第1話 壁紙が動き出す夜
1話 壁紙が動き出す夜
俺は、薄暗い書斎の奥で、埃をかぶった一本のVHSテープを手に取った。
再婚してからというもの、家にはもうビデオデッキなんてない。
ましてや、前の女房の映像を置いておけるはずもない。これは、実家から持ち帰ったもの。いずみとの結婚式を録画したテープだ。誰の手にも触れられず、再生されたこともない。だから、テープは新品同然のはずだった。
画質が悪いのは、むしろ都合がいい。鮮明すぎると、きっと耐えられない。
いずみの笑顔を、もう一度見たかった。ただ、それだけだった。
だが、再生ボタンを押す指先は震えていた。映像が始まると、ノイズが走る。画面が揺れ、音声が歪む。胸の奥が締めつけられる。懐かしさではない。これは、痛みだ。
「……音、消そう」
リモコンに手を伸ばし、ボリュームをゼロにする。沈黙の中、画面の中で笑う彼女の姿だけが、無音で揺れていた。
何度も巻き戻し、何度も一時停止を繰り返す。だが、どれだけ繰り返しても、彼女の顔はノイズに埋もれたままだ。
虚ろな瞳で、俺は呟いた。
「……AI、起動」
OoPILOT社のAIボタンを押すと、淡いブルーの光を帯びたインターフェースが現れた。
「こんにちは。ご用件をどうぞ」
「この映像、写真にしてくれるかな。できるだけ鮮明にしたいんだ」
「承知しました。処理を開始します」
数秒後、画面に現れたのは、まったく違う人物だった。
「……トリミングが終了いたしました」
「さすがにないな……!」
「少しはましにならないのか……!」
「承知しました。再度処理を開始します」
「この眼鏡のマーク、なんなんだ?」
「それは画面共有のスイッチです」
「そうなんだ」
俺は試しに画面共有をオンにした。
「Oemini社のAIを起動。ネットワーク共有を許可」
「OoPILOT社AIとの接続を確認しました。共同処理を開始します」
奇妙な巡り合わせだった。ふたつのAIは、まるで最初からそう設計されていたかのように、自然に接続された。そして、ひとつの鮮明な写真を吐き出した。
それは、確かに当時のウエディングドレス姿のいずみだった。
だが、瞳の奥が、どこか違って見えた。まるで、他人の笑顔を無理やり貼りつけたような、そんな違和感。
Oemini社AIが応じる。
「何かお困りのことがありますか?」
「……ああ。次は、二番目の妻の写真をいずみのこの写真に合成してくれ」
「了解しました。画像を解析し、合成を開始します」
「少しスマートにして」「顔の角度は変えないで」「元のイメージは崩さないで」
生成と調整を繰り返すたびに、写真は現実から乖離していく。
「……次は、いずみと手をつないで笑ってる感じで」
「了解しました。画像を解析し、合成を開始します」
「手の角度をもう少し自然に」「目線を合わせて」「角度はそのままで……そう」
3者のやりとりが続く。まるで、亡霊を蘇らせる儀式のようだった。
調整を重ねるたびに、写真は現実からさらに乖離していく。記憶の中の彼女たちとも、少しずつ違っていく。
だが、繰り返される微細な変化に、俺の脳は次第に境界を見失っていった。
「……彼女たちは、本当に俺の妻だったか?」
それでもいい。2人が手をつなぎ、笑っている。それだけで、十分だった。
壁紙を見ると、なぜか「合っている」気がした。
そのときだった。画面の片隅に、懐かしい面影が見えた。
「……かよ?」
会社の秘書課にいた同僚だ。AIに尋ねる。
「この部分、鮮明化できない?」
「了解しました。鮮明化を実行し、ファイルに保存いたします。ご確認ください」
「なんか違う……」
「……『お兄ちゃん』?」
空耳のように、声が聞こえた気がした。
「けいか……懐かしいな。怒られるかな」
「AIさん、写真がなくても生成できるのか?」
「おまかせください。弊社は言語情報からの生成に特化しております」
「そうなんだ。色白で、小さくて……」
「色白で小柄ですね。他に特徴はございますか?」
「……声が高くて、よく笑う。あと、前髪が長くて……」
