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椿と放火事件  作者: 幕滝
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八.捕まえる。

家を出て三十分後。椿は、犯人に推理を披露する。

 それから約三十分後。思ったより早く彼は出てきた。わたしの読み通り、裏の勝手口から。最初は警戒するようにドアを横にゆっくりと開き、人が出ることができる隙間まで開いたら、今度は素早く抜けるように這い出してきた。手には何かが入っているのだろう黒い袋。

 ここは檜垣家の後ろにあたる人一人がやっと通れる程の細い路地だ。片方は檜垣家の壁、もう片方は塀。塀の向こうは他人の家が建っている。

 わたしはわざとザッ、と小石を踏み鳴らして彼の注意を引く。こっちを振り向いた彼の顔は驚きに満ちていた。

 先に口を開いたのはわたしだった。

「もう逃げれませんよ。もちろん、今、わたしからだけではないです。この場をエスケープすることはできるかもしれませんが、いずれ捕まります。諦めるのが賢明ですよ」

 人差し指を立てながらそう言う。いざとなればこの間合いから、充分に檜垣家の前の道路まで逃げることができるけれど、わたしは自分でも驚くくらい余裕を保っていた。彼がまだ何も発しないのを見て、わたしはさらに言う。

「あなたは、ここ数日の間に起きたアパートの火災、坂月三中のぼやの犯人。そうでしょう、根岡先生?」

「ああ、そうだね。じゃあ、君はどこまで知っているのかな?」

 わたしの言葉に彼がやっと口を開いた。物腰が柔らかな口調はそのままだが、顔は無理矢理に笑顔を作っている。

「知りませんけど、わかってます」

「じゃあ、言ってみせて。わかっていること全部」

 彼は何も持っていないほうの手をポケットに突っ込んでそう言った。そう言われたのなら、言ってあげるべきだ。

「あなたはアパートのとある一室に侵入し、火を点けた。これは聞いた話なんですけどね、どうやらその部屋は荒らされた形跡があったそうなんです。この形跡を見て警察の方達はやりすぎたただの空き巣だと判断したらしいですけど、これは違いますよね。あなたは部屋に侵入し、部屋を荒らして火を点けただけであって、ほとんど何も盗ってないんです。あなたの目的の物は。あなたはあなたの目的の物を探すことができなかった。もしかするとなかったのかもしれない。それとも自分が見つけることができないだけで、その部屋にあるのかもしれない。二択ですよね。そのための保険として、あなたは部屋を燃やしてしまうことにした。なんたってあなたの目的はどんな手段を使ってでも、目的の物を処分することなんですから。火を使えば、この部屋にあるのなら確実に処分することができます。まあ、窃盗より放火のほうがほとんどの場合、よっぽど罪が重いんですけど」

 彼は表情ひとつ変えない。

「おやおや、まるで見ていたような言い方だ」

「見てたらわたし、既に焼け死んでます」

「確かにそうだ」

 軽く冗談を交ぜつつ、続ける。

「部屋に火を点けたけど、そこまでは良かった。目的の物が処分できたかの確認は除いて、ですよ。火が燃え始める前に部屋を出たあなたは――おそらくドアから出たんじゃないですか。部屋は二階ですけどアパートの裏の窓から出ることはできます。ですが、何も起きてないのを装うのならば、普通に出たほうがいいですし。ここと違って路地なんてありませんから、あのアパート」

 そして端の部屋でもないから、部屋の横部分に窓がついているわけでもない。

「確認はしたでしょうけど、やはり部屋を出るときに恐いのは目撃者。あなたにとって幸運なことにあのアパートに入居者は少なかったので、誰にも見られることなく逃げることができたと思った。できたと思ったけれど……加賀屋蓮さん。彼に見られたと思った」

 わたしは声を少し低くして、

「『聞くところによると、どうやら加賀屋蓮という生徒が自分がやったアパートの火災の第一発見者にして通報者らしい。あのボロアパートは全焼すると思っていたのに、消防の動きはかなり早かった。もしかすると、自分は気づかなかったが、部屋を出てすぐあとの自分を加賀屋蓮が目撃したのかもしれない。これは訊くしかない』」

