37話
それは別に、今更「人々を守ろう」だなんて殊勝なことを考え始めたからではない。私に道徳観念が身に着いたからでもないだろう。
「魔導石を飲ませるのって確かに効果的なんだけど、その後の改善ができないんだよね」
「ん? ああ、お前がサフィール副団長に一番初めに提案してたやつか」
「そう。魔素の毒を弱めれば良いことだって思ってたけど、一度魔導石を飲ませると、外からいじれなくなっちゃうの」
レオンさんの武器に魔素を付与するようになってから、私は現場での微調整の重要さを学んだ。
対峙した魔獣が予想以上に素早かったり、強かったりすると、武器に新たな魔素を足したり、逆に不要な魔素を減らしたりすることが必要になる。
レオンさんの身体能力と「天使の目」があれば、多少強い魔獣であっても力業でごり押してしまえるのだが、ギルドに所属しているハンターが皆そうだとは限らない。
「実際の状況に対して微調整できないっていう点で、魔導石を飲ませるっていうのは良くないアイディアだった。魔獣っていう刻々と変わる生き物を相手にするんなら、柔軟性が必要なんだ」
「倫理的な問題に触れないのがお前らしい」
「あ、でも人間を無駄遣いしちゃいけないってことは分かってるから。特にハンターの数は限られてるし」
ハンターだけではない。
コントランド街は厳しい自然に囲まれた場所だ。人々が助け合い、お互いの仕事をきっちりとこなすことで、どうにか生活を回している。
誰かが欠けると、すぐ回らなくなる。人は貴重な資源だ。
私がそう説明すると、レオンさんはいつになく真面目な顔で頷いた。
「人間は貴重な資源だから、できる限り守らないといけないっていうのは、俺も同感だ。……でもな、騎士見習いだった時の剣の師匠は、こんな風に言ってた」
「なになに? どんなことを言ってたの?」
「『真なる騎士は、明日死に耐える老人であっても、罪深き罪人であっても、等しくこれを守らなければならない』」
「……どういうこと?」
「『貴重な資源』に当たらない人間でも、命を懸けて守ってやれってこと」
「そんなの……変だよ」
耳元で蚊が飛び回っている時のような、微かな不快感を覚える。
「老人はともかく、罪人なんて守る価値ないよ。だって罪人ってのはろくでなしで、努力もしないで、罪だけ犯した人のことでしょう? そんな人も命がけで守らなきゃならないの?」
「だよなあ。剣の師匠は凄腕で、俺に色々教えてくれたけど、これだけは意味が分からないままだ」
そう言ったレオンさんは、私の顔を見てぷっと笑った。
「そんな顔すんなよ、エルナ」
「えっ? どんな顔してる?」
「オレンジの白いとこを思いっきり齧った子どもの顔してる。でもお前は師匠に感謝しなきゃいけないんだぞ。師匠のその言葉が頭の中に残ってたから、俺はお前を助けようと思ったんだから」
「そうなの? ……それなら、まあ、聞くに値する言葉なのかなあ」
レオンさんの優しさ――善性と言い換えてもいいだろう。
それを彼に根付かせたのが、剣の師匠とやらの言葉なら、ちょっとくらい記憶に留めておこうか。
「真なる騎士は、明日死に耐える老人であっても、罪深き罪人であっても、等しくこれを守らなければならない」
呟いた瞬間、風がごうっと吹き付けた。
雪原から巻き上げられた雪の細かいかけらが舞い上がり、日の光を受けてきらきらと輝いた――。
その瞬間、レオンさんが私の肩を掴み、思い切り雪面に叩きつけた。
「ぶえっ!」
「誰かがこっちを狙ってる、伏せろ!」
レオンさんが叫ぶと同時に、何かつぶてのようなものが風を切って雪面に次々と突き刺さる。
私は思わず雪の中に手を突っ込み、豆粒ほどの銀の塊をつまみ出した。
「これは……魔導銃の弾丸……?」
「顔上げるな、伏せてろ! ――『防壁展開、優先度は遠距離攻撃』」
レオンさんが懐から取り出した手のひら大の魔導書に向けて命ずると、魔導書が赤黒く輝き、私たちの頭上に半透明の防壁を展開した。
ドアくらいの大きさの防壁は、魔素の濃い気配を感じた。
「おお」
こんな状況であるのに思わず見とれてしまう。レオンさんがこんな防御魔法を使うところを初めて見た。普段は魔獣をたたっ斬るか、へし折るか、ねじ切るかにしか魔法を使っていなかった。
「あー……。防御魔法の魔法陣は、タンザナイトの魔素を使って描いたんだね。魔素は『重複』? 魔法の効果が二倍になる。良い色を選んだね。相手に看破されにくいのも良い」
「分析してる場合か。西の斜面へ移動する。どうも敵の姿が見えん」
確かに、ここは山の頂上付近の開けた場所で、高い木もそんなにない。
だというのに、襲撃者は一体どこからこの弾丸を撃ち込んだのか。
レオンさんは覆い被さるようにして私を抱え込むと、あちこちに散らばっている猿型魔獣の死体に隠れながら、西の斜面の方へ腹ばいで進んだ。
「ふむ」
私はレオンさんに引きずられるがままになりながら、先程拾った弾丸を睨んだ。
このメカニックシルバーは、かなり人工的に作られた魔素だ。植物や魔獣といった自然物ではなく、工房で一から作り上げたものだろう。
そんなもので命を失うなどごめんだ。
「防戦一方なのはつまらない。レオンさん、どういう状況になれば、私たちは生きて宿屋に帰れる?」
「敵の居場所と人数が分かれば最高だが、そんなの鷹の目でもなけりゃ無理だろ!」
「鷹の目、あるよ」
レオンさんは私を信じられないといった目で睨んだ。
「お忘れかもしれないけど――。私、最高に優秀な彩師なの」
胸元に手を突っ込み、銀のロケットを取り出す。蓋を開けると、蛇腹状のプレートが飛び出してきて、私の秘蔵の魔素たちが行儀よく並んでいるのが見えた。
「レオンさんの目、貸してくれる?」
そう尋ねると、レオンさんが押し殺した息を吐いた。




