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そこに山があるから

 ナップザックを背負い、腰を屈めつつ立ち上がりました。気を抜くと、風によって引き倒されてしまいます。強風に抵抗しつつ、ゆっくりと足を進めました。いま歩いている場所は比較的斜度が緩いですが、目の前は切り立った崖のように落ち込んでいます。そこから先は、四つん這いにならないと登れなかった急な斜面でした。その淵まで移動して、腰を屈めながら大雪渓を見下ろします。とんでもない高さでした。ネットでの大雪渓の説明では標高差600mとありました。しかし、ここから白馬尻が見えています。ということは600mどころじゃない。もっとあるはずです。大雪渓の定義は知りませんが、こんな高さまで登ってきていたことに、我ながら驚きました。ただ、どんなに高くても傾斜が緩やかであれば、それほど怖くない。怖いのは、この切り立った斜面を降りなければならないことでした。


 ――どうやって降りるの?


 素直にそう思いました。最初の一歩が踏み出せない。先ほど滑落した男性も、この急な傾斜で戸惑ったに違いありません。横向きになり、アイゼンの爪を利かせながら、斜面に張り付くようにして降りました。アイゼンの爪が、足首を守っているゲイターに引っ掛けないように注意しないといけません。こんなところで引っ繰り返ったら、どこまでも滑り落ちていくでしょう。


 下りながら、気が付きました。白馬尻から少し上がったところに、幾つもの黒い点が見えます。これから大雪渓を登る人の影でした。標高差がありすぎて、本当に点にしか見えません。先ほど滑落したカップルも順調に降りているようでした。ホッと安心しつつ、自分のことに集中することにしました。一歩一歩確実に降ります。一歩一歩……。


 緊張の連続でしたが、降りるごとに傾斜が緩くなってきました。段々と慣れてきます。そのうち、ワザと足を滑らせながら、降りる術を見つけました。更には尻セードといって、お尻を付けて滑り台で滑る要領で降りていきます。傾斜さえ緩ければ、何でもありでした。一気に下降していきます。


 これから大雪渓を登る方は案外とおられました。僕が見かけたのは、登山客が8名、バックカントリーが8名と言ったところでしょうか。その内、バックカントリーの方に興味を持ちました。なぜなら、アイゼンではなくスキー板で登っていたからです。


「こんにちは」


「ええ、こんにちは」


「スキー板で登れるんですね?」


「ああ、これですか? これはスキー板の底にシールを張っているんです」


「へ~、そうなんですか……。知りませんでした」


「白馬岳は登ってこられたのですか?」


「いや、登れませんでした。あまりに風が強かったので、撤退してきました」


「ああ、そうですね。ヤマテンの予報では、20mを超えていたから……」


「何ですか? ヤマテンって」


「山の天気の予報ですよ。便利ですよ。僕も登るつもりにしていたのですが、風が強いからやめました。昼からは、風は弱くなるようです」


「20mっていうのは、風速ですか?」


「ええ、そうですよ。20mを超えるようなら、登らない方が良いです。立っていられなかったでしょう」


「ええ、しゃがみ込んでいました」


「それは撤退してきて正解ですよ」


「そうなんだ。とても参考になりました。ありがとうございます」


「では」


 その後、白馬鑓温泉から降りてきたベテランの登山家ともお話ができました。風速20mを超える環境では、よほど注意しなければならないよと、アドバイスを受けます。何もかも初めてのことだったので、よい勉強になりました。


 登りに6時間も掛かった白馬大雪渓の登山でしたが、下りは3時間弱。帰り道の天気は上々で、風はありません。あんなに怖かった強風が嘘のようです。気温はかなり上昇して、雪が解け始めました。あまりにも暑いので、白い雪原の中、シャツ一枚で歩きました。ベースキャンプ化していたテントに辿り着くと、倒れ込むようにして横になります。30分ほど寝ました。


 荷物をまとめて白馬村を去った僕は、大町市にある大町警察署に寄ります。10年前に、この警察署で滑落死した従兄と再会し、そして引き取りました。そんな記憶を思い出します。当時は、命を賭けてまで従兄が憧れたものが何であったのかを、想像するのは難しかった。今回は登頂することは出来ませんでしたが、その一端を垣間見ることが出来ました。とてもスリリングな冒険で、簡単にはたどり着けないというハードルの高さに魅力がありました。


 そういえば、従兄が無くなり自宅の荷物を整理していた時、指懸垂をしていた跡を発見しました。ただの懸垂でも大変なのに、指懸垂なのです。また滑落死した一か月前は、六甲全山縦走を成し遂げていました。六甲全山縦走は、56kmの山行を一日で成し遂げるハードコースで、並大抵のトレーニングでは成しえません。そうしたトレーニングをストイックに積み上げていくところから、彼の登山は始まっていました。ちょっとばかしランニングを行ったくらいでは、3,000m級の白馬岳は難しかったようです。


 その日は、諏訪湖周辺にあるキャンプ場で一泊しました。目が覚めると雨でした。屋根がある炊事場に全ての荷物を移動させて、手早くパッキングします。お湯を沸かしてカップラーメンを食べた後、雨の中キャンプ場を後にしました。この日は、夕方までずっと雨。修行の様なツーリングでしたが、山間には霞が掛かり、幽玄な景色を楽しませてくれました。


 関ケ原を経由して、琵琶湖の湖岸道路を走ります。GWですが、案外と走りやすかった。少し寄り道をして、従兄の実家がある山科に寄ります。現地で購入した日本酒「大雪渓」を従兄の仏前に供えて、白馬岳に僕も途中まで登ってきた報告をしました。お参りをしたことで、何だか一区切りが付いたような気がします。


 まだ頭の中は整理しきれていないのですが、昨年の9月から始めたこれまでの山登りは、元々は山岳信仰を体験するためでした。ところが、従兄が登山家だったこともあり、その足跡を追いかけるようになります。1924年6月、エベレスト登頂第3次遠征において登山家ジョージ・マロリーは、インタビュアーから質問を受けました。


「なぜ、あなたはエベレストに登りたかったのか?」


 マロニーは答えます。


「そこにエベレストがあるから」


 パートナーのアンドリュー・アーヴィンと共に頂上を目指したマロニーでしたが、頂上付近で消息を絶ちます。危険な登山は、生死と表裏一体なところがあるので殊更目立ちますが、普段生活をしている僕たちもそうした登山家と一緒だと思うのです。何故かって? 誰しも、いつかは死ぬからです。違いを挙げるとすれば、逃れることが出来ない死を、意識できているかどうかではないでしょうか。登山家は、自らリスクを取りに行くことで、逆に生きていることの素晴らしさが実感できました。結果を成就するために、ストイックな生き方を自分に課します。そんな気がしました。


 京都の山科を後にして、大阪の自宅に向かいます。途中、大山崎の辺りで、スーパーカブのチェーンが外れました。出発前に整備したはずなのに、往復920kmの旅路はチェーンに大きなストレスを与えていたようです。伸びまくっていました。こんなこと初めて。まー、それでも、事故なく帰阪出来ました。これにて、白馬岳登山の話は終わりになります。ここまでお付き合いを頂き有難うございました。

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