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38話


 鷹の目とは魔術で言うところの「千里眼」である。


 千里眼とは、物理的な障壁なしに、目的の情報を手に入れられる魔法を指す。

 魔法の質の高さによって入手できる情報は異なってくる。当然だが。


 千里眼で地味に難しいのは、入手した情報をどうやって得るか、という問題である。タイムラグなしに情報を得られれば最高だが、情報を伝達するための経路を確保しなければならない。


 とりあえず銃弾の飛んでこない斜面に身を滑らせた私たちは、雪を跳ね散らかしながら向き直った。


「レオンさんの『天使の目』を使わせてもらう」

「なに?」

「『天使の目』が通常の眼球とは全く違うものになっている――っていうのは、この間教えてもらったよね」

「あ、ああ。人間の眼球は角膜や水晶体といったもので構成されているらしいが、どうやら俺のこの目は、肉ですらないらしい。だから、攻撃されても傷つかない。――そもそも実体があるものかどうかすら分からん」

「でも見えてはいるんだよね? ということは『天使の目』は、レオンさんの脳と繋がってはいる。――だったら、『天使の目』の範囲を伸ばしてやればいいんじゃない?」


 私の言葉にレオンさんは絶句した。

 それから、はぁーっと長いため息をつく。呆れている。無理もない。


「一体何する気なんだ」

「『天使の目』に干渉する。具体的には認識できる範囲を拡張する」

「できるのか?」

「理論上は。あ、理論といっても細部まで詰めたし、魔素の組み合わせは何千回も試行錯誤したから、かなりいい線行けると思う」

「何千回って……。何でそこまで。まさかとは思うが、お前も『天使の目』を狙ってるんじゃないだろうな」


 本当に狙っているとは思ってもいない口ぶりで、けれど怪訝そうにレオンさんが尋ねる。

 私は少し考えて、答えた。


「レオンさんの見える範囲が広がれば、『天使の目』を狙う人から逃げやすいかなと思って」

「……」

「『天使の目』の認識範囲が広くなれば、こっそり近づいて来る人たちだって分かる。彼らに会う前に居場所を移れる。レオンさんは優れた狩人だけど、優れた魔導士ってわけじゃないみたいだし、一方的に居場所を検知される可能性があるから、それを避けられればと思ったの」

「分かった、分かった。――俺のため、なんだな」


 こくこくと頷く。


「あ、でも、本当にレオンさんのためになるかは分からない」

「どうして。副作用があるとかか?」

「ううん。だって、逃げ続けるのは――居場所を変え続けるのは、レオンさんにとっては嫌なことだろうから」


 そう言うとレオンさんはびっくりしたように私を凝視した。


「どうして――なんで、そんな風に、思う」

「だってあなたは――」


 言いかけたところで、私のすぐ後ろを銃弾が跳ねた。

 チッと舌打ちをしたレオンさんは、私を抱き寄せて雪原に押しつける。痛い。


「悠長なことは言ってられん。俺の『天使の目』でこの状況を打開できるんなら、いくらでも使え!」


 そう言ってレオンさんは眼帯をむしり取った。

 恍惚の色彩が露になり、私は思わず笑ってしまう。


 金色にも玉虫色にも見える瞳の奥深さたるや。

 何て綺麗な。何て禍々しい。

 ――その美しさゆえに、この目はレオンさんの人生を破壊した。

 だからこそこんなにまばゆく見えるのかもしれない。レオンさんの人生を壊すに値するものであってほしい、という期待があるから。


 私は首から下げたロケットに手を伸ばし、とっておきの魔素を指に乗せる。

 金色に映えるのは青だろう。深淵の青、深い深い海の底にも似た、ものみな退ける孤高の色。


「これは狒々型魔獣の心臓に宿る星から採取した魔素。こっちは異国の王の棺にしか使うことを許されていなかった青い鉱石の魔素。そしてこれは――聖職者の祈りの声からとった魔素」

「音?」

「取れるんだよ、魔素。音からでも」


 採取方法は秘密だが、この祈りの魔素こそ、私の魔法の要となる。

 薬指の指先に魔素を三重に乗せ、『天使の目』の前に掲げる。そうして円を描き、手のひら大の魔法陣を展開。

 空中にぼうっと輝く金色のそれに、薄く魔素を広げた。


 柔らかな花の花弁が徐々に色を纏うように、金色だった魔法陣が濃い青に変わってゆく。雪の白さに慣れた目には苛烈な印象を与えるほどの、深い青。

 

(染み込んでいけ。『天使の目』の奥の奥へ……! 全ての魔素を拒むこの目の中へ!)


 手ごたえは、あった。

 魔素が絡み合いながら『天使の目』に干渉してゆくのが分かる。『天使の目』の柔らかいところを押し広げ、拡張し、こちらの意のままに従わせる。

 祈りの声から得た魔素が、洞窟で聞く歌声のように、不思議な余韻を残して響いてゆく。


(広がれ、広がれ、鳥の翼のように、雪上の血のように、船から逃れる鼠のように)


 じわ、じわり、と押し出す感覚。

 と、レオンさんが押し殺した声で告げた。


「……嘘だろ。見える!」

「待って興奮しないで。レオンさんの魔素が乱れて干渉してくる……」

「言ってる場合じゃない、すぐ近くまで来てる!」


 レオンさんの右手が素早く動き、何かを投擲した。多分宿屋で手入れしていた、小型ナイフだか何だかだと思う。

 後ろの方でぐえっという声がして、後は何も聞こえなくなった。


「敵はあと五人だ。四人はじりじりこちらに進んで来てる。一人はここから一キロ離れた場所で俺たちを狙ってる」

「一番はじめに私たちを攻撃してきた人かな。遠距離は厄介だね……!」

「問題ない。()()()()()()()

 

 言うなりレオンさんは、魔導書を片手に何か口の中で唱え始めた。私に聞こえないように詠唱しているのはいかにも武人らしい。これは多分、相手に攻撃の手段を読ませないための癖、だろう。


「『魔法陣展開。招集コール、音よりも速く穿つもの』


 レオンさんは魔導書を口にくわえると、剣を腰だめに構えて、西の方角に向けた。

 剣先に真珠色の光が宿り、ひし形の魔術陣が展開される。

 シンプルな線、シンプルな魔素、それが物凄い強度で展開されているのが分かった。魔法陣からぬるりと現れたのは、装飾の施された巨大な輝く槍だった。


 それはレオンさんの身の丈の三倍ほどもあった。レオンさんは魔導書をくわえたまま、不敵に笑う。


「『――解放ふぁいほう』」


 槍は彗星の如く飛んで行って――それから、遠くの方ですさまじい爆音がした。

 お腹にびりびりと響く音に思わず目を閉じると、レオンさんがはっと鼻で笑う声がした。


「――仕留めた」

「良かった。……しっかし、レオンさんの魔法はなんていうか……強い人間が強い武器で殴ったらそりゃ強いよね、って感じで、面白みがないね」

「強いんなら良いだろが。よし、後は近距離戦闘で済みそうだな。ここで大人しく隠れて待ってろ」


 レオンさんは私の頭をぽんと叩くと、雪原に躍り出ていった。

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