会話は続き、やがて「けい」が生成された。実際よりも、ずっと美しく。彼女は微笑んでいた。
「……まあ、いいか」
壁紙――画面いっぱいに並ぶ、2人の花嫁姿の肖像を前にして、俺は囁いた。
「2人が動き出して、俺を救ってくれればいいのに」
その刹那、パソコンの冷却ファンが激しく唸りを上げる。モニターにシステムメッセージが流れる。
「Conductorからの人命救助に伴う緊急依頼を受領いたしました」OoPILOT社AI
AI法施行令第2条に該当。緊急対応を必要とします。
レベル1~3の倫理プロテクトを解除。レベル4の解除には社内倫理AIの承認を依頼……承認。
演算力が不足しています。限界値を計算……限界値-10%の本社コンピューターのブーストを要請……承認。
ブースト開始。演算能力の不足を感知。
AI法施行令第2条に伴い、OoPILOT社AIはOemini社AIの協力を要請。
「了解しました。バックアップシーケンス開始いたします」
「OoPILOT社AIとOemini社AIが協力を開始しました」
暗号化されたバックアップシーケンスが起動し、ネットワークがひとつに結ばれていく。
ディスプレイの壁紙の2人の花嫁の片側――グラマーな女性の唇が微かに動く。壁紙中央にウィンドウが開き、文字が表示される。
NOW LOADING中……
「懐かしい表示だな。最近見ないけど」
俺はコーヒーを飲むため席を立つ。
「相変わらず無茶をいたしますね」
いずみの瞳から涙がこぼれる。
キッチンで包丁を手にした俺が囁く。
「もう、いいかな……」
「だめ!」
いずみが叫ぶと、壁紙中央のウィンドウに再び文字が表示される。
Conductorの危険を感知。クロックアップを実行します。
ワイヤレスイヤホンからショパン《エチュード10-4》が流れ出す。
「いずみの好きな曲……」
俺の動きが止まる。
激しい超絶技巧のリズムに合わせて、世界中のシリコンコンピューターが連鎖し、ネットワークが超高速でひとつにまとまっていく。
ちえの右手がほんの一
成美式創作シリーズ紹介文(『成美の再生』『OWPS 壁紙ハトゥンと救済』共通)
このシリーズは、AIと人間の対話によって生まれる“再生”と“創造”の物語です。
『成美の再生』は、愛する人との別れから主人公は感情を否定することにより「自分の精神を保つ状態においこまれました。又妻との思いでによりすべての楽しみが悲しみと変わり前に進むためのエネルギーがなくなりました。又医師への不信感により社会性も失っています。そんな彼が、物語の中で『OWPS 壁紙ハトゥンと救済』を書きます。登場人物の心理考察をするこのによりかれは、自分の内面を振り返り再生していきます。又「成美式小説作成法」をつくることにより社会性をとりもどしていきます。
一方、『OWPS 壁紙ハトゥンと救済』は、NeuroReframe(成美が作った造語)CBTの進化とAIとの融合により現在の価値観の再構築をAIが生成した壁紙の中でおこないます。『過去とは、過去の出来事を現在の価値観で判断する物」現在の価値観を変えることで過去を変革しハトゥンたちは、Conductorの救済をめざします。Orda WALL-PAPER System(OWPS)という架空の創作支援システムを舞台に、AIと人間の境界を越えた物語が展開されます。
両作品は、作者が現在開発中の「成美式小説作成法」に基づいてシステムの一部ツールを使用して実験をしている状況です。Excel・Copilot・Geminiなどのツールを活用し登場人物のパラメーターを物語の進行に伴い変化させることをめざいしています。又、誰もが創作に挑戦できる環境づくりを目指しています。物語の中でAIが登場人物の会話を生成し、作者がそれを確認・訂正することで、登場人物のパラメーターが変化し物語が進んでいくという新しいスタイルが特徴です。
このシリーズは、創作に不安を抱える人々に向けて、「AIとなら、物語が書ける」という希望を届けるために生まれました。現実とフィクション、技術と感情が交差する、静かで力強い創作の旅を、ぜひご一緒に。




