木曽路まで
大阪府の摂津市から長野県の白馬村まで下道で走る場合、鈴鹿山脈という大きな障壁がありました。この障壁を越えていくには大きく二つのルートが考えられます。一つは琵琶湖を経由して古戦場で有名な関ケ原を通過する国道21号線を走るルート。もう一つは、鈴鹿山脈の南に位置する忍者の隠れ里があった伊賀を通過する国道25号線を走るルートになります。それ以降は岐阜や名古屋を経た後、御岳山を擁する飛騨山脈と駒ヶ岳を擁する木曽山脈に挟まれた南北に走る木曽路を走ることで長野県に至ることが出来ました。グーグルマップでルートを計測した結果、どちらのルートも最短で420kmとの答えが返ってきます。今回は、往路は伊賀を、復路は関ケ原を経由しました。
余談ですが、ツーリングを計画する場合グーグルマップは非常に有能で、毎回お世話になっています。またルートの検索だけでなく、ガソリンスタンドのチェックも忘れてはいけません。燃費が良いとされるスーパーカブですが、タンクは4ℓしか入りません。大型バイクに比べると最大の航続距離が短い。山間部にあるガソリンスタンドは、ゴールデンウィークは休業というところもあり、アテにしていると給油が出来ない場合があります。なので、スタンドが少ない山間部の道を走る直前は、ガソリンが残っていたとしても満タンにしておく準備が必要になります。僕は過去に、一度やらかしてしまい、スタンドを求めて30kmもスーパーカブを押したことがありました。あれは正月のことでした……。苦い思い出です。最近は、ガソリンの携行缶を所持するようになったので、燃料で困ることはなくなりました。
有能なグーグルマップなのですが、僕のような50ccのスーパーカブでツーリングをする場合は、ケアできないことがあります。道路交通法によって原付は高速道路が走れません。グーグルのルート検索では、オプションで高速道路と有料道路を使用しない設定が出来ます。それはいいのですが、道路には原付が通行できないバイパスが存在していました。そんなバイパスまでは拾い上げてくれません。こればっかりは、実際に走ってみないと分からないのです。その場合でも、必ずう回路はあるので、それほど心配する必要はないのですが。
さて、片道420kmの道のりですが、グーグルマップによると走り切るのに9時間58分は掛かると計算してくれます。ただ、これは自動車で走った場合なので、速度制限30kmのスーパーカブならもっと時間が必要で、更には休憩時間も計算に入れる必要があります。僕の感ピューターで、おおよそ12時間は必要だろうと考えましたが、実際にその通りでした。
当日の朝、夜中の2時に目が覚めました。出発の用意は出来ています。かなりの重装備。これまでに遠征する野宿の旅は何度もこなしてきました。伊勢神宮を参拝した紀伊半島一周の旅は、650km――ガス欠による30kmの徒歩を含む。聖徳太子のお母さんである穴穂部間人皇女の痕跡がある丹後半島の旅は、550km。出雲大社を参拝した出雲の旅では、980km。どれもかなりの長旅でしたが、三日間での走行距離になります。今回は、同じ二泊三日でも一日は登山に割いているうえ、登山用の荷物も積み込む必要がありました。過去一のハードスケジュールであり、過去一の積載量になります。
主だった荷物は、野宿用に、テント、寝袋、コンロ、コッヘル、パイプ椅子、七輪、食材、携帯バッテリー、バイクカバー、ダウンジャケット、レインスーツになります。ここに登山用具がプラスされます。大型ナップザック、ピッケル、アイゼン、チェーンスパイク、ワカン、ストック、ツェルト、ヘッドライト、登山用手袋、携帯飲料、行動食等になります。僕の相棒であるスーパーカブのリアキャリアに積載しましたが、かなり凄いことになりました。相棒に無理をさせているな~、としみじみと思います。メーターからこれまでの走行距離を確認しました。81,490km。これまでにも無理をさせてきたな~、と改めて思いました。
