表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/41

34話

 

 素材屋は情報とフットワークの軽さが命だ。

 

 西に獅子型魔獣のたてがみを欲する者がいれば、行って高値を吹っかけ。

 東にラフレシアの蜜を入手した者がいれば、駆けつけて言葉巧みに安く譲らせる。

 貴重な素材を仕入れて高く売るだけではなく、得意先が望む素材を揃えて納入することも、重要な仕事だ。


 素材屋のニケは、主に後者の仕事を請け負っていたが、その得意先との契約が打ち切りとなり、素材仕入れのため、今は石裂せきれつ大陸の南に位置する村に滞在していた。


 年の頃は二十代後半。暗いトーンの赤毛をマーガレットに編みこみ、黒いミニスカートに、墨色の短ジャケットを合わせるスタイルがトレードマークだ。

 荷物は少ないが、これは収納魔法で少なく見せているためで、実際は巨大なリュック二つ分の荷物を常に携行している。

 貴重な素材を運んでいることの多い素材屋は、強盗や盗賊などに狙われる可能性も高い。魔導士や魔導具士などが、貴重な素材欲しさに素材屋を襲ったり、殺したりするケースもままある。


 だから、というわけではないが、ニケは荒事に慣れていた。

 二十代後半の女の身で、既に独立できているのが、彼女の優秀さを示している。


 宿屋のハンモックでごろりと寝返りをうち、天井を睨んだニケは、深いため息をついた。

 眠る前とあって下着同然の格好をしたニケの、むき出しになったお腹の上には、乱暴に開封された手紙があった。

 ニケはもう一度その手紙に目を通し、それからぐしゃりとその手紙を握りつぶした。


「……エルナ。やっぱり、死んじゃったんだ」


 エルナ。かつてのニケの得意先。

 ニケと契約を結んでいたのはシャウムヴァインだが、事実上の相手はエルナただ一人だった。

 彼女が要求する素材の質はいつも高く、それでいて金払いは渋く(これはエルナではなくシャウムヴァインのせいだ、彼らは財布の紐が必要以上に硬かった)かなり苦労させられたものだった。

 しかし、白すぎるほど白いエルナの指が、素晴らしい魔導具を次々と生み出してゆく姿には、いつも魅了されていた。


 だが、シャウムヴァインの人間は、エルナを地下室に閉じ込め、その自由を奪っていた。食料さえもまともに与えられないと聞いた時、ニケは全身の血が凍りつくような怒りを覚えたものだった。

 その頃はまだニケも師匠について仕事をしていた時だったので、師匠の目を盗んでエルナに食料を差し入れ、時折地下室の外に連れ出し、日の光を浴びさせた。

 シャウムヴァイン家の中庭で、眩しそうに周囲を見渡すエルナの、エメラルドブルーの瞳を思い出す。


 シャウムヴァインから素材納入の契約を打ち切られたのは、つい一か月ほど前だ。

 急な打ち切りであったことに加え、文句を言わせないような多額の報奨金が出たので、ニケは警戒心を強めた。

 素材屋は、そうと知らずかなり貴重な素材を運ばされることも多い。一国を揺るがすほどの機密に触れることだって、なくはないのだ。

 だから、口封じのために殺される可能性があった。シャウムヴァインのような、魔法に関する名家は特に、秘密が外に漏れるのを嫌う。

 そんなわけでニケはしばらく身をひそめ、ここ南の村に仕事がてら潜伏していたのだが、気がかりだったのがエルナの安否だった。

 ニケが食料を差し入れなければ、エルナは飢え死にしかねない。

 そう思ってニケは、色んな伝手を使って、エルナの消息を調べさせたのだが――。


 結果は、既に死んでいる、というものだった。

 死因は事故死。コントランド山へ向かう途中の、馬車の事故だったという。

 葬儀は内々に済まされたため、死体や埋葬場所は確認できなかった、と手紙には書かれてあった。


 ニケはその文面を何度も読み、それから手紙を顔に押し当て、体を震わせ始めた。


「っく、……ふはっ、あははははははは!」


 狭い宿の一室に、ニケの笑い声がこだましている。

 彼女はハンモックの上で足をばたつかせながら、大いに腹を抱えて笑った。


「あー……。んはは、いやー、意外とシャウムヴァインの人たちも可愛いとこあんだね。あたしの言うこと真に受けちゃってさー」


 シャウムヴァインがエルナをその手で殺さず、わざわざコントランド山まで連れて行って、放置した理由。

 それは、ニケがシャウムヴァインの人間に流した嘘を信じたからだった。

 エルナを殺したければ、事故死など装う必要はない。魔獣に食い殺させれば、死体も片づけられて一石二鳥だ。

 エルナは社交界デビューもしていないし、その存在を知る者はごくわずかだから、殺したところで見咎められることはない。


 だから。

 ニケはエルナの身の安全を図るために、わざとシャウムヴァインの人間にこんな噂を流したのだ。


『長年魔素をたくさん含んだ素材を扱ってきたエルナの体は、毒に汚染されている。殺せばその毒が一気に膨れ上がり、呪いとなってシャウムヴァインの人間を脅かすだろう』


 素材屋は様々な家を出入りする情報通だ。

 どこそこの家でそんな事例を見聞きした、と神妙な顔で言えば、頭から疑われることはない。

 また、シャウムヴァインのような貴族は、呪いや祟りといったものを極端に怖がる。子どもたちの髪にメッシュを入れ、魔除けとするのがその証左だ。

 だから、エルナの体は毒で満たされている、と言えば、その手で殺すことを忌避するだろうことは容易に想像ができた。


「あたしのスパイの演技も、まんざらでもなかったって感じ?」


 ニケはエルナが性愛込みで好きだ。彼女とどうこうなる気はさらさらなかったが、彼女がいつも生き延びられるよう最善を尽くしたかった。

 エルナに食料を差し入れたり、服をみつくろったり、素材採取のためと称して彼女を日の当たる中庭に連れ出したり、とできるだけのことはしてきた。

 ニケはエルナの味方だ。

 だから、わざとシャウムヴァインの人間に接近した。

「エルナが何か不穏な真似をしたら即座に知らせる」と言って、エルナを見張るふりをしたのだ。

 シャウムヴァインの人間は、エルナを汚らわしく思う反面、その実力は正しく評価していたから、エルナが何か企んでいないか常に警戒していた。

 その警戒心にニケはつけこみ「表向きはエルナに友好的だが、その実エルナを見張る忠実なスパイ」のふりをしたのだ。


 つまりニケは、ダブルスパイのまね事をしていたのである。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