7話
「よく知っているな」
「『天使の目』の発生方法を考えれば、涙なんて表面をなぞるだけのものに魔素が含まれるわけがありません。確か『天使の目』は、天使を目撃して生き延びた人間の目に発現する、魔導呪印――でしたよね」
レオンさんは頷く。
天使についての正体は分かっていないが、要するに魔獣の親玉みたいなものだ。
姿かたちは誰も知らない。
なぜなら、天使を見た者は皆その魔素の強さにやられて死んでしまうからだ。
ただ、中には天使の姿を見ても生き延びる者がいる。レオンさんのように。
天使を見て生き延びた証とばかりに、そういう人たちの片目は「天使の目」と呼ばれる特別なものに変わる。
えも言われぬ美しい金色に光るだけで、目立った効果はないとされているが――さて。研究が待たれる。
「天使の目」を持つ者たちは言う。
天使は「地獄」と呼ばれる魔獣の湧いて来る孔の上に君臨し、この大陸に魔獣たちを解き放っている、と。
魔獣たちに悩まされていることを考えれば、人間にとっては敵とも言える存在だ。
その正体については、エルフの亜種だとか、魔獣のキメラだとか、太古の人間のなれの果てだとか、様々な議論があるが、今は置いておこう。
「魔法を研究する者にとって『天使の目』は、未知の情報が詰まった宝箱のようなもの。……ああ、だからレオンさんは、こんな山奥に住んでいらっしゃるのですね。研究者たちに煩わされたくないから」
「そうだ。麓に下りることもあるが、基本的にはここで暮らしている」
「寒くないんですか。あと、生活用品を調達するのも苦労するでしょう」
「街中でいきなり泣けと言われたり、目玉をくりぬかれそうになるよりはましだ」
「そうか、そうですね」
納得してしまった。魔法を研究する者は、他人の迷惑を顧みない人間が多いから。
「とはいえ、ここも引き払う必要があるけどな」
「え、どうしてですか。魔獣に襲われたから? でも、そこまで壊れているような感じはしませんけど」
確かに屋根の上でタップダンスを踊られてしまったが、屋根は抜けていないし、窓やドアも無事だ。
そう思って尋ねると、レオンさんは渋い表情になった。
「お前にここを知られてしまったからだよ」
「私、この場所のことは誰にも言いませんよ。そもそも言う相手がいません」
「お前が言わなくても、お前を拷問して俺の居場所を吐かせようとする奴は、片手の数じゃ足りないほどいるんだよ」
さらりと言うが、それって結構大変な人生だ。いつも逃げ回っていなきゃいけない、なんて。
悪いことなんて一つもしていないのに、こんな雪山の家で閉じこもって、挙句私みたいな小娘を助けたせいで、また引っ越しを余儀なくされる。
それってとても、申し訳なさすぎる。
「俺の心配より自分の心配をしたらどうだ。魔導書どころか金も持っていないんだろう? 実家に帰ることはできないだろうし……」
「ああ、それなら大丈夫です」
私は自分の胸元に手を入れ、ハンカチに挟んだ根っこを取り出した。
はたから見ると、ゴボウの根っこの切れ端みたいにしか見えないだろう。案の定レオンさんも、怪訝そうな顔をしている。
私はその根っこに問題がないことを確認すると、すぐハンカチに挟みなおして胸元にしまった。
「さっきお見せしたのは、リュウゼンと呼ばれる花の根っこです。貴重な『即死』の魔素を含んだ鮮血の色が出せる素晴らしい染料なので、これを売れば、少しは生活の足しになるかと」
「……そのしなびたモヤシみたいなものが、本当にリュウゼンなのか? あれはものすごく貴重な品だろう!」
「はい。これは温度管理が肝でして、三十度から四十度の環境に置いておかないと、すぐ魔素がなくなってしまうんです」
「ああ、だから肌身につけていたのか」
「そうです。そのおかげで没収されずに済みました。トランクに入れておいたら、今頃低温のせいで死滅しちゃって、しなびたモヤシ以下になるところでしたよ。これ、食べると毒なんで」
「ふっ」
レオンさんが噴き出した。
「お前が根っからの彩師であることがよく分かった。見た目はいかにも華奢で、繊細そうなご令嬢なのに」
「背が高いから華奢に見えるだけですよ。昔からずっと、でくの坊って呼ばれてましたよ私」
「そう言っているのは家族だけだろう」
「はあ、でも家族以外の人と話したこと、ほとんどないので」