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椿と放火事件  作者: 幕滝
2/10

二.始まる。

兄の春樹に教えてもらった通り、パトカーを見るために坂月三中に向かった椿。そのときに見たぼや現場で、とても無視できないものを見つけてしまう。

 朝。前日は午前中まで雨が降っていたけど、この日は見事な快晴だった。

 わたしは制服を着込み、わたしが通う坂月市立第三中学校に自転車で颯爽と向かっていた。徒歩で学校に通っているはずのわたしが、今は自転車を使っていて、さらに今の時間帯が夕方でもないのだから、今日は間違いなく休日だった。土曜日だ。しかし何故、例え学校週五日制になったとしても、貴重であることに変わりない休日にこのわたし――花川椿が中学校に出向いたのか。その理由はただ一つ。無趣味人の兄、花川春樹と同じように帰宅部だから、部活があるというわけでもない。わたしはクラスでも生真面目で通っているから、先生に呼び出されたというわけでもない。それでもないとしたら、あとは興味本意で。わたしは自分自身のキュリオシティーにかきたられるまま、自転車を走らせたのだった。

「ふう。到着、到着」

 学校の正門前についた。

 門は開いたままだったので、自転車を押して門をくぐる。敷地内に入るとすぐに来客用の駐車スペースがあり、そこに四台の車が並んで駐められていた。いずれも色は違うがどれも似たような乗用車。そしてある共通点があった。……わたしはその近くに自転車を駐めると鍵を自転車から抜き取って、この学校のグラウンドに足を向ける。

 わたしがここに来た目的は、昨日、兄の花川春樹が消火したというぼやの現場を一目見ようと思ったからだ。もしかしたら、パトカーや刑事を見ることができるかもしれないという期待を持ってもいた。この駐車場にないのなら、この学校にパトカーは来てないのだろうけど

「あそこかな……?」

 校舎を抜け、グラウンド全体を見渡せる場所まで来たわたしは運動系部活とは違うある小さな集団に気づいた。ちょうど、体育倉庫があるところだろうか。数人が群がっていた。目が良いわたしは、そこにいる人達にも大体見当がついた。

 そこまで駆けていく。集団は教頭先生と男の先生、それと風格漂う背広を着た人達三人で構成されていた。

「あの……」

 教頭や背広の人達はお取り込み中みたいなので一人つっ立って教頭達を遠目に見つめている男の先生に話しかける。確か一年担当の教員で名前を根岡といった。ニコニコしていて体もあまり丈夫に見えないがこれでも体育担当である。

「何かあったんですか?」

 根岡先生はこちらを向き、ニコニコした親しみやすい顔で、しかし言葉少なに答える。

「ぼやだよ。ここでね」

 兄の言っていたことは正しかったらしい。燃えていたのはスポーツ用具らしいが、それが燃えていたであろう場所には何もなかった。

 そして根岡先生はわたしの足元から顔までゆっくり見ると言った。

「二年生かな。名札の色を見ると」

「ええ、まあ」

 いくら休日でも学校に私服で入るのはいけないと思ったわたしは制服に名札までつけた装いだ。名札は学年毎に色が違うので、すぐにどの学年かがわかる。まあ、学校生活に慣れるにつれ、律儀に名札をつけている生徒はだんだんと減っていくのだけど。

 わたしは訊く。

「教頭先生と話しているのは誰ですか?」

 根岡先生は教頭のほうをちらりと見て返事をした。

「ああ、彼らは警察の方達だよ。ご苦労だね、本当に」

 やっぱり警察の人だったらしい。ということは刑事か。刑事を生で見れたのは嬉しいが、しかし、たかがぼやでここまでしっかりとした刑事が来るのだろうか。根岡先生が詳しいことを知っているとは思えなかったけれど、質問してみることにした。

「どうして刑事達がこんなにわざわざ被害の少ないぼやに捜査に来たんですか?」

 根岡先生は首を振る。

「さあね。自分が知るわけないよ。……でも、小さいと言っても火だからね、一歩間違えたら大被害だ。そう考えたらしっかりと動かないといけないだろう。そう考えると、この火を消してくれた生徒に礼を言わないといけない」

 その生徒とは兄のことだが。それはそうと、ぼやを合わせた小規模の火災が一ヶ月の間にこの町だけでどれだけ起きていると思っているのだ。その度にいちいち人を回していたら絶対に人手が足りなくなる。先生は言う。

