5話
「魔獣? こんなに朝早くから?」
「兎種は昼行性だ。……ざっと十数頭はいるな。こちらに気づいている」
私は立ち上がり、レオンさんの後ろから窓の外を覗いてみた。
一面の雪景色の中、大型犬の二倍ほどの大きさをした白い魔獣が、異様な速さで走り回り、雪煙を巻き上げていた。
兎種は耳が異様に長く、後ろ足が発達して、二対の赤い目を持っている。
大きさはそこまででもないが、鋭敏な聴覚と強靭な後ろ足が厄介だ。
ちなみに、全ての魔獣は肉食で、凶暴で、人間と見たら襲い掛かる性質を持っている。
見た目がふわふわの巨大ウサギでも、油断は禁物というわけだ。
「何か物凄く怒ってません? 牙剥き出してますよ」
「そうだな」
そう言った瞬間、どすんという音がして家が揺れた。
続けざまに、どすん、どすんと屋根の上で何かが跳ねている音がする。
レオンさんは思い切り顔をしかめた。
「魔獣の仕業だな」
「家、壊れますかね」
「ああ。その前にここを出て、いくつか用意した避難場所に逃げ込むぞ。……くそ、この家は気に入ってたのに」
「あの、レオンさんは魔獣退治がお仕事なんですよね。あの兎種をやっつけることはできないんですか」
「数が多すぎる。全部仕留めてもいいが、その間にお前が頭から食われるぞ」
「それは嫌ですね」
言いながら私は、首から下げたロケットを取り出す。
装飾品にしては分厚く、重みのあるそれは、開くと蛇腹になっている。私はこの銀の板に、いくつかの染料をペースト状にして保存してあった。
重いから、とトランクに入れておかなくて本当に良かった。
「レオンさん。レオンさんの獲物はその剣ですか」
「ん? そうだが」
「それ、少しお借りしてもいいですか。魔素を付与します」
魔素を付与。
つまり、レオンさんの剣に、私が色として保存していた魔素を乗せて、魔法的な効果を持たせるということだ。
しかしレオンさんは怪訝そうな顔になる。無理もない。
「魔素を付与、ったって……。ここには魔素を付与できるような空の魔導石やインクはないぞ」
「剣に直接付与します、大丈夫です」
「そんなことができるなんて、聞いたことないぞ!」
「私ならできます。私は一流の彩師です」
レオンさんは微かに逡巡していたが、魔獣が屋根の上でタップダンスを始め、まるで雷がずっと轟いているような音が響き始めると、腹を括ったようだった。
ハンターにとって命の次に大切な剣を、ずいと私に差し出した。
両手で受け取るが、重い。すごく重い。私の体重くらいあるんじゃないか。
床に落とさないよう両手でしっかりと抱え、よろよろと床に座り込む。
剣の鞘を抜き払うと、爽やかなライラックの香りがして、白銀の刀身が姿を現した。
「ああ、良い剣ですね」
とても優れた魔導具であることが、見ただけでわかる。それに使い込まれている。レオンさんのハンターとしての歴史を感じた。
私は指を傷つけないよう気をつけながら、刀身に触れる。
――魔素を付与することは、要するに魔素の効果を与えるということだ。
ロケットの中から私が選んだ色は「追跡」の黄土色。
人差し指と中指で染料をすくい取る。
「それは……?」
「これは大地を這うガラガラ蛇の毒液から抽出した魔素です。――ガラガラ蛇は獲物を逃さない。身をくねらせ、執念深く獲物の首を狙う……」
バームほどのテクスチャの染料を、刀身にそっと乗せると、ゆっくりと伸ばす。
よく鍛えられた鋼は私の付与する魔素を拒絶することはなく、銀の刀身にくすんだ黄金色の線が一筋入った。
ぼうっと鈍く光る剣を見て、レオンさんが片手で口元を覆った。
「魔素を直接武器に乗せた、だと……? 普通は魔導石に魔素を付与し、その魔導石を剣にはめ込むという手順を踏まなければいけないはずだ」
「はい、魔素を付与できるのは『石』『布』『インク』のいずれかですから。――でも私にはできるんです。対象に直接魔素を付与することが」
地下室では物資を節約しなければならない。シャウムヴァインの人間はそれはそれはケチだったので、予備の魔導石を手配することさえ渋った。
だから「もういいや直接魔道具に魔素付与しちゃえ」という、やけっぱちテクが生まれたのである。