「それ、僕か? 似てないぞ、全然」

「そして加賀屋さんに聞いたけど、どうやら彼はあなたのことを目撃していなかったらしい。……それで終わればいいものの、あなたはさらにもうひとつ、思いついた」

 根岡先生は、さっきから少しずつじりじりとわたしに歩み寄ってきている。わたしも彼が近づくぶんだけ間をとる。いつでも逃げることができるように。

「『そうだ、加賀屋蓮を犯人役に仕立て上げよう。加賀屋蓮に関係する放火がふたつも起きれば、警察は加賀屋蓮を疑うに違いない』。それであなたが起こした事件が坂月三中のぼやですね。足跡をつくって、加賀屋さんがやったように見せかけた。その証拠にあなたはそのぼやの通報を次の日まで後回しをした。雨が降ったのがぼやを起こした日の午前中。下手に人が集まって足跡が消えたりしたら意味がないですからね。ぼやの存在を次の日までに隠すためにはあなたが通報の権利を握ることができるようにしないといけない。自分が駆けつけるタイミングは生徒の後が最もベスト。そして偶然、ぼやをとある生徒が最初に発見、消火した。今は加賀屋さんがいないから言いますけど、その生徒、わたしの兄です」

「…………」

 彼は何も言わない。黙ってわたしが続きを語るのを待っている。

「あ、ちなみに、あなたがどうやって犯行に及んだか、ですけど、言う必要があるでしょうか」

 彼は何も言わない。まあ、言っておこう。

「ぼや現場は校舎の窓から死角になっています。渡り廊下からでないと見ることができません。グラウンドはびちょびちょで運動部は活動していませんし。……まず、あなたは往復分の足跡をつける。ここで一度学校の外に出て、外からフェンスを登って体育倉庫の近くに降りる。そしてあらかじめ体育倉庫から取り出しておいたスポーツ用具に――あなた、体育担当ですから簡単でしょう? ――火をつけ、すぐに同じルートを通って外に出る。これなら足跡をほんの少しつけるだけで済みます。……全く、学校のセキュリティーの甘さには呆れますよね」

 わたしはあらためて根岡先生を見据える。

「どうですか? 合ってます? 今のこの状況も、動機もわかっています。話しましょうか――」

 そう言い切るか否かの刹那、根岡先生が何の前触れもなく地面の砂を蹴り、わたしに向かってスタートダッシュを決めた。彼の手には何かが入った黒い袋以外何もないが、捕まったらどうなるかわからない。わたしは身を翻して、走り出す。家の角を曲がり、檜垣家と隣家の間に出る。ここはさらに細い。腕を振るだけですこしこぶしがすれた。痛いけれどかまってられない。わたしが曲がったすぐあとで根岡先生が角を曲がった音が聞こえた。わたしは兄ほど足が速くない。間合いがなければすぐに捕まっていたに違いない。上から下に通る雨どいの横を抜けて、駐車スペースに駐められている乗用車の横を通って、やっとのことで道路に出た。暗い赤と紫に染まった空は路地よりかは少し明るかったが、既に電灯に光が灯っていた。

「あ……!」

 しかし、ちょうど道路に出たとき、わたしの肩に根岡先生の指先が触れたのを感じた。掴まれる――と思って振り向いた次の瞬間、根岡先生は――宙を舞って、地面に落ちた。時間差で黒い袋が落ちる。もちろん彼は自分からそうしたわけではない。投げ飛ばされたのだ。

「馬鹿かよ。こんな賢い娘が一人で放火犯と対峙するかっての」

 根岡先生を投げ飛ばした彼――千神刑事が手をパンパンと叩きながらそんなふうに毒づく。彼は檜垣家の乗用車の陰でわたしの後ろからやってくる根岡先生を待ち受けていたのだ。

 空中から地面に叩きつけられた根岡先生は何かを呻いているがとてもすぐには動けそうには見えなかった。

「ありがとうございます」

 わたしは彼に礼を述べた。

「大丈夫だったか、火嫌井さん!」

 はい、と松葉杖をつきながら駆け寄ってくる加賀屋さんに言う。

「加賀屋さんもお疲れ様でした。うまく行ったみたいで何よりですね」

 まあ、作戦成功といってもいいだろう。さて、と千神刑事がわたしを見た。

「ひぎなんとか。さっきの話の続きを話せ。これからの参考にしたいんでな」

 はい、と頷く。約束は守る。話そう。


 三十分前。

 わたしたちは外にいた。リビングから抜き足差し足でトイレに行くと見せかけて加賀屋さんと靴下のまま、靴を掴み、玄関のドアを静かに開けて外に出たのだ。片足しか使えない加賀屋さんと音を立てずに脱出するのは難しかった。

