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1話

 目が覚めた私の視界に飛び込んできたのは、見渡す限りの白だった。


 確か私は馬車で、言いつけられた通り別邸に向かっているはずだったのに、どうしてこんなところで寝ているのだろう。

 私は吹雪の中、呆然と起き上がり、目の前に広がる色のない世界を見渡す。


 骨まで凍えそうな寒さにとても耐えられない私の軽装。

 姿かたちもない馬車と御者。

 持ってきたはずなのに手元にないトランク。


 少し考えてから、私は嫌な推測に行き当たる。


「騙された、ってこと?」


 本当であればここには、私の目的地であるシャウムヴァイン家の別邸があるはずだった。

 そこで、異なった素材で色の研究をすると――そう聞いていた。

 それが私の新しい仕事だと。


 けれどここには、吹雪をしのげるような家屋は一切見当たらず、私を運んできた馬車もない。

 馬車の中で眠りこけていた私を、人っ子一人見当たらないこんな雪原へ放置したのは、あの御者だろう。降ろされても目覚めなかったということは、何か薬を盛られていたのかもしれない。


 にしても寒すぎる。

 せめて火でも起こそうと、魔導書が入ったトランクを探す。

 周囲をのろのろと探ってみるが、降り積もった雪に手が沈むばかりで、何も見つけられない。


「……用意周到ね」


 トランクには金目のものは入ってないけれど、魔導書を入れたままにしておいたのは失敗だった。魔導書があれば、火をおこしたり、風よけになるものを作れたりしたかもしれないのに。

 そう思いながら私は体を縮めて、手のひらをこすり合わせた。

 吹き付ける雪の嵐の中、私は簡素な外套一枚のみで、手袋も持っていなかった。

 魔導書がないのなら、魔獣に襲われても反撃できない。

 それどころか、冷え切った体を温める術もない。


 鈍かった脳みそがようやく回転し始め、私は自分に与えられたメッセージの意味を知る。


「私、騙されたんじゃなくて――ここで死ねって言われてるのか」


 凍死か、魔獣に食い殺されて死ぬか、その両方か、分からないけれど。

 私をここへ送り出した、シャウムヴァイン家の家族の顔が脳裏を過ぎる。

 両親の嘲笑。兄の嘲りと憤怒。妹の、憐憫の皮を被った冷笑。

 彼らが私を見るとき、およそ好意的な感情というものはなかった。

 だから今更驚かない。

 雪のほかには何もない場所に放っておかれて、そのまま野垂れ死ぬのを待たれていたとしても。


「結構役に立ってたつもりだったんだけどな」


 そりゃまあ、社交界のきらきら輝く世界がもっぱらの生息地である家族にとって、地下室にこもって、草の根をすり潰したり、花を燃やした灰を煮たりする、わけのわからない魔女もどきは気味が悪かっただろう。

「汚らしい手。絶対にパーティには出ないでね、家族だと思われたくないから」

 などと母からよく言われていたものだ。


 けれど、彼らがドレスを買うお金は、私が開発した魔道具を売って得たものだったのに。

 太陽の光もろくに入らない中、睡眠時間を削って、骨身を惜しんで作った魔道具の売り上げは、全て家族たちの懐に入って、私には自分の服を買うお金さえ残されなかったのに。


 寒さに耐えかね、私は歩き出した。

 けれどどこに行けるというのだろう? 周囲には何もない。

 動物どころか、木も道も、目印になりそうなものはなあんにも。

 視界を埋め尽くすのは雪の白だけだ。ぼろ靴は雪でじっとりと湿り、足先の感覚はもうほとんどない。

 私は何かにつまずき、雪の中に顔から倒れこんだ。

 起き上がろうとして、やめる。


「……別に、生きててもしょうがない」


 どんなに汗水垂らして働いても、こんな風にぽんと雪原に捨てられるような人生なのだ。

 あがいたって素敵な未来が待っているとは思えない。

 ――それならもう、ここで、眠るように死んじゃえば、楽じゃない?

 私は顔を横に向ける。嫌になるほど白しかない世界だ。

 白は魔素を持たない。だからここには、どこまで行っても無しかない。


 その中で、私の右手の中指と人差し指の先だけが、アカネの根の色を帯びて赤く染まっていた。


「……あ」


 血のようにシンプルな赤色だ。

 けれどそれは生命の色であり、かすかに魔素さえ帯びている。

 その魔素が、ぱち、ぱちんと目の前で弾けたように見えた。

 ――実際、指先を染める程度の色が、大した魔素を有しているはずがない。

 けれど確かに、その時の私の目には、指先の赤色が火花を散らすのが見えたのだ。


 そしてその火花は、私の心に火をともす。


 私はもっとたくさんの色を知りたい。

 思いもよらぬ素材から、思いもかけない色が抽出されるのを、この目で見てみたい。

 世界が、思わずため息をついてしまうほどの美しい色で包まれるところに、立ち合いたい。

 そのためには――生きなければならない。

 少なくとも、こんな白しかない雪原の上で死んでいてはだめだ。

 腕に力を込めて起き上がり、改めて周囲を見回す。

 そうして目を凝らしていると、右手の方に木々の影のようなものが小さく見えた。


「少なくともあっちに行けば、燃やすものがあるかも」


 私は歩き始めた。体力はないけれど、気力ならあった。

 足に雪がまとわりついて、体が冷え切って、だんだんうつむきがちになり始めた頃、目指していた木々の方へ到着した。

 雪の重みで枝を垂らした木々の周辺には、枝が落ちていたが、いずれも湿っていて火はつきそうにない。

 けれど私は、それよりも重要なものを発見した。


「これって、足跡……?」


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