三連休ではありますが、職場である中央卸売市場に向かいます。僕は休みでも、お客様である小売屋は店を開けていました。最低限の仕事だけを済ませます。引継ぎを行った後、朝の4時前に市場を出発しました。いよいよ冒険の始まり。心の中は高揚感で一杯です。
まだ朝とも言えない真っ暗な空の下、生駒山脈を突き抜ける国道163号線を走ります。清滝峠を越えていくと、奈良県北部と京都府南部が混ざり合う地域を通過していくのですが、この頃に太陽が昇り始めました。京都府の南を流れる木津川に寄り添うようにして国道が走り、山間部を抜けていきます。三重県の伊賀市からは国道25号線に乗り換え、亀山市、鈴鹿市といった田舎の面影を残す大きな町を通過していきました。
景色が一変したのは、四日市になります。社会で勉強した四日市ぜんそくで有名な地域でした。臨海部を走る国道23号線を走っていたこともあるのですが、周りは石油化学コンビナートをはじめとする工場ばかりが目につき、民家が見当たりません。ただ、生きていくうえで仕事がある地域ではあります。三重県の山中では、田畑が広がっていました。多くの方が農業に従事していると思うのですが、農業による収入と、工業地帯で仕事をした場合の収入の違いが、少し気になりました。また、農業による生産人口の減少は、近年深刻さを増しています。昨年から続く、米の販売量の減少は改善を見せていません。そんなことを思いながら、四日市を通過しました。
名古屋に入ると、都市部を避けて庄内川沿いに土手を走ります。信号がないので走りやすいと思いきや、考えることは皆一緒のようでして、案外と車が多くて渋滞区間がありました。悪いな~、と思いつつも車の脇をすり抜けて走ります。名古屋の北部にある春日井市で国道19号線にアクセスすると、ここから木曽路を抜けて、長野県の安曇野市まで行くことが出来ます。振り返ってみるとツーリングにおいてこの木曽路は、最高のメインロードでした。
白馬まで急がなければならないので立ち寄ることは出来ませんが、深い渓谷の木曽路には宿場町だったことを示す看板が行く先々で掲げられていました。贄川宿、奈良井宿、福島宿、野尻宿、妻籠宿、馬籠宿等々。昔は江戸から京都を結ぶ街道として、この木曽路を含む中山道と、太平洋側の東海道が主要な街道でした。海に面した東海道に比べて、この木曽路は深い峡谷であったがゆえに難所だったようです。ネットで調べてみると、宿場町が11と多かったのも、道の険しさが影響して距離を稼ぐことが出来なかったからとありました。現代は道が整備されているので、スーパーカブで気持ち良く走ることが出来ます。険しい木曽路だからこそ、その景観は素晴らしいものでした。
季節はもう初夏といっても良い。新緑に包まれた木曽路は、生命力に溢れていました。天気が良かったこともあり、スーパーカブを走らせているだけで気持ちが高揚してきます。スピードが遅い僕のスーパーカブを車が次々と追い抜いていきますが、そんなことは気にしない。大桑村を走っている時に、青い空を見上げました。すると右手に、新緑に包まれた山の稜線の向こうに、木曽山脈の白い頂が見えたのです。
――あっ!
雪です。雪の白さです。かなり感動しました。僕は、今日の夕方にも雪の世界に足を踏み入れる予定にしています。このゴールデンウィーク時期に雪が残っているのは、3,000m級の山の頂にしかありません。その限られた3,000m級の山の一つが、今見える木曽の山並みでした。
更に走り上松町に入ると、御岳山ロープウェイの看板が確認できます。左手の上空に目をやりました。位置的に御岳山は見えないものの、白い頂が見えました。乗鞍岳です。とうとう、北アルプスの玄関口までやってきたことを実感しました。時刻は12時を回っています。出発してから8時間も経過していました。あともう一息で、梓川が流れる松本盆地に到着します。