 外に出て開口一番、加賀屋さんはこう言った。

「火嫌井さん、ちょっと説明してくれないか。どうして、外に出たんだ? ウォーターがなんとかってのはどういう意味だったんだ?」

「獲物を逃さない為の策です。……ちょっと待ってください。後で質問に答えますんで」

 わたしは周りを見渡した。空は西側からだんだんと赤く染まりはじめており、その赤が家々の屋根をも染めていた。人はいない。……ように見えるけど。わたしは手でメガホンを作り、体をゆっくりと回しながら抑えた声で言う。

「もう出てきてもいいですよー」

 すると、近くの電柱の陰から一人の男性が現れた。中肉中背、いつも一人で行動していて、檜垣刑事が持っていたのと同じような金色の腕時計をつけていた人――千神刑事だ。

 彼は薄く笑って片手を挙げた。

「よお、蓮とひぎなんとかさん」

 わたしは口の前で人差し指を立てて(もちろんこれは例の癖ではない)、しっ、と小さく放つ。

「静かにしてください」

 千神刑事はこっちに歩み寄りながら言ってくる。その言葉遣いは前回会ったときよりもさらに乱暴だった。目つきも鋭い。

「はあ? 何言ってんだ。お前ら、たかが学生のくせに勝手に住居侵入しておいて、さらに俺に命令だと? 何の権利があるんだ」

「い、いや、おれたちは」

 わたしは必死に弁解する加賀屋さんを横目に、こぶしを揃えて千神刑事に突き出した。千神刑事はまるで今まで見たことがないぐらい奇妙なものを見たかのように眉をひそめる。

「そりゃ、何の真似だ」

「逮捕してもいいですよ」

「なっ、何言ってんだ、火嫌井さん!」

 加賀屋さんにも静かにしてほしいのだけど、この二人はそう言えば、ますます騒がしくなるタイプみたいなので、わたしは早急に言う。

「もっとも、たかが学生にわたしたちを捕まえる権利があるのかって話ですけどね」

 途端、千神刑事は苦虫を潰したような顔になる。加賀屋さんもわたしの言っていることがわからないみたいで、次の言葉が出ないみたいだ。

「だから、刑事でもないのに、刑事のふりはよくないです、ということですよ」

 口が悪い千神刑事は思ってたよりも案外あっさり引いた。

「バレてたのか。いつからだ?」

 と言って、首を横に数回振る。やられた、のジェスチャーだろうか。

「言いますから、少し静かにしてください。加賀屋さんもです」

 もう遅いかもしれないけど。

 千神刑事(といっても本当は刑事ではないのだけれど)は、しぶしぶ、といったように声の音量を下げた。

「で、いつからバレていた、ひぎなんとかさん」

 名前を覚えてもらうのはすでに諦めた。

「疑い始めたのは最初からですね。確信したのはさっきのことですが」

「そうか。俺もまだまだだったというわけか。……今は偽物でも、将来は刑事になるつもりだぜ、俺は。そういえば、まだ聞いてなかったな。どうやってこの家に入った? ……いや、違うな、勝手口は常に開けているから、入ろうと思えば入れる。……なぜ、この家に入った?」

