なぜ白馬岳に登るの?
白馬岳の登頂を目指して、大阪から長野まで50ccのスーパーカブに跨って走ってきました。その往復距離、920キロメートル。遠かった~。二泊三日の旅程で、往路に一日を、登山に一日を、復路に一日を費やしました。ただ、結論から先に申し上げると……白馬岳の登頂はできませんでした。単純にトレーニング不足という側面もありましたが、それだけではありません。そんな僕の顛末を書き記したいと思います。
ところで、なぜ僕が白馬岳に登ったのか……という動機について先に述べさせていただきます。山岳信仰について調べようとした僕は、その資料の少なさに驚きました。古代からアミニズム的な山岳信仰は存在していたのですが、なにぶん文字がない時代のことなので正式な資料がない。研究から導き出される考察しかありません。飛鳥時代になると山岳信仰は仏教と混ざり合い、役行者が奈良の大峯山で修験道を起こしました。純粋な山岳信仰とは言い切れませんが、形を変えながら今も残っています。また、現代の山男の山に対する執着は、もしかすると古代のアミニズム的な山岳信仰の再誕かもしれません。僕の勉強のスタイルは、関係する文献も読み込みますが、実際に関係する史跡に自分の足で赴き、その歴史を感じようとしてきました。資料がないのなら、山岳信仰を体験するしかない。
――山に登ってみるか。
というのが、そもそもの動機になります。そんなことで昨年の9月に大台ヶ原を登ったのを皮切りに、奈良県の山ばかりを、再度大台ヶ原、山上ヶ岳、八経ヶ岳、高見山と、2ヵ月に一座くらいのペースで山に登ってきました。その過程では、雪山も2回経験していて、雪上でのテント泊も経験しました。
仕事柄、長期の休みが取りにくい僕ですが、ゴールデンウィークなら二泊三日の旅行に行くことが出来ます。まだまだ初心者ですが、そろそろ本格的な山に登ってみたい欲求に駆られました。スーパーカブで行くことが出来る山を探す中で、最初に目についたのが北陸にある標高2,702mの白山でした。ところが、今年は雪が多い年だったようで、ゴールデンウィー中は登山口までの白山公園道路が開通しないことが発表されたのです。直前での告知に、計画の変更を余儀なくされました。
どうせ登るのなら、3,000m級の雪山に登りたい。そんな思いで北アルプスを地図で眺めるようになりました。北アルプスには有名な山々がズラリ、槍ヶ岳、剣岳、穂高岳、乗鞍岳、燕岳……。そうした北アルプスには今回挑戦した白馬岳もあるのですが、当初は選択肢に入っていませんでした。何故なら、大阪から一番遠いからです。比較的アクセスが容易な北アルプスの女王と呼ばれる標高2,763mの燕岳に決めた矢先に、登山口までの道路が崩落したニュースが飛び込みました。
――あら!
白山に続き、燕岳も登山口までアクセスが出来ないことが判明しました。再度の計画見直しを迫られます。そうした中、地図を眺めながら白馬岳を見てしまいました。白馬岳とは、少なからず因縁があったのです。昨年、再度大台ヶ原に登った時は、三重県の大杉谷から34kmの道のりを往復しました。滅茶苦茶に苦しい登山で、足を引き摺りながら山小屋に到着します。その山小屋で一人の登山家と親しくなりました。会話が盛り上がる中、その男性に僕は質問をします。
「思い出に残る山は何処でしたか?」
「白馬岳」
感慨深げに語るその登山家の目は輝いていました。話を聞く僕の心も高揚してきます。
――いつかは白馬岳にも登ってみたいな。
彼の影響から、漠然と思いました。ただこの時、彼の「白馬岳」の一言は別の驚きもあったのです。僕の同い年の従兄は登山家でした。そんな彼が、白馬岳から五竜岳の縦走に挑戦したのです。険しいとされる五竜岳を登頂した後、遠見尾根から下山する際に、彼は滑落して亡くなりました。ちょうど10年前の5月の出来事になります。僕は彼の遺体を引き受ける為に、棺桶を載せて長野県の大町警察署まで車を走らせました。あの時の、従兄の死とアルプスの山々の美しさのギャップを今でも覚えています。
縁とは不思議なもので、縁は重なることで必然になると思います。山に登るだけなら、どの山に登っても構わない。でも、登らなければならない山もあります。僕が山を登り始めると「白馬岳」の一言を放った登山家がいて、今年は従兄が滑落してからちょうど10年の節目を迎えました。これは何かの縁としか思えません。
――白馬岳に行くしかないな。
素直にそう思いました。調べてみると、白馬岳に至るためには大きくふたつのルートがあります。一つはロープウェイに乗って栂池からアクセスするルート。もう一つは、日本三大雪渓の一つ白馬大雪渓から登るルート。同じ登るのなら、大雪渓を登ってみたい。ところが、大雪渓を登るためには猿倉登山口を利用するのですが、二股から猿倉に至る道路が、崩落の為に封鎖されていました。
――ここもか!!
驚きです。登ろうと思った山は、どれも登山口までの道路が封鎖されていたのです。ただ、よくよく調べてみると、封鎖されている二倉から猿倉までの5km強の道のりを歩いて登っている方が多数いました。中には、自転車を持ち込んでいる方もいます。距離は伸びますが、登るのか登らないのかは僕次第になりました。なら、登るしかない。もう変更はしません。そんなこんなで、当日を迎えました。