13話
「アカグマが魔獣に殺されただって? 連中は体高三メートルもある巨獣だぞ!? しかも秋から冬にかけては子育てのせいでより凶暴さが増しているはずなのに」
「そうだ。だが事実として、魔獣がアカグマを餌にしているのは間違いない。我々は何度もそれを観測しているからね」
「アカグマがどれだけ強いのかは知りませんけど、そんな獣を殺せるほど強い魔獣が相手なら、今の人々の対策だけでは不十分です」
エルナはそう言い切る。
サフィールもまた頷き、見定めるようにエルナに視線をやった。
「あんたの言う通りだ。この街は、絶え間ない魔獣の襲撃に悩まされている。この事実を踏まえて、あんたはどんな手を打つ?」
「魔獣の血から魔素を抽出し、それを魔導石に付与します」
「それで?」
「その石を飲んだ人を門番に据えます。魔獣除けにはてきめんに効くかと」
「……石を飲む、だと?」
サフィールの形の良い眉が吊り上がった。明らかに異を唱えたい顔だ。
レオンは、小さな少女の姿をしたサフィールが、急に威圧感を増したような錯覚を覚えた。
「魔導石を飲む、か。よくもまあそうたやすく言えたものだ」
憎悪さえ滲ませたまなざしに、レオンははっとなった。
副団長たる彼女が、魔導石を飲み込むということに、ここまで反応する理由に、レオンは心当たりがあった。
しかしエルナは、サフィールの反応に気づいていないのか、小首を傾げて続ける。
「確かに簡単なことではありません。魔獣の血から抽出した魔素は、人間にとって猛毒も同然ですから。でもその毒は弱めることができます」
「違うぞ、エルナ。副団長が懸念しているのは毒素だけじゃない」
レオンは探るようにサフィールの顔を見た。
「彩師を始めとした研究者たちによる人体実験、通称『白薔薇の君事件』。……確かそれが起こったのは、五年前の王都のギルドでしたね」
「人体実験? 『白薔薇の君』事件って?」
ぽかんとするエルナの顔を見て、サフィールは顔をしかめた。
「なんだ、そこまでの観察眼を持ちながら、あの事件を知らないのか? ギルドに所属していないあたり、どこぞの好事家なご令嬢かと思っていたが、ご令嬢なら知っているはずだ。『白薔薇の君』と呼ばれた、麗しくも毒を孕んだ女のことを」
「知りません。でも、その事件のせいで、石を飲むという選択肢を、あなたはあまり気に入っていないのは分かります」
「当然だ。魔導石を飲めば、その身は不可逆的に変わってしまう」
「ああ、でも私の方法なら、飲み込んだ人にほとんど影響を与えないまま、魔獣の血の魔素を活かすことができますよ」
エルナは言い募るが、サフィールは渋い顔だ。
無理もない、とレオンは思う。
五年前の『白薔薇の君事件』は、一人の恐ろしいほど魅力的な女性が、その魅力でもって他人を意のままに操り、体を差し出させたという事件だ。
自らの足元に投げ出された数々の体を、白薔薇の君と呼ばれた女性は、どうしたか?
切り刻み、分解し、未知の魔素にさらし、彼女の実験台にした。
要するに、人体実験を行ったのだ。
それは研究者の倫理の問題にかかわることだった。
なぜならば、白薔薇の君が行った実験によって得られた結果は、魔法に対する理論に寄与した――などと、まことしやかに囁かれているからだ。
無辜の人間を切り刻んで得た知見を、人間が前進するために必要と割り切るか。
罪のない人々を犠牲にして手にした結果を糧にすべきではない、と考えるか。
レオンのような門外漢でも、研究者の間でそのような議論が交わされたことは知っている。
だから、サフィールの忌避感も、分からなくはなかった。
「あんたはよそ者だ。確かに見識があるんだろうけど、魔導石を飲むなんてアイディアは到底受け入れられないよ」
「そうですか。では別案を考えましょう」
エルナがそう言った瞬間だった。
レオンがぱっと顔を上げる。一瞬ののちに、悲鳴と、何かが崩れる音が、市場の方から聞こえてきた。
そうして間違えようもなく感じる、魔素のひりひりとした感覚。
「魔獣だ」
サフィールが押し殺した声でつぶやいたかと思うと、風のように駆け出した。
エルナがそれを追って走り出したので、レオンもそれに倣う。
レオンは剣をいつでも抜ける状態にしながら、頭の中で計算していた。
――ここは街中でしかも昼日中だ。衛兵はいつでも駆けつけるところにいるだろう。
ギルドの副団長であるサフィールも現場に向かっているのだ。自分が剣を抜き、目立つ必要はない。
「エルナ。俺の後ろにいろよ。出しゃばらないように」
「馬鹿言わないで。この街が置かれた状況をこの目で見る願ってもないチャンスだっていうのに!」
ずっと地下室に閉じ込められていたくせして、エルナはいやに足が速い。
レオンはチッと舌打ちすると、目の前で翻るエルナの栗色の髪を追いかけた。