「それは」

 時間はあまりないのだ。この人にも手伝ってもらわなければならない。わたしはポケットから鍵を取り出す。

「檜垣刑事に許可をもらったんですよ」

 短く言う。これだけで充分だと思ったし、実際、これだけで充分だった。千神刑事はわたしの手にある鍵をじっと睨んだあと、

「……そうか。信じてやる」

「そこで、です」

 わたしはごほんっと咳払いをする。

「千神刑事としては、この家の中に害虫がいるんですから、退治しないわけにはいかないでしょう?」

「害虫?」

 わたしは早口に話す。

「わたしにとっては獲物ですが、あなたにとっては――この家に檜垣刑事と住んでいるあなたにとっては、放っておいていい問題じゃないです。でしょう、檜垣さん?」

「む。刑事じゃないことだけではなく、親父の息子だと言うこともバレていたか」

 まあ、今はそんなこと、どうでもいい。横で加賀屋さんがあんぐりと口を開けているが、それも今はどうでもいい。説明は後回しだ。

 わたしはさっきまでいた檜垣家を手で示す。

「今、この家にはあなたの住んでいたアパートに火をつけた放火犯が潜んでいます。おそらく。こんな無駄話をしている間に逃げられた可能性もありますけど」

「潜んでいるって……」

 わたしは加賀屋さんに言う。

「メダルがたくさん乗っていた収納棚の引き出しの中にあったもの、覚えてます?」

「紙とメダルか」

 わたしはコクリと頷く。

「元々あの中には檜垣刑事が言っていたように手帳が入っていたんです。だけどわたしたちが来る前にこの家に侵入した泥棒によってそれは盗まれた。しかし泥棒はミスをした。ちょうどわたしたちがチャイムを鳴らしたときに泥棒はただの客だと思って、物色を続けた。まだこの家の住人が帰ってくるまで時間があることは調査済みだったでしょうから。しかし、思いもよらぬことがおきた。玄関で鍵が差し込まれる音が聞こえてきた。泥棒はさぞ慌てたことでしょう。まさかこんなに早く帰ってくるとは。調査ミスだった、と。慌てた彼は引き出しの物色をやめてひとまず隠れようとした。だけどそのときに収納棚の上にあったメダルのうちいくつかに手が当たり、それが倒れた。泥棒は急いでそれを片付けようとする。何をしているのか、幸運なことにまだ家主は入ってこない。それらを収納棚に戻したが、おや、台はあるのにメダルが足りない。どうしたものか、ああ、開けっ放しになっていた引き出しの中に落ちていたのか、というところでわたしたちが入ってきたんです。リビングのドアは玄関のすぐ近く。メダルを戻すのを諦め、引き出しを閉めて引き出しから盗んだ手帳を持って隠れた。その隠れた場所というのがリビングのキッチンです。リビングで隠れることができる場所はそこだけですし。泥棒としては賭けだったでしょうね」

 ここで大きく息を吐く。今年一番長く喋ったかもしれない。

「というわけで、わたしたちは仲良くウォータークローゼットに行く、と見せかけて外に出たので、泥棒はまだわたしと加賀屋さんが家の中にいると警戒して潜んでいるかもしれません。――あ、トイレを選んだ理由は、それが一番妥当かな、と思ったからです。他にいい場所が思いつきませんでしたので。……では、警戒を解いて出てきたところを捕まえましょう」

 二人が頷く。

「わかった」

「わたしが裏側を担当します。加賀屋さんは表を頼みます。千神刑事――もうこのさい、ずっと千神刑事でいいですよね――千神刑事は車の陰にでも隠れていてください。確か、柔道か合気道かの格闘技が強いんですよね」

「それほどでもないが、まあ、できるな」

 と言って千神刑事は片腕をぐるんと回す。

「これが終わった後で、どうして俺の正体がバレたのか、詳しく聞きたい。完全に興味本意だが、話してくれ」

「これが終わった後でですね。わかりました」

 そう言い、わたしは家と家の間の路地に足を向ける。しかし、ところでひとつ言い忘れたことがあったな、と振り返る。

「わたしがいる場所から出てきた場合は、どうにかして表に誘いだします。そのときは頼みましたよ。……根気よく待ちましょう」

 まあ、なんとかなるだろう。冒険に危険は付き物だ。

 だけど。

 わたしはケータイを取り出した。


 さっきの話の続きを話せ――つまりどうやって千神刑事が檜垣刑事の息子だとわかったかの詳しい説明を要求しているのだろう。相変わらずぶっきらぼうな言葉遣いだけどもう慣れた。

 ひとまず家の中に場所を移す。たとえ人が少ない道路だとしてもいつまでも道端で話すのは、根岡先生もいるし、どうかと思ったからだ。千神刑事が刑事を呼ぶ、と言いケータイを持ってリビングを出て行った。フローリングに両手両足を縛られて、今は技でくらったダメージも結構回復してきた様子の根岡先生がぶつぶつと呟いている。

「僕がこんな目に合うとは。僕がまさかこんなガキ共に。ありえない……ありえない……」

 どうやら根岡先生にとって一番屈辱的だったのは、年が離れているわたしにしてやられたことらしい。

 そんな根岡先生に加賀屋さんが吐き捨てる。

「根岡。あんたもガキだぜ。卑怯なことをするお前はいつまでも大人になれねえよ」

「なれたとしても大人には慣れないぜ」

 といつの間にかドアの前に立っていた千神刑事が駄洒落で茶化す。そしてそのままソファーまで歩いて、加賀屋さんの隣にどさっと腰を下ろした。加賀屋さんが身をよじって避けようとしたのが見えた。

