の焦げる匂い。

 唐突に噴き出した冷や汗を拭う暇はなかった。素早く顔を上げた翔吾が見たのは、その巨体にそぐわない速さで、此方へ肉薄する、ドラゴンの姿だった。


「う……わぁあああぁあ!?」


 慌てて翔吾は、その場から離脱する。飛び、転がりながら、必死で安全圏内へ。ダンプカーを思わせる突進は、またしても翔吾のすぐそばを通過した。

 工事現場にでも来たかのような大音量がして、翔吾はその場に尻餅をつく。遅れて、高速飛来した超質量によって起きた風が、翔吾の頬を撫でた。


「ひ、……ヒヒッ」


 表情を作る筋肉が、麻痺したようだ。最早笑うしかない。

 ついさっきまでまっさらな平地そのものだった場所は、今や焼け焦げ、抉れ、盛り上がり、殆ど別世界に変貌していた。

 このたった数秒の間にだ。

 怖れ、戦く翔吾とは対照的に、ドラゴンは変わらぬ様子で、首をもたげる。

 どこまでも高圧的に。まるで鬱陶しい羽虫でも相手どるかのように、その動作の節々には余裕が滲んでいた。

 噛み砕かれ、引き潰された土が、その身体からパラパラと地に落ちる。


「……一瞬だけ、走馬灯見たよ」

『見終わってないなら大丈夫よ』


 見も蓋もない言葉には反応せず、翔吾は唾を飲み、カラカラに乾いた喉を湿らせる。


「あとどれくらい?」

『丁度一分』


 長い。

 皮肉でも何でもなく、翔吾は本気でそう思った。

 それだけの時間があれば、このドラゴンはどれだけの事が出来るだろうか?


 自ら切り裂いた傷口から、絶えず血が流れていく。

 痛みにはもう慣れた。ドラゴンとの攻防を想定する過程で、翔吾は幾度も自らを傷付け、治しを繰り返していた。

 翔吾の血は、ドラゴンからすればとてつもなく美味しそうな、極上の餌……らしい。 

 半ば諦めたかのように、翔吾は懐からナイフを取り出す。

 最初に斬りつけた傷とは別に、追加で己の手を切る。掌から生暖かいものが滴り落ちると、目の前にいたドラゴンは、ますます興奮したかのように鼻息を荒げた。


「ルゥ……グゥルォウフ……」


 うなり声を上げる度、ドラゴンの鼻から火花と煙が立ち上る。最早こうなれば、ドラゴンは地の果てまで追ってくることだろう。

 ただひたすらに、翔吾の血を。肉を求めて。

 勿論、そうでなければ困るのだ。

 今一度言うが、翔吾はドラゴンを誘き寄せる餌なのである。

 血染めの掌を、ゆっくりとドラゴンに見せびらかす。

 誘うように。手招きするようにして、翔吾はドラゴンを挑発する。


「そら、おやつの時間だ」


 大口を開け、唾液を撒き散らし、ドラゴンは再び突進してきた。

 極上のご馳走を目の当たりにしたかのような反応に、翔吾の背中が寒くなる。


「がっつくなよ」


 悪態など通じないと知りながら、翔吾は再びポケットに手を伸ばす。

 再び同じ形状の魔導手榴弾。

 翔吾はそれを手に持ったまま、彼もまた、全力でドラゴンに突進する。無謀すぎる一手。だが、翔吾とて、無策でドラゴンに挑む訳ではない。

 餌たる己の身体と、とある有力者より預かった、各種手榴弾。そして――。


『〝命令〟よ。翔吾! 必ずやドラゴンの捕獲を!』

了解(イエス)! (マイ)姫君(プリンシア)!」


 主たる女からの言葉に呼応するかのように、翔吾に取り付けられた魔法具(マジックアイテム)騎士印章(ナイト・オブ・シンボル)が熱を帯びる。まるで心臓のようにそれが脈動する瞬間、翔吾の全身に力がみなぎる。


「おおおおおおおおぉお!」


 全力疾走からの、限界を超えた加速。騎士印章(ナイト・オブ・シンボル)による、主人の加護を受け、翔吾の肉体は常人を超えた運動能力と、耐久力。持久力が付加される。更に、主人からの〝命令〟を鍵として、翔吾はこの場でいかにして主の命令を遂行するべくか。その最適な思考力が巡り巡る。