「消火したのは生徒だが、火を点けたのも生徒だろうというのも嫌なところだけどね。もしかすると、火を点けたのは消火したあの生徒かもしれない」

「えっ」

 いくら兄が不愛想で意地悪だからって、理屈もないのに消火した本人を疑うのは、兄妹として許せない。

「僕が二番目にここに来たんだけど、彼、なんて名乗ったと思う? 田中太郎だよ。いやあ、これは怪しいね」

「…………」

 さすがにフォローできなかった。わたしがそれの妹だってことは黙っておこう。

 そのタイミングで教頭と刑事達との話を終わったらしい。教頭は刑事達に一礼するとそそくさと校舎へ向かって早歩きで戻っていった。教頭との用を済ませたらしい若い刑事がこちらを向いて声をかけてきた。

「根岡さん。少しいいですか?」

 はい、と返事をすると根岡先生は刑事達に近寄っていった。わたしはこのままどうするか迷ったけど――いや、違うか。心の中まで真面目を演出する必要などなかった。――わたしはどうするか全く迷わなかった。追い払われないのなら、ここにいて話を盗み聞きしてやる。

 声をかけてきた若い刑事がはっきりとした口調で話し始める。

「改めて、百合谷と申します」

 自己紹介もほどほどに彼は手にした手帳とボールペンを胸元まで上げた。

「では、いくつか質問をさせてほしいんですが、よろしいですか?」

「どうせ断れないんでしょう」

 根岡先生はどこか面倒くさそうにそう言ったが、百合谷刑事は表情ひとつ変えることなく質問を始めた。

「あなたが火の第一発見者ということでいいんですね?」

「まあ、そのようなものです」

 春樹は消火したすぐあとにこの人が来たらしいし、春樹はすぐに帰って、後の処理はこの人がやったのだろう。ほとんど第一発見者のようなものだし、わたしは何も言わずに聞き流す。

 百合谷刑事はボールペンでメモをとる。なにを書いたかはここからじゃ全くわからない。書き上げたあと、刑事は顔を上げ、さらに訊く。

「燃えたアレ――僕は名前知らないんですが、どうして昨日あの時に外にあったのでしょうか」

「さあ。知りませんけど。そのすぐ隣の体育倉庫の鍵がかかってなかったみたいです。おそらく前日に体育倉庫から何かを出した運動部の生徒が鍵を締め忘れたんでしょう。……そういうとこ、おろそかですから。この学校」

 そしてもう一度手帳に何か書き付け、顔を上げる。

「犯人に心あたりとかってあったりします?」

 根岡先生は少し考えてから答えた。

「おそらくここの生徒だろうってことぐらいしか。校内に誰にも気づかれずに侵入するなんてまず無理ですから」

 そうとは限らないんじゃないだろうか。この体育倉庫は校舎からじゃあ、完全に死角になっていて、渡り廊下からじゃないと体育倉庫周りの様子を知ることは無理だ。しかも体育倉庫はグラウンドの端にある。学校のフェンスを乗り越えれば、足跡をほとんど残さずに難なく実行することができる。

「そうですか」

 しかし百合谷刑事はそれを言わなかった。気づいてないはずはないと思うが……。他の刑事達はぼや周りを集中して見ているだけで、二人の会話に耳を傾けているのはおそらくわたしだけだろう。

「では質問は以上です。お忙しいところ、すみませんでした」

 百合谷刑事は早々に切り上げた。それだけでいいのか、何か重要な情報が手に入ったのか、と訊きたくなるぐらい短い内容だったが、おそらくこの人からは何も手に入れることはできないだろうと察したんだと思う。

 根岡先生も教頭と同じように校舎へ向かって歩いて行った。あとに残されたのは刑事達とわたしのみ。わたしに今気づいたというように百合谷刑事がわたしを見た。

「お嬢さんは誰?」

 ここは自己紹介をしておくべきか。

「こんにちは。……火嫌井といいます。この学校の生徒で二年生です」

 とっさに出たのが偽名だった。兄とは違い、ありきたりな苗字じゃないが、逆に珍しすぎる苗字になってしまった。坂月三中はおろか、日本全国にも存在しない苗字かもしれない。兄のほうが幾分かマシだった。

「火嫌井お嬢さんか。珍しい苗字だね、僕と同じだ」

「そうですね」

 確かに百合谷とは珍しい苗字だ。しかし、口で答えるのとは反面、心の中ではお嬢さんを付けるのはやめろ、と抗議していた。恥ずかしすぎる。

「なんや。盗み聞きしてたんか、さっきの会話」

「……えっ」

 急に目を細くして関西弁になったことも驚いたが、冷静にも、しまった、という気持ちも浮かんだ。彼が何気なく喋るからそれにつられた。

「僕はまだ、自分の名前を名乗ってすらないんやけど。どうして僕と同じくらい珍しい苗字だと思ったんかな。それかお嬢さんが人の言葉に何も考えることなく相槌をうつような子ぉちゅーことか。そうは見えないんやけどな。賢そうな顔しているし」