 千神刑事がわたしを見る。

「じゃあ、時間もあるし、さっきの続きだ。話せ」

 なんか慣れたとしてもやはり上から目線でそう物申されるのは好きじゃないなあ。しかし言っても治るものとは思えない。

「わかりましたよ。どうしてわかったか、ですよね。話しますよ」

 さて、どこから話すのが一番わかりやすく、手っ取り早いか。わたしは少し考えてから話し出した。

「まずは最初に会ったとき。もしかするとこの人は刑事ではないんじゃないのか、と思い始めました。だけど、あくまでそう思っただけで、その可能性があるかもしれないというだけで、あまり自分の仮説を信じていませんでした。千神刑事がそうするメリットもあまり考えられなかったですし」

 息継ぎ時に壁にかかった時計に目をやった。針は六時半を指していた。遅くなると家の人に連絡しておかなければならない。

「で、その次に会ったとき。鉄村さんのアパート前の話です。千神刑事は知らないと思いますが、今思い出してみると、鉄村さんの言葉には首を傾げるような箇所がありました。わたしが被害にあった部屋の大学生の名前について訊いたとき、鉄村さんは『椿さんが知っておると思っていたんじゃが』と言ったんです。どうしてこんなことを言ったんでしょうか。その時は気にしなかったんですが、その後に改めて考えて気づきました。誰でもそう言いますよ。さっきまで話していた大学生、つまり千神刑事とわたしが仲良くお話していたんですから。鉄村さんは千神刑事との話を聞き込みとは言っていませんでしたし。実際、聞き込みではなかったんでしょう?」

「そうだな。相談。どれくらい金を払わないといけないのかってこととか、色々だ」

「そしてあとは」

 わたしはメダルが乗った収納棚に面した窓に指を差す。

「あそこから見えたんですよ、千神刑事の姿。檜垣刑事は息子が来ると言ってましたのに、来たのは千神刑事。そこから全部思い出して、もしかすると、千神刑事は檜垣刑事の息子なんじゃないだろうか、と思ったんです」

「なるほど。……そのとき、俺は誰もいないはずの家の窓が明るくなっていて不審に思ったから外で待機していたんだぜ」

「知ってました。迷惑かけてすみません。その時と同時に根岡先生の存在に気づいて――本当のところ、誰かがいるとは思ってましたけど、根岡先生だとは思ってなかったんです。ただ、よっぽどイレギュラーな人以外が犯人だとした場合の推理はしておきましたか」

