23話
鉤に吊るされた獅子型魔獣の胴体。革を剥がれた水牛型魔獣の中身。
床にひしの実の如く転がっているのは、駝鳥型魔獣のくちばしだろうか。
作業場を目の当たりにしたエルナの興奮といったら、凄まじかった。
「スカーさんスカーさんあの魔獣はああやって血抜きをするんですねああっでも平凡な赤! もっと良い色はないかしら……って、あの鍋でぐつぐつ煮込んでいるあの魔獣は、もしや麒麟型魔獣では!? 一年かけて煮込めば綺麗な緋色の骨が採れるという!」
「詳しいな。そうだ、あれには絶対に手を触れるなよ。高値がついている」
「はいっ! 触れると劣化しますものね。触れなければお前の肉親の手を切り落とすと言われても触れません!」
「その意気だ!」
まるで宝石店で目を輝かせている淑女のように、エルナは魔獣の死体に興奮している。
そんなエルナを遠い目で見ながら、レオンは作業場の隅で、所在なげに佇んでいた。
作業場、と言えば聞こえはいいが、要するに匂いが漏れないよう固く扉を閉ざした煉瓦造りの倉庫だ。床は土がむき出しだし、換気はほとんどされていない。
鋭敏なレオンのハンター的嗅覚は、すさまじい異臭と悪臭に翻弄され、気分が悪くなるほどだった。
作業場には、大きな作業台と水場の他、背もたれのない小さな椅子がいくつかある。
この中で、レオンが何に使うか分かったのはそれだけだ。あとは用途の全く分からない器具たちが、ずらりと壁にかけられている。
しかし、魔獣の死体を解体するスカーの手順は、並外れていた。
スカーは、持ち帰った蜘蛛型魔獣を、まず足と胴体に分離した。
既に胴体に開いていた孔から手を突っ込み、内臓を的確にかき出して作業台に並べてゆく。
空っぽになった胴体は、猫車の中に放り込まれた。恐らく廃棄だろう。
迷いもなければ無駄もない、洗練された動きに、レオンは感心した。
「寄生虫がいたからな。よく臓器の状態を確認しないと」
と言いながら、スカーは五つほどある臓器を、ナイフで何かごちゃごちゃと切り分けていた。
手を動かしている間であれば、警戒心も薄いだろう――そう考えたレオンは、今思い出したといわんばかりのさりげない口調で言った。
「そう言えば――昨日駝鳥型魔獣が市場に出没したんだが、その死体もここに来ているのか?」
エルナがあからさまにはっとした顔になったので、レオンはいっそ笑ってしまった。
そう、スカベンジャーたちの仕事場には、それを確認するために来たのだ。エルナはようやく当初の目的を思い出したらしい。
幸いスカーは、臓器に屈みこんでいたので、エルナの表情に気づかなかった。
「ああ。既に腑分けは終わってる。細部を調べるのはこれからになるが……。目立った異常はない」
「少しだけ見てみてもいいですか? 駝鳥型魔獣を見るのって初めてで」
「いいぞ。高価な臓器もないしな」
スカーの許可を得、レオンとエルナは作業場の隅に向かった。
そこには、駝鳥型魔獣の死体は、無造作に積み上げられていた。
ぐったりとした肉の塊が重なり合い、血と僅かな腐臭を漂わせている。
エルナは後ろで手を組んだまま顔を近づけた。そこに躊躇いや恐れは微塵もない。
彼女の深い青をした目はらんらんと輝き、レオンには死体の山にしか見えないものに、何かの真実を見出そうとしている。
その目を、良いな、とレオンは思った。
あまりにわくわくした様子なので、彼女の目が見つめるものには、何かとんでもない価値があるような気にさせられるのだ。
だが、そう思ったのも一瞬。
美しいターコイズブルーの目が細められ、薄い唇が弧を描いた。
「ああ、やっぱり。別種の魔素を感じる。――心臓が見えないかな」
呟いて、エルナは地面にあった木切れを拾い上げると、死体の山に差し込んだ。
その細腕からは想像もできないような力の強さで、肉をかき分ける。
「……あった! レオンさんここ持ってて」
「おう」
てこの原理で死体を持ち上げたあとの、エルナの手が入るか入らないかといった小さな隙間を覗き込む。
そしてポケットから取り出したピンセットを、コソ泥のように素早く隙間に差し入れた。
スカーが作業台から顔を上げるより一瞬早く、エルナはピンセットで何かをつまみ出し、懐にしまい込んだ。あまりにもさりげない仕草に、レオンは少し驚く。
「慣れてるな」
「手癖が悪いでしょ? シャウムヴァイン家ではそうしないと飢え死んじゃうからね」
スカーは顔を上げ、額に飛んだ何かの体液を手の甲でぐいっと拭った。
そうして、エルナたちを怪訝そうに見る。
「随分真剣に眺めてるな。そいつらは死んで時間も経ってるし、物珍しい魔素は採取できんと思うが」
「そうですね。でも勉強になりました」
「そうかい。さて、これから解体後の保存作業と、値付けがあるんだが、そこは見学させてやれん」
「そうですか。ここまで見せて下さりありがとうございました」
そう言いながらも、エルナは保存作業の方に後ろ髪を引かれている様子だったが、レオンにはスカーの言葉が理解できなくもなかった。
値付けはギルドの重要な秘密でもあるから、部外者の二人に見せたくないのだろう。
エルナと共に作業場の出入り口に向かう間、スカーは刃先の長いはさみや、先端が曲がったピンセットを作業台に置いていた。
そのうちの一つ、小さな望遠鏡のようなものを手に取ったスカーは、硝子を覗き込んで顔をしかめた。
「この小型顕微鏡はそろそろ交換が必要だな。……とはいえ、最近シャウムヴァイン印の魔導具はどんどん高くなってきて、おいそれと買えんが」
「そうなのか?」
「ああ。ここのところ急に値上がりし始めて、全く困ったものだよ。品質がかなり高いから、多少高価でも買わざるを得ないんだが……。ギルドの予算も無限じゃないからな。どこかで切り詰める必要があるだろうな」
その言葉に、エルナは微かに首を傾げた。
「変なの。小型顕微鏡は、そこまで高い値付けにしなかったのに」
「参考までに、今はいくらくらいかかるんだ? その……小型顕微鏡? だっけか」
レオンが問うと、スカーはある金額を口にした。
それは王都の家賃一か月分ほどだった。エルナが目を丸くしたので、彼女の知らないところでシャウムヴァイン家は商品を値上げしたのだろう。
商品に高値をつけ、安定的に稼げるようになったから、製品開発者であるエルナはもういらない――そう考えて、彼女をコントランド山に捨てたのかもしれない。
あるいはその逆かもしれないが、どのみち虫唾が走る話だ。
「シャウムヴァイン家の連中は、搾取することしか考えていないんだろうな」
レオンは吐き捨てるように言うと、エルナを促して足早に作業場を出た。