 気づけば睨むような細い目はしてなくて、残ったのは関西弁だけだった。

 わたしは頭を下げた。

「すみませんでした。盗み聞きをするつもりは……」

 ……ありました。もうバリバリ。しかしそれは言えるはずがない。

「でも、いいよ。許したりましょう。聞かれても困る内容じゃなかったんやし。それに、お嬢さんみたいな子ぉを謝らせてたら他の刑事達に怒られるわ」

 すみませんでした、ともう一回謝る。そして一度周りを見渡してから百合谷刑事に訊く。

「どうして、言っちゃえばあれですけど、こんなたかがぼやに警察の人が――ここにいる人達以外も合わせてですよ――数人も来ているんですか?」

 刑事はおそらくここにいる三人だけじゃないはずだ。そういう勘があった。

 百合谷刑事はどうやら素らしい関西弁で言う。

「謝ってからの切り替えがはやいな。……でも、どうしてそう思ったんや?」

「来客用駐車スペースに乗用車が四台駐めてありました。あれ、百合谷刑事達、皆さんの車でしょう? 刑事さん達皆が皆、別々の車に乗ってくるとは思えませんでしたので。それに駐めてあるのは四台。ここにいる刑事達は三人なので一台あまりますし」

 百合谷刑事は笑みを浮かべた挑戦的な表情をしている。

「それは確かだけど、全車が僕たちのものとは限らないんやないかな。他にこの学校に用事がある人のものかもしれないんやない?」

「限りますよ。あの車は全部、色や車種は違うけれど、全て同じ『わ』ナンバーでしたので。『わ』ナンバーってレンタカーでしょ?」

「そうやな。……まさかこの時間、この場所に同時に四台のレンタカーが偶然並んであったなんてこと言い張るのは無理があるってもんやし。認めましょう、まだおるよ。刑事」

 そして、レンタカーを使っているのは車不足だからや、と付け足してきた。

「他の刑事達は何をしているんですか?」

「この周りを回ったり、他の教員方に聞いたり。いろいろ。……でも、いやはや、本当に頭がいいとは。お嬢さんが僕の先輩にどこか似ていたからそう思たんやろうけど、僕の勘も中々のもん――」

 とそこで百合谷刑事は言葉を止め、ゆっくりと後ろを振り向いた。その先には、他の二人の、おそらく百合谷刑事よりも年上の刑事達二人の睨んでいるような顔。明らかにこちらに向けられていた。

 そのうちの腕組をしているほうが百合谷刑事に言った。

「こっちは終わったが、お前は何をしているんだ。さっさと行くぞ」

「ホントにすみません」

 百合谷刑事はまだ少し関西弁のイントネーションが残る謝罪の言葉を口にした。わたしが思うに、その言葉にはおそらく心がこもっていなかった。刑事達はわたしが来たほう――正門方向へ足を向け、歩き出した。最後に百合谷刑事がわたしを振り向いた。

「もう多分ここには用がないやろうから自由に捜査してもいいで」

 そして手を振り、さいなら、火嫌井お嬢さん――と付け足した。

 わたしはその背中に石をぶつけてやろうかと思った。お嬢さんと言うなっ、という声と共に。


 さて、あの刑事は何か勘違いしているようだが、わたしは兄が言ったことが本当かどうか、もしかしたら刑事やパトカーを見ることができるかもしれないと思ってここに来ただけであって、ぼやの犯人を探すためにここに来たわけではない。だからもちろん、刑事もいなくなったこんな場所に用はないのだ。それに昨日雨のせいで地面が固まって、足跡やらの窪みで歩きやすいとは言えない。さっさと帰ろうか――そう思った時だった。

「……これは」

 足跡だった。校舎からぼやがあったすぐ近くまで続きそしてもう一度来た道を引き返している。どうしてわたしがこの足跡に目を止めたのか。その理由はいくつかあった。そのうちのひとつ挙げるとすると、犯人かもしれないから。ついでにもうひとつ挙げると、この足跡は他の大多数とは違う足跡だったから。

 右足の足跡しか残っていなかったのだ。

「放っておくというのも、嫌だし……」

 やらねばならぬことができた。なに、危険をおかすというようなものではない。

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