 そんな話をしていたからひとつ思い出した。

「あ、千神刑事。もしかして、根岡先生が他の部屋も荒らしていたりするんじゃないですか」

 確かにそうだ、と千神刑事。根岡先生を見ると、本人はしてない、と一言。

 千神刑事は立ち上がって言う。

「信じられんな。手伝ってくれるか、お二人さん。あ、いや、蓮は駄目か。じっとしておくべきだ」

「いや、おれも行く」

 言われれば歯向かう。さすが加賀屋さんだ。

「しかしそれだと、この根岡とかいうのが勝手に動いたりするかもしれない」

「確かにそうですね。じゃあ、わたしがいましょうか、ここに」

 千神刑事は少し考えてから言った。

「しかし、もし根岡が暴れたりすれば危ないぞ。やはりここは蓮を」

「そんなにおれが嫌いなんだな」

「お前も俺のこと嫌いだろ」

「嫌いだ」

 あんたらは水と油か。犬と猿か。天と地か。永遠に相成れないのか。

 結局は加賀屋さんが折れた。

「わかったよ。おれが残る」

「サンキュ。役に立つかどうかは別として」

 千神刑事はいつも一言多い。

「それじゃ、行くか」

「は、はい」

 リビングを出るときに、加賀屋さんが呟いたのが聞こえた。

「そうだ。暇だし、根岡が盗った手帳を見よう」

 そういえば。わたしも戻ってきたら見せてもらおうか。


「大丈夫そうですね」

 二階の階段を上がってすぐの部屋を覗いて確認した。もちろん、プライバシーに関わるような部屋なら見ないつもりだ。

「そうだな」

 ドアを閉め、次の部屋へ。

「ここも被害、なさそうですね」

「そうだな」

「というか、わたしいりませんよね」

「そうだな。あ、いや、でももしかすると何か面白いことにひぎなんとかさんが気づくかもしれない」

「それは買いかぶりすぎです」

「そうだな」

「…………」

 ドアを閉め、次の部屋へ。ここはどうやら寝室のようだが。

「ここは寝室みたいですけど。あまり見ないほうがいいんじゃないですかね」

「そうだな」

「千神刑事、聞いていいですか」

「なんだ」

 あまり中を見ないようにドアを閉める。

「千神刑事はどうして刑事のふりをしていたんですか。というか、どうして聞き込みをしたり、捜査をしていたんですか?」

「自分の住むアパートがやられたんだからな、当然だ」

 当然なのか……?

 向かいのドアを開ける。ここは物置だろうか。それにしても部屋が多い。まだある。

「檜垣刑事――お父さんに任せればいいじゃないですか」

「親父が必ず犯人を見つけるとは限らないからな」

 そうですか、とわたしが千神刑事がするような無関心な言い方をしたのとほぼ同時に突然、

『ピンポーン』とチャイムが聞こえてきた。反射的に階段の方向へ目をやってしまう。

「千神刑事が呼んだ警察の人ですか?」

 多分そうだ、と言いながら千神刑事は階段に足を向ける。わたしもとっさに足早に進む彼のあとを追う。階下に降り、千神刑事は玄関のドアを開けた。そして現れたのは、常に笑みを保っている関西弁の刑事。

「ども。呼ばれたんで来たよ」

「お忙しい中、ありがとうございます」

 千神刑事は軽く会釈した。自分より年上の相手には当然のことだけど、敬語で喋るらしい。

 そういえば千神刑事は警察ではなく刑事を呼ぶ、と言っていた。てっきり警察の人が複数来ると思っていたのだが、どうやら百合谷刑事一人らしい。

「百合谷刑事……だったんですか。呼んだのって」

 わたしを振り向いて言う。

「そうだ。知り合いだからな」

「……そうですか」

 わたしは踵を返して二人よりも早くリビングに向かう。……計画が狂った。最低限の事はしなければならない。大丈夫、まだ時間はあるはずだ。

「おお、帰ってきたか」

 わたしがリビングに入ったところで加賀屋さんが顔を上げてこちらを見る。手には黒い手帳が開かれていた。根岡先生は先ほどと変わらず座ってうなだれている。わたしは早足で加賀屋さんに近づき、耳打ちする。

「加賀屋さん。真面目に聞いてください」

 加賀屋さんは何事かとも訊かずに静かに頷いてくれた。

「これからしばらくはわたしの言う事に合わせて行動してください」

 もう一度、加賀屋さんは頷いた。

「やや。お二人さん、そんなに近づいてどうしたんや?」

 ドア付近には既に百合谷刑事と千神刑事が立っていた。わたしは加賀屋さんから離れる。

 根岡先生が顔を上げて百合谷刑事を見た。

「刑事か……」

「根岡先生じゃないですか。あなたが犯人だったんですか」

 百合谷刑事は今までの関西弁から敬語に切り替え、目つきを強くし、口調を変えて、そう言った。根岡先生は言われて再びうなだれた。百合谷刑事は根岡先生を立たせた。ぐるぐる巻きにされた紐を解く。その間、根岡先生はじっとしていた。抵抗する気はないように見えた。

「これも現行犯ということになるんかな。じゃあ、逮捕状もいらへんな。それじゃ――」

 百合谷刑事は腰のベルトにつけた手錠ケースから手錠を取り出しす。

「逮捕や」

 ガチャリと前に回された根岡先生の手首に手錠がはめられた。手錠というのは、ドラマなどと違って、はめるのに時間がかかると聞いたことがあったけど、案外そんなことはなかった。そして根岡先生と百合谷刑事はリビングのドアに向かって歩く。その後ろを千神刑事、わたし、加賀屋さんがついていく。