 所謂、餌としての本領だ。


「らぁああ!」


 翔吾とドラゴン。互いに激突は必死の状況において、翔吾は跳躍する。浮遊による減速と、方向転換の放棄。正面からのぶつかり合いにおいて、まさに自殺に等しい行動が、今まさに翔吾が弾き出した、最適な行動だった。

 そもそも、生身でドラゴンとぶつかり合おうなど、翔吾は最初から考えてはいない。

 手持ちの魔導手榴弾は、ドラゴンを殺傷する程までには至らないのである。

 精々、蚊がぶつかった程度のダメージしか与えられない事だろう。

 故に翔吾は、強化されたその力を。思考を、全力で逃走に注ぎ込む。

 吠えるようにして、手に握った魔導手榴弾を片手で起動する。

 今度は地面に叩きつけず、身体の下へ潜り込ませるようにして、手に持ったまま。

 刹那。再びの暴風が、翔吾の身体を真上に突き上げた。


「ルォオオォ!?」


 驚いたのは、ドラゴンの方だ。加速する餌。だが、このような動きは予想すらしていなかったらしい。

 よもや地を這う虫が、空を飛ぶとは思わなかったのだろう。


「あぐ……いっぎぃい……!」


 最も、今回ばかりは翔吾自信も無事では済まなかったらしい。ギリギリ回避が間に合わなかったのか、ドラゴンの鼻先が、片足を掠めていた。

 ほんの少しの接触。だが、それだけで、翔吾の脚は使い物にならなくなった。

 火傷混じりのダメージは、ジクジクと翔吾の精神を蝕んでいく。本来は、ただの一般人。だが、それを誤魔化しに誤魔化して、翔吾はこの場にやってきた。


 翔吾とて、伊達や酔狂で餌になっている訳ではない。やむにやまれぬ事情があるのだ。


 それは、とある呪いで倒れた妹の為に。

 ひょんなことから騎士として仕える事になった、己の主の為に。

 他にも贖罪やら、その他色々な目的で、翔吾は己を武装する。

 だが、それは目の前の巨大すぎる存在と対峙した時、何と脆く崩れる事か。


「あ……ぐ……」


 空高く飛び上がった反動により、降りかかる自由落下の重力が傷付いた翔吾を蹂躙する。思わず出た涙で滲む視界の中で、翔吾は己の獲物を見る。


 ドラゴンは、笑っていた。


「あ……」


 時間が停止した。そんな錯覚を得る。


 絶対的な威圧感がそこにはあった。

 さっきの驚いたような様子は、最早完全に成りを潜め、落ちてくる翔吾を噛み、飲み下そうと口を開けるその姿。

 野蛮で、原始的なまでの貪欲さは、死を与えんとする眼光をもって、無慈悲にも翔吾へ向けられる。

 だが、不思議かな。翔吾はその荒々しいサファイアの瞳に、吸い込まれるような誇り高さと、美しさを見た。


 それは、頂点にいるものだけが持つ光だった。その爪で、牙で、肉体で。生を勝ち取ってきた者しか持ち得ない、野性の王者の目。それに挑み捕らえんとする自分の小ささよ。

 何だこれはと笑いたくなる。


「おお……! おおおお!!」


 死の狭間で、翔吾は義妹の姿を思い出す。

 呪いに倒れた義妹。

 救うために挑むのは、幻想の頂点に君臨するドラゴン――。その中でも更に強大な、原初の王者達だ。


 ここで、〝雑兵〟相手に足踏みしている暇はない。


 血染めの片手に風の魔導手榴弾。

 もう片方の手には、別の形状の魔導手榴弾。

 それを起動するより早く、死んでたまるか。死なせてたまるかという感情が、翔吾の中で爆発する。


 猶予はない。そろそろドラゴンは、翔吾の急加速にも、目が慣れてきたことだろう。

 最強の捕食者を、甘く見るな。

 己の主の言葉だ。


「くらえ!」


 故に翔吾は、容赦なく。その目を潰す。

 閃光の魔導手榴弾。その役割はその名の通り。目眩まし。

 光の爆発が、ドラゴンの視界を奪い、その口から怒りに満ち満ちた唸り声が上がる。

 一瞬の隙。喰うか喰われるかの世界において、その刹那は致命的だ。


 ――いける……!


