34話
素材屋は情報とフットワークの軽さが命だ。
西に獅子型魔獣のたてがみを欲する者がいれば、行って高値を吹っかけ。
東にラフレシアの蜜を入手した者がいれば、駆けつけて言葉巧みに安く譲らせる。
貴重な素材を仕入れて高く売るだけではなく、得意先が望む素材を揃えて納入することも、重要な仕事だ。
素材屋のニケは、主に後者の仕事を請け負っていたが、その得意先との契約が打ち切りとなり、素材仕入れのため、今は石裂大陸の南に位置する村に滞在していた。
年の頃は二十代後半。暗いトーンの赤毛をマーガレットに編みこみ、黒いミニスカートに、墨色の短ジャケットを合わせるスタイルがトレードマークだ。
荷物は少ないが、これは収納魔法で少なく見せているためで、実際は巨大なリュック二つ分の荷物を常に携行している。
貴重な素材を運んでいることの多い素材屋は、強盗や盗賊などに狙われる可能性も高い。魔導士や魔導具士などが、貴重な素材欲しさに素材屋を襲ったり、殺したりするケースもままある。
だから、というわけではないが、ニケは荒事に慣れていた。
二十代後半の女の身で、既に独立できているのが、彼女の優秀さを示している。
宿屋のハンモックでごろりと寝返りをうち、天井を睨んだニケは、深いため息をついた。
眠る前とあって下着同然の格好をしたニケの、むき出しになったお腹の上には、乱暴に開封された手紙があった。
ニケはもう一度その手紙に目を通し、それからぐしゃりとその手紙を握りつぶした。
「……エルナ。やっぱり、死んじゃったんだ」
エルナ。かつてのニケの得意先。
ニケと契約を結んでいたのはシャウムヴァインだが、事実上の相手はエルナただ一人だった。
彼女が要求する素材の質はいつも高く、それでいて金払いは渋く(これはエルナではなくシャウムヴァインのせいだ、彼らは財布の紐が必要以上に硬かった)かなり苦労させられたものだった。
しかし、白すぎるほど白いエルナの指が、素晴らしい魔導具を次々と生み出してゆく姿には、いつも魅了されていた。
だが、シャウムヴァインの人間は、エルナを地下室に閉じ込め、その自由を奪っていた。食料さえもまともに与えられないと聞いた時、ニケは全身の血が凍りつくような怒りを覚えたものだった。
その頃はまだニケも師匠について仕事をしていた時だったので、師匠の目を盗んでエルナに食料を差し入れ、時折地下室の外に連れ出し、日の光を浴びさせた。
シャウムヴァイン家の中庭で、眩しそうに周囲を見渡すエルナの、エメラルドブルーの瞳を思い出す。
シャウムヴァインから素材納入の契約を打ち切られたのは、つい一か月ほど前だ。
急な打ち切りであったことに加え、文句を言わせないような多額の報奨金が出たので、ニケは警戒心を強めた。
素材屋は、そうと知らずかなり貴重な素材を運ばされることも多い。一国を揺るがすほどの機密に触れることだって、なくはないのだ。
だから、口封じのために殺される可能性があった。シャウムヴァインのような、魔法に関する名家は特に、秘密が外に漏れるのを嫌う。
そんなわけでニケはしばらく身をひそめ、ここ南の村に仕事がてら潜伏していたのだが、気がかりだったのがエルナの安否だった。
ニケが食料を差し入れなければ、エルナは飢え死にしかねない。
そう思ってニケは、色んな伝手を使って、エルナの消息を調べさせたのだが――。
結果は、既に死んでいる、というものだった。
死因は事故死。コントランド山へ向かう途中の、馬車の事故だったという。
葬儀は内々に済まされたため、死体や埋葬場所は確認できなかった、と手紙には書かれてあった。
ニケはその文面を何度も読み、それから手紙を顔に押し当て、体を震わせ始めた。
「っく、……ふはっ、あははははははは!」
狭い宿の一室に、ニケの笑い声がこだましている。
彼女はハンモックの上で足をばたつかせながら、大いに腹を抱えて笑った。
「あー……。んはは、いやー、意外とシャウムヴァインの人たちも可愛いとこあんだね。あたしの言うこと真に受けちゃってさー」
シャウムヴァインがエルナをその手で殺さず、わざわざコントランド山まで連れて行って、放置した理由。
それは、ニケがシャウムヴァインの人間に流した嘘を信じたからだった。
エルナを殺したければ、事故死など装う必要はない。魔獣に食い殺させれば、死体も片づけられて一石二鳥だ。
エルナは社交界デビューもしていないし、その存在を知る者はごくわずかだから、殺したところで見咎められることはない。
だから。
ニケはエルナの身の安全を図るために、わざとシャウムヴァインの人間にこんな噂を流したのだ。
『長年魔素をたくさん含んだ素材を扱ってきたエルナの体は、毒に汚染されている。殺せばその毒が一気に膨れ上がり、呪いとなってシャウムヴァインの人間を脅かすだろう』
素材屋は様々な家を出入りする情報通だ。
どこそこの家でそんな事例を見聞きした、と神妙な顔で言えば、頭から疑われることはない。
また、シャウムヴァインのような貴族は、呪いや祟りといったものを極端に怖がる。子どもたちの髪にメッシュを入れ、魔除けとするのがその証左だ。
だから、エルナの体は毒で満たされている、と言えば、その手で殺すことを忌避するだろうことは容易に想像ができた。
「あたしのスパイの演技も、まんざらでもなかったって感じ?」
ニケはエルナが性愛込みで好きだ。彼女とどうこうなる気はさらさらなかったが、彼女がいつも生き延びられるよう最善を尽くしたかった。
エルナに食料を差し入れたり、服をみつくろったり、素材採取のためと称して彼女を日の当たる中庭に連れ出したり、とできるだけのことはしてきた。
ニケはエルナの味方だ。
だから、わざとシャウムヴァインの人間に接近した。
「エルナが何か不穏な真似をしたら即座に知らせる」と言って、エルナを見張るふりをしたのだ。
シャウムヴァインの人間は、エルナを汚らわしく思う反面、その実力は正しく評価していたから、エルナが何か企んでいないか常に警戒していた。
その警戒心にニケはつけこみ「表向きはエルナに友好的だが、その実エルナを見張る忠実なスパイ」のふりをしたのだ。
つまりニケは、ダブルスパイのまね事をしていたのである。