「加賀屋さん。今が一番危険です――」

 百合谷刑事がドアノブに手をかけようとしているときに、わたしは周りに聞こえないように加賀屋さんに耳語した。

「うぐっ……!」

 いや。――言おうとしたが、言い終わるか否や、別のことが起きて、加賀屋さんに声が届かなかった。いや、既に届いていたところで意味がなかった。

「ごめんごめん。わざとやないんやけど」

 根岡先生についていた百合谷刑事がうしろに位置している千神刑事を振り向き、鈍い音だが強烈な裏拳を腹――もしかすると鳩尾に入ったのかもしれない――にヒットさせたのだ。百合谷刑事の紫電一閃の動作は疾風迅雷、突然のことすぎていくら格闘技が強い千神刑事でも対応できなかったようで、千神刑事はうめき声と共に廊下に崩れ落ちた。

「大丈夫ですか! 千神刑事!」

 百合谷刑事に少しでも近づくのは危険だとわかっていたけど、駆け寄られずにはいられなかった。しゃがんで千神刑事の顔を覗き込む。かすかに大丈夫だ、という声が聞こえた。大ダメージというわけではなさそうだが、しばらく動けそうにない。わたしは彼を引っ張りながら、後ろに下がる。顔を上げ、立ち上がった。すぐ三、四メートル前に相変わらずの薄い笑みを浮かべている百合谷刑事といつの間にか手錠が外されていた根岡先生。

「百合谷刑事……。やっぱりわたしの読み通りだったんですね」

「君の読みなんか知らへんで。当たっているかもしれへんけど」

 それから呆れたように首を振った。

「いやあ、今回の一件でよくわかったわ。頭だけじゃあかんな。どれだけ先を見通せそうと、どれだけ人の心を見透かそうと、どれだけ人を罠にはめることに長けていても同じや。結局は力。暴力だけで全て解決や。今だってそうやし、さっきお嬢さん達が根岡を捕まえたときも結局はこの大学生の力を借りたんやろ。頭でっかちなんか結果的に得せえへんねん。……誰のこと言うとるかわかってる? あんたのことやで、火嫌井お嬢さん」

 最後の一言で彼はわたしを指差した。

 わたしはあくまで冷静を装って返事をする。

「わかってます。だからこそ、加賀屋さんや千神刑事や檜垣刑事の力を借りたんです。彼らがいなければ、わたしは今のわたしではなかったはずです。一人では今まで成し遂げてきたほとんどのことがうまくいかなかったはずです」

 百合谷刑事は冷たく言い放つ。

「そやね。そしてお嬢さんが彼ら二人をこの状況に道連れしてしまったことも忘れたらあかん。僕がそうさせないけど、巻き込んでしまったのなら、責任はとらんとあかん」

「百合谷刑事みたいに、ですか」

「ああ、そうや。僕は根岡を助けた。お嬢さんがどこまで知っているかはわからんけど、根岡は僕の相棒で、空き巣係を担わせてしもうた。それで捕まってしもたんなら、助けるべきや。その大学生が僕だけに確保を伝えてくれてホンマによかったわ」

 傍らで千神刑事がゆっくりと起き上がる。しゃがんだ体勢で千神刑事が悔しそうに言う。

「……すまない。迂闊だった」

 わたしは百合谷刑事から目を離さずに答える。

「いえ。千神刑事のせいではないです。全部、彼と根岡先生が悪いんです」

「だからあんたも悪いんやって。巻き込んだのはあんたやで」

 わたしは言い返した。

「悪いとは認めているんですね。粗悪品とはいえ刑事だし、少しぐらいは善悪の区別がつくみたいでなによりです」

「粗悪品とは言うやないか。人を物扱いか」

 隣で千神刑事が立ち上がった。身長は百合谷刑事よりも低いだろう。そして千神刑事はダメージを受けている。格闘技としてのレベルは知らないけれど、同等だと考えるのなら、百合谷刑事よりも千神刑事のほうが不利だ。

 千神刑事がゆっくりと口を開いた。

「百合谷刑事。訊きたいことがある。……どういうつながりなんだ、その根岡とやらと。俺はまだ信じたくはない。百合谷刑事が犯罪者の仲間だなんて」

「信じるのは自由やで。裏切られるのは自分次第やけど。どういうつながりか、と訊かれても友達や、としか言えへんなあ。旧友や」

「そして、強盗犯同士です」

 わたしは言った。強盗犯? と反復して訊き返した千神刑事に言う。

「檜垣刑事の奥さん――つまりあなたのお母さんが関係したあの事件です」

 やはり直接、殺されたと言うのは気が引けた。

「あの事件か……。それじゃあ、つまり、腕時計を奪ったのはこの二人のうち一人なのか」

「ええ。そうです。母親さんから金色の腕時計を奪った人はこのどちらかになります」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 後ろから声が聞こえた。今まで黙っていた加賀屋さんが口をはさんできたのだ。