 翔吾は、己の勝利を確信する。

 目が見えないうちに、風の魔導手榴弾で、今度は背後に。奴が振り向けば、そこで再び目眩ましすればいい。

。あの巨体だ。仮に飛んで来たとしても、トップスピードまで達するには、それなりの時間を有する筈だ。

 先の戦術を組み立て、翔吾は囮の必勝を噛み締める。翔吾の肩の力が僅かに緩んだ。


 それが命取りだった。


 次の瞬間。翔吾の目と鼻の先で、ドラゴンが大口を開けていた。


「……はい?」


 思わず間抜けな声が上がる。

 ついさっきまで地上にいたドラゴンが、いきなり翔吾が浮遊する位置まで肉薄していた。

 地上からの距離にして、およそ二十メートル。ドラゴンの大きさが八メートル程と考えると、驚異的な加速である。

 いや、果たしてそれは、加速というべきものだったのだろうか?

 最早瞬間移動としか思えぬ機動に、翔吾の思考は混乱する。


「や……べ」


 慌てて魔導手榴弾を握り締める。上に行くか。下に行くか。

 パニックを起こしかけた頭で、何とか思考を巡らせるが、ドラゴンがそんなものを許す筈もなく。

 大きく開けられた口が、翔吾を丸飲みにせんと迫る。

 熱い吐息が顔に当てられ、そして――。


「上出来よ。(ドラゴン)(ベイト)


 不意に空から、赤い閃光が迸る。雷鳴に似た爆音が轟き、何本もの稲妻が、ドラゴンの身体を撃ち抜いていた。

 断末魔に近い叫びを上げようとしたドラゴンは、その口すらも雷に打たれ、よろめきながら墜落していく。


「……一分?」

「貴方があまりにも哀れな叫びを上げるから、急ピッチで術式を仕上げたのよ」


 一応、御主人様だしね。と、付け足しながら、自由落下する翔吾のすぐそばを、異形の女が並走する。

 雪のように白い肌には、一部鱗のようなものが浮かびあがっている。ウェーブのかかった、目も眩むような金髪のロングヘア。ドラゴンのものに似た、サファイアのような蒼い瞳は、細い瞳孔もあいまって獰猛な獣のようにギラギラとした輝きを放っていた。

 そして……。


「さっきのって、いつぞやの〝剣〟か?」


 翔吾の呟き応えるかのように、主たる女――、ラシーダ・ドラグハートは微笑んだ。

 何よりも目を引くのは、その華奢な背中に生えた、禍々しい翼。それは、見間違うことなく、ドラゴンの両翼だった。

 幾度か見た、ラシーダの不思議な力だったが、今もこうして見ると、ただただ圧倒された。


「ええ。もっとも、出力は抑えている上に、〝剣〟なしでも放てるから、対ドラゴン鎮圧用の魔法と言い換えた方がいいかも。変に力を抑えちゃうから発動に時間が掛かるのと、普通にやろうとしたらドラゴンに気づかれちゃうが難点ね。何はともあれ……お疲れさま。後は私に任せて休んでなさい」


 翔吾の手に、着地用の魔導手榴弾を押し付けて、ラシーダは眼下を見下ろした。

 地面に叩きつけられた手負いのドラゴンは、うなり声を上げながら、こちらを睨んでいる。

 そこにラシーダは、躊躇することなく突進した。

 大小の違う、二匹のドラゴンがぶつかり合う。その光景を、着地用の爆弾を起動することすら忘れて、翔吾は魅入っていた。


 それはまさに、神話の再現と体感。竜に立ち向かう、竜の因子を含んだ英雄と、その従者の構図が出来上がっていた。


 勿論、正確にはそれは間違いだ。

 ラシーダは英雄なんてものではないし、翔吾は従者とは言えども、高位なものではない。

 結局。二人の関係を一言で表すなら……。やはりどこぞの有力者が呟いたように、釣竿とルアーが適切なのだろう。


 訳の分からない魔法で、ドラゴンを拘束するラシーダを眺めながら、翔吾はため息をつく。自分が苦労した相手をああも簡単に御する辺り、異世界人は歪みない。

 そんな微妙な心情に苛まれつつ、翔吾は手榴弾を起動する。

 巨大なクッションが出現し、落下スピードを殺しながら、それは死のダイブを続けていた翔吾を救済する。

 もはや何でもありだ。

 仰向けになって夜空を仰ぎながら、翔吾は自嘲するように笑う。口の中に残る、シャリシャリとした土の感触と、身体中に残る焼けるような痛みだけが、生きている証だった。


「……無事?」


 すぐそばに誰かが腰掛けた。ふんわりとしたクッションとはまた別の、柔らかな指が、翔吾の頬をつつく。


「ドラゴンは?」

「捕獲したわ。〝ヴァーヴァリアン・クリムゾン種。炎の魔法に特に耐性のある鱗を持つドラゴン。防具の素材として乱獲され、数を減らしていたの。レア度としては……Cといったところかしら? 貴方が引き付けてくれたお陰ね。怪我一つしないで捕らえたなんて、夢みたいよ」