「どういうことなんだ。金色の腕時計というのは、その千神刑事が腕に巻いているそれじゃないのか。俺はてっきり千神刑事が金色の腕時計を奪った強盗犯かと……」

「はあ?」

 そう言ったのは千神刑事だった。こんな状況でも加賀屋さんに毒づいた。

「何故俺が強盗しないといけない? 馬鹿か」

「だ、だってお前、檜垣刑事と同じ腕時計をしていたから、それが盗られた腕時計かと……。こう言うのはなんだが、もしかすると、火嫌井さんの『実は千神刑事は檜垣刑事の息子』という推理は外れているかもしれないし」

 そう言ってわたしに救いの目を向けてくる。残念ながら今回は千神刑事に味方するしかない。

「金色の腕時計は三つあったんですよ、加賀屋さん。檜垣刑事が見せてくれた腕時計にも、今千神刑事が巻いている腕時計も、文字盤の下にアルファベットが彫られていました。千神刑事の腕時計には『for S from M』。檜垣刑事の腕時計にはおそらく『for F from S』と」

「ああ、その通りだ。親父の時計にはそう彫られている」

 千神刑事が答えた。

 檜垣刑事の腕時計に彫られた文字を全て読み取ることはできなかった。だけど、文字の中にあるFとSだけが他の文字よりも読み取りやすかった。そのわけは? ……それは、この二文字だけが目立ったから――隣が空白で、大文字だったのだ。

「そこまできたら残りひとつの盗られた腕時計には『for M from F』と彫られていたはずです。もうわかったと思いますが、Mは母、motherの頭文字、Sは息子、sunの頭文字、Fは父、fatherの頭文字です。この三つの腕時計は家族の中で送りあったものなんです。ですよね、千神刑事」

「おう」

 しかしまだ息子だという確信は、と口ごもる加賀屋さん。

「加賀屋さん。針が止まっている腕時計を巻く人が犯人なわけないでしょう」

「……あ」

 わたしのその一言でやっと納得した加賀屋さんは千神刑事を向き、すまなかった、と謝った。素直だ。……とか思っている暇はなかった。わたしは前、百合谷刑事と根岡先生のほうへ視線を向ける。

 百合谷刑事が薄い笑みを浮かべたその顔で言う。

「あ、終わった? これで満足した? ならもうええか? 最後に残す言葉もあらへんか? 殺すよ?」

 リビングのライティングが犯罪者の顔を照らす。

「……絶体絶命か」

 そう呟いた声が隣から聞こえた。大げさではない。まさに今の状況を一言で表すのなら、絶体絶命。今まで、いろんなことに首を突っ込んできたけれど、命の危険が迫ってきているのは今回が初めてだ。手に汗が流れる。

 わたしたちはわずかに量で勝っている。だけど、戦力を総合すれば、こちら側が明らかに分が悪い。神頼みなどしたところで無意味だ。武器などもない。あったところで慣れない武器は使えないも同然だ。使えるものがあるとすれば――頭脳か、知恵か。

 わたしはどうしても生き延びなければならないのだ。みさぎに頼んだ一件を最後までやり遂げないといけない。

 わたしたちと向き合うその人がじりじりと一歩、また一歩と詰め寄ってくる。元々あまりなかった距離がさらに短くなる。

「何か策はないか」

 また隣から声が聞こえたけれど、今度はわたしに問いかけてきたようだ。策……何かあるのか。首を巡らす。やはり、このリビングには状況が覆りそうなものは何もない。

 カーテンが開け放たれている窓の外を一瞥すればもうすっかり夜だった。暗い中に街灯や家々の明かり等が見えた。

「……火嫌井」

 加賀屋さんの声。時間はない。

 わたしはかけてみることにした。不確定要素が強すぎる賭けに。

 しかし、そのためには今一度、頭の整理をしなければならない。記憶を遡る。これ以上ないくらいに、人生で一番というほどに頭を回転させる。大丈夫、事の発端はつい最近だ。わたしなら、これぐらい朝飯前なはず。さっきは頭ばっかりなガキと言われたけど、だからこそ、頭でこの状況を上回ってやる。

 あ。……朝飯前と言ったけれど、夜だから晩飯前かな。

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