 無表情のまま、だが、確かに喜びに打ち震えながら、ラシーダは髪をかきあげる。甘やかな香りが、翔吾の鼻を擽った。

「俺はいい具合にボロボロだがな」という言葉を翔吾は飲み込んだ。勝利の美酒をわざわざ不味くする必要もないだろう。


「どうだったかしら? 一応、ドラゴンとまともな戦闘したのは、初めてでしょう?」


 唐突に来た質問を、翔吾はいたって真面目に考える。

 非常識だ。出鱈目だ。死ぬかと思った。

 色々と思うことはあるが、こうやってドラゴンと対峙する羽目になったのは、少なからず自分にも責任がある訳で。故に、翔吾はそういった感情は排除した。そして――。


「やっぱり、綺麗……だった」


 翔吾の言葉に、ラシーダは目を丸くする。

 竜変化(ドラゴン・シフト)が解け、肌や瞳孔が、人間のそれに戻っていく。驚いた顔は、普段の大人びたクールな印象からかけ離れ、年相応の少女のそれだった。

 それに思わず見とれそうになり、翔吾は慌てて先程まで対峙した相手の方へ目を向けた。

 地面に描かれた大きな魔方陣。その上で、ドラゴンは身を丸め、静かに微睡んでいた。

 眠り、力を封じられた今でさえ、その存在感は圧倒的で。

 それはまさに命の輝き。それも、原初からある、野蛮で暴力的で純粋な力の象徴だった。

 馬鹿のように夢見ていたドラゴンとの邂逅これが初めてではない。それでも命のやり取りの最中ですら、恐怖や畏怖の他に、翔吾に隠しきれない興奮をもたらしていたのである。


 呆けたようにただひたすらドラゴンを見つめ続ける翔吾の元に、小さな皮製の袋が投げ込まれる。

 中身はラシーダの特注の回復薬(ポーション)、ドラグーン・エリクシル。塗るもよし、飲むもよし。普通の怪我から日頃の疲れにまで効いてしまう、万能薬だった。


竜変化(ドラゴン・シフト)をそこそこ全力で使ったから、今の私は限りなくドラゴンに近いの。だから、さっさとつけて頂戴。さもないと……」


 悪戯っぽく、妖艶に微笑みながらラシーダはチロリと小さく舌舐めずりし――。


「いつかの夜みたいに……食べちゃうわよ?」


 ゾワリと。またしても背筋が寒くなるのを感じながら、翔吾はぎこちない手つきで傷口にポーションを塗布していく。

 笑えない冗談を聞き流しながら、翔吾は静かに呟いた。


「まずは、一匹か……」

「ええ。ローラン山の怪物の討伐。及び捕獲の依頼(クエスト)。何とか完遂ね」


 出会ったのはそこそこ前。正式に主と従者の契約を交わしたのは、つい二週間前。姫君と騎士。もとい、釣竿とルアーは、今日もドラゴンを求めて奔走する。


「まだ一匹……よ。私の故郷、〝人工世界・ニーベルゲン〟を再建するためにも」

「〝真昼〟を助けるためにも」


 まだまだやるべき事はたくさんある。

 それを確認しあい、二人は同時に仰向けでクッションに身を横たえる。

 視界一杯には、満天の星空。時折誰かの涙のように、星が流れ、落ちていく。その光景は、息を飲む程美しかった。


「……異世界。やっぱり歪みねぇな」


 再び素直な感想を漏らしながら、翔吾は静かに目を閉じた。

 心地よい疲労感に身を委ねながら、翔吾は眠りの世界へ落ちていく。

 考えるべき難しい事はたくさんある。だが、今は置いておく。翔吾に現在必要なのは、速やかな休息だった。


「おやすみなさい。奴隷で、餌な……私の騎士様」


 最後に耳にした照れの混じった台詞に、応じる気力は起きなかった。

 餌であろうと、奴隷であろうと、騎士であろうと。結局翔吾がやることは変わらないのだ。

 (ドラゴン)(ベイト)、八神翔吾。その日常はまさに食うか食われるかの、弱肉強食を体現していた。


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